KURENI 主と共に歩む恵みの日々

2019年がやってきましたね〜。チャレンジの一年!!

クリスチャンになって1年目の頃

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            19歳の頃の油絵 自画像のひとつ(似てないかな?)

洗礼を受けた年は1969年、そして年が明けて1970年が来た。

わたしは田舎で両親に洗礼を受けたことを告げ、できれば献身して牧師になりたいと告げた。

それは母親にとっては、予想もつかない世界であった。

母親はわたしに、「キリスト教を信じて、その牧師になるなんて、絶対に許さない!

そのような歩みをするなら、絶縁をする!」と強く迫った。そこまで言えば、

わたしが折れると思ったのであろう。しかし、洗礼を受けて1週間、熱に浮かされたような

わたしの心には、母の声より、命をかけて神に従うと言うような熱い思いで一杯だった。

母は「一筆書いて、家を出て行け!」と言う。

わたしは「そこまで言うなら、絶縁するしかない。じゃあ、書くよ。」と言った。

母は動転して、平静を失っていた。

その時は夜中の11時ごろだったと思う。

わたしはふっと家を出て、親友の1人、八保(仮名)に相談に、彼のうちへと夜道を歩いていった。

月が照っていた。彼の家は田んぼや杉山を越えて行かねばならない。わたしは

久しぶりに自分の田舎の夜道を歩きながら、主に祈った。冬の青い月の光が杉の木を照らし、

幻想的な風景だった。美術予備校の友人牧師の娘と言うみどりさんの描く緑と青の色彩に

似ていると思いながら歩いた。

「母親に絶縁状を書いてゆけと言われた。主イエスが『わたしに従うものは父母を捨てよ』

と言われた。主よ、わたしはあなたに全てを捨てて従いたいと思います。導いてください。」

そのような祈りをしていたら、自分の故郷の風景や幼い甥や姪のかわいい笑顔が浮かび、それらが

とても懐かしい、愛すべきものに思えた。

「ああ、もう、一生、この風景を見ることも、かわいい甥や姪に会うこともないかもしれない。

俺は、どこか名も知らない田舎か、小さい離れ小島の教会に仕え、その地の人々を愛して、

一生を終えるのだろうか・・・」

そう思ったら、涙がぽろぽろ出てきた。

ずいぶん、感傷的な献身の思いだった。

八保と話し込んで、夜中の2時すぎにに家に帰った。

そしたら、母は、まだ、起きていた。とても先ほどの勢いはなく、わたしに優しい声をかけてくれた。

「さっきはきついことを言ったので、お前がいなくなり、もしかして、自殺でもしているかと思って

眠れなかった。仏壇の前で、ご先祖様に、クレニを守ってください、と拝んでいたよ。・・」

「もう、遅いから早く寝な・・」と言う。

しんみりと母に言われて、わたしもどっと疲れを覚えてコタツに入って眠った。

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            練馬の教会にいた頃の油絵 セザンヌにあこがれていたころ 

