愛憐抄

愛憐の恋・愛・心いっぱいのブログ。

物理学

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全1ページ

[1]

 私は小学3〜4年生の頃に願いがかなうコツを発見した。当時は純粋に神様を信じていたので、家の神棚にお願い事をして、願い事が聞き入れられたと勘違いしていた。聞き入れられた時と聞き入れられなかった時のちがいに気づき、聞き入れられるように日々過ごしたのだ。ほとんどの事は実現できた。所詮小学校中学年のお願い事だから、小さな願い事ばかりで欲張った願い事はひとつもなかった。聞き入れられなかった願い事の共通点は、可能性が極めて低い願い事の場合、簡単であるはずのコツが難しかった。どうしても願い事を聞き入れられたかった時に、自分の後ろめたい事を解決するという交換条件を提示したところ、その願い事は偶然か必然かわからないがかなえられたので、私が約束を果たさなければならなかったのに、後ろめたい事を解決するという黙っていれば自分しか知らないことをもし失敗した場合、自分が悪いとわざわざ知らしめる事になるので怖くてできなかった。それから私は神棚の前に素直な気持ちで座って手を合わせることができなくなった。
 親が離婚して母親とともに引っ越してからは、我が家には神棚がなくなった。母親は有名な新興宗教団体の信者であったので、神棚は祭らないそうだ。離婚する前も父親と母親ともども新興宗教団体の活動に参加していたので、離婚してからは神棚は祭らないというのはおかしいと思い、なぜ神棚があったのか聞いてみると、あれは新築後の世間体を考えて神棚を飾っていただけで中身は空だったという。私は愕然とした。小学生の頃のあの願い事はなぜかなえられ続けたのか母親に聞いてみた。母親は仏壇のご本尊様が代わりにかなえてくれたのではないかと首をかしげて言う。私は納得できないままそうかもしれないと考えるしかなかった。
 高校2年生の冬に神の声のようなものを聞いたというか体験した。古文の授業中のことだった。ある意味催眠状態のようなものであったと思うが、その状態の真っ只中でたくさんの真理や道理やいろいろなことが確信とともに次々と閃いていく感じだ。これが悟りかと驚きながらも、体がガタガタと震えだした。なぜか心の中で、お金で苦労したいからまだ悟りたくないという感情がこみ上げてきて、落ち着こうと必死になっていると、震えが少しずつ止まる中で閃いたいろいろなことが次々と忘れられていく。あせってできるだけ記憶にとどめようと努力できたものは2つだけだった。3つ覚えていたはずだが1つはすぐ後で記憶から消えてしまった。残った2つのうち1つは「善悪は両方必要である」ということと「男女は平等である」という内容でなぜか確信とともに記憶に残っていた。直後であれば理由も説明できたが、興奮していたために感情はかき乱されていて、次の体育の授業でクラスメートの球技の試合を観戦中に友人ふたりに夢中でこの体験を話した。なぜ「善悪は両方必要である」のかは哲学的過ぎて、倫理に反するので戸惑いが残る。
 25歳になって、借金の返済のため自営業を始めたところ、協力者に裏切られて多額の借金を残したため、生命保険で返済しようと自殺を試み、なぜか失敗して私は生きている。自殺の決意の前に数ヶ月に渡り、試験的に親の新興宗教団体の仏壇を熱心に拝んでみた。その新興宗教団体の世間での評判は悪かったので、珍しく誠心誠意であったと思う。自殺決行に至ったわけであるから、もちろん願い事はかなえられなかったのだ。死に追いやられる事態に陥っても救ってくれない偶像は意味がないという結論と、小学生の頃の願い事がかなえられた際の法則性を振り返り、願い事がかなえられるかどうかは自分自身にあると結論づけた。
 今の私は無宗教であるが、無神論とも言い切れず、有神論とも言い切れない。神は自然法則そのものという実感がある。人が神を人格化するのは、そのほうがイメージしやすいからだろう。自然法則に善悪はない。天災で人がなくなっても、なぜその人が死ななければならなかったのかに理由はない。願い事がかなうかかなわないかも自然法則なので、世の中で悪人が幸せに暮らせるのも、願い事の実現に自然法則が働くので善悪が関係ないからなのだ。自然災害はある程度防ぐ努力ができる。被害を最小限にすることができる。願い事もかなえられる自然法則を知れば、願い事が実現できるよう努力することができる。私に今、できること、今、求められていることは、その自然法則を世に知らしめることだと信じている。そのために、オカルト的な提示はしたくない。科学的な考察を試みたセンセーショナルな内容にして、より多くの人に知ってもらいたい。なぜ不幸なのか、なぜ不平等なのか、どうしたらいいのか、みんなに伝えたい。

鏡像問題

イメージ 1

昔「鏡はなぜ左右が逆になり、上下が逆にならないんだろう」と疑問を抱いたとき、突然ひとりで疑問に気づいたので、この問題が「鏡像問題」と呼ばれていることを知りませんでしたし、どう調べたらよいかもわかりませんでした。インターネットもありませんでした。疑問を抱いた当時、友人に問いかけても誰も相手をしてくれず、何が疑問なのかさえわかってくれませんでした。「鏡だから左右が逆転するのは当然だろう」とまで言われる始末です。結局ひとりで考え、ひとりで解決しました。その喜びをまた友人に話しても意味がわからないと言われたものです。今日トラックバック先のブログへ行って「鏡像問題」という呼び名を初めて知り、そして私と同じ結論に至っていることに安心しました。そうです。左右が逆になるということは、「横方向に振り返る自分」と「鏡の中の自分」を比較するからなんです。「縦方向に振り返る自分」と比較すれば上下が逆に感じるということです。斜め方向に振り返っても斜めが逆になるわけです。懐かしい(^-^)

全1ページ

[1]


.

ブログバナー

愛憐
愛憐
非公開 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について

未分類

Yahoo!ブログ以外

登録されていません

ファン

ファン以外

1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

よしもとブログランキング

もっと見る

プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事