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マタイの福音書6:34 だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。
不安があるのは生きている証拠です。心配の種は誰にでもあります
良いものを来いたい、おいしいご馳走を食べたい、贅沢もしたいという欲求は誰にでもあると思います。
出は、人はそういうことのために生きるのか。生きるために食うのか。もちろん生きるためです。
では、生きるとはどんな意味を持つのでしょうか。イエス様は生きるとは、神の栄光のため、神に仕えるためです。神に仕えるために生きる限り、すべてを神様に委ねて生きるから大丈夫です。神様は、空の鳥を養い、野の花を装って下さる愛の神だから平安です。
神のために生きる、これこそがイエス様が人類に与えてくださる心配のない人生です。
当時のギリシャ世界では、労働は奴隷のするものとされ、一般市民は生産労働に従事しませんでした。アテネでは労働によってパンを得ることを軽蔑していました。そういうローマ時代に、聖書は新しい生き方をもたらしました。
テサロニケ人への第二の手紙3:6-11 兄弟たちよ。主イエス・キリストの御名によって命じます。締まりのない歩み方をして私たちから受けた言い伝えに従わないでいる、すべての兄弟たちから離れていなさい。 どのように私たちを見ならうべきかは、あなたがた自身が知っているのです。あなたがたのところで、私たちは締まりのないことはしなかったし、 人のパンをただで食べることもしませんでした。かえって、あなたがたのだれにも負担をかけまいとして、昼も夜も労苦しながら働き続けました。 それは、私たちに権利がなかったからではなく、ただ私たちを見ならうようにと、身をもってあなたがたに模範を示すためでした。 私たちは、あなたがたのところにいたときにも、働きたくない者は食べるなと命じました。 ところが、あなたがたの中には、何も仕事をせず、おせっかいばかりして、締まりのない歩み方をしている人たちがあると聞いています。 こういう人たちには、主イエス・キリストによって、命じ、また勧めます。静かに仕事をし、自分で得たパンを食べなさい。 聖書は働くことの素晴らしさをはっきり教えています。イエス様は大工さん、使徒パウルは天幕作りをしながら福音を伝え続けました。 私も数年間は働きながらの伝道でした。学院の卒業生も多くテントメーカー=働きながら伝道している卒業生が多くいます。 神のために働き、働くことを誇りにし、使徒パウロのように、「あなたがた自身が知っているとおり、この両手は、私の必要のためにも、私とともにいる人たちのためにも、働いて来ました。 このように労苦して弱い者を助けなければならないこと、また、主イエスご自身が、『受けるよりも与えるほうが幸いである。』と言われたみことばを思い出すべきことを、私は、万事につけ、あなたがたに示して来たのです(使徒20:34−35) 私はすべてのことを、福音のためにしています。それは、私も福音の恵みをともに受ける者となるためなのです。(Ⅰコリント9:23) 私たちも、明日を思い煩うことなく、心配しないで、今日一日を汗を流し働けば、生きている今日という一日が、豊かに耀き平安と幸に包まれます。 働いた日はそれだけで大きな平安です。 箴言3:24 あなたが横たわるとき、あなたに恐れはない。休むとき、眠りは、ここちよい。 詩篇3:5 私は身を横たえて、眠る。私はまた目をさます。主がささえてくださるから。 4:8 平安のうちに私は身を横たえ、すぐ、眠りにつきます。主よ。あなただけが、私を安らかに住まわせてくださいます。 127:2 あなたがたが早く起きるのも、おそく休むのも、辛苦の糧を食べるのも、それはむなしい。主はその愛する者には、眠っている間に、このように備えてくださる。 128::1-2 幸いなことよ。すべて主を恐れ、主の道を歩む者は。 あなたは、自分の手の勤労の実を食べるとき、幸福で、しあわせであろう。 |

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