牧師雑感

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みわざ

イエス・キリスト様のみわざ
1.その死=贖罪(罪のあがない= 犠牲や代償を捧げて罪をあがなうこと。特にキリスト教で、キリストが十字架上の死によって、全人類を神に対する罪の状態からあがなった行為)
神様の永遠お会いにより計画され、預言者達によって語られ、旧約聖書に記されている。
ヨハネの福音書6:38 わたしが天から下って来たのは、自分のこころを行なうためではなく、わたしを遣わした方のみこころを行なうためです。
イザヤ書53:4 まことに、彼=イエス・キリストは私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが、私たちは思った。彼=イエス・キリストは罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。
2.人間が救われるためには。イエス・キリストの身代わりの死が必要でした。
ルカの福音書19:10 人の子=イエス・キリストは、失われた人を捜して救うために来たのです。
Ⅰペテロ3:18 キリストも一度罪のために死なれました。正しい方が悪い人々の身代わりとなったのです。それは、肉においては死に渡され、霊においては生かされて、私たちを神のみもとに導くためでした。
3/イエス・キリストノ身代わりの死は、無限の絶対的価値ある死でした。全く罪のないイエス・キリストが罪人の身代わりになり、義である神様の要求を完全に満たされました。
イエス・キリストの十字架の死は、私たちの罪の身代わりです。
私たちの罪は、十字架でもう処罰されました。個の十字架のあがないを、アーメン慎司、バプテスマを受けるとき、私たちは神様の御目に、義なる者=罪を犯さなかった者と認め=信仰義認=られるのです。
罪のない義なる者は死ぬ必要がありません。神様とおないいのち=永遠のいのちを受けるのです。
これが罪の赦しであり、神の子とされる救いなのです。
ローマ書 3:23−26 すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、
ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。
神は、キリスト・イエスを、その血による、また信仰による、なだめの供え物として、公にお示しになりました。それは、ご自身の義を現わすためです。というのは、今までに犯されて来た罪を神の忍耐をもって見のがして来られたからです。
それは、今の時にご自身の義を現わすためであり、こうして神ご自身が義であり、また、イエスを信じる者を義とお認めになるためなのです。
エペソ書2:8 あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。

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