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2013年03月

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明治維新の精神

明治維新の精神
四宮さんの御話し

今日、多くの政治家や政治勢力が「維新」という言葉を使っている

わが國有史以来未曾有の大変革であるところの明治維新の基本精神は、慶應三年十二月九日、明治天皇『王政復古の大号令』に示されているように「諸事、神武創業の始に原(もと)づき、……至當(しとう)の公議を竭(つく)し、天下と休戚(きゅうせき)を同く遊ばさる可(べき)き叡念」ということである。「休戚」とは「喜びも悲しみも」という意である。「万事、神武天皇御創業の根本精神にたちかえり、……積極的に筋の通った公正な論議を尽くして、天下の民と喜びも悲しみも共にされるという御心……」というほどの意であると拝する。
...
 慶應四年八月二十七日に京都御所紫宸殿で行われた明治天皇即位式の『宣命』には、「方今(いま)天下(あめのした)の大政(おほまつりごと)古(いにしへ)に復(かへ)し賜ひて、橿原の宮に御宇(あめのしたしろしめし)し天皇(すめらみこと)御創業(おんことはじめ)の古(いにしへ)に基き……」と示されている。

 明治天皇は、さらに、
「橿原のとほつみおやの宮柱たてそめしより國はうごかず」
「橿原の宮のおきてにもとづきてわが日本(ひのもと)の國をたもたむ」
 と詠ませられている。    

 明治維新の基本精神は、「神武創業への回帰」すなわち、神武天皇が大和橿原の地に都を定められた精神に帰ろうということである。この精神に基づいて大変革を断行したのである。明治維新そして明治期の日本近代化は、実に神武創業への回帰の精神がその根底にあったのである。

 ただし、明治維新の基本精神たる「神武創業への回帰」とは、時計の針を昔に戻すということではなかった。

「諸事神武創業の始めに原(もとづ)き」とは、「復古」の精神であり、「至当の公議を竭(つく)し」「旧来の驕惰の汚習を洗ひ」とは、「革新」の精神である。議会政治を開き民意をきこしめす精神が示されてゐる。「神武創業の精神」に基づいて旧体制(幕藩体制)を根本的に変革し、封建体制を解体し、廃藩置県を断行し、身分差別をなくし、さらには憲法を制定し、議会を開設するなどの大変革を行ったのである。ここに、外国の革命とは全く異なる日本的変革すなはち維新の根本がある。

今日維新を口にする人々にあえて言いたい。神武天皇御創業の御精神への回帰そして尊皇攘夷の精神なくして維新はあり得ないのである。
 
 

安倍首相、TPP参加を表明

時事通信 3月15日(金)18時3分配信
 米国やオーストラリアなど11カ国が参加している環太平洋連携協定(TPP)について、安倍晋三首相は15日夕、首相官邸で記者会見し、日本が交渉に参加することを正式表明した。首相は参加が日本の国益にかなうと訴える一方、影響が懸念される農業分野に配慮する姿勢も示し、理解を求める。 
 
 
あ〜あ。やっちまったよ此奴。

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宮司は、TPPには、反対です・・瑞穂の国の神々は「TPP」と言う横文字が嫌いです。

日本は古来、稲作民族でお米を主食として生きてきました
 
日本の多くの祭礼は、この稲穂である、農耕に関するお祭りです
 
「わが祖国日本は、古事記・日本書紀の時代から祭祀を大切に守ってきました。
 
先の「大東亜戦争」の時も、あらゆる国から輸出をストップされて、四面楚歌になりましたが
 
日本は瑞穂の国・・・「※・麦・粟・稗・蕎麦」を食いつなぎ生きてきました。
 
わが日本の歴史を紐解けば一目瞭然「日本は「農耕民族」なのです。
 
牛や馬の肉が無ければ生きられない民族ではないのです。
 
パン食よりも米を愛する民族なのです。
 
民俗学的にも神道的にもTPPは、日本の風土になじまないのです。
 
TPPの参加で喜ぶのは、アメリカでしょうが、
 
日本はアメリカの植民地ではないのです。
 
日本は「神の国」・・美しい国」です。
 

百害あって一利なし

 自動車などの主力産業は、
 
既に海外生産に移行しているため、
 
関税を撤廃しても輸出は増えません。
 
その一方で、国内の農業や経済に与えるダメージは計り知れません。
 
百害あって一利なし。売国的政策には断固反対です。
 
 
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転載元転載元: 世界遺産の吉水神社から「ニコニコ顔で、命がけ!」

ある日、突然・TPP

ある日、突然
WJF氏の御話し
http://wondrousjapanforever.cocolog-nifty.com/blog/2013/03/post-8b94.html

ある日突然、大きなクレーン車とブルドーザーがやってきて、長く住み慣れた私たちの町を壊し始める。

何事かと、私たちが騒ぎ始めると、

水島某という町内会長がやってきて、「まあまあ穏便に」と私たちをなだめる。

話を聞けば、私たちの家をすっかり解体したあと、青天井の下で、私たちの障子を張り替えてくれるそうな。

だから、ここは声を荒げるなと彼は私たちに言う。

障子を張り替えてもらうためには、まずは家を壊すしかないのだという。

住人の何人かは、「そうか、障子を張り替えてくれるのか。うちの障子は穴だらけで、張り替えてもらうのは長年の夢だった。その話乗ろうじゃないか」と言い始める。

「おいおい、バカなこと言うんじゃないよ。家を壊されて障子を張り替えてどうするんだよ」と言っても、

「何言ってるんだい。新しい障子で清々しく生活したいじゃないか。」と彼らは言う。

「おいおい、それは話が本末転倒してるじゃないか」と言っても耳を貸さない。

町内会長の水島某に意見を聞くと、「家の解体断固反対、障子張り替え断固支持」という。

しかし、「障子の張り替えは家を解体しないとやってくれないのであります。障子を張り替えてもらうために、家の解体を受け入れるしかないのであります」などとおかしなことを言う。

