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ゴミは道に捨てない
本来当たり前のことです。が、今の我が國においてはそうではありませんね。ゴミが落ちています。外國よりはマシだとは思いますが、我が國はそもそも外國と比較して物事を判断することを是とする御國ではありません。外國ではなく、昔の我が國と比べましょう。そうすれば現在がどういった状況なのかが理解できると思います。現在においては、色々あるとはいえ例えば江戸時代と比べると本当に情けないです。江戸時代においては、そもそもゴミになる物自体が少ないということもあるのですが、ゴミなるものが全く落ちていませんでした。我が國は本来堕落的な行動は致しませんし。詰まりは大概の人々は贅沢はしない、一つの物を出来るだけずっと使い続ける、使えなくなっても再利用。こういった精神の元に我等は存在するべき民であり、少なくとも根本的な部分においては、その気持ちを次の世代に継承しつつ2600年以上もの長い歴史を支え続けてきた分けです。しかしながら、戦後以降は如何なのか。特に現代は…。そして、この精神の腐敗は、ゴミの問題のみではありません。経済を含めたあらゆるところに影響を及ぼしていますね。所詮は人が行うことですから。皆で何とか昔の道端にゴミの無い我が國を再構築していきたいですね。 |
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平沼さんの代表質問を見ました
基本的には良いと思いました。現時点では、中々代表質問で細かい事は言えないのでしょうから、ある程度は譲歩致します。それこそ憲法については、取り敢えず現行憲法の改憲とは言っていないので良いのではないですかね。 その憲法に対する、安倍首相の返答がこれは馬鹿みたいな内容でしたが…果たしてこれから如何変化出来るのか、と言ったところなのでしょうね。
安倍さんの返答内容は相変わらずの戦後体制の維持の路線です…。 現行憲法がもう戦後約60年経っているから有効というのは、全く理由になりませんよ。いつまで無茶苦茶を言っているのか。國法學の水準にある問題を強引に民法の水準に持ち込むというそれは暴論です。それにそもそも安倍さんは、以前にTVで現憲法は、ハーグ条約違反で無効と言っておられますね。そろそろ腹をくくられては如何でしょうか。 |
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西村真悟時事通信(平成25年1月29日) 「首相の所信表明、平和にボケていた」 ... 昨日二十八日の総理大臣所信表明演説に関し、マスコミそして政界の「解説者」の話は、おおかた報道された。 しかし、日本国民の命に関することに関しては、報道されなかった。このことは、日本人自身が、日本と日本人を取り巻く「世界の現状」を何ら知ろうとしていないことを示している。 日本と日本人は、今まさに「狙われている」ことを知らないのだ。 この「世界の現状」を前提にして、総理大臣は、昨日の所信において、日本人を「狙う者」に対して有力な抑止力を加えることができたのに、その機会を逸した。 彼自身が、戦後の惰性の中で演説したからだ。 彼は、まだ気づいていないのか。 テロは、他人事ではない。「テロとの世界戦争」が行われている現在、あらゆる機会を通じて日本人の命をテロから守る責務が総理大臣にあるということを。 まことに残念だ。 このままでは、テロリストの世界に、何のリスクを負うこともなく目的を達することができるテロの標的は日本人だという「教訓」を、定着させることになる。 総理大臣は、昨日の所信表明において、アルジェリアにおけるな残忍なテロ組織の攻撃によって非業の死を遂げた十名の日本人を追悼し遺族と悲しみを共にする旨を申し述べただけだ。 それを聞いていて、思わず、 「仇をとると言え」とヤジを飛ばしそうになった。 安倍さんは、昨日の所信において、総理大臣として、世界のテロ組織に対して、例えば、 「日本は必ず仇をとる」 「日本人を襲撃すれば、必ず重大な報復を行う」 「日本の武士道を見くびるな」 と表明するべきであった。 