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ま、まずい、このままだと10月は全く更新なく11月になってしまう…(^^;
忙しかったわけでもなく、毎日同じことの繰り返しなのであっという間に時間が過ぎていった10月でした。 息子はようやく遅めに立ち上がり、5,6歩から毎日歩数を進めて20歩くらい歩けるようになりました。 が、靴をはいて外で歩けるのはまだまだ先なので、運動は室内、となると子供用室内有料遊び場のキドキドやアソボーノや、ショッピングセンターのマットがある休憩所など外出は限られてきますね。 キドキドの一ヶ月パスポートを買い、たまプラーザに通ってました。 桜新町の児童館にも試しに行きましたが…児童館だけに小学生ならいいかもですが幼児にとってはトイレ臭くてひどいものでした。 気が早いですが、あちこちの幼稚園の運動会を見学してみました。 園児、父兄とどこの園も特色があり面白かったです。運動会まで親が黒ずくめの服で着てる学校があったり、人工芝で付属の高校の校庭を使ったり、人数が少なくて小学生や先生までリレーに参加してたり、ほんとうにこどもに合ってるかはよく見てみないとわからないな〜と今から幼稚園選びに迷ってみたり。。。 で、悩みに悩んだあげく、まだまだ先の話だから、その前にできること…、そうだ、幼児教室ってどんなものか見に行ってみようと、今月は体験をしまくりました。 二子玉川には一歳でも行ける教室が、10数以上ありました。 最初にいったピスト教育研究所は、リトミック、運動、手遊び、あいさつなど色々遊べて回数券制なのが良かったです。 次にいった七田式は、最初から最後までほとんど椅子にすわり、滅茶苦茶早いスピードで日付や歴史上の人物や四字熟語やらカードを読み上げて見せていくので、私はびっくりしてしまいました。 毎日の繰り返しで右脳を鍛えるようですが、どうも真面目にやってるのが可笑しくなってしまって(不真面目な母ですいません) 正直そんな早口を毎日できるかというとこちらがねをあげそうで。 一緒に体験を受けた九ヶ月の女の子は、返事ができててびっくり。 ま、息子はとにかく動きたがるのでまだ七田式は難しいかな。 最後に幼児のためのジムがあるというので、マイジムへ。ここは色々な遊具を使って運動神経を鍛えてくれるのですが、インストラクターはネイティブの外国人。最初から最後まで全て英語です。日本語もままならないこどもに?ですが、耳は早いうちに固まってしまうらしいので、早めに英語脳を作ろうというわけです。 海外だいぶご無沙汰な私には、この生英語が聞けるのがかなり気分転換になりました。いきなり、自己紹介してね(英語)、にはびっくりしましたが(体験ですよ?!)、そして同じクラスのお子さまはリハーサル済みか?というほど優雅な動き、そしてそのママの英語の流暢なこと! 全然お話しできなかったけど最後あいさつしよっと思ったらそそくさとプラダのブーツを履き、英語であいさつされて帰ってしまわれました。 最初は場所見知りし、英語でハイテンションに話しかけられ、ヤダヤダ言ってた息子は、大好きな滑り台に執着し、はしごを登り、でんぐり返しを教えてもらい、最後には、親子分離の時間もなんなくこなし(初)、緊張して心配してた私はほんのすこし大人になったねとちょっと感動ものでした(ToT) バカ親日記になってしまいましたが… マイジムがチェーン店というとこが決め手になり通うことにしました。 |
こども
