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			<title>介護の情報交換ブログ！</title>
			<description>生命の自然の摂理で世界一の寿命を獲得した日本人。老い方・死に方もそれにしたがおう！？</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/psyaygt9</link>
			<language>ja</language>
			<copyright>Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.</copyright>
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			<title>介護の情報交換ブログ！</title>
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			<description>生命の自然の摂理で世界一の寿命を獲得した日本人。老い方・死に方もそれにしたがおう！？</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/psyaygt9</link>
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		<item>
			<title>「BIG PROBLEM」介護職員の問題を放置しておけない日本の現状</title>
			<description>あるブログ（&lt;a HREF=&quot;http://blog.livedoor.jp/aikoen001/archives/50343422.html&quot; TARGET=&quot;_blank&quot;&gt;http://blog.livedoor.jp/aikoen001/archives/50343422.html&lt;/a&gt;）を拝見しましたが、今日の日本の抱える介護の問題を放置しておけば、近い将来、取り返しの付かない悲惨な現状が、介護の現場に確実に訪れてくると予感させられるブログでした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
介護の諸問題の解決に、資格制度や報酬の善し悪しが思いのほか効力の無い事は、今までの道程を観れば一目瞭然のように思われます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
したがいまして私は介護職員の抱えている問題の中核を、おそらく ／甘問題と 肉体的問題の２つに焦点があるのではないかと捉えています。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
，砲弔い討蓮介護の対象者の多くの死が、介護の終着点となる可能性がとても高いため、第三者の死のほとんどが介護職にとっては、敗北感と空しさを感じてしまう傾向にあるのではないかと思っています。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
よって、この体験が積もりに積もりますと 「 バーンアウト 」 を起こしてしまうような気がしています。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
△梁緝修 「 腰痛 」 という肉体的苦痛ではないのでしょうか。　「 腰痛 」 を起こさないようにするための方策や介護の実際を研修伝達している施設等もありますが、またＴＶでもその情報を時々放映していますが、実際の場面になりますと実行に移している現場はいくつあるでしょうか。　時間に追われた介護に、研修内容はあまり意味を成していないように私自身は受け止めています。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また起こってしまった職員の 「 腰痛 」 を積極的に治療改善して、引き続き介護業務が提供可能な状態に、介護職員の健康に配慮している職場の管理体制構築は、とても遅延しているように伺えます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
介護職員は、消耗品ではない事をお互い再認識しようではありませんか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
先ず△硫雜鄂Π痢峭法廚亮Ｎ轍韻ら取り組みましょう。　（，砲弔い討麓，硫歛蠅任后&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
