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「真理はあなたがたを自由にします。」ヨハネ8:32

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 この記事では、千年一日説の根拠の一つとなる興味深い聖書解釈をご紹介します。
 
 
創世記2:16〜17 
神である主は、人に命じて仰せられた。「あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べてよい。17 しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるその時、あなたは必ず死ぬ。
 
 
 主なる神は17節で、「その時…死ぬ」とアダムに語っています(新改訳聖書)。
 
 新共同訳や口語訳では、いつ死ぬかについてはまったく訳出されていません。
 
 しかしヘブル語テキストの17節には、
 
「日」を意味するヨーム/yomという言葉が使われています。
 
 それゆえいくつかの英語聖書は、
 
in the dayyou shall surely die/その日のうちにあなたは必ず死ぬ

 と訳しています。
 
 
ESV(英語標準訳)
but of the tree of the knowledge of good and evil you shall not eat, 
for in the day that you eat of it you shall surely die. 
 
NASB(新米標準訳)
but from the tree of the knowledge of good and evil you shall not eat, 
for in the day that you eat from it you will surely die." 
 
KJV(欽定訳)
But of the tree of the knowledge of good and evil, thou shalt not eat of it: 
for in the day that thou eatest thereof thou shalt surely die . 
 
 
アダムの寿命
 
 ここでアダムが生きた年月を確認しましょう。
 
創世記5:5 
アダムは全部で九百三十年生きた。こうして彼は死んだ。
 
 
 アダムは930年生きました。
 
 このことから何がわかるかというと、

 創世記2:17で神が言うところの「その日」という1日は、
 
 1000年である可能性が極めて高いということです。
 
「その日のうちに必ず死ぬ」と言われたアダムが930年後に死んだということは、
 
 930年という年月は、神にとっては1日以内だったということになります。
 
 ですから、神の1日というのは1000年である可能性が高いのです。
 
 これは、過去記事「千年一日説」その1その2その3)の結論と合致します。
 
 
神の7000年計画

イメージ 1
     「神の7000年計画」のイラスト


 ウィキペディアのMillennial Day Theoryには、千年一日説の説明が書かれています。
 
 この説の主張を簡単に言い表すと、
 
人類創生から6000年後に、平和と調和の1000年が訪れる」というものです。
 
 言い換えると、
 
 天地創造から現在までが6000年で、再臨後の千年王国が平和と調和の1000年間で、
 
 そのあとは永遠の御国がつづくというものです。
 
 この説は、詩篇904や2ペテロ38の1日は1000年でもあるという原則と、
 
 神が6日間で万物を創造し、7日目に安息した創造の原則とに基づいています。
 
 
 このサイト→Millennial Day Theoryをご覧いただくと、
 
  千年一日説に基づいた「神の7000年計画の図表」も見ることができます。
 
 
福音主義の創造論と一致
 
 千年一日説は、歴史的前千年王国説の一種です。
 
(歴史的前千年王国説については、過去記事「千年王国諸説」をご覧ください)
 
 また千年一日説は、福音主義の創造論である「若い地球説Young Earth Theory
 
 を信じる人々に支持されている終末論でもあります。
 
  
 安藤和子先生のサイト「喜んで、輝いて生きる」に、
 

 こう書かれています。


アダムからアブラハムまで =約2千年 
アブラハムからキリストまで=約2千年
キリストから現在まで   =約2千年
合計           =約6千年
 

 これに千年王国の1000年を足すと、神の7000年計画と同じ結論になり、
 
 福音主義の創造論と合致することがわかります。

*注:安藤先生が千年一日説を信じているというわけではありません。
 
 
教父の一部も信奉
 
 教父たちの中にも、千年一日説を信じる人たちがいました。
 
「使徒伝承」の著者であり、異端と闘ったヒッポリュトスもその一人です。
 
 
ヒッポリュトスからの引用(AD205)
"The Sabbath is the type and symbol of the future kingdom of the saints, when they shall reign with Christ after He comes from heaven, as John says in his Revelation. For "a day with the Lord is as a thousand years." 
                          Hippolytus, ANF.vol.5.p179.
 
