牧師雑感

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信仰の賜物


聖霊様の賜物
力の賜物
1.信仰の賜物
信仰には救われる信仰があります。
エペソ2:8 あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。
ローマ10:9−10 なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。
人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。
聖書を読むことで信仰は強められます
ローマ10:17 そのように、信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです。
祈りで信仰を得ます。
ヘブル11:1 信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。
同時に特別に与えられる賜物の信仰が与えられます。
ローマ2:3 私は、自分に与えられた恵みによって、あなたがたひとりひとりに言います。だれでも、思うべき限度を越えて思い上がってはいけません。いや、むしろ、神がおのおのに分け与えてくださった信仰の量りに応じて、慎み深い考え方をしなさい。
聖書の実例をお読みください。
モーセの信仰と紅海横断=出エジプト記14
ヨシュアの信仰と太陽=ヨシュア記10
バルナバの信仰と教会開拓=使徒11:19−26
パウロの信仰=使徒27
イエス様の約束=マルコ16:17−18
恵まれた信仰生活を、聖書を読み、礼拝を守り、祈りの中で成長して行きましょう。
聖霊様の賜物の信仰も必要に応じて、豊かに与えられます。アーメン。
 
 

十字架のメッセージ

1コリント2:1-5 さて兄弟たち。私があなたがたのところへ行ったとき、私は、すぐれたことば、すぐれた知恵を用いて、神のあかしを宣べ伝えることはしませんでした。

なぜなら私は、あなたがたの間で、イエス・キリスト、すなわち十字架につけられた方のほかは、何も知らないことに決心したからです。

あなたがたといっしょにいたときの私は、弱く、恐れおののいていました。

そして、私のことばと私の宣教とは、説得力のある知恵のことばによって行なわれたものではなく、御霊と御力の現われでした。

それは、あなたがたの持つ信仰が、人間の知恵にささえられず、神の力にささえられるためでした。

 

聖霊様ありがとうございます。歓迎します。

イエス・キリスト様は人生の土台です。

この世ではすぐれた知識や知恵、血統や家柄など、様々な小細工などを、土台にしようとしています。しかし、この世のどのようなものも砂上の楼閣です。

聖書には永遠に続く土台は、イエス・キリスト様の十字架の救いだと明言しています。

十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。

十字架のことばとは、十字架についての話です。

パウロはコリントに行く前、アテネへ行きました。アテネはソクラテスで有名な哲学と理性の都です。

アレオパゴスの丘で、パウロは修辞学の粋を尽くして語りました、結果はほとんどありません。

コリントにきたときは、精神的も疲れ果てており、テント作りをしながらでした。ところが

使徒の働き18:9-11 ある夜、主は幻によってパウロに、「恐れないで、語り続けなさい。黙ってはいけない。

わたしがあなたとともにいるのだ。だれもあなたを襲って、危害を加える者はない。この町には、わたしの民がたくさんいるから。」と言われた。

そこでパウロは、一年半ここに腰を据えて、彼らの間で神のことばを教え続けた。

その失望の中で、パウロは十字架の救いだけを語りました。

なぜなら私は、あなたがたの間で、イエス・キリスト、すなわち十字架につけられた方のほかは、何も知らないことに決心したからです。

その結果、聖霊様の助けと恵みが注がれました。

使徒パウロの体験を聞いて見ましょう。

あなたがたといっしょにいたときの私は、弱く、恐れおののいていました。そして、私のことばと私の宣教とは、説得力のある知恵のことばによって行なわれたものではなく、御霊と御力の現われでした。

それは、あなたがたの持つ信仰が、人間の知恵にささえられず、神の力にささえられるためでした。

十字架の福音を阿アーメンと信じ、クリスチャンになり、今日も十字架の救いを伝え続けています。

聖書のメッセージを複雑化しないで、伝え続けましょう。理論的に学び、しっかり理解する恵みも与えられています。。

1コリント2:6-7しかし私たちは、成人の間で、知恵を語ります。この知恵は、この世の知恵でもなく、この世の過ぎ去って行く支配者たちの知恵でもありません。

私たちの語るのは、隠された奥義としての神の知恵であって、それは、神が、私たちの栄光のために、世界の始まる前から、あらかじめ定められたものです。

この知恵を、この世の支配者たちは、だれひとりとして悟りませんでした。もし悟っていたら、栄光の主を十字架につけはしなかったでしょう。

理解できない。分からないと言って、聖書からずれるのでは無く、読んで学んで理解して、幸と平安を体験してください。

必ず素晴しい成功と繁栄の人生があなたのものです。

まさしく、聖書に書いてあるとおりです。

目が見たことのないもの、

耳が聞いたことのないもの、そして、

人の心に思い浮かんだことのないもの

神を愛する者のために、神の備えてくださったものは、みなそうである。

 

過去は=ローマ8:28 神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。

現在は=1:17 すべての良い贈り物、また、すべての完全な賜物は上から来るのであって、光を造られた父から下るのです。父には移り変わりや、移り行く影はありません。

将来は=

 10:28 わたしは彼らに永遠のいのちを与えます。彼らは決して滅びることがなく、また、だれもわたしの手から彼らを奪い去るようなことはありません。

 