実現可能と思われる事柄から改善 ・ 改良方策を試みないと、日本における介護現場には明るい未来の訪れはないように思うのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
介護職員の 「 腰痛 」 問題も含めまして、現実に抱えている問題は実はかなり根深いといえるのではないのでしょうか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
皆さん、介護の問題は自らに降りかかって来る事を、今から認識して解決に向けた行動を起こしましょう。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/psyaygt9/48091689.html</link>
			<pubDate>Wed, 06 Jun 2007 19:04:48 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>世のため人のための言動は 良好な因果を招く（介護の仕事は・・・・）</title>
			<description>自分の人生を豊にしたい・生活水準を上げたい・人望を集めたい・出世したい・&lt;br /&gt;
名誉を手に入れたい・子供や家族の欲しがる物を可能な限り与えたい・・・・・・・&lt;br /&gt;
・etc。&lt;br /&gt;
　人の欲には、限りが無い様に思われます。一つの望みが叶えば、次の欲が頭を出してくるのが人間のように思います。&lt;br /&gt;
　そしてよく観察してみますと、その欲の大半が私利私欲の範疇に含まれてしまうのではないのでしょうか。&lt;br /&gt;
　しかし私利私欲をむき出しにして、利己的な生き方を前面に出す極端な事例を思い浮かべて下さい。&lt;br /&gt;
　介護の仕事は私利私欲が目的だけでは、到底継続できないように思われます。&lt;br /&gt;
　やはり大げさに申し上げれば、世のため人のために頑張るぞという自己犠牲の姿勢が多少なりとも存在していないと成り立たない仕事ではないのでしょうか。&lt;br /&gt;
　それが証拠に、介護の世界には資格の有無や報酬にはまったく関係の無い力の存在が、近頃指摘されるようになって来ました。&lt;br /&gt;
　介護の仕事とは、真に奥深い尊い仕事だとつくづく感じますし、その因果は必ず良い結果を将来もたらしてくれると私は信じています。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/psyaygt9/47584952.html</link>
			<pubDate>Wed, 16 May 2007 08:09:55 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>自己犠牲と使命感 そして誠実さと勤勉さを前提に？！（今の福祉現場の問題に思う）</title>
			<description>特に福祉の現場では、職員の持っている表題のような資質に知らず知らずのうちに頼っていた歴史的背景が存在していたように思います。&lt;br /&gt;
　悲哀を感じて慈悲心や慈善心を具体的行動に起こした篤志家によって、現代の福祉の姿が築き上げられてきた一面を否定できないのも拘わらず、その恩恵を被る対象者は特定の一部の人々から、等しく全国民が所得に応じて享受できるシステムへと変貌したために（自己申告ですが）、今日の介護サービス現場に歪が生じているのではないかと私は考えています。&lt;br /&gt;
　つまり介護の介が意味していると思われる、人を思いやり支えている2本の下に描かれている棒が、昔は慈悲心や慈善心を強く抱いた一部の篤志家が中心だったように考えますが、現在はその棒が一部ではなく且つその裾野を広げたのが、介護の現場に新たな問題点を生んでいるように感じているのです。&lt;br /&gt;
　基本的人権なども材料にしたりと、権利ばかりを主張する傾向にある今日的趨勢に半ば沿ったシステムを、公的介護保険は整えていると見受けられますが、今の高齢者の内在しているだろう心の特徴を、そのシステムには配慮しにくい部分があったのではないのでしょうか。&lt;br /&gt;
　お上の世話にはなりたくない（自己犠牲の心・老老介護では介護保険の申請すらしていないケースもあると聞きます）、家内は私が介護する（使命感）、夜間のおむつ交換も一度の投薬も忘れた事はありません（誠実・勤勉）・・・・・etc。&lt;br /&gt;
　ところが現在の介護現場で働く職員は世代がまったく異なり、若年層化してきています。介護の仕事をしていても、自らの生活が成り立たないのであれば自己犠牲など考えませんし、そこまで使命感を持ち働き続ける事は出来ず、身を引いていくのが現状のようです。&lt;br /&gt;
