過去の投稿日別表示

[ リスト | 詳細 ]

全1ページ

[1]

先人に「上から目線」の愚
適菜収氏の御話し
 
 
 賢者の言葉を紹介した本が売れている。ゲーテやニーチェ、カフカといった先人の言葉をコンパクトにまとめたものが多い。こうした中、巷(ちまた)でよく聞かれるのが、「ゲーテは今から200年も前の人なのにこんなにすごいことを言っていたのか。驚きました」「ゲーテの言葉は今の世の中でも十分に通用しますね」といった類いの反応だ。「どれほど上から目線なのか」と逆に驚いてしまう。たかだか200年後に生まれたというだけで、一段上の立場から「昔の人なのにすごい」とゲーテを褒めるわけだ。これは近代−進歩史観に完全に毒された考え方である。すなわち、時間の経過とともに人間精神が進化するという妄想だ。
 
 彼らに悪気がないことはわかる。ただ感じたことを口にしただけだ。だからこそ深刻なのだ。捻(ね)じ曲がったイデオロギーが体のレベルで染み付いてしまっている。たしかにこの200年で科学技術は進化し、生活は豊かになった。当時、電話は存在しなかったが、今では誰もが携帯電話を使いこなしている。しかし、ほとんどの現代人はケータイの構造を理解していない。与えられたものを便利だから使っているだけであり、200年前どころか原始人となにも変わりはない。むしろ、石器を手作りしていた原始人のほうが、世界を深く認識していた可能性がある。現代人が先人より優れている証拠はどこにもない。一方、劣化を示す兆候は枚挙にいとまがない。その原因は《未来信仰》にある。
 
 かつては「昔の人だからすごい」という感覚はあっても「昔の人なのにすごい」という感覚はなかった。偉大な過去に驚異を感じ、畏敬の念を抱き、古典の模倣を繰り返すことにより文明は維持されてきたからだ。過去は単純に美化されたのではなく、常に現在との緊張関係において捉えられていた。
 
 
 知の巨人ゲーテ(1749〜1832年)は、「過去からわれわれに伝えられているものを絶えず顧みることによって初めて、芸術と学問は促進され得る」と言う。たとえば、15世紀のイタリア・ルネサンスは、古代ギリシャ・古代ローマの《再生》による人間の復興を目指す運動だった。同時にそれは、進歩史観の起源にあたるキリスト教的歴史観に対する芸術の反逆でもあった。ところが近代において進歩史観が勝利を占め、過去は《冷徹な歴史法則》なるものにより都合よく整理されてしまった。歴史は学問の対象に、古典は教養の枠に閉じ込められた。大衆社会において、ついに歴史は趣味になる。現代人の趣味に合わないものは「昔の人の価値観だから」と否定されるようになった。大衆は自分たちが文化の最前線にいると思い込むようになり、古典的な規範を認めず、視線を未来にだけ向けるようになった。過去に対する思い上がり、現在が過去より優れているという根拠のない確信…。畏れ敬う感覚が社会から失われたのである。
 
 「3千年の歴史から学ぶことを知らないものは闇の中にいよ」とゲーテは叱った。現在、自我が肥大した幼児のような大人が、闇の世界で万能感に浸るようになっている。革命、維新などという近代的虚言を弄んでいる連中は、歴史と一緒に大きく歪(ゆが)んだ頭のネジを巻きなおしたほうがいい。
適菜氏の御話し
 
消費税増税法案をめぐり政界で混乱が続いている。社会保障と税の一体改革を目指す野田総理に対し、衆院の採決では72人が造反。民主党は分裂した。こうした中、「国民の皆さんが納得しない」「増税は民意に背く」などと言い出す議員まで現れた。愚の骨頂である。そもそも、政治家は政策決定において、安易に民意に従ってはならないのだ。政治家は有権者の御用聞きではない。政治家がやるべき仕事はただ一つ。議会で議論することである。移ろいやすい民意、熱しやすい世論から距離を置き、過去と未来に責任を持ち、冷静な判断を下すことである。わが国の将来にプラスになるなら増税すべきだし、マイナスになるなら阻止すべきである。
 
 その際、民意は関係ない。
 
 「民意に従う」「国民の判断を仰ぐ」ことが正しいなら、すぐにでも議会を解体して、すべての案件を直接投票(民主主義)で決めればいい。現在では技術的にそれは可能だ。しかし同時にそれは、政治の自殺を意味する。直接投票で物事が決まるなら知性は必要なくなるからだ。
 
 人類の知の歴史が明らかにしてきたことは、民主主義の本質は反知性主義であり、民意を利用する政治家を除去しない限り、文明社会は崩壊するという事実である。諸学の父・アリストテレスは、著書「政治学」において民意を最優先させた場合の民主政を、僭主政(せんしゅせい)(正当な手続きを経ずに君主の座についた者による政治)に近い最悪のものと規定した。
 
 
マッカーシズムとベトナム戦争を痛烈に批判したウォルター・リップマン(1889〜1974年)は、ジャーナリズム論の古典「世論」で民意の危険性について分析している。「なぜなら、あらゆる種類の複雑な問題について一般公衆に訴えるという行為は、知る機会をもったことのない大多数の人たちをまきこむことによって、知っている人たちからの批判をかわしたいという気持から出ているからである。このような状況下で下される判断は、誰がもっとも大きな声をしているか、あるいはもっともうっとりするような声をしているか(中略)によって決まる」
 
 平成17年8月、郵政民営化関連法案が参議院で否決された。首相の小泉純一郎は激怒し「国会は郵政民営化は必要ないという判断を下した」「郵政民営化に賛成か反対かを国民の皆様に問いたい」と言い衆議院を解散した。これは憲政史上類例を見ない暴挙であり、わが国の議会主義が死んだ瞬間である。職業政治家の集団である参議院の判断を無視し、素人の意見を重視したのだから。
 
 この20年にわたるメディアの《民意礼賛》がおかしな政治家を生み出している。橋下徹大阪市長は「僕が直接選挙で選ばれているので最後は僕が民意だ」と、二言目には民意を持ち出し、自己正当化を行う。これはナチスのアドルフ・ヒトラーが使った独裁のロジックとまったく同じものだ。歴史的に見て、デマゴーグは常に民意を利用する。リップマンが指摘したように、ステレオタイプ化した世論、メディアが恣意的(しいてき)につくりあげた民意は、未熟な人々の間で拡大再生産されていく。政治家の役割は、こうした民意の暴走から国家・社会・共同体を守ることである。
 
 
権利、権限を持つことも重要

世の中を良い方向に回帰を行うにしろ何にしろ権利や権限を持たなくては如何し様もありません。國民主権主義の如く民の力で、民の多数決でという行いなどはありえない。勿論、賛同者を増やすことは重要ですがそれにも限界があり、過半数以上の民を真っ当な日本人に出来るのかと考えた場合それはかなり難しいと存じます。変な例えですが、昔マルキストのルカーチ・ジェルジはフランス革命に対しあれは大衆に主体性を持たせる事は出来なかった。実際に行っていたのは一部の人間であり、大衆は烏合の衆でありただ一部の人間に合わせるのみであったと言っております。そして、それは我が國の現状においても大差はないと存じます。ですから、出来るだけ賛同者も集めねばなりませんが、それ以上に権利、権限を取っていく様なことをせねば変わり様もないのかも知れません。

全1ページ

[1]


.
嵯峨源氏
嵯峨源氏
男性 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
友だち(2)
  • 三蒲
  • 明るく元気に
友だち一覧
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

ブログバナー

過去の記事一覧

検索 検索

よしもとブログランキング

もっと見る

プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事