何も思い煩ったり、心配しないで、アドナイ・シャローム=主の平安。シャローム。大丈夫。アーメン。祝福の日々を祈ります。

預言

聖霊様の賜物
1コリント12:7-10 しかし、みなの益となるために、おのおのに御霊の現われが与えられているのです。
ある人には御霊によって知恵のことばが与えられ、ほかの人には同じ御霊にかなう知識のことばが与えられ、またある人には同じ御霊による信仰が与えられ、ある人には同一の御霊によって、いやしの賜物が与えられ、ある人には奇蹟を行なう力、ある人には預言、ある人には霊を見分ける力、ある人には異言、ある人には異言を解き明かす力が与えられています。
2.発声の賜物
異言の解き明かし
解き明かしは通訳ではなく、その異言の意味を伝えるものです。短い言葉でも、解き明かしが長くなったり、長い異言でも短い意味の解き明かしもあります。
異言の解き明かしは、人々の役に立つ場合に与えられる賜物です。教会の中には、そのような記録が残されています。
 
預言の賜物

Ⅱペテロ1:21 なぜなら、預言は決して人間の意志によってもたらされたのではなく、聖霊に動かされた人たちが、神からのことばを語ったのだからです。

1コリント14:3-4 ところが預言する者は、徳を高め、勧めをなし、慰めを与えるために、人に向かって話します。
異言を話す者は自分の徳を高めますが、預言する者は教会の徳を高めます。
預言の賜物は、教会の徳を高めます。
現代特に気をつけないと、自称預言者とか、預言の賜物があると自慢する牧師達がいます。
その言葉は聖書のことばでは無いので、しっかり吟味することが必要です。霊を見分ける賜物で吟味すればよいですね。
1コリント14:29 預言する者も、ふたりか三人が話し、ほかの者はそれを吟味しなさい。
現代は特に、主は言われると直ぐ言う人に注意してください。
神のことばの真実にアーメンと信じましょう。
ヘブル4:12 神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。

雪かな?

チャペルから外へ出ると、雪がチラッチラ。曇り空が広がり、矢田丘陵が少し輝く。雲におおわれ太陽も顔を出せない。
雀が餌を早く?と囀る。カラスも待っている朝の風景です。
昨日は5300歩だったが、今朝はもう3500歩。ゆっくり歩きで今日は7000歩ほどの行動になりそう。

いつもこの時期、内村鑑三の詩を口ずさみます。

春は来たりつつある
雪は降りつつある
しかし春は来りつつある

寒さは強くある
しかし春は来りつつある
春は来たりつつある

春は来たりつつある
雪の降るにもかかわらず
寒さの強きにもかかわらず
春は来たりつつある

慰めよ、苦しめる友よ
汝(なんじ)の艱難(なやみ)多きにかかわらず
汝の苦痛(いたみ)強きにもかかわらず
春は汝にもまた来たりつつある

様々な試練や困難、健康のことやお金のこと、人間関係やどうしてか分からないようなことも起こってきます。
しかし、冬来来たりなば、春遠からじ!で、春はもう来たりつつあるのことばが響きます。

異言

聖霊様の賜物
2.発声の賜物
異言=聖霊のバプテスマのしるしとしているのが、使徒の働きでの経験です。聖霊のバプテスマのしるしと信じているのが、ペンテコステのクリスチャンです。
17歳の時、聖霊のバプテスマを受けました。その日に今まで語ったことのない言葉=異言を語り、今でも祈りの時は異言で祈ります。
また異言は賜物です。今全世界では5人のクリスチャンに一人が異言を語り、全教会を越えるカリスマとして広がっています。
1コリント14:2 異言を話す者は、人に話すのではなく、神に話すのです。というのは、だれも聞いていないのに、自分の霊で奥義を話すからです。
14:4 異言を話す者は自分の徳を高めます。
14:14 もし私が異言で祈るなら、私の霊は祈るが、私の知性は実を結ばないのです。
14:15 ではどうすればよいのでしょう。私は霊において祈り、また知性においても祈りましょう。霊において賛美し、また知性においても賛美しましょう。
14:18 私は、あなたがたのだれよりも多くの異言を話すことを神に感謝しています。
 
異言で祈る時、聖霊様が共にいる恵みを体験し、自由に霊的交わりに導かれます。
ローマ8:26 御霊も同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、どのように祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます。
 8:27 人間の心を探り窮める方は、御霊の思いが何かをよく知っておられます。なぜなら、御霊は、神のみこころに従って、聖徒のためにとりなしをしてくださるからです。
 
異言で祈ると平安と安息、豊かな霊の解放=爽快な気分も与えられます。
イザヤ書28:11 まことに主は、もつれた舌で、外国のことばで、この民に語られる。
28:12 主は、彼らに「ここにいこいがある。疲れた者をいこわせよ。ここに休みがある。」と仰せられたのに、彼らは聞こうとはしなかった。
祈る時、祈りは自由になり、平安と気分爽快。霊の奥底からの喜び、知性の祈りも深まり祝福されます。
1コリント14:14 もし私が異言で祈るなら、私の霊は祈るが、私の知性は実を結ばないのです。
14:15 ではどうすればよいのでしょう。私は霊において祈り、また知性においても祈りましょう。霊において賛美し、また知性においても賛美しましょう。
 
 

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