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持統天皇は大津皇子を無実の罪で自害に追い込んでいたため、すぐに草壁皇子を即位させると朝廷内に不満の声が上がると考え、それを避けるために自らが即位したのだといわれています。しかし、息子は大津皇子の死から3年後に即位することなくこの世を去ってしまいます。そして、これがさらなる悲劇を生む複線となるのです。持統天皇は強力なリーダーシップを発揮し、日本は律令国家へと突き進みます。しかし、ここで、この後の歴史にかかわるもう独りの重要人物が登場します。それが、天智天皇の相棒藤原鎌足の息子藤原不比等です。 |
歴史
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歴代天皇百二十五代のうち女性天皇は10代8人(重祚したものが2名)もいます。即位順には聖徳太子の活躍した時代の推古天皇(33代)、大化の改新(乙巳の変)当時の皇極天皇(35代)、斉明天皇(37代 皇極天皇の重祚)、天武天皇の妻で天智天皇の娘である持統天皇(41代)、持統天皇とは異母姉妹で息子嫁になる元明天皇(43代)、元明天皇の娘で文武天皇の姉であり、前天皇の皇后ではなく未婚で天皇になった元正天皇(44代)、そしてはじめての女性皇太子である孝謙天皇(46代)、称徳天皇(48代 孝謙天皇の重祚)、と続き、江戸時代に明正天皇(109代)、後桜町天皇(117代)二人が女性天皇となりました。ここで注目したいのは、万葉の時代つまり7世紀から8世紀の約200年間に8代6人もの女性天皇が即位したことです。昨年愛子内親王の即位を可能にするために審議をするといい物議をかもしましたが、実10%近くの天皇が女性だったのです。しかし、なぜ万葉の時代になぜこうも多くの女性天皇が即位したのでしょうか? |
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