　つまり仏（制度）を作ってもそこに古のような人間はほとんど存在せず、魂を入れ込む材料すらないというのが現在の実態ではないのでしょうか。&lt;br /&gt;
　では一体どうしたら、今の介護問題を解決に導いたらよいのでしょうか。&lt;br /&gt;
　私にも即効薬を見出せないのが現実ですが、明らかに福祉の現場で需要と供給のミスマッチが生じている今を見過ごすわけには行かないような気がしています。&lt;br /&gt;
　超高齢社会の到来と高齢者世代の意識変化が目前に迫っている今だからこそ、大いに皆で論議しようではありませんか。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/psyaygt9/47560681.html</link>
			<pubDate>Tue, 15 May 2007 09:13:38 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>介護職員不足に危機感の乏しい日本 何故なのか知りたい！</title>
			<description>今後確実に、介護の必要な人口は増加します。&lt;br /&gt;
　しかし、近い将来間違いなく介護を担う若年層人口は減少します。&lt;br /&gt;
政府は、介護労働不足はフィリピン市場から補う事で、その場をしのげると考えているのでしょうか。&lt;br /&gt;
　経済的不況下では、介護労働力が潤沢に確保できる過去の体験から、何れ介護労働不足問題も解消されると高をくくっているのでしょうか。&lt;br /&gt;
　それとも何か秘策があるのでしょうか。&lt;br /&gt;
　介護保険が存在しても介護職員という介護サービス供給の主人公が、著しく不足してしまったならば、保険自体が絵に描いた餅となり、将来介護の必要となる人口が爆発的に増加するであろう日本の惨めな姿が、私には確実に目に浮かんでしまうのが妄想で終わって欲しいと願っています。&lt;br /&gt;
　とにもかくにも、この問題に現場は四苦八苦しているにも拘らず、妙案が無いのも事実なので、理学療法士の私なりにそれを探ってみました。&lt;br /&gt;
　そこで一つの原因として脳裏を掠めたのは、介護職員への職場としての配慮や社会としての配慮が、著しく不足している点がそれではないのかと感じています。&lt;br /&gt;
　では、どんな点に私達は力点を置かなければいけないのでしょうか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　１）介護職員の職場としての配慮&lt;br /&gt;
　a、「腰痛」対策不足&lt;br /&gt;
　b、個別介護の再吟味不足&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　２）介護職員の社会としての配慮&lt;br /&gt;
　a、介護の専門性の未確立&lt;br /&gt;
　b、介護職のイメージアップ不足&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　以上、私見ですが列挙させて戴いた内容１）－a、b  ２）－a、bについては、別の方法で述べてみたいと思っております。&lt;br /&gt;
　ここで是非、大項目だけで恐縮ですが、指摘事項は的を得ているのか、それとも他にご意見等ございましたら、コメント戴きたくお願い申し上げる次第です。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/psyaygt9/47532023.html</link>
			<pubDate>Mon, 14 May 2007 08:06:43 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>「人工視覚」を手に入れた視覚障害者の出した結論に思う！</title>
			<description>彼はすべての人工視覚を獲得するための機材と、後頭葉の視覚中枢に埋め込まれた電極を取り除き、近日中にそれらを返却する事を決めていました。&lt;br /&gt;
　目で見るよりも心で観る事の方が、人間らしい生き方や言動がとれる事を一連の経験によって獲得出来たからだそうです。&lt;br /&gt;
　「人工視覚」　全盲の方々にとっては夢のような響きのある言葉でしたが、実際にそれを体験してみると目に見えるものは、目の前にある物体の輪郭に光が輝いているだけで、それ以上の満足の得られる結果は改良過程を通じても何一つ獲得出来なかったそうです。&lt;br /&gt;
　ポルトガルの「人工視覚」開発者もやがてこの世を去り、同時にこのプロジェクトも解散したのも、彼の決断に影響を与えた一つの材料になったようです。&lt;br /&gt;