安息日は、聖徒たちの未来の王国(千年王国のこと)の原型であり象徴である。ヨハネが黙示録で言っているとおり、そのとき聖徒たちは、キリストが天から来られた後、キリストと共に統治することになる。『主の御前では、一日は千年のようである』からだ。
 
 
●あとがき
 
 千年一日説という歴史的前千年王国説は、とても興味深いと思います。
 
 2ペテロ3810やゼカリヤ14章をはじめ、
 
 終末に関連する色々な聖書箇所を字義通りに解釈していくと、この説に辿り着きます。
 
 一方、他の千年王国説は、どこかの部分を象徴的に解釈しなければなりません。
 
 この説について、さらに記事を書いていくつもりです。

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千年王国諸説

 
  黙示録20110には、「千年」(ギ:キリア)という言葉が6回出てきます。
 
 この部分で描かれているキリストによる支配は「千年王国」と呼ばれています。
 
 千年王国を軸にして、再臨がどのタイミングで起こるかを述べる説は大きく4つあり、
 
 過去記事「千年一日説」(その1その2その3)は、

「歴史的前千年王国説」の一形態です。
 
 今後も千年一日説の記事を書くので、千年王国の諸説をザックリとまとめました。
 
 
黙示録20:1〜10
また私は、御使いが底知れぬ所のかぎと大きな鎖とを手に持って、天から下って来るのを見た。
彼は、悪魔でありサタンである竜、あの古い蛇を捕え、これを千年の間縛って、
底知れぬ所に投げ込んで、そこを閉じ、その上に封印して、千年の終わるまでは、それが諸国の民を惑わすことのないようにした。サタンは、そのあとでしばらくの間、解き放されなければならない。
また私は、多くの座を見た。彼らはその上にすわった。そしてさばきを行なう権威が彼らに与えられた。また私は、イエスのあかしと神のことばとのゆえに首をはねられた人たちのたましいと、獣やその像を拝まず、その額や手に獣の刻印を押されなかった人たちを見た。彼らは生き返って、キリストとともに、千年の間王となった。
そのほかの死者は、千年の終わるまでは、生き返らなかった。これが第一の復活である。
この第一の復活にあずかる者は幸いな者、聖なる者である。この人々に対しては、第二の死は、なんの力も持っていない。彼らは神とキリストとの祭司となり、キリストとともに、千年の間王となる。
しかし千年の終わりに、サタンはその牢から解き放され、
地の四方にある諸国の民、すなわち、ゴグとマゴグを惑わすために出て行き、戦いのために彼らを召集する。彼らの数は海べの砂のようである。
彼らは、地上の広い平地に上って来て、聖徒たちの陣営と愛された都とを取り囲んだ。すると、天から火が降って来て、彼らを焼き尽くした。
そして、彼らを惑わした悪魔は火と硫黄との池に投げ込まれた。そこは獣も、にせ預言者もいる所で、彼らは永遠に昼も夜も苦しみを受ける。
 
 
無千年王国説(略称:アミレ)
①無千年王国説は、地上に文字通りの神の国が出現するわけではないとする。
②この意味での神の国は、今の時代の教会からなっている。
③メシアの再臨後、すぐに永遠の秩序が始まる。

追記:上記の①〜③は中川健一先生によるまとめですが、
   私ダビデは「神の国」の部分を「千年王国」としたほうが適切だと思います。   

千年王国は全くないと信じているわけではない。ただ、キリストが文字通り1000年間地上に君臨されるとは信じない。キリストは今ダビデの王座についておられ、現在の教会時代こそが王国であり、その上に君臨しておられる。
 
 
後千年王国説(略称:ポスミレ)
①キリストは、千年王国(神の国)が成就した後に再臨される。
②地上には文字通りの神の国が出現する。
③人間の努力によって(科学や文明の進歩)、理想的な状況が訪れる。
④それゆえ、教会は神の国を出現させるための協力者となるべきである
  
追記:③の表現は、支配神学(Dominionism)のように取られかねない向きがあります。
   ポスミレ信奉者のすべてがこのように考えているわけではないと思います。

後千年王国説論者は、黙示録20章を無千年王国説論者ほど象徴的にはとらない。けれども、細部に関しては、必ずしも字義通りのものとは考えない。故に、殉教者の復活や、千年期にキリストがからだをもってこの地上に存在するようなことが、実際起こるわけではないとしている。
 
