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「真理はあなたがたを自由にします。」ヨハネ8:32

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 前回の記事で取り上げた批判の事例に、次のようなものがありました。
  

ノアの方舟を字義どおり歴史的に起きたとするのは流石に無理があるでしょう。
1. 6章は2匹ずつ、7章は特定の動物を7匹ずつ、という違いがある。
2. 陸で別れていた動物がどうやって来たのか。当時大陸が一つだったいうのは後付けの妄想に過ぎない。
3. 明らかに、ノアの箱舟よりも1000年も前に書かれたギルガメッシュ叙事詩と被りまくっている。
他にも疑問に思うところがありますかね?僕は完全に神話と見ています。 
                              (強調はブログ主) 
 
応答

 確かに、「当時大陸が一つだったというのは後付け」だというのはもっともで、日本語のアンサーズ・イン・ジェネシスも、いわゆる大陸移動説を次のように否定しています。 
 
 実は大陸の沿岸線は、巨大なジグソーパズルのようには組み合わせることはできません。最近の調査で、コンピュータを使って大陸を組み合わせようという試みがなされました。おもしろいことに、アフリカ、南米、北米、そしてヨーロッパをどんなにうまく再編成しても、大陸間で重なり合ってしまう部分があるうえ、中米はまったく省かれてしまうのです。いくつかの再編成により大陸を組み合わせることができても、現在の移動説では、現在の大陸の位置を説明することはできないのです。(強調はブログ主)
 
引用元:「大陸の移動に関して
 
 
反論 
 
 批判2の「陸で別れていた動物」というのは、例えば、有袋類の動物の一部がオーストラリア大陸固有のものだということを言っているのだと思います。
 
 確かに現代においては、有袋類の多くが同大陸を中心に生息していますが、それは過去においても同じだったことの証明にはなりません
 
 事実、20031215日のナショナルジオグラフィックニュースは、次のように報じています。
 
 アマチュアの化石ハンターが、カンガルー、コアラ、オポッサム、ウォンバットの最古の祖先の発掘に貢献した骨格が完全に近いチンパンジーサイズのシノデルフィス・スザライの化石が中国遼寧省北東部12500万年前の頁岩(けつがん)層から発掘された。
 
 古生物学者Zhe-Xi Luo氏は、この哺乳類は、すべての有袋類の祖先かもしれません』と述べた。                   (強調はブログ主)
 
引用元:ナショナルジオグラフィックニュース最古の有袋類化石、中国で発見 
 
 

 日本の一般人のブログにも、上記と同様の記事が掲載されています。
 

シノデルフィス
  学名(Sinodelphys szalayi 
イメージ 1

臼歯や踵(かかと)などの骨に
コアラやカンガルーなどの有袋類の特徴と
似通っている点で、おそらく有袋類の祖先ではないか
といわれている。
現在、有袋類はオーストラリア、南米と限定的な地域しか
生息していないが、その有袋類の起源は中国だったかも
しれないというわけで、
こいつが最古の有袋類だ!!
 
なにかと話題の中国産化石哺乳類。
次は何が出てくるのでしょうか?
今後、新たなる発見に
乞うご期待!!
 
 
 
解決案
 
 コアラやカンガルーと多くの共通点を持つ有袋類の化石が中国で見つかり、他の有袋類の化石は南米でも見つかっています。

 この事実は、過去の地球においては有袋類が世界的に分布していた可能性を示唆しています。
 
 それゆえ、批判2の「陸で別れていた動物」という前提そのものが過去の地球には適用できず、創世記を否定する根拠になりません。

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 「ギルガメシュ叙事詩」は「聖書の現象」ではありませんが、ノアの箱舟の聖書記事を批判する材料になっているため、前回の記事との絡みで記事にしておこうと思います。
 
 批判の一例として、あるキリスト教進歩主義の方はSNS上でこう語っています。
 
ノアの方舟を字義どおり歴史的に起きたとするのは流石に無理があるでしょう。
1. 6章は2匹ずつ、7章は特定の動物を7匹ずつ、という違いがある。
2. 陸で別れていた動物がどうやって来たのか。当時大陸が一つだったいうのは後付けの妄想に過ぎない。
3. 明らかに、ノアの箱舟よりも1000年も前に書かれたギルガメッシュ叙事詩と被りまくっている。
他にも疑問に思うところがありますかね?僕は完全に神話と見ています。
 