　しかし我が子が見えなくとも、触れながら心温まる言葉がけは出来るし更に抱きしめる事で自分の愛情は十分に伝えられるし、それが私の生きる姿だと気付いたと、彼は述べておられました。&lt;br /&gt;
　与えられた環境の中や無い能力をあるが侭に受け入れて全力を尽くす事が、人の生きる一つの姿なのかもしれないと私自身彼から学びました。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/psyaygt9/47507098.html</link>
			<pubDate>Sun, 13 May 2007 08:26:43 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>高齢者は人気者 そんな世の中にしましょう！</title>
			<description>巷では食堂や居酒屋の個室化が進んでいるようです。また日常生活ではますます毎日繰り返される生活行動の不便な点・不自由な箇所が改善されつつある様に見受けられます。&lt;br /&gt;
　しかしその結果、私達は他人様への配慮や自分以外の存在への思いやりや気を使う心が乏しいまま日常を過ごすようになっているのかもしれません。（その証拠に公衆マナーの低下は目を被う現状があります）&lt;br /&gt;
　そして世紀末を感じてしまう現在の世相とは、ここに多少なりとも因果関係が存在しているのでないかと強く思われて仕方ないのは私だけなのでしょうか。&lt;br /&gt;
　気付いてみますと非人間的な事件・事故が日常化してしまって、私達もそれに対して抑止力の強化ばかりに傾注する他は、解決する術を何も持ち合わせていないのではないのでしょうか。&lt;br /&gt;
現在の高齢者の多くが戦争体験者でありますが、終戦記念日と広島・長崎の被爆日以外に戦争体験から何かを学ぶ機会がまったくといって良いほど無くなってしまいました。&lt;br /&gt;
戦争によって、その体験者の多くは「何も望まない、この命さえあれば」という思いをほとんどすべての方が抱かれたのではないのでしょうか。&lt;br /&gt;
ところが時代は大量生産・大量消費・物欲、金銭欲社会に移行してしまい、命の重さや尊さ、他人様への配慮や自分以外の存在への思いやりの心は希薄化してしまったように思われます。&lt;br /&gt;
そしてクローン生命の誕生や遺伝子医療、胎児医療、再生医療等に見られるように高度先進化した医療は、命さえも金銭と天秤にかけてしまうような状況にまで陥ってしまっているのではないのでしょうか。&lt;br /&gt;
そこで提案です。 &lt;br /&gt;
戦争体験されえた高齢者のにじみ出る説得力のある言動を、人の心が砂漠化している今日だからこそ、潤いを持たせるために積極的に活用される事を私は望んでいます。&lt;br /&gt;
拝金主義化してしまった世の中において、ほぼすべての可能性がお金や物でしか推し量る事の出来なくなってしまった今を、私達は素直に認めて、間違えていると思われる事は改めていこうではありませんか！&lt;br /&gt;
超高齢社会とは、それを支える若年層の負担ばかりに目が向いているようですが、高齢者が主人公となって今の悪しき様を修正していく使命を背負っているのが超高齢社会ではないかと思います。&lt;br /&gt;
超高齢社会を目前にした私達に求められているのは、若年層の負担の増減を計算するのではなく高齢者を世の中の人気者と位置づける（高齢者に存在役割を創造していく）発想の転換ではないかと思っています。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/psyaygt9/47486544.html</link>
			<pubDate>Sat, 12 May 2007 10:29:24 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>生ある限り 常に並行すべき死の準備？！</title>
			<description>老若男女あるいは病期の急性期・慢性期を問わず、すべての健常者のみならず障害者も含み、明日の命が１００％必ず存在していると断定・断言できる人はおそらく多くは無い様に思います。&lt;br /&gt;
　「エー！昨日あんなにお元気だった人が」「まだ小学生よ、あの子。かわいそうにね」「マー！自殺だって。悩んでいるように見えなかったけどね」「ニュースで見たけど、あの人の名前があった時は仰天したわよ」・・・・・・・etc。&lt;br /&gt;
　あくまでも個人の心構えとしてのお話です。押し付け・押し売りではありません事、お含みおき下さい。&lt;br /&gt;
　理想論のように聞こえますが、死期の近くなった高齢者のごく一部には何時死んでも良い様に、生前に準備万端整えてから死後の世界に旅立たれるお方ごく希に拝見する事がありますので、心構え次第では実現できるのが「死の準備」ではないのでしょうか。&lt;br /&gt;
