牧師雑感

日々の出来事を書いていきます

過去の投稿日別表示

[ リスト | 詳細 ]

全1ページ

[1]

春いっぱい

昨日は花冷えの終日。外へ出ると冷やっとし、午前中あれこれ、午後からはABCスタジオ録音。夜は天王寺駅前の大阪エリムキリスト教会説教。
昼と夜では雰囲気がスッカリ変わる教会周辺の店並び。てんしばからエリム・キリスト教会看板と赤い十字架が、4階建てのビルの上にくっきりと見えます
信号待ちの夫婦と目が合い、ニッコリ笑顔であの教会の牧師榮義之ですと、アーメンと言えば健康になるの冊子を渡すと、にっこり笑顔で受け取ってくれた。
集会前に数人が教会案内を道行く人に配る。夜は人通りも少ない。それでも受け取ってくれる人もいるので幸い。
もらった教会で自殺を思いとどまり、すばらしい牧師になった方もいる。捨てられた読み物を踏みつけ、拾い上げてクリスチャンになった生年もいる。思い出を書けば切りが無い。
神のなさることはみなその時にかなって美しい。
伝道者の書11:1 あなたのパンを水の上に投げよ。ずっと後の日になって、あなたはそれを見いだそう。
あなたの受ける分を七人か八人に分けておけ。地上でどんなわざわいが起こるかあなたは知らないのだから。
雲が雨で満ちると、それは地上に降り注ぐ。木が南風や北風で倒されると、その木は倒れた場所にそのままにある。
風を警戒している人は種を蒔かない。雲を見ている者は刈り入れをしない。
あなたは妊婦の胎内の骨々のことと同様、風の道がどのようなものかを知らない。そのように、あなたはいっさいを行なわれる神のみわざを知らない。
朝のうちにあなたの種を蒔け。夕方も手を放してはいけない。あなたは、あれか、これか、どこで成功するのか、知らないからだ。二つとも同じようにうまくいくかもわからない。
光は快い。太陽を見ることは目のために良い。

十字架のことば

十字架のことば
Ⅰコリント1:18-31十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。
それは、こう書いてあるからです。「わたしは知恵ある者の知恵を滅ぼし、賢い者の賢さをむなしくする。」
知者はどこにいるのですか。学者はどこにいるのですか。この世の議論家はどこにいるのですか。神は、この世の知恵を愚かなものにされたではありませんか。
事実、この世が自分の知恵によって神を知ることがないのは、神の知恵によるのです。それゆえ、神はみこころによって、宣教のことばの愚かさを通して、信じる者を救おうと定められたのです。
ユダヤ人はしるしを要求し、ギリシヤ人は知恵を追求します。
しかし、私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えるのです。ユダヤ人にとってはつまずき、異邦人にとっては愚かでしょうが、
しかし、ユダヤ人であってもギリシヤ人であっても、召された者にとっては、キリストは神の力、神の知恵なのです。
なぜなら、神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからです。
兄弟たち、あなたがたの召しのことを考えてごらんなさい。この世の知者は多くはなく、権力者も多くはなく、身分の高い者も多くはありません。
しかし神は、知恵ある者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選ばれたのです。
また、この世の取るに足りない者や見下されている者を、神は選ばれました。すなわち、有るものをない者のようにするため、無に等しいものを選ばれたのです。
これは、神の御前でだれをも誇らせないためです。
しかしあなたがたは、神によってキリスト・イエスのうちにあるのです。キリストは、私たちにとって、神の知恵となり、また、義と聖めと、贖いとになられました。
まさしく、「誇る者は主にあって誇れ。」と書かれているとおりになるためです。
 
来週は、イエス様が十字架で死んだことを覚える受難週です。なぜキリスト教会は、十字架のことを重要視するのでしょうか。
十字架のことばとは、十字架のメッセージのことです。十字架の説教を聞いたのは、種子島の西之表キリスト教会でした。
対馬でヨット伝道をしていた佐藤文夫牧師が、教会で話しました。親指が戦争で一本飛ばされ、その指を示しながら、どれだけ痛かったかと体験を語りました。
イエス様は両手両足を釘で打たれ、背中には39度のひどいむち打ちの刑。頭には茨の冠を被せられ、
思い十字架を担いでゴルゴダの丘まで歩かされ、最後は槍で心臓を突かれて死なれた。そのすべての刑罰は、人類の罪の身代わりだったと話された。その十字架が自分のためだったと、アーメン=本当ですと信じるなら救われます。罪が赦されて、愛の神様の子どもになれる。神様と同じいのち=永遠のいのちを受けると聞きました。
自分のためにいのちを捨ててまで愛してくださったイエス様を、その話を聞きながらアーメンと信じました。教会の直ぐ近くの海岸で、その日の午後バプテスマ=洗礼を受け、クリスチャンになりました。
1957年111月24日が新しい人生の誕生日になり、今日も神の子として、十字架の愛に課され、その救いを伝えながらの毎日です。
イエス様。十字架の愛を、尊い血汐をありがとうございます。
Ⅰヨハネ1:7 しかし、もし神が光の中におられるように、私たちも光の中を歩んでいるなら、私たちは互いに交わりを保ち、御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。
 

全1ページ

[1]


よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト『さとふる』
11/30まで5周年記念キャンペーン中!
Amazonギフト券1000円分当たる!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事