                               (引用終わり)
 
ギルガメシュ叙事詩と創世記の比較
 
 両者のどこが類似しており、どこが違うかについては、下の表をご覧いただくか、ウィキペディアのリンク「ギルガメシュ叙事詩」の洪水伝説の欄をお読みください。
 
創世記とギルガメシュ叙事詩の比較

 
創世記
ギルガメッシュ
洪水の範囲
地球規模
地球規模
原因
人類の邪悪さ
人類の罪
対象
全人類
特定の都市と全人類
行為者
ヤハウェ
神々
英雄の名称
ノア
ウトナピシュティム
英雄の特徴
宣告手段
神の語り掛け
船の建造命令の有無
あり
あり
英雄は不平を言ったか
なし
あり
船の高さ
3階建
7階建
内部の部屋数
多数
多数
出入り口
1カ所
1カ所
窓の数
最低1カ所
最低1カ所
外壁の防水加工
タール(新改訳:やに)
タール/やに
箱舟の形状
楕円形
立方体
人間の乗員
ノアの家族のみ
家族のほかにも数名
その他の同乗者
あらゆる種類の動物(脊椎動物)
あらゆる種類の動物
洪水の手段
地下水と大雨
大雨
洪水の期間
長期(4040夜)
短期(66夜)
陸地の確認方法
鳥を放つ
鳥を放つ
鳥の種類
カラスと3羽の鳩
鳩、ツバメ、カラス
箱舟の到着地点
アララテ山
ニシル山
洪水後の生贄
ノアが奉献
ウトナピシュティムが奉献
洪水後の祝福
あり
あり

 
 
反論
 
 日本人クリスチャンで、米国でギルガメシュ叙事詩を研究された「おさないのぞみ」さん(注1)によると、創世記の洪水説話はギルガメシュ叙事詩のそれを真似たものだとする批判は、アレクサンダー・ハイデル/Alexander Heidelの著作に基づくものです。
 
 ハイデルはこう言っています。
 
The most widely accepted explanation today is the second, namely, that the biblical account is based on Babylonian material.”(注2)

「こんにち、最も広く受け入れられている説明は、聖書の説話がバビロニアの資料に基づいているというものである。」
 
 しかし、のぞみさんは、論文の第1章(英語)の中で、ギルガメシュ叙事詩の粘土板6には、「アトラ・ハーシス叙事詩」の粘土板3との共通要素や共通用語が多いため、ギルガメシュ叙事詩は「アトラ・ハーシス叙事詩」がもとになっているという見方が一般的だと述べています。
 
 つまり、ギルガメシュ叙事詩の洪水伝説の起源がいつかは不確かだということです。そして「ハイデルは、ギルガメシュ叙事詩がシュメール語の伝説に基づいている可能性を示唆している」としています。
 
 事実、「シュメール語の粘土板には、ギルガメシュ叙事詩粘土板3、5、6、7、12に書かれているエピソードが記されている」と、のぞみさんは述べています(注3)。
 
 また、「ハイデルは、ギルガメシュ叙事詩の洪水伝説の英雄ウトナピシュティム(いのちの発見者/獲得者)という名前が、シュメール語の洪水伝説の英雄シウスドラ(遥か先の時代の命をつかんだ者)に由来する可能性が極めて高いと述べています(Heidel, p. 227.)。
 
 もしギルガメシュ叙事詩がシュメール語の説話に由来しているのが事実なら、シュメール語の説話が歴史的事実にを基に書かれている可能性が出て来るということです。
 

☆ ☆ ☆
 
イメージ 1注1
おさないのぞみ http://creation.com/nozomi-osanai
2004年、文学修士取得、アッカド語研究(米国ウエスレー聖書大学)
同大での論文「ギルガメシュ叙事詩と創世記における洪水記録の比較」
神学修士(東京聖書神学校、神戸ルーテル神学校)
 
注2
Alexander Heidel, The Gilgamesh Epic and Old Testament Parallels, University of Chicago Press, Chicago, 1949; paperback edition, p.261, 1963.
 
