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日露、対馬沖海戦・人類の星の時間
No.857 平成25年 5月27日(月) 西 村 眞 悟 本日、五月二十七日は、百八年前の日露戦争において、対馬沖で我が帝国海軍の連合艦隊と露西亜帝国のバルチック艦隊が雌雄を決する艦隊決戦を行い、連合艦隊が完璧な勝利をおさめた日である。 その対馬の連合艦隊とバルチック艦隊の決戦海域を遙かに遠望できる対馬北端の岬の高台、上対馬町西泊の殿崎において、 五月二十六日午後十一時より日露両国の戦没将兵五千数百名の慰霊祭が、対馬歴史顕彰事業推進委員会の主催により、対馬全島から集まったの人々と対馬駐屯の陸海空自衛隊の出席のもとに行われた。 慰霊祭は、国旗掲揚、海上自衛隊ラッパ吹奏そして黙祷によって始まり、神事を執り行い、海戦海域に向かって「海ゆかば」を二度斉唱し、約一時間で終わった。 私は、この慰霊祭に出席し、次で午後一時から殿崎の近くの比田勝区民会館で記念講演をさせていただいた。 その為、私と九州の同志は、前日の五月二十五日の夕刻に上対馬の比田勝に到着して対馬の慰霊祭主宰者同志と合流し、久しぶりに夕食を共にできた。 日露戦争に於ける両国海軍の対馬沖に於ける艦隊決戦の世界史的意義は次に述べるが、その前に、この対馬に於ける記念行事は、国の関与なく完璧に対馬住民有志によって行われていることを記しておきたい。 この殿崎の丘には、つとに西泊住民の努力によって連合艦隊司令長官東郷平八郎元帥の揮毫による「恩海義高(山ヘンに喬)」の石碑が建てられている。 そして、近年、佐世保海軍病院に入院しているバルチック艦隊司令長官であるロジェストウェンスキー中将を見舞う東郷平八郎提督と幕僚の日本一の巨大なレリーフを掲げた「友好・平和」の石碑が民間有志によって建てられた。 そして、その前で、平成十六年五月二十七日、ロゼストウェンスキー、東郷平八郎の両敵味方の提督の曾孫二人が招かれて握手をした。 「恩海義高」の書は、海戦の翌日、四隻のボートに乗って殿崎にたどり着いた百数十名の負傷した敗残のロシア水兵を、上対馬の島民が手厚く救助し介抱したことを知って感激した東郷提督が揮毫したものだ。 その意味は、「戦の海であった対馬が恩愛の海になった、その義は、何と気高いのか!」というもの。 十年以上前になるが、イギリスでは、イギリスがナポレオンの艦隊を撃破したトラファルガー海戦(一八〇五年十月二十一日)二百周年を、エリザベス女王の御臨席のもとに開催しようとしていたのに引き替え、我が国では対馬沖海戦(一九〇五年五月二十七日)百周年を政府が祝おうとする動きはなかった。 それではと、対馬で海戦百周年を祝おうとする動きを起こして、それを実現したのが、対馬を中心とする国民有志であった。 特に対馬の有志の筆頭格になり、日本一の「友好・平和」の巨大レリーフを殿崎に建立した対馬比田勝の高士、武末裕雄さん、また慰霊祭事長で元自衛官の小松津代志さんらに、心より敬意を表する。 私は、この日露海戦百周年記念事業の準備段階で対馬に渡り、始めて武末裕雄さんをはじめとする対馬の高士に出会い、以後親しくお世話になりながら、年に一度は対馬を訪れ、二千年にわたる国境の島である対馬の、海と険しい山に育つ人と歴史と自然と風土に日本の源像としての無限の愛着を感じている。 さて、この対馬沖において百八年前の今日、五月二十七日に行われた日露両国の艦隊決戦の世界史的意義について述べる。 「人類の星の時間」、 これは、世界史の運命的な瞬間を作家のシュテファン・ツバイクが画いたドキュメントの表題である。 その序で、ツバイクは次のように言っている。 「芸術の中に一つの天才精神が生きると、その精神は多くの時代を超えて生き続ける。 世界史にもそのような時間が現れ出ると、その時間が数十年、数百年のための決定をする。そんな場合には、避雷針の先端に大気全体の電気が集中するように、多くの事象の、測り知れない充満が、きわめて短い瞬間の中に集積される。 ・・・そして、一個人の生活、一国民の生活を決定するばかりか全人類の運命の経路を決めさえもするのである。・・・こんな時間は、個人の一生の中でも歴史の経路の中でも稀にしかない。 こんな星の時間・・・星のように光を放ってそして不易に、無常変転の闇の上に照る・・・。」 