キリストの再臨の時が近づけば近づくほど、内在的な神の力は、神のもろもろの敵に対して、より強力な形で発揮され、そのような教会の黄金時代(千年期)の後に短い背教、つまり善の力と悪の力の間の抗争があり、ついでキリストの再臨、死人の中から復活、最後の審判という出来事が起こると考えられている。
 
 
前千年王国説(略称:ディスペンセーション的プレミレ)
キリストは初臨の際に、旧約聖書のダビデに約束された、イスラエルのための王国を提供したが、ユダヤ人は、メシヤであるイエス・キリストとその王国を拒んだ。その代わりに、異邦人の時である、教会時代というものが挿入された。しかし、再臨の際に、もう一度ダビデの王国を、イスラエルのために回復して下さる。千年王国はイスラエルのための国なので、教会のそこに招かれた客である。また、患難時代は、イスラエルに下る怒りの時なので、教会は患難に会うことなく、その前に空中に携挙される患難前携挙説をとっている
 
 
歴史的前千年王国説(略称:歴史的プレミレ)
歴史的前千年王国説はユダヤ民族を神の救いの計画の目的としてではなく、むしろ手段として考える。救いの計画そのものは、全人類を対象にしており、その達成の過程において、ユダヤ民族が選ばれ、特定の役割を果たしたと考える。千年王国はキリストが支配される、キリストの王国であって、ダビデの王国の回復ではない。この世はサタンが支配している王国であって、それに対して、来るべき新天新地は天の父の御国である。その間の過渡的段階において地上にキリストの千年王国が確立される。その千年王国において信仰者が願ってきた、正義と平和の完全な実現がかなえられる。(注:患難後携挙説をとる)
 
 
引用サイト:
ウィキペディア「後千年王国説」、「前千年王国説
 

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 この記事はPost-Trib」(Dennis Farrell著)の「The One Thousand Year Day」からの抄訳です。
 
 筆者は患難後携挙説の立場から、「主の日」や「裁きの日」「最後の日」は単一の1日であると同時に1000年間でもあり、千年王国と重なる期間であると論じています。

 以下は、その2からのつづきです。


☆ ☆
 
2ペテロ3:10 
しかし、主の日は、盗人のようにやって来ます。その日には、天は大きな響きをたてて消えうせ、天の万象は焼けてくずれ去り、地と地のいろいろなわざは焼き尽くされます。 
 
 
 千年王国前再臨説論者であるテルトゥリアヌスも、10節の出来事が1000年間の1日で起こると考えていたのかもしれない。
 
「この世の終わりは、主の大いなる日であり、御怒りと報復の日であり、最後の日である。この日がいつであるかは人間には隠されており、ただ父なる神だけが知っている。しかし、しるしと不思議や諸要素の溶解、国々の敵対によって事前に知らされる。」
 
 テルトゥリアヌスの用語の使い方に注目して欲しい。「最後の日」には「国々の敵対」と「諸要素の溶解」の両方が起きるが、「国々の敵対」と「諸要素の溶解」の間には、実際は1000年間の隔たりがある。
 
 1000年間の1日という概念を取り入れることにより、復活や裁きについて述べている聖書箇所が、すべてつながることになる。

 そして復活と裁きが神の御怒りによって始まり、白い御座の裁きによって終わることが明らかになる。
 
 また(1000年間の1日という概念を取り入れることにより)、「主の日」や「主イエスの日」というものが、ローマ216の人々の隠れた事柄が裁かれる日と同じものであることがわかるようになる。
 
