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レイフ・セーゲルスタム指揮、ヘルシンキ・フィルハーモニー管弦楽団演奏会
ヴァイオリン独奏:神谷未穂
2001年9月16日、横浜市 みなとみらいホール

曲目(オール・シベリウス)
交響詩「フィンランディア」
ヴァイオリン協奏曲
交響曲第一番

アンコール
「悲しきワルツ」
「カレリア組曲」より“行進曲風に”

米国でのあの悲劇が起こってからわずか五日後に開かれたコンサートであった。空港をはじめ、交通機関は厳戒態勢で、多くの娯楽的イヴェントは自粛ムード。こんな時期に海外からオーケストラが来日できるのか?と思うような雰囲気だったことを覚えている。21世紀の夜明け・2001年、欧州では、拍手のない追悼コンサートが開かれる年になる。

指揮台に現れたのは巨漢セーゲルスタムで、その姿を見て「サンタクロースみたい…」と妻は言った。その体型ゆえほとんど手しか動かさないかわいらしい(失礼)指揮ぶりだったが、その音楽は実にヒューマンで美しいものだった。弱音は繊細であるが、テンポや表情にはメリハリがあり、アレグロはカラッと快速に飛ばすため、そのぶん緩徐部分の情感が引き立つ。特に印象に残ったのは交響曲第1番のフィナーレ、派手なクライマックスが過ぎ去った後の第2主題再現部をこれほど熱く演奏したものを私は他に知らないし、そこから続いてゆくラストのティンパニ・ソロを2人でやったのも効果的だった。

「テロの犠牲者への冥福を祈って」演奏されたアンコール一曲目は「悲しきワルツ」。ただでさえこの曲を聴くと涙が出そうになるのに…。最後の3つの和音がまるで息絶えるように奏でられると、ついに涙が落ちてしまった。亡くなった人たちの家族や友人の深い悲しみを銘記させられる、実に的を射た選曲だったように思う。

あれから10年以上が過ぎ、グラウンド・ゼロには新しいビル「ワンワールドトレードセンター」がそびえ立ち、今年完成予定ということだ。もし機会があれば再びニューヨークに赴き、新たな装いとなったロウワー・マンハッタンを訪れたいと思う。

ちなみにセーゲルスタムは、このご時世に交響曲を250曲以上作ってしまうという凄い作曲家でもある。交響曲といってもいわゆるゲンダイオンガクなので、初心者にはかなりとっつきにくいジャンルだと思うが、指揮者不要と記されているものもあり、その場合はコンマスが要所要所で指示を出すようなので、いちど実演を見てみたい気もする。CDで聴くぶんには「こんなのどうやって合わせてるんだ?」と疑問が山積するけど…。

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1985年3月6日 岩手県民会館
サイモン・ラトル指揮フィルハーモニア管弦楽団
曲目:ブラームス ハイドンの主題による変奏曲/ブリテン 青少年のための管弦楽入門/シベリウス 交響曲第2番ニ長調/アンコール:シベリウス「鶴のいる風景」

現在もっともコンサートチケットの高額なアーティストのひとりであり、世界最高峰のオーケストラ、ベルリンフィルの常任でもあるサイモンラトル。なんと、このころはそのラトルがたったの1,500円で聴けたのだ。学生席といういちばん安い、前方の左端のほうの席だった。

音楽にもっとも熱中していたこのころ、オーケストラが来ては安い席のチケットを買って見に行っていたが、このオケはそのどれとも違っていた。はっきりいって最初の曲がなんだったのかは覚えていないが、2曲目のブリテンで圧倒された。迫り来る強靭な音、重厚さ、第1音から寸分の狂いもない美しいハーモニー。

私にとって、すでにラトルは超一流の指揮者という認識だったし、カラヤンが数々の名録音を残していたフィルハーモニアもしかりだった。また、オケの勉強をしていた私にとって、このブリテンは最適の選曲だった。なんといっても各楽器をわかりやすく紹介することが目的の曲だから、それぞれの楽器がソロ、もしくは合奏の形で主役として活躍する。打楽器の合奏もあり、最後は全てのセクションが一体となった壮麗なアポテオーズで締めくくられる。

