|
ふと目に止まった。
「なんだ、これは」
『仏果を得ず』(双葉文庫)とは?
見ると、作者は三浦しをんだ。
『まほろ駅前多田便利軒』は知っているが、「ぶっか」とは?
よせばいいのに、タイトルに惹かれて読んでしまったのだ、これを。
おかげで、
「むむ、うふふ、ぐぐ」
となった。
面白いのだ。
しかも世界は「浄瑠璃」だ。
義太夫の語りに魅せられ、深間にはまってしまった若者の芸と恋のダッチロールが展開し、たちまち、
「おお、そうそう」
となってしまったのである。
主人公の名が「健」だったのもよくなかった。
本当は「たける」と読むのだが、「ケン」と書かれると、つい、
「己がことか」
と思うのがケンさんの悪い癖。
虚と実がたちまち見分けられなくなって、どっぷり浸かってしまったのだ。
「たける」は「文楽バカや」けど、ケンさんは「批評バカや」。
バカはすぐにシンクロする。
「仏に義太夫が語れるか」
と「たける」がいえば、ケンさんはケンさんで、
「そや、仏に批評ができるか」
と思うのである。
あげく、早野勘平ならずとも、
「ヤア仏果とは穢らはし。死なぬ死なぬ。魂魄この土に止まつて、敵討ちの御供する!」
のが、
「筋というもの。仏果なんかいらねえよ」
とも思うのである。
読みおえたケンさんは、早速、これを「演劇史」の「面白本」に取り上げることにした。
義太夫と三味線と人形が一体となって繰り広げるマカ不思議な不条理世界が、いまとつながり、人形浄瑠璃の世界を堪能させてくれるからである。
しかし、実はもう一つケンさんが惹かれたのは「たける」の大阪の住まい。
なんとこれがお寺の隣にある「ラブリー・パペット」という名のラブホテルの一室。
生と死のあわいに住む。
「いいなあ」
と思うのである。
ナム。
|
竹林図書館
[ リスト | 詳細 ]
|
桜井郁子さんの新著『郁子ひとり旅 ロシア演劇に魅せられて』を読んで、つくづく人生とは面白いものだと思った。そんなつもりはなくとも、人は知らず知らずのうちにミッションを背負ってしまうのかもしれない、そう思ったのである。もちろん、誰もがミッションを意識するわけではないが、幸か不幸か、桜井さんはそれを担ってしまった。
そのミッションとはロシア演劇の魅力とそこに生きる人々の生き様を伝えることである。演劇とはまったく無縁な高校の数学教師が、ロシア語を独習し、一九七〇年九月から翌年七月までロシアに留学し、ロシア演劇に出会うことになる。もし、桜井さんがロシア語ではなくほかの語学を選んだのであれば、今日の桜井郁子は存在しなかっただろう。ところが、彼女はロシア語を学び、演劇に出会ってしまった。それも、飛び切りの舞台と演劇人たちに遭遇してしまったのである。
その演劇人とは、今は亡き名演出家トフストノーゴフと名優レーベジェフだ。トフストノーゴフは後期スタニスラフスキーの演劇理論を実践、数々の傑作をものしたボリショイ・ドラマ劇場の演出家(邦訳に『演出家の仕事』理論社がある)。一方、レーベジェフは、スターリン時代、牧師の子として生まれたため筆舌に尽くしがたい辛酸をなめながらそれを秘して俳優となった人である。
『ある馬の物語』(演出・トフストノーゴフ)はレーベジェフの代表作だ。その苦難の人生については桜井さんが翻訳した『妹』(せせらぎ書房)に詳しいが、とにかく、彼が舞台に登場した瞬間、そこに一頭の馬が実在したことに私たちは圧倒された。ちょっとした仕種、たたずまい、いななきが馬そのものとなり、それはまた彼自身でもあったからだ。この戯曲、過去何度か日本の劇団でも上演されたが、とても太刀打ちできるものではなかった。演技力の差が歴然としてしまうのである。彼女は、そういう名演出家・名優と出会い、そこからさらに交友が広がり、その舞台評や演劇情報を書き、戯曲翻訳をも手がけることになる。その主なものを挙げれば、『ある馬の物語』『上の息子』『蝿の王』『犬の心臓』『牛乳屋テヴィエ物語』『台本 罪と罰』『妹』など数多くに上る。
しかし、なんといってもこの本の面白さは、自分の人生をたどりながら、私たちがもはや見ることも会うこともできない多くの演劇人が創り出した名舞台の数々を、その出会いのエピソードも含め愛情豊かに生き生きと伝えていることにある。名匠フォメンコやエーフロス、ヴァムビーロフやガーリン、レフ・ドージン、さらにはオムスク・ドラマ劇場の演出家ぺトロフ(『砂の女』で黄金のマスク賞を受賞)、いまモスクワで最も活躍している演出家のジェノヴァチ(フォメンコの教え子の一人)、ギンカスなど、その交友の広さはなまなかなロシア文学者のかなうところではない。
