8章【叛逆の足音】トラオアー大川を越えた帝国軍は、グランツ大橋から程近い場所にある小さな村を占拠して進軍の為の拠点とした。帝国の主義に則り、女子供関係なしに逆らう村民を全て皆殺しにした上で無抵抗の者は捕虜として倉庫に閉じ込めた。
それが褒められた事ではないと、アーベントにも分かっている。けれどそれだけで止まれないのが現実だ。
理想や綺麗事だけで動いていては、いつかきっと痛い目を見る。
(あの、愚かな兄のように――)
以前は村長の邸宅として使われていたのであろう家屋の寝室で、アーベントは血が滲むような夢から目覚めた。このミローネ村の制圧後にライルの勧めで仮眠を取り始めた頃には沈みかけだった太陽は、もうすっかり山の向こうに隠れてしまっている。
夕焼けさえも過ぎ去った闇の中で再び血染めの夢を見る気にはなれず、アーベントは体を起こしてベッドに腰掛け、大きく息を吐いた。意図せず震えた吐息に舌を打つ。
「まだ、怯えているのか……僕は、」
思えばあの日から、安らかな夢など一度も見たことが無かった。いつだって現れるのは疑念と忌むべき記憶だけで、平穏な目覚めなど経験したことがない。
あの牢屋から出られたというのに、アーベントの時間は10数年前で止まったままだった。
――俺は、お前にこれ以上殺し合いをして欲しくないんだ
深く項垂れたアーベントの脳裏に浮かぶのは、あの時対峙した兄の言葉。いやに鮮明なそれに空吐きのような不快感が沸き上がり、先ほどよりも大きな舌打ちが零れた。
「……偽善者め」
知らぬうちに口にしていた己の声の、その冷たさがいやに耳に残る。
いつからだろうか。兄の姿が、兄の言葉が、記憶の中にあるその全てにさえも敵意と憎悪を抱くようになったのは。少なくとも昔は慕っていた筈のあの男を、心の底から憎むようになったきっかけは―――
『考える程のことか?』
「――ッ!?」
不意に聞こえたのは、ノイズのようなおどろおどろしい声だった。
誰のものともつかないそれは、アーベント自身のもののようにも、まったく別の誰かの声のようにも聞こえる。けれど兄に対するような不快感はなく、むしろとても馴染み深いものでもあるような、不思議な声だった。
『今見据えるべきは未来だ。あの兄を殺す未来だ。過去の些事など殺意の燃料にしてしまえ。
それとも、今更になってあの兄に絆されでもしたのか?』
「違う!」
反射的に顔を上げると、アーベントから少しだけ離れた場所に人型の黒い影が居た。
不定形で輪郭が曖昧なその影は、塗り潰されたように真っ黒で正体が分からない。けれどアーベントの目を真っ直ぐに見据えている事だけは何故だか分かった。
「僕はあの兄を殺し、あの国を滅ぼし、復讐を果たすと決めた。絆されてなどいない!」
『ならば過去を振り返る必要はない。あの兄の言葉に耳を貸す必要も、説得に応じる必要さえない。どうせあの兄の言葉は全てが嘘で、全てが偽善なのだから』
影はぴくりとも動かない。まるで静止画のように佇むその姿からは一切の生気を感じられない。
その分だけ、ノイズのような声にはアーベントの心を掴む何かがあった。
『あの兄は、また騙そうとしているんだ。嘘を吐いている。優しいふりをして、いつかは裏切り算段を立てている。
だってそうだろう?嘘を吐いていないのなら……ほんとうに想っているのなら、』
「……どうして、」
『「どうしてあの時、助けるなんて嘘を吐いて、僕を見捨てたんだ」』
影が満足げににやりと笑った、ような気がした。塗り潰されて見えない筈の影の感情が、アーベントには手に取るように分かった。
『ならばもう、過去を振り返る必要はない。それは全て殺意に費やせ』
その言葉を聞かせる為に、この影は目に見える形となって自分の前に現れたのだろう。
