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心の休み場 マタイの福音書 8:20 すると、イエスは彼に言われた。「狐には穴があり、空の鳥には巣があるが、人の子には枕する所もありません。」
イエス様は神の愛だけで生きました。すべてをすてて、神の愛を語り、神の愛を実現しました。 イエス様を待ち望んでいる人々もいましたが、大部分の人々は、地上の財宝に目がくらみ、何を食べ何を着るかで明け暮れていたのが現状でした。 大麦のパン五つと、小さな魚匹で、イエス様が5000人の給食の奇跡の後、その事が顕著になりました 人々はイエス様の奇跡を見て、褒めそやしました。イエス様は人々が自分を王とするために、むりやり連れて行こうとしているのを見て、ただひとり、山に退かれました。 イエス様のことばは辛辣でした。 そして湖の向こう側でイエスを見つけたとき、彼らはイエスに言った。「先生。いつここにおいでになりましたか。」 イエスは答えて言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。あなたがたがわたしを捜しているのは、しるしを見たからではなく、パンを食べて満腹したからです。 なくなる食物のためではなく、いつまでも保ち、永遠のいのちに至る食物のために働きなさい。それこそ、人の子があなたがたに与えるものです。(ヨハネ6:25−27) 金よりいのち、衣服より生きていること、物ではなく、信じるここと、心の平安と幸いです。 御利益信仰ではなく、真善美の天国人生。神を第一にし、その教えにアーメンで、心配なくすべてが備えられます。大丈夫です。 利益優先の宗教に人々は走ります。しかし、イエス・キリストを信じる時、たとえ枕するところなくても大丈夫なのです。 イエス様は自分を神のパンダだとたとえました。 というのは、神のパンは、天から下って来て、世にいのちを与えるものだからです。 人々は、そこでイエス様にいいました。「主よ。いつもそのパンを私たちにお与えください。」 イエス様は言われた。「わたしがいのちのパンです。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません」 イエス様が、食べるパンと物を、供給する王でないと分かったとき、弟子たちのうちの多くの者が、これを聞いて言いました。「これはひどいことばだ。そんなことをだれが聞いておられようか。」 しかし、イエス様は、弟子たちがこうつぶやいているのを、知っておられ、彼らに言われた。「このことであなたがたはつまずくのか。 いのちを与えるのは御霊です。肉は何の益ももたらしません。わたしがあなたがたに話したことばは、霊であり、またいのちです。しかし、あなたがたのうちには信じない者がいます。」――イエスは初めから、信じない者がだれであるか、裏切る者がだれであるかを、知っておられたのである。―― そしてイエス様は言われた。「それだから、わたしはあなたがたに、『父のみこころによるのでないかぎり、だれもわたしのところに来ることはできない。』と言ったのです。」 こういうわけで、弟子たちのうちの多くの者が離れ去って行き、もはやイエス様とともに歩かなかった。 イエス様の愛と奇跡を目の当たりに見、すばらしい教えを間近で聞きながら、もはやイエス様とともに歩かない、寂しい限りです。 そこで、イエス様は十二弟子に言われた。「まさか、あなたがたも離れたいと思うのではないでしょう。」 すると、シモン・ペテロが答えた。「主よ。私たちがだれのところに行きましょう。あなたは、永遠のいのちのことばを持っておられます。私たちは、あなたが神の聖者であることを信じ、また知っています。」 シッカリ、イエス様を信じ愛して、天国までもともに歩く続けましょう。 |

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