注3
Heidel, pp. 1314. The umbaba episode (IIIV) is also contained in tablet II. Frayne, pp. 104143. Tablet XII contains the second half of the Sumerian epic poem, Gilgamesh, Enkidu, and the Netherworld.” Moran, p. 2335.
 
 
結論
 
 のぞみさんの論文は「導入」と「結論」を含めると9章あり、すべてを要約するには紙幅が足りませんので、以下に「結論」を要約します。
 
全論文をご覧になりたい方はコチラ→ Nozomi Osanai(英語)
 
 のぞみさんは、一般的に議論となのるは次の3つだとしています。
 
①ギルガメシュ叙事詩の洪水伝説は、創世記に由来している
②創世記の洪水説話は、ギルガメシュ叙事詩に由来している
③両者とも、共通のソースに基づいて書かれた
 
 のぞみさんは、①を支持する学者はほとんどいないとした上で、②の仮説に進みます。
 
 ②の場合、創世記の著者は、多くの点を改訂しなければならないとのぞみさんは言います。
 
 そのほんの一部として、多神論から絶対的単神論への改訂、雨だけによる洪水から地下水と雨への改訂、6日6夜から4040夜へ、不安定な立方体の船から安定した楕円形の船に設計を変更…などなど、改訂事項は多岐に渡ります。
 
 ギルガメシュ叙事詩と創世記の類似点は多いものの、改訂が必要な点も多々あるため、②の可能性は「考えられない」とのぞみさんは結論します。
 
 結論としてのぞみさんは、③を支持します。
 
 1章で述べたとおり、ギルガメシュ叙事詩はシュメール語の説話に由来する可能性が高く、そのシュメール語の説話は歪められている部分もあるものの、史実性が高いとのぞみさんは言います。
 
 一方、具体性、科学的信憑性、説話内部の一貫性、世俗の記録との整合性、世界中に見られる洪水伝説との共通性などの点で、創世記の洪水説話は、正確な歴史的記録として叙事詩よりも受け入れられるとしています。
 
 そして最後に、モーセが資料として使用したもの一部は、こんにち存在しないものの、創世記の編纂過程には神の導きがあったはずだとのぞみはさんは述べ、
 
「ギルガメシュ叙事詩と創世記の相違を検証した後、筆者としては、ギルガメシュ叙事詩の洪水説話は、歴史的正確性が失われ、また歪曲されている一方、創世記の洪水説話は、歴史的に正確な記録であると結論づけることが合理的に思える」と結んでいます。


●あとがき
 
 ギルガメシュ叙事詩を、専門に研究した日本人クリスチャンがいたとは驚きです。
 
 結論の選択肢②を支持するなら「如何にもクリスチャンらしい」ということになりますが、のぞみさんは研究者として③を支持しています。
 
 この客観性は、信頼に値すると私は思いました。
 
 つまり、創世記はギルガメシュ叙事詩のパクリではないであろうことがわかった一方で、創世記が大洪水のオリジナルの記録でもない可能性が高いということです。
 
 のぞみさんの論文は、米アンサーズ・イン・ジェネシスとクリエイション・ミニストリーズの双方から評価されており、現時点で、私たち福音主義のクリスチャンが最も頼りにできる護教論文と言えそうです。

 おわり

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「聖書の現象」の3回目です。
 
 聖書の無誤性を信じるクリスチャンを攻撃してくるのは、不信者だけとは限りません。

 懐疑論者の中には、聖書知識がとても豊かな人が結構います(聖書学者すらいます)。
 
 そういう方々にとっては、以下の箇所の描写すら批判材料になるようです。
 
 
創世記6:19 
またすべての生き物、すべての肉なるものの中から、それぞれ二匹ずつ箱舟に連れてはいり、あなたといっしょに生き残るようにしなさい。それらは、雄と雌でなければならない。
 