アメリカは、平成十三年(2001年)、ニューヨークの貿易センタービルをオサマ・ビン・ラディン率いるテロ組織によって破壊され三千余名の命を奪われた。 しかし、苦節十年、居場所を隠して移動を続けるオサマ・ビン・ラディンを遂に探し出し、平成二十三年(2011年)、アフガニスタンでアメリカ海軍特殊部隊が彼を急襲し殺害した。 この行為によってアメリカは、アメリカ人をテロの標的にすれば、そいつを必ず殺す、というサインを軍事行動でテロ組織に送った。 そして、この行動によって、テロ組織は、アメリカを襲撃しにくくなり、アメリカ人の命はかなりのレベルで守られるようになった。 では、アメリカは、以上の措置を断行するに、オサマ・ビン・ラディンを裁判にかけてしたのか。 否である。 アメリカは、テロを「刑事事件」として扱っていない。 アメリカは、テロを「WAR」(戦争)と捉えている。従って、以上の措置が断行できたのだ。 そこで、日本は、アルジェリアでのテロを今どう捉えているのか。 日本は、「刑事事件」として扱っている。 従って、殺人罪を適用し、日本に帰った犠牲者の御遺体を捜査機関が、「検死」また「司法解剖」したのだ。 しかし、このテロの本質は、「WAR・戦争」だ。 「OTHER THAN WAR」だ。 ところが、日本は、「刑事事件」として扱っている。 よって、敵(いや日本では被疑者)は、オサマ・ビン・ラディンのように逃げ隠れする必要もなく、日本に入国すれば命は保障されて「逮捕」されるが、隣の韓国まで観光旅行をすることができる。 しかも、日本が韓国政府に、その「被疑者」を捕えて日本に引き渡してくれと要求しても、そいつが、あの行為は、「日帝の朝鮮支配糾弾のためにした」と韓国政府に言いさえすれば、「政治犯」とみなされて自由に悠々とテロ組織のアジトに戻っていくことになる。 さて、先日、イスラエル政府関係者が、私の知人にこう言った。 「日本のゴラン高原からの撤退は、非常に恥ずかしい行為ですよ」 その通り、我が国のゴラン高原からの撤退は、我が国を軽蔑の対象にして我が国の評価を地に落とし一週間後のアルジェリアの日本人の命を危機に曝したのだ。 アルジェリアで石油プラントを襲った覆面旅団というテロ組織は、日本人を標的にしていたようだ。それ故、日本人の死者が一番多い。 このことと、ゴラン高原からの部隊撤退を無関係と思ってはならない。 つまり、ゴラン高原からの撤退は、動乱の中に生きる世界に、次のサインを送った。 日本は危機に弱い。 日本に強く出れば日本は退く。 日本人には何をしても反撃はなく怖くない。 日本は、絶好のテロ襲撃の目標だ。 そして、覆面旅団が、このサインを受け取った。 しかし、サインを受け取った組織は、何も中東のテロ組織に限らない。我が国の周辺、即ち、北からロシア、朝鮮そして中共が我が国のゴラン高原からの撤退を観て教訓を得ていたのだ。 昨夜の総理の所信表明に関する「解説」は、 参議院選挙を念頭に置いてとか、自民・公明の連立に神経を使っていたとか、いろいろ言っていた。 しかし、以上述べてきた肝心の総理の責務、即ち、自衛隊の最高指揮官として、世界で活動する日本国民の命をいかに守るか、という観点からの解説はなかった。 遥か祖国を離れた熱砂のアフリカ北部で、企業戦士として職務を遂行し同時に日本のプレゼンスを高めていた十名の同胞(はらから)が、テロ組織によって虫けらのように残忍に殺されたのである。 総理大臣は、アルジェリア軍とテロ組織の交戦中に、アルジェに電話して、人命最優先だけを強く訴えていたが、まさにその同胞の人命が残忍に奪われたのだ。 怒れ、そして、仇をとる、つまりテロ組織は必ずその報いを受ける、と言ったらどうか。 その怒りが、人命をテロから守ることにつながるからだ。 しこうして、第二、第三のテロから国民の命を如何にして守るのか。 所信において、なぜその決意を表明しなかったのか。 総理そして安倍内閣さらに「解説者」、 もういい加減に、平和ボケから覚めたらどうか。 それとも、覚めないふりをしておれば、参議院選挙に自民公明で勝てると思っているのか。 つまり、日本国民の命より、連立が大事なのか。 |
