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7月26日(火)大阪南港からダイヤモンドフェリーで別府へ。別府市から中津市へ、耶馬渓や日田市を経て九州自動車道で福岡県八女市に。
午後二時の集会には用意した椅子が満席でした。集会ではフルート演奏や、牧師の友人が、「愛燦々と」や英語で「驚くばかりの恵みなりき」を心こめて賛美し、大きな感動の拍手に包まれました。 近藤雅子牧師の、素直にすべてのことに感謝していますと、輝いてお証する姿に心打たれる時でした。 90歳の最高齢の方も喜んでくださり、20年くらいも前久留米市の開拓教会で信じた美しい女性も、ブログを読んで参加されたり、日本キリスト教団の牧師も小学生のお孫さんと参加され、孫がアフリカへ宣教へ行くよう願っているとのことで、その子の祝福を祈りました。 九州自動車道で鹿児島へ。噴煙の桜島が目の前に見える城山観光ホテルの宿泊。鹿児島の教会牧師家族がそろって訪ねてくれ、長女は鹿児島大学でもう教職の資格も取り、長男は筑波大学一年生、生駒聖書学院で学んでいた時は、まだ幼なかった子どもたちが大きく成長している姿に感謝の祈りのひと時でした。 30日に高速艇ロケットで種子島へ。ほとんど揺れもな九あっという間の90分で種子島の西之表港へ。レンタカーで生まれ育った生姜山へ向かいました。 鴻峰小学校は島中の小中学が廃止統合される中、唯一休校中の小学校です。しかも8年間も休校中です。建物も古くなり休校と言うより廃坑になるのではと思われるようでした。 ただ生姜山と言う名前あるように、生姜栽培にもっとも適した地域と言うのが分かり、総務省の肝いりで生姜栽培地に指定されているそうです。 子どもの時から茗荷しか見たことはなく、なんで生姜山かなあと思っていたのが、やっと分かったように思ました。 生まれた家もないような生姜山で、日本バプテスト連盟の種子島新生キリスト教会が公民館で夜の集会を計画してくれました。出かける前夜に電話をもらい、マンガをぜん家庭に配ろうと持って行きました。 日曜日の朝早くホテルをから車を飛ばし、生姜山に着いたのが午前4時30分。街頭一つないような真っ暗闇。どこに家があるか分からず16番集落まで後戻りし、所々に立つ街灯を目当てにマンガと名刺をポスティング。 やっと薄明かりの朝になり、再び生姜山へ。わずか20軒弱のポツンポツンと立つ家に、マンガと名刺を配り終わりました。万歩計は5000歩。それでも夜の集会にはポスティングした家から4名の方々が出席していました。 種子島のキリスト教会で宣教師として二年間滞在された、アルビン・ハモンド師がアメリカで7月21日に召された知らせを受けて直後の種子島伝道でした。 宣教師に導かれ、アーメン信じますとクリスチャンなり、今年の11月24日で54年になります。一人の宣教師の蒔いた種が、芽生えて成長し多くの実を結ぶようになったことを喜んでくださった恩師に、義の冠が輝いていることを思いながらの種子島の日々でした。 ダニエル書 12:3 思慮深い人々は大空の輝きのように輝き、多くの者を義とした者は、世々限りなく、星のようになる。 マタイの福音書 13:43 そのとき、正しい者たちは、天の父の御国で太陽のように輝きます。耳のある者は聞きなさい。 テモテへの第二の手紙 4:7 私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。 4:8 今からは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。かの日には、正しい審判者である主が、それを私に授けてくださるのです。私だけでなく、主の現われを慕っている者には、だれにでも授けてくださるのです。 |
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