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狭い門からはいりなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。マタイ7:13

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 ジハードに参加しようとしていたイスラム教徒の男性が、同時多発テロの惨劇を目の当たりにする中でイエスから語り掛けられ、パウロのように瞬時にして回心する証です。
 
引用元:クリスチャニティートゥデイ 2015年8月18日号
 
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トッド・ジョイス
 
 
 私の両親はルーテル派のクリスチャンとして育てられました。しかし母は、信仰を実践する人ではありませんでした。父はどうかというと、最初は熱心でしたが、ベトナムのジャングルの中で信仰を失いました。
 
 父はアメリカ軍でキャリアを積みたいと考えていました。そのため、私が10歳になるまでに、家族で五回も引っ越しました。父が1977年に退役するまでは、私たちは南カリフォルニアの郊外に定住していました。
 
 私が育った環境は、家庭とは言えない状態でした。そのころ私は、数年間にわたり、散発的ではあるものの激しい暴力を父から受けていました。私は父を恐れると同時に憎みました。父はとても独裁的な人でした。
 
 学校も安全な場所ではありませんでした。五年生のとき、私はいつもいじめを受け、脅かされ、口汚くののしられました。それもクラスメートからだけでなく、担任の先生からもです。信頼できる人は誰もいませんでした。私は恐怖心で一杯で、とても孤独で、怒りが募っていきました。
 
 私には信仰心はありませんでしたが、苦しみのゆえに神を責めたことはありませんでした。実際は、心の中に、神への強い飢え乾きがありました。どこでどのように見出すことになるかはわかりませんでしたが、この世の中には、見出す価値のある何かがあるに違いと思っていました。
 
 
イスラム教徒だった私が神に出会う
 
 私が神を求めるようになったのは14歳のときでした。ごく一般的なディスペンセーション主義の教会に集うようになりました。
 
 なぜ神を求めはじめたかというと、人生の中で苦しみに遭遇する意味がわからなかったからです。その疑問の答えを出したかったのです。
 
 教会の人たちは親切にしてくれましたが、私としては、その人たちが教えてくる以上のものを必要としていました。
 
 高校の卒業が近づいたとき、「私を愛し、大切にしてくれる人なんているのだろうか。自分の居場所は、いったいどこなんだろうか?」という疑問を持つようになりました。
 
 軍隊では惨めな任務をこなさなければなりませんでしたが、精神科医が私は兵隊に不向きであることに気づいてくれたお陰で、早期に除隊することができました。
 
 二人の既婚女性とのロマンティックな関係を持ったことがありましたが、自分がやるべきことを探し求めた結果、サンフランシスコ州立大学でジャーナリズムの勉強をすることになりました。
 
 私がイスラム教に出会ったのは、この大学ででした。友人がコーランを教えてくれるようになり、コーランの言葉に魅了されました。コーランには、人間を創造しただけでなく、人間を深く気遣ってくれる神が描かれていたからです。
 
 しかし他にも理由がありました。パレスチナ人や黒人のイスラム教徒たちが、明け渡すとは如何なることであるかを私に教えてくれたのです。彼らほど私のことを歓迎してくれた人たちはいませんでした。
 
 つづく
 
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