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妄(みだ)りに人の師となるべからず
又妄りに人を師とすべからず 吉田松陰先生の御言葉です。
安易に、きちんとした理由もないのに、人の師となってはいけないし、そして誰かを師としてもいけないという意味です。 原文は、この語録よりもう少し長く、
師道(しどう)を興(おこ)さんとならば、
妄(みだ)りに人の師となるべからず、又妄りに人を師とすべからず。 必ず真に教ふべきことありて師となり、 真に学ぶべきことありて師とすべし。 上司や教師、いわゆるリーダーのあるべき姿として、 この松陰先生の言葉を引用し、語られることが多いのですが、 この言葉を発信した松陰先生の本意は、もっともっと深いところに あるようです。 この言葉が持つ本当の意味を、 松陰研究歴40年の、川口雅昭氏(人間環境大学教授)は、 以下のようにおっしゃっています。 『 この言葉はよく一般論として、教師、上司はこうあらねばならない という引き合いにだされるが、実はそうではない 知識があるとか、品行方正、学術優秀な教師はたくさんいると。
しかし松陰のいう師弟関係とは、国家のために死ねと命令したら死ね。
死ねない人間は弟子になるな。 これに対して弟子も、先生の言うことなら死んでもいいという。
両者の思いがそのレベルで一致して初めて師弟関係となる。 』
と。 |
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國體論と主権論
動的平衡と雛形理論
國家が生き物であるというふ素朴な認識がある。そして國家を生き物の典型である人に擬へて、國家を「法人」と捉へるとしても、まづ生き物に実相に関して大きな示唆を與へてくれたのは、ルドルフ・シェーンハイマーである。彼は昭和十二年に生命科學の世界において偉大な功績を残してゐる。ネズミを使つた實験によつて、生命の個體を構成する脳その他一切の細胞とそのDNAから、これらを更に構成する分子に至るまで全て間斷なく連續して物質代謝がなされてゐることを發見した。生命は、「身體構成成分の動的な状態」にあるとし、それでも平衡を保つてゐるとするのである。まさに「動的平衡(dynamic equilibrium)」(福岡伸一)である。唯物論からすれば、人の身體が短期間のうちに食物摂取と呼吸などにより全身の物質代謝が完了して全身の細胞を構成する分子が全て入れ替えれば、物質的には前の個體とは全く別の個體となり、もはや別人格となるはずである。しかし、それでも「人格の同一性」が保たれてゐる。このことを唯物論では説明不可能である。つまり、このシェーンハイマーの發見は、唯物論では生命科學を到底解明できないことが決定した瞬間でもあつた。
そしてこのことと並んで重要なことは、この極小事象である生命科學における個體の「いのち」から極大事象である宇宙構造まで、自然界に存在するあらゆる事象には自己相似関係を持つてゐるとするフラクタル構造理論の發見である。フラクタルとは、フランスの數學者ブノワ・マンデルブロがが導入した幾何學の概念であるが、いまやコンピュータ・グラフィックスの分野で應用されてゐる理論でもある。このフラクタル構造理論(雛型理論)とは、全體の構造がそれと相似した小さな構造の繰り返しでできてゐる自己相似構造であること、たとへば海岸線や天空の雲、樹木、生體など自然界に存在する一見不規則で複雑な構造は、どんなに微少な部分であつても全體に相似するとするものである。そして、マクロ的な宇宙構造についても、いまやフラクタル構造であることが観察されてをり、また恒星である太陽を中心に地球などの惑星が公轉し、その惑星の周圍を月などの衛星が回轉する構造と、原子核の周圍を電子が回轉するミクロ的な原子構造とは、極大から極小に至る宇宙組成物質全體が自己相似することが解つてゐる。
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國体回復と日本の復興についての説明の動画です。
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昔の民社党のポスターにはこう書いてあった様ですね。
「アメリカ思えば自民党、ソ連の為なら社会党、日本人なら民社党」
こういう事ですね。
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國民主権主義を得た國民に対しモンテスキューが言った言葉が、これで國民はゴッドの立場に就いたという言葉。ぞっとする言葉です。そして今、その立場に居座っている者が我等です。一刻も早く自らの分際を理解し、このおぞましい立場から脱しなければなりません。
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