創世記7:2〜3 
あなたは、すべてのきよい動物の中から雄と雌、七つがいずつ、きよくない動物の中から雄と雌、一つがいずつ、3 また空の鳥の中からも雄と雌、七つがいずつを取りなさい。それはその種類が全地の面で生き残るためである。
 
 
 創世記6:19では、すべての生き物が2匹ずつ箱舟に入ったと書かれています。
 
 しかし創世記7:2〜3では、きよい動物は「七つがいずつ」、きよくない動物は「一つがいずつ」箱舟に入れるよう命じられています。
 
 この箇所をどう説明すればよいでしょうか。
 
 
解決案
 
 現代の聖書は、章や節がふられてわかりやすくなっていますが、元々は章も節もありませんでした。
 
 創世記619と創世72は、実質的には、ほんの5節しか離れていません。ですから、次のように答えることができます。
 

 きよい動物は「七つがいずつ」箱舟に入りました。一方、きよくない動物は、「二匹ずつ」あるいは「一つがいずつ」箱舟に入りました。
 
 これらの箇所には、何の矛盾もありません。創世記6章で、神はすべての動物を「二匹ずつ」箱舟に入れるよう命じましたが、
 
 ほんの4節あとで、神は補足として更に詳しい命令を付け加えはじめたのです。その補足として、きよい動物を「七つがいずつ」箱舟に入れるよう命じただけです。
 

 

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 前回につづいて、「聖書の現象」の2つ目について書きます。
 

1サムエル記16:1011 
こうしてエッサイは七人の息子をサムエルの前に進ませたが、サムエルはエッサイに言った。「主はこの者たちを選んではおられない。」サムエルはエッサイに言った。「子どもたちはこれで全部ですか。」エッサイは答えた。「まだ末の子が残っています。あれは今、羊の番をしています。」サムエルはエッサイに言った。「人をやって、その子を連れて来なさい。その子がここに来るまで、私たちは座に着かないから。」
 
1歴代誌2:13〜15 
エッサイは、長子エリアブ、次男アビナダブ、三男シムア、四男ネタヌエル、五男ラダイ、六男オツェム、七男ダビデを生んだ。
 
 
 1サムエル記16章によれば、エッサイの息子は7人+ダビデ=8人であることがわかります。
 
 ところが、1歴代誌2章では、息子は7人しか書かれていません。
 
 懐疑論者は、聖書の無誤性を信じるクリスチャンへの嫌がらせとして、「じぁ、エッサイの息子は何人だったの?」と尋ねてきます。
 
 どう答えればよいのでしょうか?
 
 
解決案
 
 1歴代誌2章には、7人の息子の名前が具体的に書かれている。
 
 恐らく、ダビデの兄弟の一人は早死にしたのだろう。だからその息子の名前は、1歴代誌が編纂されるまで保存されなかったのだ。
 
 生き永らえなかった子供が、家族の人数に数えられないというのは、珍しいことではなかった。…ダビデの家族についても、そうだった可能性が高い。
 
 兄弟の一人が未婚で亡くなっていたり、跡継ぎを残していなかったり、ダビデの台頭時期に顕著な手柄を立てなかったりした場合、その息子の名を系図に保存する理由がなかったのだろう。
 
 問題となっている2つの箇所は、必ずしも矛盾するものではない。これは解決しうる問題であって、聖書の信頼性を疑わせるようなものではない。
 

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聖書の現象」と言われている箇所について、いくつかの記事を書いていこうと思います。
 
「聖書の(諸)現象」というのは、キリスト教進歩主義やリベラルから「聖書の矛盾」として批判される箇所のことを言います。
 
「聖書の現象」は旧約にも新約にもありますが、今回は以下の箇所を見たいと思います。
 
 
騎兵の数は1700それとも7000?
 
