1コリント2:1-5 さて兄弟たち。私があなたがたのところへ行ったとき、私は、すぐれたことば、すぐれた知恵を用いて、神のあかしを宣べ伝えることはしませんでした。
なぜなら私は、あなたがたの間で、イエス・キリスト、すなわち十字架につけられた方のほかは、何も知らないことに決心したからです。
あなたがたといっしょにいたときの私は、弱く、恐れおののいていました。
そして、私のことばと私の宣教とは、説得力のある知恵のことばによって行なわれたものではなく、御霊と御力の現われでした。
それは、あなたがたの持つ信仰が、人間の知恵にささえられず、神の力にささえられるためでした。
聖霊様ありがとうございます。歓迎します。
イエス・キリスト様は人生の土台です。
この世ではすぐれた知識や知恵、血統や家柄など、様々な小細工などを、土台にしようとしています。しかし、この世のどのようなものも砂上の楼閣です。
聖書には永遠に続く土台は、イエス・キリスト様の十字架の救いだと明言しています。
十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。
十字架のことばとは、十字架についての話です。
パウロはコリントに行く前、アテネへ行きました。アテネはソクラテスで有名な哲学と理性の都です。
アレオパゴスの丘で、パウロは修辞学の粋を尽くして語りました、結果はほとんどありません。
コリントにきたときは、精神的も疲れ果てており、テント作りをしながらでした。ところが
使徒の働き18:9-11 ある夜、主は幻によってパウロに、「恐れないで、語り続けなさい。黙ってはいけない。
わたしがあなたとともにいるのだ。だれもあなたを襲って、危害を加える者はない。この町には、わたしの民がたくさんいるから。」と言われた。
そこでパウロは、一年半ここに腰を据えて、彼らの間で神のことばを教え続けた。
その失望の中で、パウロは十字架の救いだけを語りました。
なぜなら私は、あなたがたの間で、イエス・キリスト、すなわち十字架につけられた方のほかは、何も知らないことに決心したからです。
その結果、聖霊様の助けと恵みが注がれました。
使徒パウロの体験を聞いて見ましょう。
あなたがたといっしょにいたときの私は、弱く、恐れおののいていました。そして、私のことばと私の宣教とは、説得力のある知恵のことばによって行なわれたものではなく、御霊と御力の現われでした。
それは、あなたがたの持つ信仰が、人間の知恵にささえられず、神の力にささえられるためでした。
十字架の福音を阿アーメンと信じ、クリスチャンになり、今日も十字架の救いを伝え続けています。
聖書のメッセージを複雑化しないで、伝え続けましょう。理論的に学び、しっかり理解する恵みも与えられています。。
1コリント2:6-7しかし私たちは、成人の間で、知恵を語ります。この知恵は、この世の知恵でもなく、この世の過ぎ去って行く支配者たちの知恵でもありません。
私たちの語るのは、隠された奥義としての神の知恵であって、それは、神が、私たちの栄光のために、世界の始まる前から、あらかじめ定められたものです。
この知恵を、この世の支配者たちは、だれひとりとして悟りませんでした。もし悟っていたら、栄光の主を十字架につけはしなかったでしょう。
理解できない。分からないと言って、聖書からずれるのでは無く、読んで学んで理解して、幸と平安を体験してください。
必ず素晴しい成功と繁栄の人生があなたのものです。
まさしく、聖書に書いてあるとおりです。
目が見たことのないもの、
耳が聞いたことのないもの、そして、
人の心に思い浮かんだことのないもの
神を愛する者のために、神の備えてくださったものは、みなそうである。
過去は=ローマ8:28 神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。
現在は=1:17 すべての良い贈り物、また、すべての完全な賜物は上から来るのであって、光を造られた父から下るのです。父には移り変わりや、移り行く影はありません。
将来は=
10:28 わたしは彼らに永遠のいのちを与えます。彼らは決して滅びることがなく、また、だれもわたしの手から彼らを奪い去るようなことはありません。
何も思い煩ったり、心配しないで、アドナイ・シャローム=主の平安。シャローム。大丈夫。アーメン。祝福の日々を祈ります。