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若かりし頃のMYダディ…。
写真は
“終戦後初第一次フィリピン鮫狩りツアー”
私が生まれる前の写真です。
水中銃は、一発外すとアウトなので、
“一射必殺”
です。さもなくば、鮫に喰われて、死にます。
このツアーは、第三次で鮫の餌食になった方が出てしまったため、もう現在では、開催されておりません。
何故鮫を狩りにいったのでしょうか?答えは、
“やってみたら面白そうだったから”
でした。
動物愛護団体が卒倒しそうな一枚ですが、狩った鮫は、魚拓を取るでもなく、試しに、焼いて食ってみたら、アンモニア臭がキツクて、不味かったそうで、この鮫は細切れにして、海に棄ててきたそうです。
久々に写真の父の顔を見て思ったこと。
“私は母親似なんだなぁ”
でした。父の身長は184cm。私は175cm…(涙)
フィリピンで、港までホテルから、タクシーで移動する際に、父から運賃カモろうとした現地人TAXI運転手さん。相手が悪かった。私のお父様(以下ダディ)は、私と正反対で、物凄く短気です。父の学生時代のエピソードで、こんなものがありました。
全共闘の機運が盛り上がっている頃、教室にいきなり入ってきて、アジる運動家に対し、ダディは、
“授業ボイコットだと?フザケンナ!留年したらテメェが責任取れんのかアァ!?”
それに対して、一般的な学生運動家は、
“資本の手先め、今こそ連帯して、うんたらかんたら…以下常套句”
模範解答です。
“黙れ!このクズ!”
T定規で、殴りつけるダディ。(私のダディは工学部)
“貴様!国粋主義者か?権力の手先か!?”
ありがちな反論に対しても、
“俺は勤労学生だ!コノ野郎!”
T定規が折れるまで殴りつける私のダディ…。
ダディは、口より早く手が出る人となりでしたので、幼い頃から、とても怖かったです。
そんなダディ、お気に入りの一枚です。この写真を見た、小学校の同級生達が、私の父を、
“鮫キラー”
と呼んでいたのが懐かしいです。
父は、必至で生きています。というか、私なんかは、こんな恐ろしいツアーに参加しません。
しかし、スキューバー・ダイビングは、こんなダディに徹底的に仕込まれました。ナイフの使い方も教わったし、レギュレーターの動作確認、水中で、メガネが浸水したときの対処法etcetc…。だから、ライセンス取得する時は、インストラクターよりベテランになっていました。
またしても、まとまりがつかなくなってきましたが、この記事に対するご感想や、コメント、また、皆様の心温まる家族エピソードなんかを教えていただけると嬉しいです。
PS風邪はようやく小康状態になってきました。
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