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RSウィルスから、1カ月近くたち、 外出は予防接種以外、全くしなくなりました。 今は、ウィルスから守るために過剰なほど必死です。 入院させてしまったことを反省し、半年は子供との接触や外出を控えることを決めました。 RSの他にも、ebウィルスというのも流行ってるらしいです。 昨日、お喰い初めの儀式を無事終えました。 将来、赤ちゃんが食べるのに困らないよう、 初めての赤ちゃん用のお膳を囲んで100日をお祝いする儀式です。 100日を大幅に過ぎてうちは行いましたが、 ちょうど100日でなくても120日位までに行えばよいとのことで、 京都の方では「喰いのばし」とかで遅いほど長生きできるとか 迷信があるとかないとか・・・ お頭つき鯛の塩焼きは、スーパーにはないし、 どうしようかと思ってたのですが 今は便利ですね〜 ネットで瀬戸内海のものを取り寄せました。 お飾りや、名前入りの半紙や、歯固めの石や、 金粉までも!?ついていて完璧なまでのセットになっています。 写真は、我が家のメニューです。 1.飯椀に、お赤飯 2.お吸い物は、はまぐり・白菜・鯛 3.鯛の塩焼き 4.平椀には煮物、昆布・れんこん・里芋・海老・ごぼう・人参・かぼちゃ 5.つぼ椀には、人参と大根の生酢 6.高杯には、歯固めの石と梅干 煮物はちょっと面倒ですが、 里芋は里芋だけ(ぬめりをとらないトロトロ仕様で)、 れんこんとごぼうだけ(しょうゆ多めの白だしで)、 かぼちゃはかぼちゃだけ(砂糖多めの 西 健一郎レシピ)の 3つを別々に煮ました。 海老、昆布、はまぐり、飾り人参は海鮮鍋をつくりそこからすくいあげました。 (スーパーに、有頭海老がなかったので鍋セットに入ってた有頭海老を利用) お吸い物はその鍋の汁です(笑)。 食器は、義兄から借りた明治神宮のものです。 お箸は、お宮参り時に布多天神でもらったもの。 お喰い初めは、今年の恵方北北西を向き、 1.2.1.3.1.2.1.4.1.2.1.5.1.2.1.6.1.2 の順番に食べさせます(食べる真似をします) 箸につけて少し舐めさせてみましたが、 生酢は、うぇ〜という顔をしてましたw 首がすわったので、バンボに座って、ごきげんでした。 嬉しいですが、100日を何とか超えて ほっとした気持ちのが強いです。 感謝
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ご無沙汰しております。 10月末頃から、うちの子が鼻ずるずるになり、 熱もなかったので5日ほど経過をみてましたら ゼーゼー言い始め、 近所のクリニックに行ったところ、 風邪薬をもらったのですが、 翌日さらにひどくなったのでまた受診してみると、 RSウィルスに感染してます。すぐ大学病院にいってください、 そのまま入院になると思います。と言われました。 そのまま入院し、私も無理に付き添いをお願いして泊まり込みました。 泣いたときに放置する状況は今までなかったので、 どうしても看護師さんは様々な患者さんで忙しいですし、 この入院でそういう状況になったとき、本人がとても悲しい思いをすると思うと そして、今、ようやく3か月近く頑張って完母になったところだったので、 家で待ってることは考えられませんでした。 部屋に入るときは、だれでも青いビニール衣を着て 部屋を出るたびにビニール袋に入れて捨てます。 10日間の入院でした。 大人では最近、開腹手術でも10日間というのは長い方ですね。 RSウィルスは現在幼児に大流行してまして、 大人にとっては単なる鼻、喉などの軽い風邪のような症状ですが、 生後三カ月未満の赤ちゃんにとっては重症化の恐れがあるとのことでした。 3時間ごとに喉奥までの吸引、血管確保の難しい点滴、吸入、内服、酸素マスク、 10数か所採血のあとが内出血し、本人はもちろん、 見ていて苦しい思いをしました。 毎夜毎夜、小児病棟は子どもたちの苦痛の叫び声・泣き声であふれ、 モニターの酸素飽和度が低くなった時に出るピコーンピコーンという音が 耳鳴りのように頭の中で響きます。 