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いや、確かにあなたは笑った。創世記18:15
聖書を読む限り、サラが直接に神の声を聞いたのは、この時だけです。それまでは、語られた神の声を、アブラハムから聞いて、彼とともに人生を歩みました。しかし、この日は、アブラハムと天使の語らいを天幕の中で聞き、「来年の今ごろ、その時、あなたの妻サラには男の子が生まれています。
サラはもう90歳、女の月のものがもう止まっていました。聞こえてくる声を聞いて、サラは心の中で笑い言いました。「年老いてしまったこの私に、何の楽しみがあるでしょう。それに主人も100歳の年寄りで」
そこで、主がアブラハムに仰せられた。「サラはなぜ『私はほんとうに子を産めるだろうか。こんなに年をとっているのに。』と言って笑うのか。主に不可能なことがあろうか。わたしは来年の今ごろ、定めた時に、あなたのところに戻って来る。そのとき、サラには男の子ができている。」 サラは「私は笑いませんでした。」と言って打ち消した。恐ろしかったのである。しかし主は仰せられた。「いや、確かにあなたは笑った。」 サラが直接に聞いた神の声は「いや、確かにあなたは笑った」でした。 神の声を聞いたサラに大きな変化を与えました。 ヘブル書11:11-12 信仰によって、サラも、すでにその年を過ぎた身であるのに、子を宿す力を与えられました。彼女は約束してくださった方を真実な方と考えたからです。 そこで、ひとりの、しかも死んだも同様のアブラハムから、天に星のように、また海べの数えきれない砂のように数多い子孫が生まれたのです。 生まれた子の名をイサク=笑うと名付けました。 そればかりでなく、アブラハムが信仰の父であるように、サラも信仰の母になりました。 Ⅰペテロ3:4-6 むしろ、柔和で穏やかな霊という朽ちることのないものを持つ、心の中の隠れた人がらを飾りにしなさい。これこそ、神の御前に価値あるものです。 むかし神に望みを置いた敬虔な婦人たちも、このように自分を飾って、夫に従ったのです。 たとえばサラも、アブラハムを主と呼んで彼に従いました。あなたがたも、どんなことをも恐れないで善を行なえば、サラの子となるのです。
サラの不信仰のような笑いを、神は信仰の笑いに変えてくれました。サラとの大きな違いは、聖書を通して神様の声を、いつでも聞ける特権を与えられていることです。 ヘブル書4:12 神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。 詩篇1:1-3 幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人。ことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。 その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。今週も聖書を通して、神の声にアーメンと答え、信仰の笑いと笑顔で、前進の日々を祈ります。 |

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