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宗清議員の御話し 其の十一
住民自治(総論) 知事・市長提出資料(第四回協議会)
一人のリーダー(市長)では267万人の住民自治が不十分 ・最終的な権限及び責任は、市長たった一人 ・市長として、地域の実績を自らで把握する為地域に出向いて多種多様な住民との対話等を行おうと思っても、大阪市は規模が大き過ぎてたった一人で市域全体をカバーすることは不可能 ・ファックス・手紙・メール等で市長に寄せられる提案や要望・意見等も膨大。市長がこれらに十分に目を通すことは不可能で、住民からの声が全て直接届くことは困難 ‐‐‐‐‐ 首長は、選挙を通じて民意を得ており、一人で全てをカバーする必要はなく地域の実情把握は補助機関である職員を活用して行えばよい。
全ての事柄を市長が政治判断する必要もない。権限を組織としてどうするのかガバメントの問題。
民意の反映の為に、議会のチェック機能がある。
決定的に民意と異なる場合は、リコールもある。 橋下自体も問題。市長へのメールが見れないというが、パブリックコメントを無視している橋下。 自民党の主張・疑問 地域に出向いたり、パブリックコメントや住民意見に目を通したりといった地域の実情把握ができないのは、橋下市長の政治姿勢に問題がある。 住民自治の充実の為に、制度見直し(大阪市の廃止、再編)が必要というのは根拠がない。 知事・市長提出資料(第四回協議会) 区役所は行政の内部組織で、権限・組織体制は不十分 ・あくまで出先機関 ・住民ニーズに的確、迅速に対応するには、権限、予算、人員などが限定的 区役所は出先機関で、戸籍・住民登録、福祉等の窓口業務中心であり、その意思決定は限られている為住民ニーズをダイレクトに受け止める事が難しい。
区役所の決定より、本庁の決定が数多くあるのが現状。 地域の実情に応じ、区役所完結で住民ニーズにダイレクトに応えられる様にしていく必要がある。 ‐‐‐‐‐ 区役所か局直接かは別にして、市民は政令市としての住民サービスを受けている。大阪市を廃止し、再編することにより市民が受けるサービスの水準は今よりも低下する懸念がある。
※法令上中核市には権限がないもの
市域内の國府道の管理 こころの健康センター ※府内中核市では実施されていないもの
障害者スポーツセンター こども相談センター ※中核市よりも充実しているもの
公立小中学校の耐震化(教育環境、安心安全) (耐震化率、平成24.4.1:大阪市98.0%、豊中市52.1%、高槻市49.6%、東大阪市46.2%) 各区の住民ニーズ(要望)を受けて整備してきた施設や実現してきた施策も相当ある。 例、各区スポーツセンター、プール、図書館、区民ホール、男女共同参画センター、乳幼児医療・ひとり親家庭医療・あいりん対策、子育ていろいろ相談センター・がん検診・経費老人ホームサービス 自民党の主張・疑問 政令市として提供可能な高度な住民サービスやスケールメリットを切り捨ててまで、大阪市を解体して中核市規模に再編することにより得られる住民メリットは何か? 大阪市でできていなくて府内中核市でできている住民サービスは何か?明らかにすべき。 |
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2012年10月03日
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脱亜論
現在、西洋人の地球規模での行動の迅速さには目を見張るものがあるが、ただこれは科学技術革命の結果である蒸気機関を利用しているにすぎず、人間精神において何か急激な進歩が起こったわけではない。したがって、西洋列強の東洋侵略に対してこれを防ごうと思えば、まずは精神的な覚悟を固めるだけで充分である。西洋人も同じ人間なのだ。とはいえ西洋に起こった科学技術革命という現実を忘れてはならない。国家の独立のためには、科学技術革命の波に進んで身を投じ、その利益だけでなく不利益までも受け入れる他はない。これは近代文明社会で生き残るための必須条件である。
近代文明とはインフルエンザのようなものである。インフルエンザを水際で防げるだろうか。私は防げないと断言する。百害あって一利も無いインフルエンザでも、一度生じてしまえば防げないのである。それが、利益と不利益を相伴うものの、常に利益の方が多い近代文明を、どのようにして水際で防げるというのだろう。近代文明の流入を防ごうとするのではなく、むしろその流行感染を促しつつ国民に免疫を与えるのは知識人の義務でさえある。
西洋の科学技術革命について日本人が知ったのはペリーの黒船以来であって、これによって、国民も、次第に、近代文明を受け入れるべきだという認識を持つようになった。ところが、その進歩の前に横たわっていたのが徳川幕府である。徳川幕府がある限り、近代文明を受け入れることは出来なかった。近代文明か、それとも幕府を中心とした旧体制の維持か。この二者択一が迫られた。もしここで旧体制を選んでいたら、日本の独立は危うかっただろう。なぜなら、科学技術を利用しつつ互いに激しく競いながら世界に飛び出した西洋人たちは、東洋の島国が旧体制のなかにひとり眠っていることを許すほどの余裕を持ち合わせてはいなかったからである。
ここに、日本の有志たちは、徳川幕府よりも国家の独立を重んじることを大義として、皇室の権威に依拠することで旧体制を倒し、新政府をうちたてた。かくして日本は、国家・国民規模で、西洋に生じた科学技術と近代文明を受け入れることを決めたのだった。これは全てのアジア諸国に先駆けており、つまり近代文明の受容とは、日本にとって脱アジアという意味でもあったのである。
日本は、国土はアジアにありながら、国民精神においては西洋の近代文明を受け入れた。ところが日本の不幸として立ち現れたのは近隣諸国である。そのひとつはシナであり、もうひとつは朝鮮である。この二国の人々も日本人と同じく漢字文化圏に属し、同じ古典を共有しているのだが、もともと人種的に異なっているのか、それとも教育に差があるのか、シナ・朝鮮二国と日本との精神的隔たりはあまりにも大きい。情報がこれほど速く行き来する時代にあって、近代文明や国際法について知りながら、それでも過去に拘り続けるシナ・朝鮮の精神は千年前と違わない。
『春秋左氏伝』の「輔車唇歯」とは隣国同志が助け合うことを言うが、現在のシナ・朝鮮は日本にとって何の助けにもならないばかりか、この三国が地理的に近い故に欧米人から同一視されかねない危険性をも持っている。すなわちシナ・朝鮮が独裁体制であれば日本もそうかと疑われ、向こうが儒教の国であればこちらも陰陽五行の国かと疑われ、国際法や国際的マナーなど踏みにじって恥じぬ国であればそれを咎める日本も同じ穴の狢かと邪推され、朝鮮で政治犯への弾圧が行われていれば日本もまたそのような国かと疑われ、等々、例を挙げていけばきりがない。これを例えれば、一つの村の村人全員が無法で残忍でトチ狂っておれば、たとえ一人がまともでそれを咎めていたとしても、村の外からはどっちもどっちに見えると言うことだ。実際、アジア外交を評する場面ではこのような見方も散見され、日本にとって一大不幸だと言わざるを得ない。
もはや、この二国が国際的な常識を身につけることを期待してはならない。「東アジア共同体」の一員としてその繁栄に与ってくれるなどという幻想は捨てるべきである。日本は、むしろ大陸や半島との関係を絶ち、先進国と共に進まなければならない。ただ隣国だからという理由だけで特別な感情を持って接してはならないのだ。この二国に対しても、国際的な常識に従い、国際法に則って接すればよい。悪友の悪事を見逃す者は、共に悪名を逃れ得ない。私は気持ちにおいては「東アジア」の悪友と絶交するものである。(明治18年3月16日)
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