星燭ティアドロップ <前編>その世界は「太陽」と「オーロラ」によって照らされる、それはそれは明るくきらめいた世界でした。
「太陽」の光は強く明るく世界を照らし、その光を受けて澄み切った青空に輝く「オーロラ」はただそこに在るだけで人々の心を救い、たくさんの笑顔を咲かせたものでした。
けれどもそんな世界でただ一つ、きらめくことも輝くこともないものがありました。
それは、「夜」。
「夜」にはなにも輝けるものがありません。「太陽」のような強い光も、「オーロラ」のような優しい色もありません。ただ一面に、真っ黒に塗り潰したような闇が広がっているだけなのです。
故に人々は「夜」を怖がり、遠ざけました。「夜」の前では皆怖がって隠れてしまい、「夜」はいつもひとりぼっちでした。
やがて「夜」自身も心を閉ざし、同じ空に浮かぶ「太陽」や「オーロラ」からも遠ざかりました。
彼らへの憧れを抱きながらも、やはり「夜」は彼らと同じ場所にはいられなかったのです。
それでも人々は、「太陽」と「オーロラ」のお陰で明るく生きることができていました。
けれどそんな日々は、そんな人々の手によって終わりを迎えることになりました。
「太陽」と「オーロラ」が、世界から姿を消したのです。
************
生い茂った草木を掻き分けながら、暗い夜道をただ闇雲に歩き続ける。
一体どこまで行けばいいのか、どこを目指すべきなのか、何もかもが分からない。そればかりか、自分が一体何者でどこから来たのかさえも、今の彼には分からないのだった。
もう数時間は経っただろうか。
気が付いたら果てしなく続く草原の上に立っていて、どこを探しても人どころか建物さえも見つからない上に、自分が誰なのかもまるで分からないという有様だった。心も体も前後不覚で、まるで世界に自分一人だけしか存在していないような錯覚さえ覚えてしまう。
次第に足が疲れて、歩みも重くなってくる。いつからか、心の底にぽっかりと大きな穴が開いたような感覚が広がっていた。
どこか空虚で、どこか悲しい。喪失感にも似たそれはいつから胸中にあったのか、どうしてか心に馴染んでいるような気がして、それが余計にむなしかった。
何処へ行っても、誰も居ない。何処を目指しても、誰にも会えない。
もう、歩みを止めてしまおうか。疲労に震える足が弱気に止まりかけた刹那、凛とした優しい声が彼を呼んだ。
「あなた……」
足が止まった。見ると、いつの間にか目の前に女性が立っている。頭まで被った外套で髪の色は伺い知れないが、きれいな色をした瞳がこちらを向いているのだけは分かった。
女性は驚いたような表情で、息を飲んでこちらを見つめている。やがて大きく見開かれた瞳から、ぽろりと一筋の涙がこぼれた。
ひどくきれいなその雫に、ひととき目を奪われる。
きれいだと思った。それと同時に、そんな顔をしてほしくないとも思った。
けれどもその理由さえも、今の彼には分からないままだった。
「ああ…ようやく、ようやく見つけた…っ!」
感情に引っ張られてか覚束ない足取りで駆け寄ってきた女性に、ふわりと抱き締められる。彼女を包む夜色の外套が頬に触れて、彼は味わったことのない柔らかさに戸惑った。
何も分からない彼には、彼女が誰で、自分の何であるのかも当然ながら分からなかった。
それを彼女に問おうとして、はたと思い至る。
声とは、どのようにして出すのだったか?
「問う」とは、どのような行為だっただろうか?
それまで気にも留めていなかった疑問が次々と溢れ、混乱する。乏しすぎる情報が今の状況に追い付かず、彼はどうすればいいのか全く分からなくなった。
そんな彼の様子が気になったのか、それまで彼を抱き締めていた女性が僅かに身を離して目を合わせてくる。
「…だいじょうぶ」
そのまま、優しい表情で髪を撫でられた。
さらりとした優しい感触に触れられて初めて、彼は自分の髪色が異質であったことに気が付いた。
周囲にある色をそのまま写し取る、鏡のような色の髪。本来の色がそこに映ることはなく、硝子のような透明さがあるのみの異質な色だった。
「だいじょうぶ…だいじょうぶよ。怖がらなくっても平気。私がいるから…もう、1人にはしないから…」
慈しむように、労わるように、女性は何度も彼の髪を撫でる。色が透き通り、夜の色をそのまま映し出してしまう虚像にも似た異質な髪を、女性は愛おしそうに撫でていた。
1人にはしないと、大丈夫だと、紡がれたその言葉の意味も分からない筈なのに、どうしてか満たされたようなふわりとした気持ちになった。嬉しいような、悲しいような、どっち付かずのちぐはぐな感情が溢れて止まらなくなり、涙が零れそうになった。
「……ルースト」
けれども彼から零れたのは、涙ではなく言葉だった。あれほど混乱していた筈の言葉をしっかりと紡げたことに、彼自身が一番驚いていた。
女性はその言葉を受けて、どこか物憂げに目を伏せる。
「そう…それが、あなたの名前…なのね?」
どこか物悲し気な彼女に、彼は何も言えなかった。“ルースト”というのが本当に自分の名前なのかどうかすらも判断がつかないほどに、彼には何もなかった。
「……来て。あなたがわからないこと、教えてあげるから」
女性は彼の手を取ると、果てのない草原を歩き始めた。彼女に引っ張られて、彼もおずおずと歩み始める。いつの間にやら、あれほど感じていた疲労が嘘のように抜けていた。
