KURENI 主と共に歩む恵みの日々

2019年がやってきましたね〜。チャレンジの一年!!

予備校生・浪人をしていたころ

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この日曜日の集会の直後、時は1968年。10月の最後の日は、反戦デーであり、新宿駅に反戦デモの

学生が入り込み、電車を止め、安保反対、ベトナム戦争反対を叫んで、世の中は次第に騒然としてきた。

わたしも、歴史の現場をとらえようと、新宿駅の紀伊国屋書店の前に行った。そしたら、同じ年代の青年

たちが、スクラムを組んで、機動隊ともみ合っている。若い青年がこちらを見て叫んだ。「一緒にデモに

くわわりな!ベトナム戦争を止めるんだ。僕たちの手で歴史を変えるんだ!!」。わたしは気がついたら

彼らと手をつなぎ、肩を寄せ合って、機動隊に向かって叫んでいた。「ベトナム、平和を!佐藤、やめろ!

佐藤、やめろ!戦争反対!・・」。それから、道に広がって、フランスデモ等をしていた。「仲間が線路

に入ったぞ!山手線を止めた!機動隊の奴らが襲ってくるぞ!にげろ!!!」。きな臭い催涙弾の煙とか

シュプレヒコール、罵声、「こわい!」という女学生の叫び声・・・・。正義感に駆られて、夜中まで新

宿で過ごした・・・。興奮冷めやらぬ一夜だった。

 牧師に話すと、牧師は困惑した顔で言った。「そのような行動で、本当の平和は来るとは思わない」と

か、「魂の救いが第一である」とか言う。わたしの心の中には、牧師の言葉に何か釈然としない、ふつふつ

とした反抗の思いが、渦を巻いていた。

「すいどうばた美術学院」の学園祭にも評論家の針生一郎氏が来られて、「あなたがたの手に持つ絵筆

を、変革のための角棒に変えることはできないのか」というような講演をされ、とても驚いたものだっ

た。村田という友人と、目白のルノワールという喫茶店で、コーヒー一杯で、7時間ぐらい話し込んだ事

があった。彼はわたしがキリスト教に引かれている、と言ったら「それはおかしい。キリスト教というよ

うな固定観念を持って一度きりの人生を生き、それに自分が支配されたら、本当の自分の人生を生きた事

にならない。自分の実存を大切にして、自分の目で見、自分の手で触り、一瞬一瞬を生きて行くのだ。そ

れでこそ本当の人生だ。君は一体、罪深いというが、どんな罪を犯したというのだ。成人映画ひとつも見

たこともないだろう?そんなキリスト教は魅力を感じないな、僕は・・。」となかなか粋な事を言った。

わたしの心は様々に揺れ動き、確かに、自分で確かめながら、一足一足歩むのが本当の人生だ。キリスト

教という固定観念に捕らえられては、自由に、公平にすべてを見る事ができなくなる。「なるほど」と思

った。

しばらくの間、日曜日の夜には、町内会事務所の伝道集会に通った。集会の神学生の説教は眠かったが、

集会の後のお茶の時間はいろんな話ができて楽しかった。その集会所は大田区の池上線の小さな駅の近く

にあった。自分のアパートからは歩いて5分ぐらいだった。二人の神学生とも仲良くなったがある日曜日

の夕べ、川崎にある本教会の牧師が直接、その伝道所にやって来ると言う。「来週は牧師先生が来て、お

話してくださるから、ぜひ聞きに来てくださいね」と女性神学生に言われて、なんとなく不安な気になっ

た。「牧師先生・・・?」。翌週、日曜日の夜にその集会所に行ったら、もう、集会は始まっているよう

だった。牧師先生が紹介されて、お話の前にお祈りをされた。わたしはその牧師の祈りを聞いただけで、

「こりゃ、本物だ!今までの、神学生の様なわけには行かないぞ」と思った。牧師の祈りは不思議な力に

満ちたまた、信仰と慈愛に満ちたような、父なる神への祈りだった。「主よ!世界は罪と混乱で満ちてい

ます・・・。」わたしの心はなんとなく引き込まれてゆくような不安を感じた。耳元で何物かが「今度は