 
そのことは、神が、わたしの福音の告げるとおり、人々の隠れた事柄をキリスト・イエスを通して裁かれる日に、明らかになるでしょう。          ローマ2:16 
 
 
 ゼカリヤ14章は、1000年間の隔たっているはずの出来事が、1日の間にいくつも起きている箇所である。
 
 この箇所は、「主の日」が単一の1日であることを示す箇所であることは先に述べたが、この箇所には最後の日や再臨の日、千年王国なども含まれている。
 
 以下の1節〜5節は、最後の日を描写している。
 
 
見よ。主の日が来る。その日、あなたから分捕った物が、あなたの中で分けられる。
2 わたしは、すべての国々を集めて、エルサレムを攻めさせる。町は取られ、家々は略奪され、婦女は犯される。町の半分は捕囚となって出て行く。しかし、残りの民は町から断ち滅ぼされない。3 主が出て来られる。決戦の日に戦うように、それらの国々と戦われる。4 その日、主の足は、エルサレムの東に面するオリーブ山の上に立つ。オリーブ山は、その真中で二つに裂け、東西に延びる非常に大きな谷ができる。山の半分は北へ移り、他の半分は南へ移る。5 山々の谷がアツァルにまで達するので、あなたがたは、わたしの山々の谷に逃げよう。ユダの王ウジヤの時、地震を避けて逃げたように、あなたがたは逃げよう。私の神、主が来られる。すべての聖徒たちも主とともに来る。
                                                              ゼカリヤ14:1〜5
 
 
 2節の「わたしは、すべての国々を集めて、エルサレムを攻めさせる」の部分がハルマゲドンの戦いを指しており、4節の内容が再臨を示していることは明らかである。
 
 14章の他の部分は千年王国を描写しており、特に9節は明確である。
 
 
その日には、エルサレムから湧き水が流れ出て、その半分は東の海に、他の半分は西の海に流れ、夏にも冬にも、それは流れる。9 主は地のすべての王となられる。その日には、主はただひとり、御名もただ一つとなる。10 全土はゲバからエルサレムの南リモンまで、アラバのように変わる。エルサレムは高められ、もとの所にあって、ベニヤミンの門から第一の門まで、隅の門まで、またハナヌエルのやぐらから王の酒ぶねのところまで、そのまま残る。11 そこには人々が住み、もはや絶滅されることはなく、エルサレムは安らかに住む。                    ゼカリヤ14:8〜11 
 
 
 ゼカリヤ14:7には「一つの日」という表現があり、その日は「主に知られている」とある。この日は、マタイ24:36の特定の1日を指している。
 
 
これはただ一つの日であって、これは主に知られている。昼も夜もない。夕暮れ時に、光がある。                            ゼカリヤ14:7 
 
 
ただし、その日、その時がいつであるかは、だれも知りません。天の御使いたちも子も知りません。ただ父だけが知っておられます。            マタイ24:36 
 
 

「一つの日」という表現が取られてはいるものの、この「一つの日」にはパルスィーア(再臨)と千年王国の両方が含まれている。
 
 この「一つの日」という期間は、患難期の7年間ではなく、その後の1000年間を示している可能性が極めて高い。
 
 
 以下のミカ1:3〜4は、2ペテロ3:10とよく似ている。
 
 
見よ。主は御住まいを出、降りて来て、地の高い所を踏まれる。山々は主の足もとに溶け去り、谷々は裂ける。ちょうど、火の前の、ろうのように。坂に注がれた水のように。                               ミカ1:3〜4 
 
 
 ミカ1:3は、黙示録19:11〜15の出来事を示しているように思える。一方、4節は2ペテロ3:10と似ている。
 
 これもまた、1000年間の隔たりがあるはずの出来事が、同時に成就するものとして述べられている箇所と言える。
 
 
おわり

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その1のつづきです。

 
 上述の注釈を考慮し、これらの聖書箇所を字義通りに解釈するなら、千年王国は1000年間の裁きの日であると考えられる。…
 
 聖書で「最後の日」「裁きの日」「主の日」という表現が使われる場合、それは字義通りのものであり、1000年間を1日と見なしていると考えてよい。
 
 つまり神の思いの中では、御怒りの日というのは単一の日でもあり得るし、1000年間でもあり得るのだ
 
 この1000年間の1日には、ダニエル122やヨハネ529のように2つの復活が含まれ、マタイ25章のように2つの裁きが含まれる。
 
☆ ☆
 
2ペテロ3:7〜8
7 しかし、今の天と地は、同じみことばによって、火に焼かれるためにとっておかれ、不敬虔な者どものさばきと滅びとの日まで、保たれているのです。
8 しかし、愛する人たち。あなたがたは、この一事を見落としてはいけません。すなわち、主の御前では、一日は千年のようであり、千年は一日のようです。
 