打楽器を専攻していた私の注目はやはり打楽器群。なんと、シンバルから大太鼓まで全員が座って演奏していた。後にも先にもこういうスタイルは見た事がない。そしてティンパニの存在感。ベルリンフィルのようにスピードは速くはないが、固めのマレットを高々と振り上げるトレモロのカッコよさ。それでいてちっとも汚くはない。特にシベリウスの2番においての雷鳴のようなクレッシェンドは、それまでのシベリウス像を覆すほどの効果をあげていた。

欧州のオケでは、ティンパニが硬質な音によって突出したように聞こえるのはめずらしくない。(バロックティンパニを使ったピリオドオケではなおさらそういう例が多い)しかし聴きなれれば、むしろその方がオケ全体に引き締まった表情を与え、心地よく聞こえる。このコンサートは私にとってその初体験といえる。

打楽器以外であるが、どんなに大きな音を出しても全く乱れない完璧なブラスセクションは、北欧の厳しくも美しい情景を連想させた。木管は雪の間に顔をだす花のように可憐に、しかし芯の強いしっかりとした音で鳴り、弦は全てを包み込むように温かく響いた。このころラトルとこのオケの関係は円熟期。スコアのいろいろな場所に光が当たるようにする知的なアプローチは、ラトルの才能がもたらしたものだっただろう。

あまり個性的なデュナーミクやアゴーギクがなかったために、当時としてはラトルの凄さよりフィルハーモニアの凄さを実感してしまったのであるが、今思えばラトルあればこその素晴らしさだったのは間違いない。

画像:フィルハーモニア管弦楽団のお気に入り演奏の一部。
エフゲニ・スヴェトラーノフ指揮 ソヴィエト国立交響楽団
1990年 5月18日 花巻市文化会館
演奏曲目:チャイコフスキー作曲 交響曲第1番、第6番「悲愴」

時はソヴィエト連邦解体直前。政情不安は我々の良く知るところだった。そんな折、ソヴィエト国立響が来日し、しかも岩手の花巻市に来るという。(花巻市は私の尊敬する宮沢賢治の故郷である)

しかし街角に張られたポスターにはどこにも指揮者の名前がない。店員に尋ねると指揮は未定だと言う。もしかしたら若手が代理で来るかもしれないと。今思えば若くして世を去ったスヴェトラーノフの愛弟子、イゴール・ゴロフスチンが指揮する可能性もあったということだったのだろう。

当日、開場にはエフゲニ・スヴェトラーノフの名があった。しかしそれでも私は信じなかった。国がこんなに大変な時期に、ほんとうにスヴェトラが来るのだろうか?

開演時間になって目の前に現れた恰幅の良い男性は紛れも無いスヴェトラーノフその人だった。そのときの喜びをご想像いただきたい。こんな状況でよく来てくれたものだ。しかもこの地方都市に。結局、この時がこのオーケストラがこの名前で来日する最後の機会となった。(翌年1991年ソヴィエトは解体し、オケの名前は“ロシア国立交響楽団”となる)

演奏が始まった。想像していたことではあるが、生で聞くソヴィエト国立響の音は凄まじかった。それまで、私たちはとにかく金管は音を割るな、打楽器は抑えろ、と言われ続けてきた。「打楽器は基本的にウルサイ楽器なのです」と仰せになる“大先生”までおられた。では彼らはこの演奏をどう評価するのだろう、と思った。ビブラートを伴った金管は吼えまくり、時々鼓膜を破るほどの突き刺すような音を出す。打楽器はほとんど楽譜どおりの強弱記号に従い、容赦なく炸裂する。(普通、チャイコフスキーの打楽器に割り当てられた強弱記号をそのままに理解する人はいない)

これが真のチャイコフスキーだよ!といわんばかりの確信に満ちた音楽。スヴェトラは「悲愴」の第3楽章の後半では指揮をやめ、オケを見ながら目で指示を出す。お国モノのチャイコフスキー、おそらく目をつぶっていても演奏できるのだろう。特に感銘を受けたのは第4楽章のコーダ。ピアノ(弱く)であるはずのコントラバスのピッチカートを「バウン!・・・バウン!・・・」と力強く弾かせた。なんと胸に迫ってくる一音一音!「オレはまだあきらめないぞ!!」と言っているかのようだった。

