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今更ながら、世間の学級崩壊というのが信じられません。以下は私が通っていた公立中学校の話です。
私の場合、育った地域の学区が、“世間一般で言われる、不祥事を起こした教師がほとぼりが冷めるまで、身を潜めている”処だったので、教師の暴力沙汰(体罰込み)なんて日常茶飯事でした。
例1奉仕活動(草刈)中サボっている生徒に向かって鎌を投げつける。
例2体罰で、足を踏みつけられながら、流血するまで殴りつける。
例3繁華街で教師達が集団で暴れてケツ持ちが学校に来て返り討ちに遭う。
例4生徒が吐くまで走らせる。
例5お礼参りの時期は、教師の車がどういうわけだか毎年大破。全損。レッカー車が風物詩。
と、そんな環境だったので、教師達が恐怖の象徴でした。
そういう環境だと、学級崩壊どころか、苛めも少なく、生徒の憎悪と畏敬が教師に集中するため、ヘンに屈折する生徒もあまり出てきませんでした。ヤンチャはありましたけどね。
まぁ大怪我する程の体罰は問題が有ると思いますが、教師が保護者からの非難を恐れて汲々としているといったような趣旨のテレビのインタビューなんかを見ていると、私の場合、田舎で育ったので、大学に入って上京するまで、私の育った環境が、かなり特殊だったのではないのかとも思いました。また、「君が代」斉唱に関する問題でも、教師達は、日教組である前に、日本人であるという意識があり、卒業式の練習で、歌わない生徒には容赦なく怒鳴りつけていました。進歩的な考え方と、無縁の様な土地柄というのも、そのような環境を作るのに一役買っていたと思います。
ある時、期末テストで、学年の8割以上が集団カンニングをやって、問題になった事件がありました。私もカンニングに誘われましたが、断りました。それは、単純にバレた後の教師の制裁が怖かったからです。でも生徒全体の8割が“バレなきゃ大丈夫”という考えから、“カンニングに加担しないヤツは臆病だ”という考えに変わるのも時間の問題でした。そこでカンニングに加担しないマイノリティに対する同調圧力が働く事は容易に想像できます。それに耐えられなかった人間が望まずともカンニングに加担するという選択肢を選ぶケースも出てきます。生徒同士の団結が、間違った方向に向いてしまった、悲しい事例だと思います。コトが発覚し、教師は生徒一人一人に厳しい口調で詰問しました。
「オマエはやっていないよな!?どうなんだ!?」
私ははっきり否定しました。その時の教師の表情が、安堵と後悔を織り交ぜたようなものだったのを、私は今でも憶えています。その時になって、ようやく、私の中で、教師は怖いだけの存在ではなくなりました。常に生徒に対峙するときに、生徒に緊張感を与える教師の存在感というものが、理想的とまで言わないけれど、ベストではなくベターな要素なのではないかと思います。
特殊すぎる事例なので、申し訳ないですが、皆様からの御意見やご感想、御批判をお待ちしております。
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あれ?これって、まんま前の記事じゃないですか?
2005/3/25(金) 午前 7:22
こんにちは!随分、昔に比べると先生のあり方が変ってしまったようですね。私の担任の先生は竹刀棒を持っていて忘れ物をするとバシっと叩かれていました。だからと言って文句を言う親もいませんでしたし。
2005/3/25(金) 午前 7:26 [ wai*ai*ysn*966 ]
僕の場合は、平和すぎるくらい平和な学校でしたし、親と教師も概ね上手くやっていたので、たまに雑誌などの教育論を読んでいて、親のせいにしてたり教師のせいにしていたりするのを見ると悲しくなります。
2005/3/26(土) 午前 4:43
もちろん今の先生に言いたいことはあります。僕の恩師には、どっちかといったら古いタイプの先生が多かったので。ただ、責任の所在よりも社会として子供にどう向き合うべきかのが、重要ではないかなぁ?生意気言ってすいません。
2005/3/26(土) 午前 4:46
いえいえ、生意気なんて思っていません。みんなが違う感想や考え方を持ち、発言できるのが健全だと私は思うので。こちらこそレス遅くなってごめんなさい。
2005/3/26(土) 午前 5:09
いろんな年代の人が意見を交換できるってのは、それだけですごいですよね。ちなみに、↑僕のコメントが重なっているのはもともと一つのコメントだったからです。催促じゃないですよ(笑)気にしないで下さいね。
2005/3/26(土) 午前 5:34
コメント、ありがとうございました!私の大学でこの前夜回り先生(ご存知ですか?)が講演をしてくださいました。世の中の先生にも捨てた人が居ない事を感じました。でも集団カンニングを断ったpsychatrischerさんは凄いと思います。でもそれほど先生の圧力がすごかったのですかね。教職課程をとってる身としてはなんとも興味のある話です。
2005/3/26(土) 午前 5:41 [ kaj*ba*a20*5 ]
続編は、“暴力教師が事故ったその時私は”です。お楽しみに。
2005/3/27(日) 午前 0:06
コメントありがとうございました。教師のあり方というのは難しいものですね。いろいろ考えさせられました。
2005/4/1(金) 午前 5:55 [ kod**owo*obasu ]
第一に暴力ありきのようですが、それは間違っている。
なぜ、間違っているのかことわけを、教えなければ。何かを、その子は掴んでいる。一度放さなければ正しい事を掴むことができない。
言うだけ言って解ろうとしなければ、わかるまで待つしかない。
失敗した時に、教えてやると解る時が多いです。
体罰は、すべていけない訳でない。
赤ちゃんに、熱いものに触るなと言っても理解できないから、
火傷をしない程度に教えてやると触らないようになる。
針も、怪我をしないように痛いものだと教えてやれば触らなくなる。
時と場合により、最後の手として手をあげる事もあると思います。
先生は師、生徒は弟子。
決して対等な関係ではありません。
敬い尊ぶ心がなければなりません。
先生が間違った事をしたときは、正しく責められれば良いだけの事。
教育現場が、狂っているところを正すだけの事で難しい事ではありません。
2010/2/26(金) 午後 3:18 [ 雅楽平和 ]