影の存在が希薄になっていくような気がして、アーベントの意識が一瞬薄れる。視界もおぼつかなくなった時、また別の声がした。
「…アーベント?」
影とは違うはっきりとした肉声に、アーベントは暫し呆然とした。一度瞬きをすればさっきまで存在していた影は姿を消していて、影が居た場所には一人の青年が立っていた。どこも塗り潰されてなど居ない、れっきとした人間だった。
「どうしたんだい、ボーッとして…大丈夫なの?」
眉を寄せてこちらを伺う青年は、リムネ・ヒュドロコオス。アルパイン・ブルーの髪が特徴的な若い魔術師で、援軍を率いてアーベントたちの隊に合流する予定の人物だった。
我に返ったアーベントは慌てて目を擦ると、目の前の同い年の彼に小さく答える。
「ああ…ああ、大丈夫だ。すまない」
「何だそれ。…ま、きみは昔から頑張りすぎだからなあ。寝ぼけるくらいが丁度良いのかも」
目頭を抑えて先ほどまでの影の名残を消そうとするアーベントに、リムネは呆れたように小さく笑った。彼は帝国に来てから初めてできたアーベントの友人であり、ライルやプリエールと同じくアーベントの過去を知る数少ない人物だった。そのため、どこか軽い調子の声には遠慮は一切ない。
「ふざけたことを言うな。立場のある人間が、そうそう寝ぼけていられるか」
「それだけ張り切りすぎなんだよ。……あの国が相手じゃ、無理もないけど」
リムネは小さく笑うと、薄く浮かべていた笑みを納めた。現れた真剣な眼差しに、自然とアーベントの身体に力が入る。
そこに込められていたのは、戦いの気配だった。
「アーベント。きみが寝ぼけていないのなら、頭に留めておいてもらいたいことがある」
「……なんだ?」
「王国軍の撤退が早すぎる。いくら初動が遅れたとはいえ、この早さは変だよ。近々、王国軍が何かやらかすかもしれない」
「お前が曖昧な言い方をするのは珍しいな。何かたしかな根拠でもあるのか?」
アーベントはベッドから立ち上がると、外していた鎧を身に着ける。すっかり休息を諦めたのだと悟ったのか、リムネはため息交じりに続けた。
「援軍に来るついでに、偵察部隊を出してたんだ。王国軍は撤退する毎に、各地に何か細工を施して、監視までつけてる。詳細は今も探らせている最中だけどね。それと……」
次に続けられた言葉を聞いて、アーベントは思わず部屋を飛び出して走った。
「プリエール!」
ミローネ村から北東に向かう出口に、偵察部隊の第二陣が待機していた。これからリムネが差し向けた偵察部隊の元へ向かい、彼らと交代するのだろう。
そしてその中には、プリエール・アクアプリートの姿もあった。
「アーベント様!」
プリエールは走ってきたアーベントの姿を見て破顔する。戦場には似つかわしくないその笑みに、アーベントは心が痛んだ。
「何故だ、プリエール。君までもが偵察部隊に加わっていく必要はない。君は殺し合いをするためにこの行軍に参加した訳じゃないだろう!」
「いえ、アーベント様」
プリエールはそっと胸に手を当てて、薄くやわらかい笑みを浮かべた。どこまでも優しいそれは、やはり戦場に在るべきものではない。
「大丈夫です、アーベント様。私、私にしかできないことを見つけたいんです。そして、できることはすべてやりたい……それで少しでも、あなたが楽になるなら」
「どうしてだ…偵察部隊とはいえ、もしものことがあったら、君は死ぬかもしれないんだぞ!?」
アーベントの言葉を聞いて、プリエールが困ったように笑う。その笑みに含まれた覚悟が見え隠れしているのが分かって、それでもアーベントは言い募らずにはいられなかった。
泥沼の人生を歩んでいる自分が危険に晒されるならまだしも、やっと幸せを手に入れた筈の彼女が尚も危険な目に遭うなんて耐えられない。彼女にはそれまで不幸だった分だけ幸せでいて欲しかった。
その感情の源が何であるか、まだアーベントは分かっていない。
