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マタイの福音書13:3-8イエスは多くのことを、彼らにたとえで話して聞かされた。「種を蒔く人が種蒔きに出かけた。 蒔いているとき、道ばたに落ちた種があった。すると鳥が来て食べてしまった。 また、別の種が土の薄い岩地に落ちた。土が深くなかったので、すぐに芽を出した。 しかし、日が上ると、焼けて、根がないために枯れてしまった。 また、別の種はいばらの中に落ちたが、いばらが伸びて、ふさいでしまった。 別の種は良い地に落ちて、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結んだ。 マタイの福音書5〜7章は、有名な山上の垂訓=教えですが、13章は海辺の垂訓です。 イエス様は、たとえ話されました。 聖歌680番 畑のなかの 細い道 ポロリと落ちた 麦の種 いたずらカラスが 飛んできて パクリと食べて 逃げました。
石ころばかりの 見える道 ポロリと落ちた 麦の種 いじわる嵐に 荒らされて 芽生えてすぐに 枯れました。
畑のそばの やぶの道 ポロリと落ちた 麦の種 いばらのジャングル 邪魔をして 伸びきる前に 枯れました。
よく耕した くろいつち ポロリと落ちた 麦の種 恵みと愛との 日を受けて ひゃくばい麦が 取れました。
種をちゃんと種を蒔き、手入れをすれば豊かな実りになります。イエス様の教えをちゃんと聞きさえすれば、実り豊かな100倍の祝福人生です。 良く耕した畑とは、素直にアーメンと言える心です。 道端の心は堅い頑固な心です。 石ころの心は、理屈と偏屈な心です。 やぶの心とは、心配と不平不満だらけの心です。 聖書のことばは素晴しい種のようです。 実り豊かな人生のために、しっかり良く耕した心になり、聖書的な実りある日々を祈ります。 イエス様の教えです。 マタイの福音書13:1823 ですから、種蒔きのたとえを聞きなさい。 御国のことばを聞いても悟らないと、悪い者が来て、その人の心に蒔かれたものを奪って行きます。道ばたに蒔かれるとは、このような人のことです。 また岩地に蒔かれるとは、みことばを聞くと、すぐに喜んで受け入れる人のことです。 しかし、自分のうちに根がないため、しばらくの間そうするだけで、みことばのために困難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまいます。 また、いばらの中に蒔かれるとは、みことばを聞くが、この世の心づかいと富の惑わしとがみことばをふさぐため、実を結ばない人のことです。 ところが、良い地に蒔かれるとは、みことばを聞いてそれを悟る人のことで、その人はほんとうに実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結びます。 植木や花も、水をやり話しかけると、生き生き美しく育ちます。愛の心が子育てにも必要です。 不毛地帯は愛を注ぐ者がいないからです。愛は力なのです。 クリスチャンが祝福され続けるのは。聖霊によって注がれる愛を受け続けているからです。 ヤコブ書1:18 父はみこころのままに、真理のことばをもって私たちをお生みになりました。私たちを、いわば被造物の初穂にするためなのです。 Ⅰペテロ1:23−25 あなたがたが新しく生まれたのは、朽ちる種からではなく、朽ちない種からであり、生ける、いつまでも変わることのない、神のことばによるのです。 「人はみな草のようで、その栄えは、みな草の花のようだ。草はしおれ、花は散る。 しかし、主のことばは、とこしえに変わることがない。」とあるからです。あなたがたに宣べ伝えられた福音のことばがこれです。 私たちも良い農夫のように、みことばの種を蒔き続けましょう。 伝道者の書11:6朝のうちにあなたの種を蒔け。夕方も手を放してはいけない。あなたは、あれか、これか、どこで成功するのか、知らないからだ。二つとも同じようにうまくいくかもわからない。 詩篇126:5-6涙と共に種を蒔く人は/喜びの歌と共に刈り入れる。 種の袋を背負い、泣きながら出て行った人は/束ねた穂を背負い/喜びの歌をうたいながら帰ってくる。 |

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