　もちろん赤ちゃんや子供達自身には無理難題のように思われますが、遺族の受け止め方によっては生の価値や短い人生と反した心の遺産・死を常に意識する事の大切さ等を素敵なプレゼントとして、残していく事も可能なようです。&lt;br /&gt;
　その一つの例えとして童謡作家・野口雨情氏の実話をご紹介させて頂きます。&lt;br /&gt;
雨情はなかなか子宝に恵まれず、半ば諦めかけていた結婚８年目に女の子が授かりました。&lt;br /&gt;
それこそ目に入れても痛くないほど可愛がりました。&lt;br /&gt;
ところが２歳になる前に、伝染病にかかり地方講演の留守中にあっけなく亡くなってしまいました。&lt;br /&gt;
それからの雨情は浴びるようにお酒を飲み、酔って悲しみを忘れようとしました。&lt;br /&gt;
酔って前後不覚になる日が続きましたが、悲しみは増すばかりでした。&lt;br /&gt;
ある日その子が夢に現れたそうです。女の子はただひたすら泣いていました。&lt;br /&gt;
涙に濡れた我が子の瞳を見た時、雨情はハッと気付きました。&lt;br /&gt;
「ああ、このままでは天国にいっても娘に合わせる顔がない。お父さんは頑張ったよ。歯を食いしばって頑張ったよ。悲しみに押し潰されずにお前の分まで一生懸命生きたよと、会った時にいえるようになろう」&lt;br /&gt;
これを境に「七つの子」「青い目の人形」「十五夜お月さん」等後世に残る数々の名作を世に出したのでした。&lt;br /&gt;
中でも「しゃぼん玉」は雨情が娘さんへの思い出を託した鎮魂歌だそうです。&lt;br /&gt;
たかが２年弱の短い生涯の娘さんでした。&lt;br /&gt;
しかし考えて見ますと、価値ある立派な人生であったように思います。&lt;br /&gt;
何故なら短い「一生」ではありましたが、父雨情に後世まで残る数々の名作を書かせたのは、実は娘さんであったかもしれないからです。&lt;br /&gt;
　このお話に触れた際、私は鳥肌が立ったと同時に死と生の関係は常に表裏一体の関係にある点を改めて確認できました。&lt;br /&gt;
　また人の寿命の尊さはその長さではなく質が肝心であり、その質も第三者の評価によって決められる事を私達は知らなければならないし、それこそが最も大切な「死の準備」のように感じました。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/psyaygt9/47461427.html</link>
			<pubDate>Fri, 11 May 2007 09:28:24 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>在宅医療と在宅介護は表裏一体？！（真剣な論議をもう一度）</title>
			<description>在宅医療（地域医療＝暮らしの医療）は人間を、病院の医療は病気を主に診る傾向にあるのではないのでしょうか。それは目的の違いから、致し方ないのかもしれません。&lt;br /&gt;
　また、会社の自分と家庭の自分に何処か違いがあるように、患者自身の心の有り様からも病院と家庭では、リラックスしたくつろき度に大きな違いが有るような気がしています。例えば接する人間が、ほぼ1日中病院スタッフと片や家族では当然違いが出るものと推測できるように思います。&lt;br /&gt;
　そして最も見落としがちなのが、医療と介護の関係が表裏一体として存在している事だと考えます。&lt;br /&gt;
　赤髭と評判の良い医師に医療的側面をお世話になっていても、日頃の介護の質がお粗末では、その結果が良質な医療サービスの効果を半減以下にしてしまう可能性を十分孕んでいるのではないのでしょうか。&lt;br /&gt;
　昨今の医療や介護をテーマにしたＴＶを拝見していますと、とかく一方のサービスにスポットが当たり過ぎて、双方のサービスの存在が車の両輪の如く、必然で良質に提供されてこそ利用者にとってはより有益であろう事には余り積極的には取り上げていないように感じています。&lt;br /&gt;
　今、医療も介護の世界も財源の問題を一つの理由にして、薄利多売がより顕著になり現場職員は疲弊し、様々な問題を抱え込んでいるように思います。&lt;br /&gt;
　日本では、惻隠の情の伴う傾向にあるのが医療や福祉の仕事だと受け止めていますが、今のままではそんなゆとりや思いやる気持ちを持ったり育んだりする事は、非常に困難になってきているように痛感しています。&lt;br /&gt;
　国のセーフティーネットの有り様は、国の将来像の良し悪しに大きく影響を及ぼす主因となるのではないのでしょうか。&lt;br /&gt;
