過去の投稿日別表示

[ リスト | 詳細 ]

全1ページ

[1]

美濃部達吉氏の憲法論を読んで思う
四宮さんの御話し

終戦直後の昭和二十年十月二十日の『朝日新聞』に、憲法学者の美濃部達吉氏が次のように論じたことが記されていた。

曰く「私は、いわゆる『憲法民主主義化』を実現するためには、形式的な憲法の条文の改正は、必ずしも絶対の必要ではなく、現在の憲法(註・『大日本帝国憲法』)の条文の下においても、議院法、貴族院令、衆院議員選挙法、官制、地方自治制、その他の法令の改正及びその運用により、これを実現することが十分可能であることを信ずるもので、たとえ結局においてその改正が望ましいとしても、それは他日平静な情勢の回復を待って慎重に考慮せられるべき所で、今日の逼迫せる非常事態の下において、急速にこれを実行せんとすることは、いたずらに混乱を生ずるのみで、適切な結果を得る所以ではなく、したがって少なくとも現在の問題としては、憲法の改正はこれを避けることを切望して止まないものである」と。
...

今日、『大日本帝国憲法』復元改正論に対して、時代錯誤であるかのような批判があるが決してそうではない。『大日本帝国憲法』は決して過去の遺物ではない。極めて正統なる法思想に貫かれた憲法である。日本國體精神と近代法思想・議会政治思想が見事に融合している。

アメリカ占領軍が国際法違反の軍事的政治的圧力のもとで押し付けた『現行占領憲法』には正統性は無い。また内容も日本国を混乱に陥れるものとなっている。

『大日本帝国憲法』に一度回帰し、その上で、時代状況に合うように改正することが、真の法治国家・独立国家としての日本を正しく回復する道である。対米自立とか、反米を叫ぶ連中が、アメリカ製の『現行占領憲法』擁護を声高に叫んでいるのは全く理解に苦しむ
 
 
人は目の前にある一つの言葉や文章のみで相手を理解し様とすると、単純な事柄、事象ならばいざ知らずそれが少しでも複雑になってくると、或いは様々な背景が関わってくると、その言葉、文章の真意は理解しにくくなってくるものです。意思主義と表示主義というものがあります。意思主義とは文章として表面化した部分のみでその文章の意味を理解するということではなく、その言葉や文章の真意を理解した上でそれの真の理解をするという意です。
 
それはブログの内容でもそうです。中には言葉足らずのものや一見では理解し難いものもあります。しかしながら、その人の真意を知ればたとえそういった内容の文章でもよりその文章の真意を理解し易くなります。そして、人とは文章で書き表すことには限度もあります。心の中の気持ちを全て言語化、文章化出来るのか。それは出来ません。人間の言語とは、人が様々な事、物に対し思う事から始まるのです。詰まりは、言語は思う事に対し常に同等かそれ以下の存在でしかなく、しかも少なくとも現在の人間世界の言語の成熟具合では表現し切れない様な事は幾らでもあります。
「祭祀」が日本民族の精神傳統・日本文化の原点
四宮さんの御話し

 祖靈崇拝と自然崇拝が天皇を中心とする信仰共同體國家日本の土台である。
 日本民族は古来、祖靈と自然を神と崇め、祭って来た。わが國の傳統信仰の祖靈崇拝と自然崇拝が、天皇を中心とする信仰共同體國家日本の土台、言い換えれば日本國體の根幹を成している。そしてそれは、國民道徳・道義精神の根幹でもある。
 わが國の神々の中で、最尊最貴の神として信仰され崇められている神であらせられる天照大神は、御皇室の祖先神であると共に、自然神である太陽神である。

...
 稲作生活を営んで来た日本人は、太陽・山・海・川など大自然の恵みの中に生きて来たので、自然を神と崇めた。また、祖先から稲の種と水田と農耕技術という恵み祖先から傳えられたので、祖先に感謝する思いが強かった。

 『日本書紀』に、天照大神は、邇邇藝命の天孫降臨に際し、「吾が高天原に所御(きこしめ)す齋庭(ゆにわ)の穂(いなほ)を以て、亦吾が児(みこ)に御(まか)せまつるべし」と命令されたと記されている。これは、わが國の稲作(稲の種・水田・農耕技術)が天来のものであることを示している。と共に、日本民族の生活の基本である稲作が、太陽の恵みと祖先から傳えられた農耕技術によって支えられていることを示している。

 皇祖神と太陽神が一體であるということは、わが民族の傳統信仰が祖靈崇拝と自然崇拝であることを端的に示している。これを<敬神崇祖>という。

 日本民族は、神に対して常に祭りを行ってきた。「まつり」は、日本民族の精神傳統・日本文化の原点である。「まつる」という言葉の原義は、「お側で奉仕し服従する」「何でも仰せ事があれば承りその通り行う」「ものを献上する」「ものを奉る」というほどの意であるという。

 何のために、神のお側で奉仕し、神にものを献上するのかと言うと、神に靈力を発揮して頂くためであるという。神の御前に献上する「もの」は単なる「物質」ではなく、祭りを行う者たちの<まごころの結晶>であり<象徴>である。これを「神饌」という。

 天照大神が邇邇藝命に御命令になった米作りの成果とてし献上される米は、「神饌」の代表的存在である。神饌を神に献上することが「まつろう」ということである。天つ神の命令をそのまま命令通りに行っていることを「まつる」という。

 天皇が行われる祭祀はまさに天つ神の命令をそのまま命令通りに行っていることを御報告申し上げる重要なみ祭りなのである。

 このように、<敬神崇祖>というわが國の國民道徳の基本は、神學・教義という<抽象概念>として継承されて来なかった。それは、上は天皇から下万民に至る日本民族の生活の中の<神祭り><祭祀>という行事によって、古代より今日まで傳えられて来た。靖國神社の戦没者への祭祀は、そうした古来よりの日本民族の道義精神の典型である。
 
 

ブログとは

今回は、このブログについて少し書かせて頂きます。
 
あまりこういう事を書きたくはないのですが、基本的にこのブログで私が書く事、御紹介をさせて頂く事は、私個人の都合で勝手で書いて良いものであり、公で行うものの様にそこに何ら規制をされる筋合いのある様な性質のものでは御座いません。何故この様な事を書くのかというと、先刻コメントで私のブログ記事に因縁を付ける様なものがあったからです。
 
自分勝手で下らない程度の内容ですからそのコメントは削除しましたが、それを私が逃げたと勝手に解釈をして最初は一様に丁寧語であったのが今度は舐めた様な言葉使いでコメントをしてきました。これだから、下らない程度のコメントを相手にしたくないのです。人間には汚いものは避けるという慣習があります。汚いものとはこういう者の事を指します。
 
私のブログに対し、私が書いた全ての日記の総括と日本人としての当たり前の意思疎通の前提意識を持てない人間はコメントをしないで下さいね。何故ならば、幾人かの話し合いとはその中に一人でも可笑しな人間が混じっていた場合、その話し合いはそもそも無茶苦茶になるからです。それは、既に大学の研究でそういった結果が出ている事です。

全1ページ

[1]


.
嵯峨源氏
嵯峨源氏
男性 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
友だち(2)
  • 三蒲
  • 明るく元気に
友だち一覧
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31

ブログバナー

過去の記事一覧

検索 検索

よしもとブログランキング

もっと見る

プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事