|
― 人が住んでいるあらゆる場所に、素晴らしい音楽が存在する。 ― このミー五郎による有名な(?)格言は、我が家の座右の銘になっています。 わざわざ旧ソ連のロックなんて聴いてる人間は、ただのモノ好きだよなぁ〜って思われちゃっても仕方ないことなのかもしれませんが、当時、ソ連には欧米のいかなるアーティストも実現できなかった境地に達していたあるバンドが存在しました・・・。 今日8月15日は、キノー(Кино)のヴィクトル・ツォイ(Виктор Цой)の命日です。 所詮、ロックは人の心を動かすことはあっても、社会を変える力まではない・・・ウッドストック幻想の終焉以降、コレは全世界の共通認識でしょう。 そんな中で、キノーは(少なくとも私の知る限りでは)、世界で唯一、そのあり得ぬ可能性を秘めていたバンドだったんじゃないかと思います。 もし、私が時の権力者だったら、本気で脅威を感じたと思う・・・。 毎度クドいようですけど、だからと言って、キノーは「政治的」なバンドだったというワケでは決してありません。 当時のソ連の人々の心情をそのまま反映したに過ぎないのです。 だからこそ、体制批判したり、アジッたりするだけのバンドとは一線を画した、奇跡に近いリアルな魔力を有していたのかもしれません。 Виктор Цой и группа "Кино" 「Конец каникул. Последний концерт. Часть 1」 (DVD) ここに収録されている1990年6月24日、モスクワのスタジアムでのコンサートの模様(←画質も音質もイマイチですが)を見れば、ソ連におけるキノーの熱狂的な支持ぶりがナマナマしく伝わってきます。 → 「Группа Крови」 このわずか2ヵ月後、ツォイは交通事故のため急逝しました。 ちなみに、このDVDには、キエフで撮影されたキノーをモチーフとした(かなりシュ〜ルな)短編映画「休暇の終わり」(86年製作)も併録されています。 そして時代は流れ、最近のロシアでは、あれほど絶大な影響力を誇っていたキノーを知らない若い世代のロックファンが少しずつ増えてきているようです。 それも仕方のないことでしょう。 おそらくは、ツォイ自身、もしも現代に生きていたなら、このような音楽は産み出せなかったような気がします。 ところが、今なお、キノーの音楽を真に必要としている国があったのです!! それは、かつて同じ連邦国の一員として、キノーを共有していたベラルーシ。 以下、2011年7月21日付、MSN産経ニュースの記事からの引用です。 旧ソ連のロックを放送禁止 変革恐れる「欧州最後の独裁者」 経済危機の深刻化に伴い、強権支配への抗議デモが広がるベラルーシで、変革への渇望を歌ったソ連末期のロックが放送禁止となった。タス通信が20日伝えた。「欧州最後の独裁者」と批判されるルカシェンコ大統領の変革への恐れの裏返しと言えそうだ。 「変革を求める。心からの要求だ」。カリスマ的人気を誇ったが、ソ連崩壊前年の1990年、20代で交通事故死したロックバンドのボーカル、ビクトル・ツォイさんの曲「変革」の一節だ。 曲はルカシェンコ大統領の退陣を求める人々の事実上のテーマソングに。デモの広がりに合わせて「ここ1カ月、ラジオ局へのリクエストがかつてなく多かった」(ラジオ局スタッフ)が、情報省が放送禁止を通達。「自由」を歌った別のロックバンドの曲なども放送が禁じられた。 記事中の「変革」という曲とは、たぶんコレのことでしょう。 → 「Перемен」(曲は1分35秒あたりから始まります。) リンクの映像は、映画「Асса」のラストシーンからのものですが、この曲はフランスでレコーディング&リリースされたコチラ(↓)のアルバムにも収録されています。 Кино 「Последний Герой」 (89年) キノーの音楽がどのように響くかは、聴く者の心のありようで大きく変わってきます。 音楽というものに特別な想いを抱いているすべての人に、死ぬまでに一度はキノーを聴いてほしいと私は願っています。 きっと日本人の10人中8人は、何も感じないと思いますが・・・。 だけど、残りの2人はこれまで体験したことのない強烈な感銘を受けるハズです。 キノーは、まさにそういう音楽なのです。 さて、今回もまた描いてくれましたよ〜♪ ミー五郎による似顔絵の出来栄えは・・・ まあまあイイ感じ(と言ってあげて下さい(笑))。 キノーが遺してくれた音楽は、目の前に何か困難な壁が立ちはだかったとき、悪戦苦闘しながらも、どうにかそれを乗り越えていくための勇気と希望を私に与えてくれます。
今までもこれからも、ずっとずっと本当に本当に大切な音楽・・・。 天国のツォイ、ありがとう!! (クロム) |

- >
- エンターテインメント
- >
- 音楽
- >
- ミュージシャン