 洗礼を受けたその礼拝の終わった後で、当時の青年会長が「クレニ君、君は洗礼の中で、感動して泣い

ていたけど、これからの君の戦いは個人的なものではなくて、社会的なものであるべきだと思う」と言わ

れた。そして、後に、喫茶店で一緒に御茶を飲んだ際に、問題提起者の一人がわたしに言った。「君は牧

師になると言うようなことを聞いたけど、牧師とは何だ。彼らは体制補完的役割を果たす欺瞞的なプチブ

ル集団のリーダーとでも言おうか?君が本当にキリストの弟子になりたいというのなら、何も東神大のよ

うな所に行かないでも良い。むしろ、現代のガリラヤである山谷に行くべきだ。復活のキリストは当時の

被抑圧者ガリラヤの町に復活して現れたのだ!」。なかなか、強烈な熱弁が振るわれた。

 単純なわたしは、彼の言っている方が本当に思えた。

 それから、第一の嵐がやってきた。田舎に帰って、親族に洗礼を受けたことを話したときだった。クリ

スマスも終わって、お正月も近づいて、わたしは田舎に帰った。浪人二年目の正月である。私の同級生は

あるものは会社員になり、あるものは大学生になって、立派な青年の証しを立てていた。それなのに、私

は、浪人二年目。最近教会に行き、洗礼を受けた。出来れば牧師になりたい・・・。

 うちの母などは、わたしを実に冷たい目で見ていたようだ。

「このバカ。まじめで通っていた中学生や高校生のときと比べて、なんというすがた・・・。

絵描きになるなんて言っていたかたと思うと、今度はキリスト教の牧師になるなんて、バカみたいなこと

を言い出して・・。大学には入れないものだから、血迷って、まったく東京で何やっているか分からな

い。このバカ、もとはと言えば、中学時代のがま(渡辺)先生が、神だの、キリストだの、こむずかしい

こと言ったものだから。まったく・・・。まじめに働いて普通の月給取りになってくれればいいもの

を」。母はかんかんに怒っている。

「お前!もう、東京になんか行くな!そんな汚い格好して・・。まさか?お前、ニュースでやっているデ

モ隊なんかで警察とぶつかったりはしてないだろうな?」

「いや、やるよ。現代の混乱した政治をただし、ベトナムの自由を求める民衆と共に戦うのは当然・・」

「このバカ!まったく、キリストだの革命だの・・・。警察に捕まって豚箱に入れられるぞ・・・。」

「豚箱だって、牢獄だって、そんなの何にもこわいくはないよ・・」

「ああ、このバカは・・・。もう、そんなこというなら、親子の縁切るから、判子ついてけ!」

「そんなに言うなら、はんこついて行くよ・・・」

おやじが口を出して、わたしの味方をしたら、

「この中気の爺さま。お前連れて行け!」

母はものすごい剣幕で、わたしとぶつかった。今までに経験のなかった出来事だった。



 

練馬の教会で洗礼を受けたのは1969年12月21日、19歳のときであった。

翌1970年、1月、友人の根切が大田区の千鳥町で旋盤の会社を見つけ住み込みで働いているという。

お前も来ないかと誘われて、十数日遅れて、上京して行った。わたしも、当時はもう、献身の生涯は「民

衆の中に入ることである」などと、自分なりの目標を定めて、旋盤工として生きようと思ったのである。

ただし、どんなに忙しい時でも、残業はしないという条件で入れてもらった。勉強する時間がほしかった

のである。池上線の千鳥町駅から歩いて4、5分の所であった。わたしはここから、毎週、日曜日は練馬

の教会に通った。池上線で五反田に出て、それから、山の手線で池袋まで出て、そこから西武池袋線で桜

台まで行った。

1969年、1970年は、日本基督(キリストと読む)教団(以下はキリストとカタカナで表記する)

では、大きな問題の年であった。大阪で開催される万国博覧会にキリスト教館を出展するかどうかで、教

団が二つに割れようとしていた。教団内の問題提起者は、70年安保の年に大阪で万国博覧会を開催する

のは、ベトナム戦争の現実や日米安保条約改定の現実から目をそらせる政府の陰謀的な仕業であるとし

た。それに、万国博覧会とは何か?日本のアジアへの経済侵略を誇示するようなバアルの祭典とでも言う

べき催しである。このようなお祭りにキリスト教館を建てるとは何事だ!ということで、日本キリスト教

団の総会や東京教区総会では、当時の新左翼のスタイルで、ヘルメットとゲバ棒で押し寄せ、乱闘騒ぎと

なった。わたしの洗礼を受けた教会でも、小さな教会であったけれども、問題提起者といわれる人たちが

数人、後ろに座っており、時折、牧師の説教に対して野次を飛ばしたり、ジーっとにらんだりしていた。

クリスマス礼拝の時にも、順序が進んで、洗礼を受ける段になった。牧師が、「我、汝に父と子と聖霊の

名によってバプテスマを施す!」と宣言し、会衆は「アーメン!」と唱和するのだが、この「アーメ

ン!」と一緒に、彼らは「ナンセンス!」と大きな声で叫んだ。不思議な不協和音が周りを支配してい

た。わたしは「ナンセンス!」という唱和の中で洗礼を受けた珍しい体験者でもある。

 それでも、前回に書いたように、わたしは、洗礼を受け、主イエスのあがないの血潮によって新しい生

涯に入った大きな感動に、心は高鳴っていた。

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