3.11東日本大震災

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全4ページ

[1] [2] [3] [4]

[ 次のページ ]

あれから一年

ちょっと時間があきましたが…

あれから一年です。

3月11日14時46分には黙祷しましたが、目を閉じた途端にあの日に引き戻されました。

あの日には情報がなく知らなかった大惨事を思うと急に涙

皆さんの御冥福を改めてお祈りします。

今日で半年

あの日から、今日で半年です。
 
早かったような、遠い昔のような、不思議な感覚です。
 
まだまだ辛い日々を送っている方々がたくさんだと思います。
1日1日を大切に生きていきましょう。
亡くなった方のために・・・大切な人のために・・・自分自身のために・・・
 
 
あんな怖い思いはもうしたくない。
でも家族がいてくれたこと、友人がいてくれたこと、とても心強かった。
 
 
ありがとう、そして合掌
 
 
 

また揺れたね

最近余震が活発化してますが、昨日の地震は久しぶりに怖かった〜
 
3.11の時と近い時間、そして金曜日。
 
色々なことをとっさに考えたね〜
 
まずはその時間の子供達の居場所。
上の子は家か病院。
下の子は昨日から学校だったので、まだ学校かな。
 
そんなことを考えながら、今回は右手でデスクのモニターを押さえつつ(学習したぞ)、
左手は隣の席の子と手を握る(これはいつものこと)
 
ちょっと長い揺れだったけど、何とか立ち直り仕事を再開しました。
 
 
 
 
時々鳴るエリアメール。
テレビに流れる地震速報。
 
まだまだ落ち着かない余震の中での生活です。
 
 

あの日・・・

このあたりで、あの日の事を書いておこうと思います。
でも地震の瞬間記憶は曖昧で、話が前後してると思います。
 
 
 
 
 
3月11日午後2時46分。
あたしは会社で仕事中。
ゆらゆらと揺れ始める。次第に強くなる。
隣の同僚と手を握り合う。
「このビル倒れないよね?」とパニックの同僚を「このビルは耐震構造だし新しいから大丈夫だから」となだめつつ、揺れがおさまらないので机の下に。
悲鳴しか出ない。
館内放送がなる。外に出ないようにとのこと。
電気が消える。
 
何度も揺れる。
パソコン画面が倒れて、向こう側にぶら下がっている。
戻して倒しておく。
 
机の下に置いておいたブーツに履き替える。
 
何度も揺れる。
何回揺れたのか解らないほどに・・・
 
 
携帯をとりに休憩室に行きたくても、ロッカーが倒れてるから入れないとのこと。
 
やっとロッカーに荷物と上着をとりに戻れる。
 
 
 
連絡がとれない。
171なんて繋がらないよ。
 
パパと子供にメール。
息子1は多分家にいるだろう。
息子2は午前中卒業式に出席し午後から家にいるのか、遊びに行ったのか解らない。
程なくパパと電話がつながる。
大丈夫とのこと、家に帰るとのこと。
ガソリンが無いから迎えには行けないと言われた。
とりあえず家に帰ってほしいので、あたしは何とか帰ると答える。
 
 
 
停電して、回線も落ちたため、仕事は無理と判断。
会社から帰宅のOKサインが出たので、同じ方面の4人と歩いて帰ることに。
石巻の同僚は会社に留まるとのこと。
みんなに声をかける余裕もなく、会社に置いてあるお菓子と膝掛けをバックに詰め込み会社を出る。
多分4時は過ぎていたと思う。
降りる階段の長いこと。壁の塗装がぽろぽろ落ちていた。
 
ビルの外に出ると、人で溢れていた。
みんな歩いて帰宅しようとしている。
 
雪も降っている。
とっさに傘を持ってきて良かった。
 
気がつくとメールが入っていた。
息子1からの大丈夫のメール。
なぎからの大丈夫?のメール。
 
歩きながら、返信する。「歩いて帰ります」
 
 
途中のバス停のガラスが割れていた。
建物の窓のガラスも割れていた。
でも建物が倒れていたりしてなかったので、逆に驚く。
何か買って帰りたかったけど、コンビニも閉まっていたり、行列していたりしたのであきらめる。
とりあえず家に帰って子供の顔を見たい。
 