赤ちゃんの頃も小さすぎて心配ですが、 怖いとか、痛い、ママ、ママと言えるようになった子どもは子どもで大変だな・・・と 思いました。 この中で冷静に、優しく治療に専念する看護師さんと先生たちに出会い、 大人を相手にする医師達とはずいぶん違うなと感じました。 ほとんど休みなく、純粋に苦痛を訴え続ける子どもに一日中つきあいながら、 最後はうちの子にも、「癒されました」と言えるその心持ちが素晴らしいものでした。 産まれて初めての病気、入院で、親である自覚を肝に命じられた出来事でした。 RSは、一度かかれば同じシーズン内(9〜2月頃)にかかることは稀だそうです。 が、次のシーズンはまた変異があるため、かからないという保証はありません。 インフルエンザにはタミフルとかありますけど、細菌ではなくウィルスですので基本的に特効薬はなく、 のどや鼻や咳の症状を抑えるだけの内服になります。 10日後、症状は治まって先週退院できました。 ちなみに、それだけ泊ってたのにママ友ができませんでした・・・^^; メールやメッセージをくださった皆様、本当にありがとうございました。 今日は、ヒブと肺炎球菌でワクチンを2本打ってきました。 遅くなりましたが、大量の予防接種の始まりです。 1月までにあと9本も打たなくてはなりません。 自分の時と比べて注射も増えましたね。 命は元気が一番です。
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〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ●出産日+2日 夕方やっと点滴がなくなった。子宮収縮の点滴は何本かあって 入れると子宮収縮でお腹が痛むが傷口の痛みとは比べ物にならない。 点滴棒につかまっていないと歩けなかったので、 点滴がなくなっても、点滴の棒は残してもらった。 おかゆからごはんになった。 ●出産日+3日 いつまでたっても、寝起きが苦しく時間がかかる。 看護師さんがやってきて、「和室空きましたけど、移りませんか?」 と言ってくれた。 当初、分娩予約時(妊娠2カ月位のとき)和室希望といっていたが、 すっかり忘れていた。 やっとの思いで部屋を出て、廊下をお化けのように歩いて行くと 婦長さんもオススメの琉球畳のかなり素敵な部屋だった。 折角だからと移ったものの、 低〜いベッドからの寝起きには全く自信がなかった。 が、家に帰ったらベッドではなく布団なので、 ここで頑張っておかないと帰れないかもしれない。。。 案の定、トイレまでの道のりが地獄だった。 ま、まにあわない・・・ まだ起き上がるのに20分もかかってしまう。 明日には、親戚がお見舞いにくる。 こんな状態で会えるのか不安になる。 メールをもらってもうまく返せなかった。 普通分娩だったら当日からメールしたり 写真を撮ったり幸せいっぱいだったのかな・・・ と、廊下に続く他の部屋を見て思う。 これから母として頑張らなければいけないのに なんて様だ、と自分を責めどんどんマイナスイメージが膨らむ。 乳房がうっ血して保冷材で冷やす。 相変わらず母乳をうまくあげられず 痛い痛い!といいながら授乳するたびに、 赤ちゃんが上目で私を困った顔で見る。 ごめんね、ごめんねと我が子に言い続ける。 自分の母が、少しずつ少しずつ良くなってるわよ、大丈夫よ といってくれたが、 全然良くなってない。と張りつめた思いでいっぱいいっぱい。 泣きたくて仕方ないのを母の手前恥ずかしくてがまんした。 午前中洗髪のサービスがあり、 今日はシャワーOKと言われたが、傷口に水がかかるのが怖い。。 埋没法の溶ける糸で縫合。 傷口にはテープが止まっていて血が固まってる状態。 ビクビクしながらお湯をかけると、 あら不思議 しみないし痛みもない。 