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ちょっと時間があきましたが…
あれから一年です。 3月11日14時46分には黙祷しましたが、目を閉じた途端にあの日に引き戻されました。 あの日には情報がなく知らなかった大惨事を思うと急に涙 皆さんの御冥福を改めてお祈りします。 |
3.11東日本大震災
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あの日から、今日で半年です。
早かったような、遠い昔のような、不思議な感覚です。
まだまだ辛い日々を送っている方々がたくさんだと思います。
1日1日を大切に生きていきましょう。
亡くなった方のために・・・大切な人のために・・・自分自身のために・・・
あんな怖い思いはもうしたくない。
でも家族がいてくれたこと、友人がいてくれたこと、とても心強かった。
ありがとう、そして合掌
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最近余震が活発化してますが、昨日の地震は久しぶりに怖かった〜
3.11の時と近い時間、そして金曜日。
色々なことをとっさに考えたね〜
まずはその時間の子供達の居場所。
上の子は家か病院。
下の子は昨日から学校だったので、まだ学校かな。
そんなことを考えながら、今回は右手でデスクのモニターを押さえつつ(学習したぞ)、
左手は隣の席の子と手を握る(これはいつものこと)
ちょっと長い揺れだったけど、何とか立ち直り仕事を再開しました。
時々鳴るエリアメール。
テレビに流れる地震速報。
まだまだ落ち着かない余震の中での生活です。
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このあたりで、あの日の事を書いておこうと思います。
でも地震の瞬間記憶は曖昧で、話が前後してると思います。
3月11日午後2時46分。
あたしは会社で仕事中。
ゆらゆらと揺れ始める。次第に強くなる。
隣の同僚と手を握り合う。
「このビル倒れないよね?」とパニックの同僚を「このビルは耐震構造だし新しいから大丈夫だから」となだめつつ、揺れがおさまらないので机の下に。
悲鳴しか出ない。
館内放送がなる。外に出ないようにとのこと。
電気が消える。
何度も揺れる。
パソコン画面が倒れて、向こう側にぶら下がっている。
戻して倒しておく。
机の下に置いておいたブーツに履き替える。
何度も揺れる。
何回揺れたのか解らないほどに・・・
携帯をとりに休憩室に行きたくても、ロッカーが倒れてるから入れないとのこと。
やっとロッカーに荷物と上着をとりに戻れる。
連絡がとれない。
171なんて繋がらないよ。
パパと子供にメール。
息子1は多分家にいるだろう。
息子2は午前中卒業式に出席し午後から家にいるのか、遊びに行ったのか解らない。
程なくパパと電話がつながる。
大丈夫とのこと、家に帰るとのこと。
ガソリンが無いから迎えには行けないと言われた。
とりあえず家に帰ってほしいので、あたしは何とか帰ると答える。
停電して、回線も落ちたため、仕事は無理と判断。
会社から帰宅のOKサインが出たので、同じ方面の4人と歩いて帰ることに。
石巻の同僚は会社に留まるとのこと。
みんなに声をかける余裕もなく、会社に置いてあるお菓子と膝掛けをバックに詰め込み会社を出る。
多分4時は過ぎていたと思う。
降りる階段の長いこと。壁の塗装がぽろぽろ落ちていた。
ビルの外に出ると、人で溢れていた。
みんな歩いて帰宅しようとしている。
雪も降っている。
とっさに傘を持ってきて良かった。
気がつくとメールが入っていた。
息子1からの大丈夫のメール。
なぎからの大丈夫?のメール。
歩きながら、返信する。「歩いて帰ります」
途中のバス停のガラスが割れていた。
建物の窓のガラスも割れていた。
でも建物が倒れていたりしてなかったので、逆に驚く。
何か買って帰りたかったけど、コンビニも閉まっていたり、行列していたりしたのであきらめる。
とりあえず家に帰って子供の顔を見たい。
家に向かうにつれ、歩道が盛り上がっていたり、ひびが入っていたり、家の壁がはがれていたり。
必死で歩いた。
疲れなんて感じなかった。
途中で一人、二人と別れ、二人で歩いていると余震がくる。逃げ場もなく右往左往してるうちにおさまる。
次第に暗くなってくる。
最後の一人と別れ。
パパからのメール。
「車に避難中」実際のメールは「非難中」
もう少しで家に着く。
でも暗くなってるし、心細くなり小走りに。
交差点は信号が消えて警察官が誘導している。
駐車場に行くと、車の中で子供達が毛布にくるまりのんびりしている。
ええ?