家に向かうにつれ、歩道が盛り上がっていたり、ひびが入っていたり、家の壁がはがれていたり。
 
必死で歩いた。
 
疲れなんて感じなかった。
 
途中で一人、二人と別れ、二人で歩いていると余震がくる。逃げ場もなく右往左往してるうちにおさまる。
 
次第に暗くなってくる。
 
最後の一人と別れ。
 
パパからのメール。
「車に避難中」実際のメールは「非難中」
 
もう少しで家に着く。
でも暗くなってるし、心細くなり小走りに。
交差点は信号が消えて警察官が誘導している。
 
駐車場に行くと、車の中で子供達が毛布にくるまりのんびりしている。
ええ?
感動の再会じゃないんかい!と心の中でつっこむ。
 
パパを探しに家に行こうとしたとき、友達に会いほっとする。
 
パパが歩いてくる。良かった。みんな無事だった。
 
トイレにも行きたかったので、家に入る。薄暗い中、散乱してる家の中を見て愕然とする。
よく怪我もなくすんだ。寝てたらどうなっていたんだろう。
まず厚着をするため服を着込む。
 
あたしが帰るまでには、貴重品やお菓子や水、毛布、大学の書類、買ったばかりで開けてもいない息子1のノートパソコン。
懐中電灯、ラジオなど車に運び出していた。
すごいよ、パパ。
あたしじゃ、無理だった。
 
息子2とあたしの宝物のぬいぐるみ、あたしの名前の由来ぷんもしっかり連れてきていた。
後で聞いたら息子2は地震直後から抱っこしてうろうろしてたらしい。
 
 
保温したままのご飯があることを思い出し、家に戻る。
台所は割れた食器が散乱。その中でタッパーを探し、ご飯をつめる。
前日のマカロニサラダもあったので、それもつめる。
ふりかけも持って、車で食べることに。ただ胃に詰め込んだだけで味もしなかったな。
 
空を見ると、珍しく星が見えた。
きっと停電で真っ暗だからだね。
 
ふとみんな心配してるだろうと思い、ブログに書き込む。
 
夜には雪が又降り出し、車の中は寒くて寒くて。
何度もトイレに戻った。
ガソリンも残りわずかなので、エンジンもかけられず、凍えて眠れない。
ラジオを聞いても、頭に入ってこない。
朝方エンジンをかけて少し暖まる。
 
トイレに戻ると、新聞が来ていた。
こんな時にも配達してくれるのかと感動。
新聞を見て、改めて地震と津波の被害を知る。
これはただごとじゃないと実感する。
 
朝になって明るくなるにつれ、被害がわかってくるのだろう。
 
どれだけの人が亡くなったんだろう。
 
どれだけの時間が復興までかかるのだろう。
 
どれだけの涙が流されたんだろう。
 
 
 
携帯も規制がかかっていたので、ぽつりぽつりと、時には一気に友達から安否確認のメールが届くようになったのは12日の午後くらいから。
 
みんな心配してくれてありがとう。
お互いに無事で良かった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
こうやって思い出していくと、恐怖感に潰されそうになる。
ドキドキして、泣きそうになる。
 
こんな思いはもうしたくない。誰にも体験してほしくない。
 
でも忘れてはいけない事だとも思う。
 
 
亡くなった方・・・安らかに・・・
行方不明の方・・・早く見つかりますように・・・
遺族の方・・・笑顔の戻る日がきますように・・・
 
 
合掌
 
 
 

今日で52日目

29日は仙台の復興の大きな一歩の日でした。
 
新幹線全線開通。
 
楽天・ベガルタ仙台のホーム戦勝利。
 
そして市営地下鉄の全線復旧。
 
スーパーも閉鎖していた衣料品等の売り場が再開したりと、少しずつ戻りつつあります。
 
沿岸部の皆さんはまだまだ避難生活を余儀なくされていますし、行方不明の方々もまだたくさんいらっしゃるので、申し訳ないような気持ちでもあります。
 
 
こんなに被害が甚大になると誰が想像していただろう。
近いうちに来るとは予想されていた宮城県沖地震。
でも想像をはるかに超えていた今回の地震。
 
もう2度と味わいたくない恐怖。
 
無くなった近しい人もなく、被害の少なかった私でさえこんなにつらいのに・・・
 
 
 
どんな言葉も空々しく聞こえてくる。
 
頑張ってなんて簡単には言えない。
 
だってみんな今日一日を必死で生きてるんだもん。
 
 
 
 
 

全4ページ

[1] [2] [3] [4]

[ 次のページ ]


.
ぷん
ぷん
女性 / B型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

スマートフォンで見る

モバイル版Yahoo!ブログにアクセス!

スマートフォン版Yahoo!ブログにアクセス!

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

CMで話題のふるさと納税サイトさとふる
毎日お礼品ランキング更新中!
2019年のふるさと納税は≪12/31まで≫
数量限定!イオンおまとめ企画
「無料お試しクーポン」か
「値引きクーポン」が必ず当たる!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事