牧師雑感

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裁かないで

旧約聖書がすべての拠り所だったユダヤ人社会は、聖書の戒律がすべてでした。いわゆる多くの戒律があり、それを解釈するラビ教師ガイアmした。結果的には、殺人罪から傷害罪までの、社会的制裁としての法は持っていました。

中心は十戒であり、神に対する罪が最大の犯罪でした。

聖書の教えに従わないこと一切が死刑という厳しさでした。

イエス様が十字架刑を宣告されたのも、この神を汚す罪と思われ起訴され、全人類の身代わりとなり、罪の赦しが与えられました。

宗教家達は、自分たちの判断が絶対的基準で、罪を断罪し、自分を義として裁いてばかりでした。

イエス様はそんな時代に、人が人を裁くことは、基本的に許されず、人間のさばきでさばき合わないよう、自分の義だけを主張しないように教えました。

 

さばいてはいけません。さばかれないためです。

あなたがたがさばくとおりに、あなたがたもさばかれ、あなたがたが量るとおりに、あなたがたも量られるからです。

また、なぜあなたは、兄弟の目の中のちりに目をつけるが、自分の目の中の梁には気がつかないのですか。

兄弟に向かって、『あなたの目のちりを取らせてください。』などとどうして言うのですか。見なさい、自分の目には梁があるではありませんか。

偽善者たち。まず自分の目から梁を取りのけなさい。そうすれば、はっきり見えて、兄弟の目からも、ちりを取り除くことができます。マタイ7:1−5

 

人が神に変わって人を裁くことは不可能です。他人のつまらない罪を針小棒大に吹聴して、責めまくり裁いてしまいます。

その前に、自分の梁のような大きな罪はどうなのかを考えて見ることです。

もしかしたら裁かれる人よりも、裁いている人のほうが、大きな罪を犯しているのかもしれません。

 

イエス様を信じる時、すべての罪が赦され、神の前に義とされました。イエス様の十字架の大きな愛に赦されました。教会は愛と赦しの天国のひな形です。

お互いに愛し合い、赦しの愛で教会に集い、クリスマスを祝いましょう。

Ⅰペテロ4:8 何よりもまず、互いに熱心に愛し合いなさい。愛は多くの罪をおおうからです。

箴言10:12 憎しみは争いをひき起こし、愛はすべてのそむきの罪をおおう。

17:9 そむきの罪をおおう者は、愛を追い求める者。同じことを繰り返して言う者は、親しい友を離れさせる。

助けは天から

詩篇124篇
都上りの歌。ダビデによる

「もしも主が私たちの味方でなかったなら。」さあ、イスラエルは言え。
「もしも主が私たちの味方でなかったなら、人々が私に逆らって立ち上がったとき、
そのとき、彼らは私たちを生きたままのみこんだであろう。彼らの怒りが私たちに向かって燃え上がったとき、
そのとき、大水は私たちを押し流し、流れは私たちを越えて行ったであろう。
そのとき、荒れ狂う水は私たちを越えて行ったであろう。」
ほむべきかな。主。主は私たちを彼らの歯のえじきにされなかった。
私たちは仕掛けられたわなから鳥のように助け出された。わなは破られ、私たちは助け出された。
私たちの助けは、天地を造られた主の御名にある。

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