このラストには逸話がある。作曲家の芥川也寸志さんがソヴィエトを訪れた際、スヴェトラーノフのリハーサルに立ち合った。そしてこの「悲愴」のラストを聞いた時、当然ながら尋ねたそうだ。「ここの強弱記号はピアノではないのですか?」と。するとスヴェトラーノフはこう答えたという。「そう、そのとおり。これがピアノなのだ。これが私の表現したいピアノなのだ」と。これを聞いて芥川さんは、「音楽における強弱記号というのは、単に文字通りの強さや弱さを表現するためのものではないのだ」と痛感したという。

これは今まで聴いた事のない別次元の音楽だった。クラシックの世界は広い。ところが、最近はもはやこういう音を出すオケは少ない。ゲルギエフに期待を寄せた人も多かったが、彼はもともとそういうスタイルを目指した人ではないし、ロシアにもヨーロッパの風が自由に吹き込むようになっている今、古き良き(?)ロシアン・サウンドは事実上消滅しかけている。つまり、どこの国のオケも皆同じような音を出すようになってきている、ということかもしれない。グローバル化もいいことばかりではないのだろうか。

そう考えると、まことに貴重なコンサートだったと思う。

ダニエル・バレンボイム指揮 ベルリン・シュターツカペレ
ブラームス交響曲全曲演奏会 最終日
2002年2月 サントリーホール

来日していたバレンボイムとベルリン・シュターツカペレは、ワーグナーの《ニーベルングの指環》全4部作上演という偉業をなし終えたあと、締めくくりとしてブラームスのコンサートを行った。私が行ったのは最終日で、交響曲第3番と第1番が演奏された。赤坂のサントリーホール前では、「チケット求む」という表示を持った人が立っているほどの大人気。

バレンボイムのブラームスには定評がある。しかし、結果的に大変がっかりしたコンサートだった。オケの音色としてはドイツ風、重厚、あるいはいぶし銀と言われるものを目指しているらしく、弦が中心で管楽器を控えめにし、大きな音を決して出さない抑制されたサウンド。同じベルリン・シュターツカペレでも、やはり同じサントリーホールで1988年にスウィトナーとともに公演を行い、火花が散るような伝説のブラ1を聴かせたのとは明らかに対照的で、地味な響き。

もっともそんなものは好みの問題で、これこそ本物のブラームス!と大絶賛される方も多いだろう。だから、コンサートとしては良いものを聴けたと思う。しかし、事件は前半、第3番が終わった時に起きた。

ブラームスの3番はとても印象的なピアニッシモで終わる。私たちはその穏やかな響きに酔いしれ、ああ、やっぱりこの曲いいなあ・・・と感慨をかみ締めていた。いや、かみ締めようとしていた。ところが、最後の音がフッと消えた瞬間、まさにその直後、どこかの大馬鹿者が「ぶら〜ぼ〜」と叫んだのである。余韻はかき消され、一瞬、何が起こったのか、という状況の中でそれにつられるようにぱらぱらと拍手が起こリはじめた。

盛り上がってドカンと終わる曲ならフライング・ブラボーも良しとしよう。しかし、この静かなエンディングで? どう考えても曲想にあわない。一体何をやりたいのか・・・。自分が真っ先に「ブラボー」を叫んで目立ちたいのか。理由はどうであれ、一人の熱狂的(?)ファンのために会場の雰囲気は険悪なものとなってしまった。

その後の休憩中、ホール内は騒然としていた。会場の案内に対して、「せっかくのコンサートがぶち壊しだ」「犯人を見つけ出して追い出せ」と抗議している人を数人見かけた。会場側には責任はないのだが、そう抗議する人の気持ちもわかる。やがて休憩時間が終わってもなかなかオケが出てこない。「指揮者が頭にきて帰ってしまったんじゃないか」と不安がよぎった。すると会場側から異例のアナウンスが。「お客様にお願い申し上げます。演奏される音楽の性質上、終演後はもう少し余韻を楽しまれますようお願いします。」会場から拍手が起こった。その後、ようやくオケの団員が入ってきて、なんとか後半のブラ1も無事終了。