この傷口、消毒もしないしテープも替えない。 ただ切った内臓の痛みは変わらずあった。 痛み止めの内服薬もあとわずかになってしまった。 これ以上は赤ちゃんにも影響あるからと1錠ずつしかくれない。 ●出産日+4日 お昼に従姉妹が子連れで来てくれたが 髪の毛もボサボサ、むくみでひどい顔を見せるのが嫌だった。 かわいい甥を目の前にしてもしんどかった。 レントゲンをとりに点滴棒無しで(部屋の引越しでなくなった) やっとこさ歩いてると 看護婦さんが「辛そうですね」と言ってくれたので あきらめるようで、自分に納得いかなかったが、 ポキっと心が折れたようになり 「ちょっと和室だと寝起きが辛くて」といい 和室を断念した。 またまた洋室に変更してもらう。。。 自分はがんばっているはずだ、というプライドが思いのほか 強いせいで、 だめだ、頑張れなかった・・・と何かをあきらめるときのダメージが強い。 アロママッサージがあった。 痛いので身体はやめてもらって足だけにした。 施術台にやっとの思いであがる。 母から妹が使っている搾乳機をかなり勧められて 買ってきてもらい渋々使うが、 病院の看護師もネット上も搾乳機についてはNGとしか書いて いない。 案の定というか、張りがひどくなりもっと痛くなった。 乳腺を傷つけたりトラブルを生じるらしい。 桶谷式(オケタニシキ・・・全国に広がる母乳マッサージの診療所)では、 乳腺炎になったとしても 赤ちゃんに吸って吸って吸わせるのが一番といわれてる。 ●出産日+5日 退院回診というのがあった。 無口な医者が、真横に張ってある傷口のテープを剥がす。 痛いっ、痛くない、けど痛い。 今度はテープを縦に少しずつ張り直す。 お腹なんてとんでもなく触ってほしくないのに ぎゅーっと押されて、わぁーと叫んで悪露がでる。 何も言わないでやるのはやめてほしい。。。 「傷口はきれい。子宮の戻りが悪い、動いてる?」 「夜までベッドには入らないようにしてますけどっ。」 それだけの会話で終わった。 たくさん聞きたいのに。何を聞いていいかわからない。 これからこの傷の痛みはどうなるのか。 また産めるのか。 聞きたいことはまた聞けず。。。 仕事の時は根掘り葉掘りぬかりなく聞ける方だったのにな・・・ お産って、何を言っても自然に治るとか自然にそうなるって 言われそうで、言われた時いちいちショックを受けそうで 何も聞けなくなってしまう。 夕暮れどき、廊下を歩くとどの部屋も風通し良く空いていてがらんとしていた。 私以外、同じ日に産まれたママや赤ちゃんがみんな退院していったようだ。 新生児室を見ると、産まれたばかりの小さな子と、大きなうちの子だけだった。 本当ならもう退院できていたはずなのに・・・ 妙な敗北感や焦燥感に囚われる。 この夜、初めての夜間同室。 が、2時に痛みと疲れでギブアップ。 同室は好きなようにしていい産院だったので助かったかもしれない。 帰ったらずっと一緒なのだから、と思いつつも やっとできたかわいくてかわいくて仕方ない我が子なのに。 自分は母性が足りないのだろうか・・・ そんなことで親になれるか、バカバカバカ。 ネガティブな感情に染まる。 ●出産日+6日 退院指導というのがあった。 メインの助産師から、退院の手続きとか1ヶ月検診の案内、 その他聞きたいことは聞く時間だった。 この時初めて、帝王切開になった理由は母体ではなく胎児にあったことが わかる。へその緒は、位置も悪くたすきがけになっていた。 不妊治療もしたしきっと自分のせいで、と常に考えていたからか 何だか少しだけ楽になった。 お七夜。(死亡率が高かった昔は、生まれてから6日目までは「神の子」と呼び、 赤ちゃんの生死は神にゆだねられていた。7日目でようやく人間の子供として 認められ、その承認の儀式がお七夜と呼ばれているそうな) 今では、退院祝いや名前を披露する日になっている。 