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帯状疱疹という名のウイルスを抱えて劇場に出かけてはみるものの、
「なんでこんなものをいま?」
と思うものや、
「ああ、歴史の勉強か」
というもの、さらには、
何のために外国の演出家を使うのか分からないものまで、どうにもパッとしない。
暑い。
なのに、暑気払いになるような舞台に一向に出会わないというのが辛い。
体によかろうはずがない。
で、とうとう海野弘の『二十世紀』(文芸春秋社)を読み終えた。
(表紙の「二十世紀」の「二」が写っていないのは、「二」が金箔のため。念のため)
いやあ、面白かった。
半端ではない情報量。
それを俯瞰する知力。
20世紀を10年ごとにデケイド(輪切りに)して、さらにこれを19世紀末と対比するという力技。
それも、政治・経済・芸術・風俗を含めての考察力はなまなかなものではない。
海野弘ならではの仕事だろう。
できれば、大学の「教科書」にしたいくらいだ。
しかし、無理だろう。
教えられる人がいるかどうか。
いたとして、いまの大学のように「半年」区切りの講義形態では掘り下げることなどとても出来ないからだ。
ところで、帯状疱疹という病気、元を正せば「水疱瘡」の残党。
壊滅したと思われた残党が体内に潜伏、免疫力の低下した時を狙って突如、襲い掛かるところなぞ、まさに現実の「歴史」そのもの。
第2次大戦の導火線は第1次大戦の戦後処理の中途半端さから導かれたように、あるいは冷戦後の民族戦争、テロも淵源をたぐれば病巣は国際政治・経済の御都合主義にあったりするようにだ。
冷戦後の大きな物語の消失とポストモダニズムの問題も、グローバリズムの問題も、その作用としてのネオ・ナショナリズムの問題の淵源も、この1冊で大まかなところは知ることができる。
もちろん、演劇や美術、音楽シーンもこれとは無縁ではない。
608ページ。
読みでは十分だ。
その最後に海野はこう記す。
「20世紀のさまざまな出来事はまだ終わっていないし、片付いてもいない。……だがそれなのになぜ、私たちは歴史を見ないのか。または見えないのか。おそらくその1つの原因は、私たちが、今、目前に見えるもの、たとえば、テレビ、パソコン、携帯電話などの画面にとらえられ、見入っているからではないだろうか。」
フラット(平面)化された思考。
見えるものだけを信じる思考。
そこには奥行きも陰影もない。
その場しのぎの生き方。
リスクを負わない、無責任さ。
そこでは、歴史ははるか彼方の無関係なものとなる。
そして、帯状疱疹ならぬ、歴史の逆襲を無意識に準備することになるのだ。
ナム!
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