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日本の政治家は支那に対してみっともない劣等感を抱いてはならない
四宮さんの御話し 山口那津男公明党代表は、支那にわが国の総理の親書を持って行ったのだ。総理の代理と言っても良い。しかるにさんざん待たされた挙句やっと実現した習近平との会談で、習近平は一度も頭を下げないのに、何回も頭を下げていた。まるで臣下のような態度であった。情けないかぎりだ。 「支那」の権力者は国家さへ私物化した。だから国民党は、「天下爲公」といふ「標語」を掲げざるを得なかったのである。それは国民党だけではない。今日の「支那共産党」も同じである。支那共産党は「人民のために服務せよ」を合言葉にしている。しかし支那共産党の権力掌握後、毛沢東は支那といふ國を私物化し多くの同志・国民を虐殺した。そして「いわゆる改革開放」後の支那共政府の権力者は天文学的数字の財産をつくり、子弟を敵である筈の資本主義大国アメリカに留学させている。まさに王侯貴族の生活を送っている。ともかく支那権力者は、人民大衆のことなど全く無視して己の私腹を肥やすというのが支那権力者の本質である。 ... 日本人は「無私」を尊ぶ。「公」の体現者であられる天皇に自己を無にして仕へることが日本の道義精神の根本である。「無私」の心をもっとも体現しておられるお方が、祭り主・日本天皇であらせられる。なぜなら「まつり」とは、神に対して私を無くしてまつろひたてまつる行事であるからである。 一切の私利私欲を禊祓ひ去って生成の根源に回帰する行事が日本伝統信仰の「祭祀」である。換言すれば、「祭祀」とは自己を無にして神に奉仕する(つかへまつる)ことである。そして祭祀によって神と人とが合一する。天皇はその最高の実行者であらせられる。 天皇の「祭祀」とそれに伴ふ「天皇の無私の大御心・神聖性」が日本國民の道義の規範なのである。天皇の祭祀を国民が「神習ふ」ことによって、世俗の穢れや罪を清め続けてきたのである。まさに日本民族は「本是神州清潔之民」なのである。 支那などの外国と比較して、日本くらい政治家・官僚の権力の私物化・権力を利用した私益の追求を嫌う国はない。 「明き淨き直き誠の心」こそ、わが國の道義心の根本である。天皇は現御神として天の神の御心を地上で実現されるお方であり道義精神の最高の実践者であらせられる。 かく考へてくると、日本は、古代以来の祭祀が今も生きていることが何よりも貴いことであり、誇るべきことである。「支那」および「支那文化」に対してみっともない劣等感を抱いてはならない。わが国はこれまで、「支那」の属国となることはなかった。今後の日本もそうであらねばならない。 |
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現在の日本人の多くは、日本人としての感覚や常識を殆ど持っていません
何故ならば、そもそも日本人とは生まれながらにしてなるものではなく、そして生きていれば勝手になれるものでもない。日本人とは、少なくとも10歳位までは徹底して日本人としての教育を受け、我が國の風俗がある中で生きていかねばなれるものではありません。 人という言葉がありますが、これの語源は年齢です。”ひ”とはひふみのひ、”と”とは、ななこことおのとです。それを合わせて”ひと”となります。そして、何故”ひ”と”とう”を合わせたのかというと、それは血統主義の元、存在をしていた我等日本人にとっての人とは日本人のことを差し、そして日本人とは生まれた瞬間に日本人となるのではなく、せめて10歳位までは日本人としてきっちりと生き教育され初めて一人前の日本人として認められるということです。
唯々日本國籍を持っているからや遺伝子がY遺伝子D2血統であれば即日本人になれるものではありません。それが真正伝統國家である我が國の民になる為の本来の条件です。
戦後生まれの似非日本人が御先祖様が場合によっては命を賭してまで護持をしてくれた我が國を如何様に変えるというのか。今生きている日本人の大半は御國のことを判断出来るだけの判断力はありません。
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