命名書をベッドのテーブルにおいて、 病院で出た鯛のお頭とともに、写真をとる。 産まれて初めての記念日は病院で迎えた。 静かな静かな夜だった。 おわり 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 緊急帝王切開の理由には、胎児機能不全(胎児仮死)、常位胎盤早期剥離、 妊娠高血圧症候群、微弱陣痛、遷延分娩、回旋異常などがあげられます。 緊急帝王切開を経験すると、精神的なショックが回避できないことが 多いそうです。 突然そうなった妊婦さん、あわてないでとは言いません。 あわててもいいし、泣き叫んだっていいし、 どうなっても生きてさえいれば必ず、必ず1ヶ月経つ頃には、 普通に笑えるようになります。 (助産師さんは1ヶ月で踊れるようになると言ってました) 乙武さんがニュースステーションで言っていたいじめの解決策でも 共通点があると思ったのですが、 言葉にすること、書いて整理し、記録しそれを認知すること、 可能ならば同じ経験者同士で事実を共有することで、自分に起きたことを 客観視でき、受け入れられる。 赤ちゃんががんばってくれてることでさえも 母としての劣等感でお母さんは辛くなってしまうのです。 周囲で見守る方は、どうか、できなくてもうまくゆかなくても 本人が自分を責めないよう 根気強く、頑張っていることを励まして、泣かせてあげて 喪失感につきあってあげて下さい。 泣きやまぬ我が子の声を探して真っ暗な母へのトンネルに入り、 最初に出会った 苦行の昇華ともいえるかもしれません。 きっとこれを読んだことを思い出したら、
自分はもっと大丈夫、そしてきっと大丈夫。 と思えるはずです。頑張って! |
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〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 すぐ手術といってたわりには、点滴が思ったより長く、 時計は15時近かった。 その間に、自分の親が遠方から到着した。 手術が決まった朝からは水も飲めなかったので、 喉が渇く。 15時を過ぎると呼ばれて、家族に手を振り、手術室に向かう。 夫も立ち会いを緊張しながら楽しみにしてたのに できなかったな・・・ 手術室に入ると急に現実味が増してきて 身体がガクガクぎこちなく動き、その間もやってくる陣痛に 時折身動きできなくなりながら、手術台にやっとあがる。 手術台は、非常に幅が無くて、ちょっと右や左を向くと、すぐ 下に落ちそうな感覚だった。 「左を向いて、背中を丸めて、膝をかかえて。」 と言われるが、 このお腹の大きさでそんな体育座りが狭い手術台でできるわけないっ と思い、うーうーいうだけでなかなかできない。 そのうち背中を触られて、いよいよ麻酔が打たれると思うと もし、どこか麻痺したらどうしよう・・・・ 恐怖でパニックになり、まだ注射を刺してないのにウーウー唸ってしまう。 やっぱり怖い。 「痛いですか?」 「い〜たーくーなぃです。」 「うゎーーー」 「痛いですか?」 「うゎーーー」 の繰り返しで、最後は、何も言われずにチクっと針が刺さった感じだった。 うううう。 とにかく麻酔は終わったんだ。 麻酔が効いてないうちに、お腹が切られた話をネットで見たのを思い出して しまい、怖くてブルブル震えてしまう。 そんなパニック状態の私を見て、麻酔医は、大きな声でゆっくりと、 「○○さん、これから麻酔が効いてきますよ。大丈夫です。」 局所麻酔だから意識ははっきりしてるといってたが、徐々に足の方から 温かい感覚が広がる。 これだけは避けたかった導尿も余儀なくされる。 (以前、墨東病院で予告なく変に押し込まれ、2日位歩けなくなったので トラウマになっていた) 続いて看護師さんが二人がかりで、剃毛し始める。 何だか皮をむくピーラーみたい格好したもので、がつがつ一気に剃る。 これは全然痛くなくてくすぐったい。 ふと、左後ろの方に、寡黙な医師がボーっと座っていた。 もうすぐこの人にメスで切られるんだ。。。 寡黙な医師がやってきて、おもむろに、ヨードチンキみたいのを 刷毛でお腹全体に丁寧に丁寧に塗る。 気づいたら、感覚はあるものの、触られても遠くに感じる。 ガーゼのようなものをあてられると、胸の上側は、冷たくて、 下側は冷たく感じなかった。 もう一人、診察で診てもらった医師が前立ちし、 最初のメスが入った。 痛いっ、くない。 やっぱり痛くない。 「顔隠しますか?見えていて大丈夫ですか?」 と言われ、一瞬どうしようか困惑したが、見てることにした。 私の両脇に、医師が二人立って、自分のお腹を切っている。 不思議な感覚だった。 切っては留め、切っては留め、 あっという間に深い場所まで切って行って、 内臓の何かをごろごろ動かしてる感覚がある。 上部の胃の方から下の方までお腹全体がべろんと開いている感じがする。 どれだけ切ったんだろう・・・・ あとでわかったことだけど、 皮膚を切り、脂肪を切り、筋肉を切り、腹膜を切り、腸などをどかして 子宮を切り、赤ちゃんを取り出すらしい。 閉じるのはその反対。 緊急の場合は縦に切るけど、私の場合は横に16cm切ってあった。 開腹から、5分か10分かそのくらいで(に思えた) 執刀医が、「あーー腸がかなり癒着してる。」とため息をつく。 前立ちの医師が、「お腹が(内臓が)やわらかいな〜」と言いながら、 お腹にあるビーズクッションをくねくね動かしながら(そんな感じ) 突然、何かを取り出した。 その何かは、うげっと一瞬むせたあと、オギャーと言った。 夢にまで見た産声を、あげてくれた。 思いもかけず早く出てきた血だらけの赤ちゃんを看護師が抱え、 顔のそばに持ってきてくれた。 無我夢中で手も足もちゃんとあるか確認した。 大きな瞳もカッと見開いて 看護師の手の中で力強く泣いている。 ただただ滝のように涙がでてきた。 何も言えなかった。 あー産めた。とにかく産めたんだ。 生きてる。 生きていた。。。 心の中でも声が聞こえる。 目をつぶっても、その姿が映っていた。 止まらない涙に、 「麻酔医がティッシュいりますか?」 とティッシュを一枚手渡す。 あー・・カンガルーケアとか楽しみだった胸に抱くことはできなかったな。。 と思いながら 産まれてきてくれてありがとう。 と声にならない声で唱えた。 「ほら、こんなところについてた。」 といって前立ちの医師が、胎盤の端っこについたへその緒を見せる。 胎盤は子ども用のざぶとんみたいに思ったより大きかった。 その医師は妊検のとき、胎盤へその緒は問題ないって言ってたのにな〜 その後、開腹はあんなに早かったのに、 閉じるのは、結構時間がかかった。 私は飲食店のものすごい早い調理士の動きを見てきたけれど、 あれよりもっと早い手の動きにびっくりした。 二人がかりで、そこから1時間以上、ものすごい速さで 全く止まらずに、手が針と糸を操っていく。 指がつりそう・・・ 順調だった妊婦検診時はほとんど何も話してくれなくて 受診の意味あるんだろうか、と不満が募っていた医師たちだったが この時初めて心からいざというとき何てすばらしい仕事をするんだろう と思った。 1時間はとても長く感じ、途中、上のライトに映る自分の内臓を 見られるほどその状況に慣れていた。 先生同士で、 「へぇ〜そんなやり方あるんですね。」 「そぉ、これ最近の流行り。」 とか言ってたり。。。 終盤、別のお産が重なったようで、前立ちの医師が無言で去って行った。 満月や満ち潮の時間は、なぜかお産が重なるとネットに書いてあったっけ。 