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クリスチャンになると
昨日は、神様への渇き、いろんな関心が代わってくると書きました。
小説が好きで時間があれば読んでいました。でも信じたといから、聖書を読みたいという気持になりました。
特に詩篇1:1-3と、119:9-11に引きつけられました。
幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人。
まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。
その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。
事実、聖書の約束どおり、時分だけで無く牧師の教えを聞き、実行する多くのクリスチャンたちの人生が祝福されています。
聖書学院で学んで牧師となった神学生とその教会も同じです。
もう一つは、
どのようにして若い人は自分の道をきよく保てるでしょうか。あなたのことばに従ってそれを守ることです。
私は心を尽くしてあなたを尋ね求めています。どうか私が、あなたの仰せから迷い出ないようにしてください。
あなたに罪を犯さないため、私は、あなたのことばを心にたくわえました。
聖なる神様のみこころを行いたい気持、実行できなくても救われると、神様の子どもとして神様に喜んでいただきたいという思いがいつもあります。
また、十字架の字架の救いを伝えたくなります。
いつも共にいるイエス様の愛を感謝し、聖霊に導かれる神の子の歩みです。
ローマ人への手紙8:14-17
神の御霊に導かれる人は、だれでも神の子どもです。
あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです。私たちは御霊によって、「アバ、父。」と呼びます。
私たちが神の子どもであることは、御霊ご自身が、私たちの霊とともに、あかししてくださいます。
もし子どもであるなら、相続人でもあります。私たちがキリストと、栄光をともに受けるために苦難をともにしているなら、私たちは神の相続人であり、キリストとの共同相続人であります。
今の時のいろいろの苦しみは、将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、取るに足りないものと私は考えます。
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