2サムエル8:3〜
ダビデは、ツォバの王レホブの子ハダデエゼルが、ユーフラテス川流域にその勢力を回復しようと出て来たとき、彼を打った。ダビデは、彼から騎兵千七百、歩兵二万を取った。ダビデは、その戦車全部の馬の足の筋を切った。ただし、戦車の馬百頭を残した。
 
1歴代誌18:3〜
ダビデは、ツォバの王ハダデエゼルが、ユーフラテス川流域にその勢力を確保しようと出て来たとき、ハマテに出て、彼を打った。ダビデは、彼から戦車一千、騎兵七千、歩兵二万を取った。ダビデは、その戦車全部の馬の足の筋を切った。ただし、戦車の馬百頭を残した。
 
 
 ご覧のとおり、2サムエル記には、ダビデは1700人の騎兵を敵から奪ったと書かれており、1歴代誌には、7000人取ったと書かれています。
 
 この食い違いを、どのように解釈すればよいでしょうか?
 
 
解決案
 
 NIV(新国際訳)の2サムエル8:4を見ると、「戦車1000と騎兵7000人」と書かれています。
 
David captured a thousand of his chariots, seven thousand charioteers and twenty thousand foot soldiers. He hamstrung all but a hundred of the chariot horses. 
 
 
 この理由は、NIVがヘブル語テキストではなく、七十人訳を基にこの箇所を訳したからです。
 
 以下は、七十人訳の2サムエル記8:4です。
 
 
καὶ  προκατελάβετο  Δαυιδ   τῶν αὐτοῦ   χίλια   ἅρματα 
そして  まず取った  ダビデは   彼の    千の   戦車    
 
καὶ  ἑπτὰ  χιλιάδας  ἱππέων 
   7   千の     騎兵
 
καὶ εἴκοσι χιλιάδας  ἀνδρῶν πεζῶν
 と 20  千の   男たち 歩兵
 
 
 
 上記のとおり、七十人訳の2サムエル記8:4は1歴代誌から訳されています。このことから推測できるのは、
 
 七十人訳の翻訳者が、ヘブル語テキストの2サムエル記8:4は写本の誤りだと判断し、1歴代誌のテキストから訳したということです。
 
 パウロが2テモテ3:16で「聖書はすべて、神の霊感による」と言ったとき、「聖書」は七十人訳のことを指していたので、七十人訳を基に訳したNIVは賢明だと思います。  

 この考え方は、Defending Inerrancy(DI)という団体も提唱しています(注)。

 DIのサイトには、次のように説明されています。
 

解決案:これ(2サムエル記84)は、まごうことなく写本写筆者の誤りである。恐らく初期の写本写筆者が、「戦車」という語を不用意に写し損ねたのであろう。幾つかの翻訳聖書には、その語が補足されている。…正しい数を保存しているのは、恐らく1歴代誌の箇所のほうであろう。
 
引用元:Defending Inerrancy(聖書の無誤性を擁護するという意味)
 
注:
DIは、ノーマン・ガイスラー博士(南部福音主義神学校の共同創立者、同校学長)が編集主幹を務める保守的福音主義の団体です。ガイスラー博士は、「聖書の無誤性に関するシカゴ声明」(英語)の中心的編集者を務めました。
 

別の解決策
 
 Blessed Quietness Journalという欽定訳聖書を信奉するサイトでは、欽定訳に基づき別の解決策が示されています。
 
 しかし欽定訳の2サムエル記8:4は、日本語の聖書とは訳し方が違っており、次のように訳されています。
 
 
And David took from him a thousand chariots, and 700 horsemen, and 20,000 footmen
 
ダビデは、彼から戦車一千、騎兵七百、歩兵二万を取った。
 
 
 この訳の場合、「700の騎兵」は「700部隊の騎兵」(1部隊10人)という考えができるとしています。
 
 しかし繰り返しますが、日本語の聖書の場合(また、大半の英語聖書も)、この考え方は役に立ちません。
 
 
●あとがき
 
 今回の箇所の場合、七十人訳を知っていれば、すんなり解決できることがわかります。
 
 福音主義は、霊感を受けた聖書として七十人訳を認めておいたほうがいいのかもしれません。

 七十人訳聖書については、日本聖書協会のウェブに次のように書かれています。

「新約聖書に引用されている旧約聖書の個所はこの70人訳からの引用であり…」


 日本聖書協会「翻訳された聖書 古代訳」より

 

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