自分が誰なのかも、この女性が何者であるのかも、相変わらず分からない。
けれども彼は、彼女の手を振りほどくことだけはどうしてもできなかった。
彼の胸に刻み込まれていたのは、自分の為に涙を流した、あのきれいな瞳。
憂いを帯びていてもなお、彼女の瞳はきれいだった。
************
彼女に連れてこられたのは、朽ちた天文台だった。本来の役割を失って久しいのか外観はどこか頼りないほどに廃れていて、壁のところどころにはツタが伸びている。室内にある家具もうっすらと埃をかぶっていて、生活感がまるで感じられなかった。
そんな寂しげな天文台の、中ほどまで来ただろうか。それまでと比べて埃のないソファやテーブルが置かれた部屋に入った所で、ずっとルーストの手を握って先導していた女性が立ち止まった。
「……わたしを、知っているかしら?」
ゆっくりと振り返ると、女性はどこか不安げな表情で問うてくる。眉を下げたその顔を見るとどうしてか胸が締め付けられるというのに、ルーストにはその痛みの理由も種類も分からなかった。
何も分からない。出逢ってからずっと心揺さぶられ、きっと知らない筈はないだろう彼女のことが、何も。
ふるふると首を振ったルーストに、女性が小さな息を吐いて更に眉を下げる。不安から悲しみへと色を変えた彼女を見て、ルーストは何も分からない自分を呪った。
「ごめんなさい。何も分からなくて不安なのは、あなたの方よね」
歯噛みしたルーストの様子に気付いた女性は努めて明るく微笑んでソファへと腰かけ、彼に隣へ座るように手で促した。
どのように振る舞えばいいのかも分からず、迷った挙句に拳一つ分ほど距離を空けて隣へと座る。理由の分からない戸惑いから視線を中空に彷徨わせていると、女性の柔らかな声がした。
「目を閉じて」
素直に瞼を下ろす。視界が遮られ、目の前が一面の黒に染まった。
そこには草原を彷徨っていた時のような恐怖や焦りはなく、ただ彼女の言葉だけが優しく下りてくる。
どこか懐かしく、そして悲しくも思えるような空間だった。
「聞かせてあげる。あなたの知りたいこと…一つずつ」
ゆったりとした口調にはどこか凛とした力のようなものを感じて、何かに満たされていくような感覚がする。初めて味わう筈のそれはひどく心地良くて、ルーストは慣れないそれに迷いなく身を委ねた。
彼女の声が、どこか遠くから聞こえてくる。
≪昔、この世界はとっても明るいところだったの≫
≪「太陽」と、「オーロラ」……二つの光が、世界の全てを照らしていた≫
≪「オーロラ」は、自分一人じゃ輝くことはできなかったけど≫
≪「太陽」に照らしてもらえば、いつだって優しい光を放つことができた≫
≪けれど、世界で長く激しい戦争が続いて…大地はどんどん疲れ果てていった≫
≪それは「太陽」や「オーロラ」も同じで…≫
≪特に「太陽」は、いつか平和が訪れることを願って、身を削ってまで世界を照らし続けた≫
≪けれど、限界が訪れた≫
≪平和を願って身を粉にし続けた「太陽」は、力を使い果たして消滅してしまった≫
≪「太陽」がいなくなったことで、「オーロラ」も弱っていった≫
≪「オーロラ」は、1人だけじゃ輝けないから≫
≪そんな中で、弱っていく「オーロラ」を助けようとした子が居たわ≫
≪それは空を染め上げるもう一人…「夜」≫
≪「夜」は輝けるものを何も持っていなかった≫
≪「夜」にあるのは、真っ黒な一面の闇だけ≫
≪だから人々から怖がられて、嫌われて…「夜」はいつも一人ぼっちだった≫
≪だけど、「夜」は「オーロラ」を放っておけなかった≫
≪「夜」は「オーロラ」に消えてほしくなかった≫
≪だけど、輝けない「夜」にはなにもできなくて…≫
≪力を失った「オーロラ」は、地上へ落ちてしまった≫
≪「夜」は泣いたわ。何もできなかった自分を責めて、一人ぼっちで泣いた≫
≪するとその涙は一つの星になって、輝きを放ったの≫
≪それを見た「夜」は気が付いた。この光なら、「オーロラ」の輝きを取り戻せるって≫
≪幸か不幸か、「夜」はいくら泣いても足りないくらいに悲しんでいた≫
≪「夜」にとって、それだけ「オーロラ」は大切だったのよ≫
≪流れた「夜」の涙は次々と輝き、やがて空は満天の星に満たされた≫
≪けれど涙を流し続けた代償として、「夜」はどこもかしこも疲れてしまった≫
≪それでも「夜」は消えてしまいそうな自分を叱咤して、「オーロラ」を探し始めたの≫
≪自ら地上に降りて…空が輝いた今なら、「オーロラ」を迎えに行けると信じて≫
≪そうしてずっと長い間、「オーロラ」を探し続けていたの≫
彼女の言葉は優しく、彼女の声は心地良く、深く静かに胸に広がって溶けていった。
その声の中に秘められた凛とした音色に導かれて、意識が徐々に暗闇の中へと落ちていく。
辺り一面に広がるのが暗闇しかなくても、彼女の声がそこに在るだけで、それは居心地が良いものへと変わっていた。
やがて眠りに落ちた意識の向こうで、彼女が微笑んだような気がした。
主人公が一言しか喋らない創作なんてかつてあっただろうか(o・ω・o) 思い付きで見切り発車しました新しいお星さま創作です。後編になればルーストももっと喋る!はず!
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