 
 2ペテロ37の「不敬虔な者どものさばきと滅びとの日」という部分は、8節との脈絡の中で見るとき、裁きが千年間つづく可能性を示唆している。なぜなら「滅び」というのは、千年王国の終わりに起こることになっているからだ。
 
 ジャミソンは、1000年間の1日について述べる場合、2ペテロ310との関連の中で考えている。
 
 
しかし、主の日は、盗人のようにやって来ます。その日には、天は大きな響きをたてて消えうせ、天の万象は焼けてくずれ去り、地と地のいろいろなわざは焼き尽くされます。 
                                 2ペテロ3:10 
 
 
 以下に彼の注釈を引用する。
 
主の日というのは、千年王国の到来で始まり、悪い者たちの滅びと万物の焼失、全人類の裁き(これは万物の焼失と地球の更新の間に挿入される)で終了する一連の出来事を含んでいる。」
 
 ウォルヴードとロバート・カルヴァーの両名も、この聖句を字義通り1日に受け取っている。
 
 しかしこの聖句が述べている出来事は、千年王国の最後に起こると考えている学者が多くおり、
 
 他の学者は、一連の出来事が千年王国の初めに起こると考え、千年王国に至る更新のプロセスだと考えている。
 
 では2ペテロ3:10が、1000年間の始まりについて述べていると共に、終わりについても述べているというのはどういうことなのだろうか。
 
 その答えは、8節が述べる「1000年間の1日」と関係している。
 
 繰り返しになるが、滅びは千年王国の終わりの1日で起こるのかもしれないが、いずれにしても主の日という「1000年間の1日」の中で起きるのである。
 
 ペテロがあのような書き方をしているのは、そのためであろう。
 
 2ペテロ3:10の「盗人」という言葉は、ふつうは携挙やパルスィーア(再臨)に対して使われるものだ。
 
 しかしここでは「主の日」に対して使われており、「盗人」という言葉にあるこの二重の性質が、
 
 千年王国の始まりである主の日と、天体などの焼失とを、1000年間の1日の中で起こるものとして結びつけている。
 
つづく

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Post-Trib」(Dennis Farrell著)という書籍の「The One Thousand Year Day」のセクションから抄訳します。
 
 この本は、タイトルが示すとおり、患難後携挙説の立場から書かれています。
 
 
☆ ☆
 

The One Thousand Year Day/千年日


 1ヨハネ417は、「裁きの日」について述べている。
 
 
こうして、愛がわたしたちの内に全うされているので、裁きの日に確信を持つことができます。                         1ヨハネ4:17 ・新共同訳
 
 
 裁きの期間は、どれほどの長さだろうか。1日なのか、7年間なのか、あるいはもっと長期に及ぶのだろうか。
 
 裁きの日には、患難期や千年王国が含まれるのだろうか。主の日と関係があるのだろうか。
 
 スコフィールドによると、主の日は、患難期前の携挙直後に始まる「一定の期間」で、その期間に神は裁きと祝福をもたらし、1007年後の「大いなる白い御座」をもって終わるとしている。
 
 しかし1909年におけるスコフィールドの最初の言説では、「エホバの日〜その日とか大いなる日とも呼ばれる〜は、主の栄光の再臨をもって始まる一定の期間」とされている。 
 
 これは患難期の終わりに起こるパルスィーア(再臨)のことであり、主の日は1000年間としている。
 
 アウグスティヌスは実に曖昧な言い方をしており、「この最後の裁きが幾日を占めるかは不明」だとしている。
 
 しかし彼が、「最後の裁き」は1日よりも長くつづくものと見ていることは明白である。
 
 ウォルヴード/Walvoordは、主の日とは「神が地上で裁きと主権統治を行う長い期間」だとしている。
 
 これには患難期が含まれるかもしれないが、「主権統治」というのは恐らく千年王国のことである。
 
 ラーキン/Larkinは、主の日は千年王国の始まりだとしており、それが「最後の日」(the last day)であり、パルスィーア(再臨)のことであるのは確かである。
 