それが可能となったのは、桜井さんの文章からも分かるように、何の予断・偏見もなくするりと相手の舞台・作品に入り込み、正直に自分の感想を伝えた、その真摯さゆえだ。演劇に対する愛といってもいい。その気持ちが相手の心を開かせ、多くの言葉を引き出し、友情を育んだのである。
本書にはロシア演劇のみならず、さまざまな若き日の内外の旅行記も織り込まれている。なかでも、冒頭近くに挟み込まれた原水爆禁止世界大会第一回に参加したレポートはぜひ若い人たちにも読んでもらいたい一文である。どんなことにも表と裏、光と影がある。桜井さんの目はそれを見逃さない。これはロシア演劇に関してもそうだ。曇りのない目。桜井さんの文章の底にあるのはこの目である。
この本が、先に上梓された『わが愛のロシア演劇』(影書房)や『チェーホフ、チェーホフ!』(影書房)とも異なる魅力を放っているのは、そこにある。自分史とロシア演劇が分かちがたく絡み合い、演劇が人と人、時代と人間の生活の上に成り立っていることを物語っているからである。ロシア演劇の過去・現在、さらには日本演劇とロシア演劇の交流史を知る上でも得がたい1冊であることは間違いない。(初出「図書新聞」2014年9月27日号)
|
|
今年(二〇一四年)は「築地小劇場」創設九〇年目に当たる。関東大震災の翌年、忽然と誕生したこの劇場はわが国初めての「非営利」を標榜した小劇場であり、劇場と劇団が一体となったユニークなものだった。いまならさしずめ日本版リージョナル・シアターといったところだろう。この劇場を創ったのが後にソ連に亡命「赤い伯爵」と呼ばれた土方与志だが、その土方の生涯を通観した津上忠さんの『評伝 演出家 土方与志』が上梓された。まさに時宜を得た出版といえる。
とはいえ、「津上さんが土方を?」。最初、これを意外な組み合わせと思ったことも確かだ。まさか、若かりし時、津上さんが土方の演出助手を務め、それが縁となって津上さんが演劇の世界に足を踏み入れることになったとは知らなかったからである。不明を恥じるほかはないが、それにしてもと思ったのは、いまこの時期にこの本が出版されたことの意味である。ほかの時ではなく、築地小劇場創立九〇年のいまこの本が出されたことには津上さん自身の年齢(今年九〇歳)もあるが、それだけでなくいま伝えておかなければ、と思うことがあったのでは、ということである。
もちろん、津上さんはそんなことは声高には語っていない。けれども、本書が、一九四五年の「シヤクホウスグ ニムカヘコラレタシミヤギ ケイムショ」という一通の電文から始められていることを見れば、その狙いが単に築地小劇場の創立者・土方与志を顕彰するためではなく戦後日本演劇の検証をも意図してのものであることは明らかだろう。通常なら、土方の生い立ちから始まり、編年体で記述されるところだが、津上さんの記述はそれとは異なる経路をたどるのだ。
起点を終戦直後に置き、そこから『なすの夜ばなし』などを閲歴しながら土方の幼少期・青年期をたどり、維新の元勲の一人であり宮内大臣も務めた祖父・久元のこと、小山内薫との出会い、一九二二年のヨーロッパ遊学の経緯、さらには関東大震災を知ってのモスクワ経由での帰国。そして築地小劇場創設と解散のいきさつ、さらにはソ連への脱出と、スターリン体制による国外退去、ヨーロッパ彷徨、帰国しての逮捕・投獄から一転、戦後に戻り、晩年までの土方の波乱万丈の生涯を描いてしまうのである。
なぜ、こうした記述を行なったのか。もちろんそれは津上さんの土方との出会いが戦後にあり、親しく交わったからということもあろうが、私が本書を読んで思ったのは、土方が、戦後日本共産党の五〇年問題をも含め、変転する政治情勢とそれに翻弄される演劇界の中で、誰よりも誠実に日本の演劇のあるべき姿、方向性を模索した人間であることを記したかったからではないのかということだ。
たとえば、第一二章で指摘されている西沢隆二(ぬやまひろし)らの、演劇を政治宣伝の媒体にしか捉えていない政策に対して「昨日、今日学んだばかりの拙い芸ではダメなのだ」という土方の反論。あるいは、中演(青共中央演劇学校)でのスタニスラフスキー・システムの基本的な教育を重視していたこと、しかもその内容は当時あまり知られていなかった後期スタニスラフスキーの「身体的行動」をも加味したものだったことにも示される。