感動の再会じゃないんかい!と心の中でつっこむ。
パパを探しに家に行こうとしたとき、友達に会いほっとする。
パパが歩いてくる。良かった。みんな無事だった。
トイレにも行きたかったので、家に入る。薄暗い中、散乱してる家の中を見て愕然とする。
よく怪我もなくすんだ。寝てたらどうなっていたんだろう。
まず厚着をするため服を着込む。
あたしが帰るまでには、貴重品やお菓子や水、毛布、大学の書類、買ったばかりで開けてもいない息子1のノートパソコン。
懐中電灯、ラジオなど車に運び出していた。
すごいよ、パパ。
あたしじゃ、無理だった。
息子2とあたしの宝物のぬいぐるみ、あたしの名前の由来ぷんもしっかり連れてきていた。
後で聞いたら息子2は地震直後から抱っこしてうろうろしてたらしい。
保温したままのご飯があることを思い出し、家に戻る。
台所は割れた食器が散乱。その中でタッパーを探し、ご飯をつめる。
前日のマカロニサラダもあったので、それもつめる。
ふりかけも持って、車で食べることに。ただ胃に詰め込んだだけで味もしなかったな。
空を見ると、珍しく星が見えた。
きっと停電で真っ暗だからだね。
ふとみんな心配してるだろうと思い、ブログに書き込む。
夜には雪が又降り出し、車の中は寒くて寒くて。
何度もトイレに戻った。
ガソリンも残りわずかなので、エンジンもかけられず、凍えて眠れない。
ラジオを聞いても、頭に入ってこない。
朝方エンジンをかけて少し暖まる。
トイレに戻ると、新聞が来ていた。
こんな時にも配達してくれるのかと感動。
新聞を見て、改めて地震と津波の被害を知る。
これはただごとじゃないと実感する。
朝になって明るくなるにつれ、被害がわかってくるのだろう。
どれだけの人が亡くなったんだろう。
どれだけの時間が復興までかかるのだろう。
どれだけの涙が流されたんだろう。
携帯も規制がかかっていたので、ぽつりぽつりと、時には一気に友達から安否確認のメールが届くようになったのは12日の午後くらいから。
みんな心配してくれてありがとう。
お互いに無事で良かった。
こうやって思い出していくと、恐怖感に潰されそうになる。
ドキドキして、泣きそうになる。
こんな思いはもうしたくない。誰にも体験してほしくない。
でも忘れてはいけない事だとも思う。
亡くなった方・・・安らかに・・・
行方不明の方・・・早く見つかりますように・・・
遺族の方・・・笑顔の戻る日がきますように・・・
合掌
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29日は仙台の復興の大きな一歩の日でした。
新幹線全線開通。
楽天・ベガルタ仙台のホーム戦勝利。
そして市営地下鉄の全線復旧。
スーパーも閉鎖していた衣料品等の売り場が再開したりと、少しずつ戻りつつあります。
沿岸部の皆さんはまだまだ避難生活を余儀なくされていますし、行方不明の方々もまだたくさんいらっしゃるので、申し訳ないような気持ちでもあります。
こんなに被害が甚大になると誰が想像していただろう。
近いうちに来るとは予想されていた宮城県沖地震。
でも想像をはるかに超えていた今回の地震。
もう2度と味わいたくない恐怖。
無くなった近しい人もなく、被害の少なかった私でさえこんなにつらいのに・・・
どんな言葉も空々しく聞こえてくる。
頑張ってなんて簡単には言えない。
だってみんな今日一日を必死で生きてるんだもん。
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