 裁きの日の長さについて、見解が分かれているのは明らかである。ルカ10141131は裁きについて述べているものの、具体的ではない。
 
 
しかし、裁きの時には、お前たちよりまだティルスやシドンの方が軽い罰で済む。 
                           ルカ10:14 ・新共同訳
 
南の国の女王は、裁きの時、今の時代の者たちと一緒に立ち上がり、彼らを罪に定めるであろう。                       ルカ11:31 ・新共同訳   
 
 
 ルカの2箇所で、主イエスが特定の日について述べているのか否かは不明だが、裁きのための長い期間である可能性は考えられる。
 
 しかしマタイ1122、ヨハネ1248、2ペテロ29は、単一の日に起こる裁きについて述べているようである。
 
 
しかし、言っておく。裁きの日にはティルスやシドンの方が、お前たちよりまだ軽い罰で済む。                             マタイ11:22 
 
わたしを拒み、わたしの言葉を受け入れない者に対しては、裁くものがある。わたしの語った言葉が、終わりの日にその者を裁く。             ヨハネ12:48 
 
主は、信仰のあつい人を試練から救い出す一方、正しくない者たちを罰し、裁きの日まで閉じ込めておくべきだと考えておられます。            2ペテロ2:9
 
 
 ローマ2:16も、具体的な裁きの日を描写している。
 
 
そのことは、神が、わたしの福音の告げるとおり、人々の隠れた事柄をキリスト・イエスを通して裁かれる日に、明らかになるでしょう。          ローマ2:16 
 
 
 最後に2ペテロ3:7は、単一の「裁きの日」を示唆している。
 
 
しかし、現在の天と地とは、火で滅ぼされるために、同じ御言葉によって取っておかれ、不信心な者たちが裁かれて滅ぼされる日まで、そのままにしておかれるのです。
                                  2ペテロ3:7 
 
 
 これらの聖句は、終末における単一の裁きの日について述べているのだろうか、それとも一定の期間についてだ述べているのろうか。
 
 単一の日であるとしても、義なる者と悪い者に対する2つの裁きが行われることはわかっている。
 
 ヨハネ5:28〜29については先述したが、その箇所は2つの集団の復活について述べている。
 
 しかし黙示録20章では、2つの復活の間に1000年間の隔たりがある。2つの集団の復活の間には1000年間の隔たりがあるにもかかわらず、単一の日に裁かれるということがあり得るのだろうか。
 
 この疑問に対する唯一の解決は、「日」という表現が長期間を意味しており、その中に第一の復活と第二の復活、聖徒の裁きと悪い者の裁きの双方が組み込まれている場合である。
 
 主の日は7年間だと考えることにやぶさかでない人は、スコフィールドが述べていたように、「日」という表現が長期間を意味するとしても容易に受け入れることができるはずである。
 
 レオン・ウッドは「神の時間の概念は、人間のそれとはかなり異なっている(2ペテロ3:8)」と述べている。
 
 詩篇90:4は、1000年は「きのうのよう」だと言っている。
 
 
まことに、あなたの目には、千年も、きのうのように過ぎ去り、夜回りのひとときのようです。                               詩篇90:4  
 
 
 同様に2ペテロ3:8も、千年を一日と比較している。
 
 
しかし、愛する人たち。あなたがたは、この一事を見落としてはいけません。すなわち、主の御前では、一日は千年のようであり、千年は一日のようです。 2ペテロ3:8 
 
 
 この2つの聖句を字義通りに受け取るなら、1000年は1日であるという仮定が正しいことの最良の証拠となる。
 
 ウォルヴードは、詩篇90:4の釈義の中でこう述べている。「詩篇90:4にあるように、聖書が千年と記している場合、それは字義通りの千年を意味している。」
 
 また彼はこうも述べている。
 
「2ペテロ3:8に主の一日は千年だと書かれている場合、その意味は明らかで、神にとっての一日は、人間にとっては文字通りの千年なのだ。つまり神は、その日に重大な事柄を計画しているのである。
 
 その聖句が千年は一日だと言っている場合、それは人間にとっては文字通りの千年であるが、神にとっては一日なのである。これらの箇所において、千年の字義性を疑う余地はまったくない。」 
 
 ブラックストーンは、これを「大いなる千年の日/great Millennial day」「時代という日/the day of an age」「長い期間/a long period」と呼んでいる。
 
つづく 

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