「プリエール、無理をしているのならやめてくれ。君が危険を冒す必要はない!」
「……アーベント様の護衛としてついて来た私が、こうしてあなたの傍を離れるのは…メイドとしても、護衛としても失格なのかもしれません。それでも私は、何かせずにはいられないんです。私の為に、あなたの為に」
「…どうして、そこまで」
その言葉に、アーベントは呆然とした。彼女がどうしてそこまでするのか分からなかった。
人見知りで引っ込み思案だがメイドとしての仕事は人一倍にこなしてくれる一生懸命な子だ。だからといって、ただの義務感や責任感だけでここまで出来るものではない。
プリエールはアーベントの疑問には答えず、ただ静かに笑って言った。
「信じて下さい、アーベント様。必ずあなたの所へ帰ってきます。帝国のメイドは、戦闘訓練だって積んでますから…きっと大丈夫です。約束します」
「プリエール……」
アーベントには、もう何も言えなかった。プリエールの笑顔には決意も覚悟も充分過ぎる程に満たされていて、何を言っても止められそうになかった。
やがて、偵察部隊の出発の時間がやってくる。プリエールは姿勢を正し、恭しく一礼した。
「では、行って参ります」
強く拳を握りしめた。それでも引き止めることはもう出来なかった。戦場へ向かう決意も覚悟も、アーベントはよく分かっていたから。
護衛としてずっとその目で戦場を見つめていたプリエールが、それでも向かいたいと言うのであれば、これ以上引き止めることは出来なかった。
「……待っている」
ようやくそれだけを絞り出すと、プリエールは笑って頷いた。晴れやかなその笑顔には、一切の曇りも無かった。
************
「どういうつもり?」
プリエールを見送るアーベントの遥か後方、家屋の影にもたれ掛かる人影が二つあった。
一つは援軍として到着したばかりの魔術師リムネ・ヒュドロコオス。そしてもう一つは、軍師ライル・マースカ。二人は影に隠れて言葉を交わしながら、決して目を合わせようとはしていない。
「プリエールをそそのかして偵察部隊に同行させたのはお前だろ、ライル」
「そそのかしたとは人聞きの悪い。貴方に余計なことをされないようにしたまでのことです」
ライルの言葉に、リムネが苦々しく眉を吊り上げる。不愉快さを隠そうともしないその様子を盗み見て、ライルが苦笑した。
「あまり殿下を苦しませないでもらいたいですな。せっかく私が手を尽くしているというのに、貴方に妙な企みをされてはたまらない」
「…いつから気付いてた」
「はじめから。昔、貴方と初めて顔を合わせたその瞬間から、貴方はなにか企んでくるだろうなと予想はしていましたよ。ですがまあ、私も貴方の思い通りにさせる訳にはいかないもので」
リムネがいっそう顔をしかめる。ついに自分を睨みつけたその視線に、ライルはあくまでも笑って返した。
「お互い、この場で事を荒立てたくはないでしょう。貴方のことは、後でじっくりと決着をつけるとします。その時まで首を洗っていると良い」
どこまでも飄々とした調子を崩さないその言葉に、今度はリムネが笑みを浮かべた。
アーベントに向けていたものとは違う、どこまでも敵意に満ちた笑みだった。
「…どっちが」
8章です(o・ω・o)新キャラです(o・ω・o)
そろそろ中盤の山場に差し掛かるのでがんばるます(`・ω・´)
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新キャラ登場!味方っぽいけど敵っぽくもある。いったいどっちなんだ・・・?帝国も一枚岩ではないのでしょうか。
プリエールちゃんにものすごくフラグが立ってる気がしてめっちゃ不安です。無事に帰ってきてくれ〜(>人<*)
2019/4/30(火) 午後 9:51 [ 大和 ]