そして、ツバイクは、一四五三年の西洋によるビザンチンの都奪還や一八一五年のナポレオンのウォーターローにおける世界的瞬間や一九一七年四月のレーニンを乗せてロシアに走る「封印列車」のドキュメントを述べている。 そこで私は、五月二十六日、対馬殿崎に佇立して、 二十世紀のアジア・アフリカを見渡した総体としての世界史にとって、「人類の星の時間」とは、 明治三十八年(一九〇五年)五月二十七日の対馬殿崎沖において展開されたという直感をお伝えしたい。 まことに、その時、この海が避雷針の先端の如くなって世界の大気全体の電気をここに集中せしめ、 有史以来完璧な勝利を我が国にもたらして、二十世紀から現在に至る世界を決定した真の「人類の星の時間」となったのである。 簡潔に書く。 この対馬沖の日露決戦に我が国が敗北したならば、大日本帝国は滅亡した。 これにより、白人ではない有色人種による唯一の独立自尊の近代化は挫折し、有色人種は優秀な白人諸国の植民地というくびきにのもとに生きるという近世以来の世界秩序が二十世紀も堅持されることが確実となる。 この対馬沖決戦に我が国が勝利したが故に、我が国は、二十世紀中盤の大東亜戦争において、諸国民の平等と共存共栄の世界秩序と人種差別撤廃を掲げて戦うことができた。 そして、我が国は、戦闘では負けたが、戦争目的では勝利した。我が国の戦いによってアジアを植民地支配する欧米の軍隊は駆逐され、アジア・アフリカの諸民族は覚醒し、欧米諸国の植民地継続は不可能となったからである。 二十一世紀の現在の世界秩序は、諸民族の平等と人種平等である。この世界秩序を創ったのは、断じて欧米諸国ではない。 二十世紀初頭から世界でたった一国で白人国家の侵略と戦い始めた有色人種の国である日本が、この現在の世界秩序形成の人類史的役割を担っていたのである。 戦後秩序とは、この日本を悪を為したとして、その歴史的意義を封印する秩序である。 対馬殿崎において、この戦後秩序の封印から自由になって決戦海域を大観したとき、まさに百八年前の五月二十七日、ここで「人類の星の時間」が起こったことを実感したのである。 その「明治三十八年五月二十七日の星の時間」の経過を次に記して本稿を止める。 日付けが二十七日に変わった頃、 東郷平八郎連合艦隊司令長官率いる我が連合艦隊は、朝鮮半島南端の鎮海湾に停泊し、ロジェストウェンスキー・ロシア司令長官率いるバルチック艦隊は、数日前ベトナムのカムラン湾を出発して消息を絶っていた。 (1)、午前4時45分、仮装巡洋艦信濃丸、旗艦三笠に打電、 「敵艦ミユ456地点」、 「敵航路北北東、対馬海峡ニ向カウモノノ如シ」 (2)、6時21分、連合艦隊司令長官大本営に打電 「敵艦ミユトノ警報ニ接シ連合艦隊ハ直チニ出撃之ヲ撃滅セント欲ス本日天気晴朗ナレドモ浪タカシ」 (3)、6時34分、旗艦三笠、及び40隻、鎮海湾を出港 (4)、午後1時55分、三笠にZ旗上がる 「帝国ノ興廃此ノ一戦ニアリ各員一層奮励努力セヨ」 (5)、2時5分、連合艦隊三笠を先頭にして、北北東に敵前大回頭 (6)、2時10分、砲撃開始、敵との距離6000メートル (7)、2時20分、敵戦艦オストラビア被弾、落伍 (8)、3時6分、敵旗艦スワロフ、オストラビア脱落、アレキサンドル三世火災、ロゼストウェンスキー司令長官人事不省 (9)、3時10分、オストラビア沈没 (10)、7時、アレキサンドル三世沈没 (11)、7時30分、ボロジノ、スワロフ沈没、 東郷司令長官、主隊による戦闘終結を指令する 以後、水雷艇、駆逐艦による追撃戦開始 日本軍戦死者116名 ロシア軍戦死者5046名 なお、百八年前のこの日、対馬沖で相まみえた日露の軍艦はそれぞれ一隻だけ、現在も日本とロシアに係留されている。 それは、横須賀にある戦艦三笠とペテルスブルグのネバ河に係留されている巡洋艦アウローラである。 アウローラは、対馬沖の戦域を離脱してマニラに逃れて武装を解除された。その後解放されて帰国する。 そして、1917年にボルシェビキの支配下に入り臨時政府のおかれていた冬宮をネバ河から砲撃したので1923年に革命記念艦に指定されるという数奇な運命をたどった。(以上、平間洋一著、「日露戦争が変えた世界史」芙蓉書房出版参照) (了) |

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