最後の方になると、腹圧がかかるのか、 ぎゅうぎゅう内臓を押し詰めていた感じだった。 麻酔医が 「終わりましたよ」と声をかけてくれ、看護師二人がかりで 私の死体みたい重たい身体をごろんと、ストレッチャーに乗せ 病室まで運んだ。 病室に着いて、ベッドに入れてもらうと、やたらに寒くなる。 電気毛布を最大にしてかけてもらうが、麻酔が切れてくると こんなに寒く感じるものなんだな。。。 足には、エステとかで空気圧を自動でかけるようなエアーマッサージの 装置をつけられる。 ●出産日+1日 それからは、眠気と疲れでよく覚えていない。 点滴をうち、自動的に動く血圧計の音を聞きながら このときやっと眠れた。 ところが明け方4時になって、 導尿からまったく尿がとれなくなってしまった。 何人かが集まってきたが 休みなく点滴をしていて全くでないというのはおかしい、 と管を色々動かしたりされたが出ない。 結局、刺し直すことに。。。 やはり出ない。。。。 一度、かなりきつかったが、ベッドの背をあげて起き上がると しばらくして少しずつ落ちてきた。 すっかり朝になっていた。導尿問題が落ち着いてほっとした。 早く歩きたい。この状況から早く脱出したい。 思いとは裏腹に、ベッドのコントローラを手にするのも難しいし、 膝を立てることもできず身体は全く動かなかった。 今日は歩けるだろうか・・・ 顔をさわると2倍くらいにパンパンに腫れていた。 内臓をかばってか、大きく呼吸ができない。 朝食、お茶、お水、コンソメスープ。 昼食、お茶、おも湯、ヨーグルト 夕食、お茶、全粥、みそ汁 しばらく腸閉そくに注意、消化悪いものは禁止。 午前中、尿管をつけたまま起き上がる練習。 30分かかってやっとベッドに座って足を下ろせる。 看護婦さんの首につかまって立ちあがるも意識を失いかけて そのままベッドに倒れる。 痛み止めを打ってるせいか傷の痛みはそれほど感じないが まったく身体は言うことをきかなかった。 自力でトイレに行けるまでは管は外れない。 結局何度もトライして管が外れたのは午後3時だった。 やっと解放された!!!と思ったのもつかのま、 今度は張った乳房の痛みが増してくる。 助産師がやってきて授乳の手引きをする。 雑誌で見たようなきれいなママが授乳する絵画みたい風景とまるで違うので驚いた。 髪を振り乱し、うまく吸えない赤ちゃんとうまく吸わせられない母との格闘だ。 助産師も遠慮なく号泣する赤ちゃんの口の中にぐいぐい指をつっこんで、 口を開けさせる。 傷口があるので、普通抱きができず、フットボール抱きをさせられるが 少し赤ちゃんの体重がお腹にかかっただけで、激痛を覚え 赤ちゃんを放り出しそうになってしまい、助産師が受け止めた。 自分にショックで悲しくなった。 ごめんねごめんねと赤ちゃんに向かって言っていた。 産んだだけで何もできない母。 赤ちゃんは準備もできずに急にお腹から取り出され、 きっと自分の何倍もの衝撃を受けてるだろう。 肺呼吸になってこの世の空気を吸ったのも何せ昨日なのだから。 自分を責め続けながら、やっとの思いで片方の初乳を飲んでもらう。 すぅ〜っと目の前が真っ白になる貧血のような 胸から太い採血をされたような感覚だった。 夜から痛み止めが内服薬になると、夜中何度か目が覚めた。 咳をしたくてもできないので、おぇおぇメェメェと声を出す。 メールやSNSでの報告も、出産前は準備していたのに、スマフォに手を伸ばすのも 身体が石のようでできない。 出産は病気じゃない。 高齢出産だから? こんなはずじゃなかったのに・・・ ナースステーションで元気にしている赤ちゃんとは裏腹に 私の悲しみは消えるどころか増していった。 つづく
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