スタ・シスが演劇教育法であってイデオロギーではないことはいうまでもないことだが、当時は必ずしもそうは理解されていなかった。政治が絡み、社会主義リアリズムの演劇的実践と見なされていたのである。五五年の「スタ・シス論争」を見てもそれは明らかだ。土方は、その不当な理解のされかたをソ連でも戦後日本でも幾度となく味わったのである。
同じことはメイエルホリドについても言える。千田是也の「メイエルホリドの再評価の仕事もやっていただけたらどんなによかったろう」という言葉が一四章で紹介されているが、それは後でいえることであって、当時はそう簡単にいえることではなかった。それは、土方同様、メイエルホリドに私淑していた佐野碩がメキシコでなぜメイエルホリド流の演劇を実践できなかったのかを見ても分かるだろう。事実、津上さんも指摘しているように、戦後、土方にも「メイエルホリドの影響を受けた形式主義的な演出者だ」という批判が浴びせられ、土方はそれを「気にして苦悩し」ていたのである。
この他、本書には、一九五七年の訪中代表団の団長を務めたことや最後の演出作品となった五八年の花田清輝の『泥棒物語』までが事細かに記されているが、そこから伝わってくるのは、その誠実さゆえにあえて孤独を甘受した土方の姿である。その孤独とジレンマを、身近にいた津上さんはほかの誰よりも感じていたに違いない。その師の仕事、波乱に富んだ人生を津上さんは心を込めて本書に刻んだのである。
土方が亡くなったのは一九五九年。翌年、安保闘争が起き、やがて唐十郎、寺山修司、鈴木忠志などの小劇場第一世代が現れることになる。そしていまや、自己流の演劇が跋扈し、歴史は捨て去られている。自分たちがどこから来てどこへ行くのか。それを知るためにも本書がより多くの人に読まれることを願わずにはいられない。(初出「季論21」2014年秋号)
|
|
8月1日早朝、ケンさんは藤本恵子さんの『築地にひびく銅鑼』(TBSブリタニカ)を読み終えた。
広島の原爆で命を失った築地小劇場の名優・丸山定夫の生涯を描いた小説である。
演劇ファンなら井上ひさしの戯曲「紙屋町さくらホテル」でおなじみだろう。
しかし、井上の戯曲は広島で散った桜隊の群像劇、虚構も多い。
丸山のことが詳しく書かれているわけでもない。
いや、井上だけでなく、ほかの演劇史関係の本でも、その名は出てきても、その人となり、どんな人間だったのかとなると隔靴掻痒である。
ケンさんは、そのことをこの本でやっと知ることができた。
感謝感激である。
もちろん、小説だから虚構は入っている。
丸山自身が書き残したものが多くあるわけではなく、手に入るのは「遺稿集」ぐらいのものだ。
丸山を知る人もいまではほとんどいない。
作者の藤本さんも同じ壁にぶつかっただろうことは、この本を読んでいてもよく分かる。
藤本さんが、最初、評伝をと思いつつ、やはりこれは小説に、と思ったのも当然といえば当然かもしれない。
それはともかく、まず、ケンさんが「あれっ」と思ったのは、丸山が、ケンさんも大好きな松山の生まれだったことだ。
1901年5月31日、松山生まれ。
父は「海南新聞」の主筆だったが、彼が小学2年生の時に亡くなり、その後は母親の手で育てられた。
兄が3人、妹が1人の4人兄妹だった。(長兄は耳鼻咽喉科の医師、次兄は歯医者)
小学校時代の友人には柳瀬正夢がいた。
放浪癖のあった丸山は、16歳で松山を飛び出し、福岡へ、さらに京都、博多、広島へと移り住む。
やがて、オペラに目覚め、広島で活躍する大津賀八郎の「青い鳥歌劇団」に入団。
このくだりを読んで、ケンさんは、
「え、広島」
「『天辺塔』の広島か」
と、これまた懐かしい気分にさせられたのである。
この後、丸山は、東京に出て、浅草オペラの森歌劇団で、あの「エノケン」こと榎本健一に出会うことになる。
そして、震災。
運命の1924年5月がやってくる。
丸山は、歌劇団の稽古室のオルガンのそばに落ちていた1枚のハガキを目にする。
「築地小劇場の挨拶状」である。
これを読んだ丸山は土方与志の門を叩いた。
いや、実際には土方邸の前まで行って何度も引き返している。
やっと踏ん切りがついて土方に会ったのは4回目のことだ。
想像以上の立派なお屋敷に緊張してしまったのである。
ふと目にした1枚のハガキ。
これが、新劇の団十郎・丸山定夫誕生の引き金となったわけだ。
おっと、こんな紹介をしていたのでは埒が明かない。
飛ぼう!