手強いぞ、気をつけろ!」とささやくような感じがした。また、その、牧師のはじめての説教を聞いて、

「今も、このような人が日本にいるんだ。僕はこのような人とともに人生を歩まねばならないんじゃない

か!」と思ったのを覚えている。このとき先生は40歳ぐらいだったであろうか。黒いダブルの服を着てお

られた。わたしには、現代の預言者のような、強烈な、真実な方に見えた。

そのうち2、3人の方が見えた。男性の神学生が司会をして、集会が始まった。「キリスト教は上品な宗

教と、思う方もあるでしょうが、もともと、そのようなものではありません。賛美は手を叩きながらすべ

きなのです。今日は『ただ信ぜよ』を一緒に歌いましょう。」はじめてのわたしは言われるとおりに、手

を叩きながら歌った。無精ひげが生えており、長い髪の毛を乱して、元気に手を叩くはじめての青年に、

神学生は少し、気味が悪かったとのことである。集会はとても眠かった。神学生の話しは、何か、紋切り

型で心に訴えなかった。その当時は、睡眠時間が平均3、4時間、座れば必ず、どこででも眠るという生活

だった。説教が始まって数分すると、わたしは夢心地になって、ぐっすりと寝込んでしまうのが習慣だっ

た。何度か、後ろから紙切れが回ってきた。そこには「誘惑におちいらないように目を覚ましていなさ

い」とか書いてあった。「なんじゃ、これは?」と思った。これが聖書の言葉とは知らなかった。でも、

集会が終わると、楽しいお茶の時があった。その時に、神学生に、いろんな質問をするのが楽しみであっ

た。「倉田百三の『出家とその弟子』はどう思いますか?内村鑑三の信仰はどうですか?綱島梁川の『見

神の記録』はどう思いますか? ボンへッファーの神学はどのようなものですか?等々」生噛りのままで質

問した。神学生が、「君は、随分難しい事を聞くね」とか言われると、「どんなもんだい!」とか、心の中で

は、ほくそえんでいたのである。いやみな求道者だったんですね・・・。

さて、兄貴の大田区千鳥町は東京の下町風情のところで、静かな所であった。アパートの前は、北朝鮮の

学校があった。わたしは、9月のはじめからこの兄貴のアパートに、居候をする事になった。9月5日こ

ろであったと記憶しているが、本屋で山本泰次郎著 「内村鑑三の根本問題」という本を見つけて、それを

読んで感動し、中学時代の恩師、渡辺先生に便箋で、20枚以上の長い手紙を書いた。特に、その時は真

実と正義を愛し、生涯を戦い続けた内村の姿勢に感動した。再臨問題等も記されていたかと思うが、それ

は、よく分からなかった。

 丁度、その数日後の日曜日の夜に、お風呂に行こうと思って、風呂桶を持って外を歩いていると、讃美

歌が聞こえてきた。わたしの行く反対側から、二人の若い男女がマイクを手にして、讃美歌を歌い、また

集会案内をしながら歩いていた。わたしは「キリスト教の集会ですか?どちらでやっているんですか?」と

聞くと、「駅前の町内会の会館です」という。わたしは風呂に行くのを止めて、その集会に行った。わた

しが行った時には、ほとんど人がいなかった。部屋は畳敷きで、テーブルと座布団が並んでおり、30人

ぐらいは入れるかと思われる広間だった。後で分かったが、この二人は神学生で、毎週、日曜の夜にこち

らの町内会会館を借りて、集会をしているのだそうだ。「よくいらしてくださいました。どうぞどうぞ、

前の方に」と一番前に通された。

イメージ 1

イメージ 2

浪人1年目。18歳のころの手の習作と風景の未完の作品です。
自画像を思ったのですが見つからないので・・。
これは牛乳配達をやめて、兄貴のアパートで書いた油絵。
9月か10月ころ・・。1968年のころですね。

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