　そのセーフティーネットが今、経済的指標のみで紆余曲折しているように伺えて仕方ありません。&lt;br /&gt;
　超高齢社会を目前にした我が国の将来の絵図らを明るく描くためにも、今日までとは異なる視点で、国のセーフティーネットについて今こそ真剣な論議が必要ではないかと思っています。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/psyaygt9/47408724.html</link>
			<pubDate>Wed, 09 May 2007 08:53:39 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>後天性に肢体に不自由を背負ったら</title>
			<description>実は、私の体験談です。&lt;br /&gt;
現在５０歳ですが、４２歳の時脳卒中で軽度の左片麻痺や左視野狭窄、左温痛覚の鈍麻、軽度運動失調、歩行障害などの日常生活に支障を来たす状態に見舞われました時の事をお伝えさせて頂きます。（現在はお蔭様で仕事復帰できています。支えて下さった大勢の皆様にお礼申し上げます）&lt;br /&gt;
　これも偶然ですが、たまたまリハビリを仕事にしていた関係で「障害」に襲われる以前の姿に患者さんの復権を果たすお手伝いが、倒れる以前は私の役割と信じていましたが、私の場合は「障害」を受け入れて、変化してしまった姿・能力を持って生まれ変わった自分のままで、人生の新しい歩みをはじめようとする事が大切ではないか、またそう思われた人に対してはその思いを支えていく事がリハビリ職員の役目ではないかと強く感じました。&lt;br /&gt;
　つまり、完全に元の姿・能力が回復しない不自由な体に執着しクヨクヨするよりも、生まれ変わった自分を発見する事により人生２度楽しめるのではないか、こん度の新しい姿・能力で今後に挑んでいく、なかなか出来ない体験が可能となるのではないかと考えたのです。&lt;br /&gt;
　何かのお役に立つ事を祈って、終わりたいと思います。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/psyaygt9/47381755.html</link>
			<pubDate>Tue, 08 May 2007 08:54:46 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>医療と福祉を市場原理を背景とした政策論議のテーブルに載せるな！</title>
			<description>慈善心や慈悲心・思いやり等がなければ、今日の医療や福祉の発展的姿はお目にかかれなかったように思います。&lt;br /&gt;
　人の命を救おう・人を支えよう・人を助けよう・人と分かち合おうetc&lt;br /&gt;
こんな思いの蓄積が現在の医療と福祉の発展の礎を築いたのではないのでしょうか。&lt;br /&gt;
　ところが無い袖は触れないから、医療や福祉も質量共に低下しても仕方が無いといわんばかりの潮流が、主流になってはいませんでしょうか。&lt;br /&gt;
　病期によってリハビリの保険診療期間に制限を設けてしまう事や、結果的に障害者の社会参加を抑制してしまった障害者自立支援法等は、その一例のように思われます。&lt;br /&gt;
　閑話休題。&lt;br /&gt;
　私見ですが、市場原理は私情優先に陥りやすく、他人様への配慮の欠片もない、潤いの無い砂漠化した社会を創造してしまう悪しき材料のように見受けられてしまいます。&lt;br /&gt;
　私利私欲が最優先するのではなく、無私を心掛け、他人様に配慮してこそ医療や福祉に魂が宿り続けるのではないのでしょうか。&lt;br /&gt;
　国家あっての国民ですし、国民あっての国家でもあります！&lt;br /&gt;
　その国民生活の肝心要となるセーフティーネット、特に医療や福祉が市場原理を尺度として語られるようになっては、国家の未来の鍵を握る国民の心には、希望を抱いた日々と国家の発展に寄与しようとするモチベーションが沸き起こってくるのでしょうか。&lt;br /&gt;
　今一度、特に国民のセーフティーネットの対する政策等に、再考を促したいと思う昨今であります。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/psyaygt9/47351670.html</link>
			<pubDate>Mon, 07 May 2007 06:38:23 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
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