作曲家の芥川也寸志さんが本の中でこう書いておられる。「音楽は静寂に始まり、静寂に終わる。したがって、演奏が始まる前の静寂が再び戻ってきた時、私たちははじめて“本当に”音楽を聴いたことになる。」残響が消え、完全に静寂が戻ってきたのと同時に、鳥肌の立つような感動がこみ上げてきたことはないだろうか。よく言われることであるが、日本のコンサートにおいては総じて拍手(ブラボー)が早すぎる。つまり、静寂が訪れる前に拍手が起こってしまう。今回のコンサートはまさにその最悪の例といえる。コンサートで“本当の”感動をなかなか味わえない、というのは残念である。

ニコライ・ジャジューラ指揮、キエフ国立フィルハーモニー交響楽団
ピアノ:エフゲニ・モギレフスキー
2005年11月21日 すみだトリフォニーホール

このコンサートに飛びついたのはなんといってもその曲目。一夜にして、チャイコフスキーの交響曲を2曲、ピアノ協奏曲を1曲。それを3日続けて交響曲&ピアノ協奏曲全曲演奏会をやってしまおうという大盤振る舞い。しかもS席で6,000円という安さ。ウィーンフィルなんて、正味1時間30分くらいのコンサートで30,000円もとられるというのに、この日のコンサートはアンコールも入れて2時間30分ほどもやってくれたのだった。

私が行ったのは第1日目。交響曲第1&第4番。間にピアノ協奏曲第1番をはさむという、オケにとっても体力勝負のプログラムだった。ウクライナのキエフ国立フィルは初来日。というより、その存在自体日本ではほとんど知られていなかった。だってCDも一枚もないんだもん。したがってこれは賭けになる。内容についてはなんの保証もない。6,000円損した〜となって賭けに負けるか、「値段以上の素晴らしい演奏だった」と得した気分になるか・・・。

総合的に言うと、これはかなりいいコンサートだった。が、期待していたピアノ協奏曲が最悪・・・。私はピアノはそれほど詳しくないけど、この私が聴いても、弾いているのはモギレフスキーの親戚か何かの素人じゃないか、と思うほど。たまにピアノ・ソロの部分で穴が開く。つまり、一瞬無音になる。いつ音楽がストップしてしまうか、ハラハラして聴いていられない・・・。案の定、第1楽章終了時点で帰ってしまったお客さんもいた。しかし、このピアノにしっかりついてゆくオケは凄いな。オケのテンポとは全然違う遅いテンポでピアノが入ってきても全然乱れないんだもん・・・。曲が終わると客席からブーイングが。生演奏でブーイングを聞いたのはこれが初めてだった。

これで終わってしまったら完全に賭けに負けたことに。ところが、ラストの第4交響曲が素晴らしかった。ロシア系のオケのわりには金管控えめで、冒頭こそホルンが怪しかったが、それ以降の実力は想像以上。ダイナミックなジャジューラの指揮と解釈も素晴らしい。怒涛の第1楽章が終わって切れ目なく第2楽章に続く。この瞬間ゾクゾクと身震いがし、思わず感嘆のため息が出た。こんな演出は初めてだが、これほど劇的な効果があるとは!これと同じように第3楽章と第4楽章を続けるのかと思いきや、そこではたっぷり休止をおく。「さあみなさん、ここからが白眉ですよ」といわんばかりに。

スヴェトラーノフ、カラヤン、ムラヴィンスキーを思わせるような豪速テンポでフィナーレは締めくくられた。一糸乱れぬアンサンブル。凄かった。これがキエフ国立の実力か。終演後、もっとも喝采を浴びていたのがティンパ二のお兄ちゃん。カッコよかった。マレットを持ち替えたりひっくり返したりしながら、地を揺るがすようなロシア風の低音の効いた打音をホール中に轟かせた。このお兄ちゃんを含め打楽器は3人だった(本当はもう一人必要)が、この打楽器トリオが一番楽しそうで、なおかつ目立っていた。打楽器出身の私としては大満足。アンコールは「くるみ割り人形」から2曲の大サービス。チャイコフスキーの魅力にたっぷり浸かる事が出来た。

終演後、興奮しながら帰途についた。1回のコンサートで、ブーイングとスタンディング・オベーションの両方を体験した貴重な夜。久しぶりに我を忘れて「ブラボー」を叫んだコンサートだった。CD2枚分の値段でS席、ということを考えると、100点をあげてもよいくらいだと思う。なお、次の日以降のモギレフスキーは別人のように好調だったそうだ。なんだったんだ、初日のあれは?

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