牧師雑感

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赦しの愛

イエス様の言葉は,いつも大きな慰めと,生きる力を与えてくれます。
辛い厳しい歩みですが、イヤな人に出会うのもまた人生の必然かもしれません。
その人を嫌いで顔を見るのも声を聞くのもイヤでも、もしかしたら何か大切な事を教えてくれているのかもしれません。
クリスチャンにとって、「父よ。彼らをお許しください」との、十字架上の祈りに赦された幸いを味わうとともに、赦せない気持ちが働くと、自責の念に駆られてしまいます。
許さなければと思えば思うほど、問題は重くなり,辛くなります。
出会いには,わくわくする嬉しく喜ばしいも多くある。そんな出会いばかりだと,ありがとう。感謝します。笑顔も輝き明るくなれます。
しかし現実は,嫌い名人、嫌みたっぷりな人、意地悪な人、何でこんあ目に遭うのだろう?様々な出会いがあります。
回りにどうして?と言うような人はいませんか?
人間関係はイヤな人と出会うのもまた必然なのです。
その人を嫌いでもイヤでも、大切な何かを教えてくれている人なのかも?
でもそういういう出会いがあると、さらに素晴らしい人との出会いをもたらします嫌な人と言っても,悪い人ではありません。悪い人もいますが・・・・。
誰かに対してイヤだなと思うときは,原因が考えられます。
一つは、相手は鏡で有り、イヤな部分を自分が持っているので、そこに自分お気持ちが反応する場合もあります。
目の前に現れる物事は,自分の内面=短所やコンプレックスを映し出している。
もう一つは、過去のトラウマが原因になっているかも?
幼児期に嫌いだったイヤな経験が、ふっとその人に現れるのかも?
その他にも深層心理的にはいろん理由が出て来るかもしれません。
イヤな人は,さらに良い出会いや幸に出会うための影かもしれません。イヤな人に出会うのも恵みで、幸いです。
ありがとう。感謝しますと心で受け止め、いつまでも残る信仰と希望と愛で全身です。
赦しに関する聖書のことば
主の祈りの中の言葉=マタイ6:12 私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。
何度まで赦すか=マタイ18:21 そのとき、ペテロがみもとに来て言った。「主よ。兄弟が私に対して罪を犯したばあい、何度まで赦すべきでしょうか。七度まででしょうか。」
18:22 イエスは言われた。「七度まで、などとはわたしは言いません。七度を七十倍するまでと言います。
裁かないように=ルカ6:37 さばいてはいけません。そうすれば、自分もさばかれません。人を罪に定めてはいけません。そうすれば、自分も罪に定められません。赦しなさい。そうすれば、自分も赦されます。
6:38 与えなさい。そうすれば、自分も与えられます。人々は量りをよくして、押しつけ、揺すり入れ、あふれるまでにして、ふところに入れてくれるでしょう。あなたがたは、人を量る量りで、自分も量り返してもらうからです。
赦しの愛に生きる豊かな日々をアーメン。
ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。

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