築地時代とその後の離合集散は省略だ。(ごめん)
丸山率いる苦楽座移動演劇隊「桜隊」は、1945年6月から広島を根拠地に活動することになる。
広島を活動場所に選んだのは、丸山自身だった。
彼の故郷に近く、なじみがあったからだ。
しかし、原爆投下4日前に、同じ広島の宿舎(堀川町にあった移動演劇連盟中国出張所)にいた珊瑚座が厳島に移動、桜隊も移動を誘われながら広島にとどまったことが、よもや命を縮めることになろうとは。
丸山は、当日、園井恵子が運んでくれた朝食を食べた直後に被爆。
最期を厳島の存光寺で迎えた。
終戦の玉音放送を聞いたその翌日、一人静かに瞑目したという。
細川和歌子(細川ちか子)との結婚、関原利江との出会い、最後の女性となった梅原房子とのこと。
さらには、小山内薫、土方与志、八田基夫、薄田研二、三好十郎、山本安英、杉村春子、徳川夢声、藤原釜足、永田靖、滝沢修など、新劇史ではおなじみの人たちもふんだんに登場する。
築地小劇場解散後の離合集散、移動演劇隊の様子も、ケンさんは紹介を省いたが、ちゃんと描かれている。
しかし、それにしてもと思ったのは、作者・藤本さんの筆致の「実直さ」だ。
小説といいながら、知りうる事実を丹念に追い、いたずらな虚構も誇張もしていない。
ケンさんは、そこが気に入った。
2001年刊 開高健賞受賞
ナム。
|

- >
- 芸術と人文
- >
- 文学
- >
- ノンフィクション、エッセイ
|
昨年からケンさんが「熱中編集」していた本がやっと出版された。
タイトルは『海を越えた演出家たち』(れんが書房新社刊)。
序章の「エキゾチック・ジャパン 古典芸能の源流」から始まり、川上音二郎、島村抱月、松井松葉、土方与志、小山内薫、千田是也、村山知義、佐野碩、杉本良吉、岸田国士、岩田豊雄など、日本の現代演劇の荒野を切り拓いた演劇人・演出家たちの仕事を紹介したもの。
古代からいきなり近代へという1000年跳びも凄いが、それを上回るのが、年表。
なにしろ紀元前から始まる。
執筆者も多数。
なかでも、菅井幸雄さんの「小山内薫のヨーロッパ体験」と戌井市郎さんの「岸田国士と岩田豊雄の接点とその時代背景」は生前最後のもの。
つまり、絶筆。
ともあれ、この本、これ1冊で、日本の近・現代演劇史が俯瞰できるという便利な優れものだ。
値段も、2000円と手ごろ。
日本演出者協会のシリーズ「演出家の仕事」の第4巻でもある。
コラムには、アンドレ・アントワーヌやスタニスラフスキーなど、取り上げた演出家とかかわる人物も多数紹介されている。
現代演劇のルーツを知りたい!
そう思う人はぜひ一読してほしい本だ。
ちなみにケンさんが書いたのは、「序章」と「川上音二郎」、コラム&年表だ。
ナム!
|