「こらこら、町内会長、それなら、障子の張り替えは断って、家の解体を認めないっていうのが筋じゃないのかい。」と言っても

「いや、古い障子は張り替えなければならないのであります。」と彼は言い張る。

彼らは新しい障子のことで頭がいっぱいなのだ。
我が国のかたち、天皇陛下の御臨席
西村眞悟衆議院議員の御話し
 
 昨日の東日本大震災二周年追悼式についてさらにお伝えしておきたい。
 それは、
 「天皇陛下の御臨席」
 ということである。
 ここに、我が国の戦前と戦後の一貫性、太古からの姿がある。
 この一貫性とは、天皇と国民の絆に顕れている。
 そして、この絆は、二年前の被災地に、また、昨日の追悼式に顕れていた。
 世界は、二年前の東日本巨大地震と津波のすさまじい被害に驚いたが、さらに驚いたのは被災地の日本人の姿だった。
 この世界が驚く被災地の日本人の姿と「天皇の御臨席」は不可分だった。
 
 日本人は、天皇との絆のもとに秩序を維持する民族である。
 このことは、昨日の追悼式にも顕れていた。
 参列した世界各国の外交官は、日本人以上に明確に感じ取ったはずだ(けがらわしい支那が、参列していなくてよかった)。
 天皇は、我が国の苦難の中における最高の危機管理者であり統治者である。それは、
「神聖にして侵すべからざる」存在である(大日本帝国憲法第三条)。
 事実、昨日もそうであった。
 追悼式は、天皇皇后両陛下御臨席、次に官房長官の開式の辞そして国歌斉唱と発災同時刻の黙祷で始まった。
 天皇皇后両陛下の御臨席は、午後二時四十分頃。
 式に出席する衆参議員は、午後一時三十分に国会正門前に集合してバスに乗り会場に向かった。会場到着は一時四十分頃。総理や閣僚もその頃到着し着席。多くのご遺族や多数の在京各国外交官も着席。
 そして、天皇陛下のご到着まで四十分間、深い静寂のなかで全員が御臨席まで待機していた。
 その間、まことに充実した時間だった。
 この静寂の時間によって被災者の霊と式場が一体化した。
 
 そのうえで、式場は最高の祠祭者であり危機管理者である統治者即ち天皇陛下をお迎えしたのである。
 この式場の秩序と静寂は、かつて「ことある時」に示された日本人の姿と同じ「底」から生み出されている。
 その同じ「底」から生み出された姿を、三つ記しておきたい。
 「底」とは、「ことあるとき」に顕れる日本民族の血に根ざす原始無限流動の力だ。
1(二年前の東日本被災地)、
 東日本被災地の学校の屋上に「SOS」を発見し、そこに着陸したアメリカ軍救援ヘリの女性機長の話。
「私はためらいながら着陸した。何故なら、アメリカを含む世界の國では、例外なく被災地に着陸した救援ヘリには被災者が殺到し収拾がつかなくなるからだ。
 しかし、その学校に着陸してみると、一人の老紳士が静かにヘリに近づいてきた。そして、三百人の被災者が居るといった。
 救援物資を渡すというと、整然とバケツリレーでそれを受け取った。物資の奪い合いなど全くなかった。
 暫くすると、彼はもういいと言った。まだあるからとさらに渡そうとすると、彼はきっぱりと断って、他の被災者に渡してあげてくれと言った。
 この日本人の姿は、アメリカ軍の公式記録に記載される」
2(昭和十九年、ビルマ戦線)、
 「日本軍の潜入攻撃の大胆さと、最後まで戦う勇敢さは驚嘆すべきものがあった。
 第三十三師団の部隊は、如何に弱められ、疲れ果てても、なおかつ本来の目的達成のために猛攻を繰り返してくる。第三十三師団のこのような行動は、史上その例を見ざるものであった。
・・・この企画を遂行した日本人の最高の勇気と大胆不敵さは、疑う余地なく、日本軍に比肩すべき陸軍は、他の如何なる國にもないであろう・・・」(英印軍第14軍司令官W・スリム中将)
3(昭和二十年、フィリピン戦線)、
「戦場であいまみえた仲でなければ、相手の偉大さは分かりません。あなた方日本軍の精強に私たちは驚嘆しています。
 さきにヨーロッパ戦線で日系市民志願兵で編成された第442部隊が樹てた偉大な業績は米軍内の驚異の的になっています。
 私たちはこの戦場で、その実際を身を以て痛感しました。・・・」(フィリピン戦線で日本軍と交戦した米軍師団長が降伏の処理を済ませた第十九師団長尾崎義春中将と参謀長に語った言葉)、以上二編、「日本兵法研究会」、家村和幸主催より。
4(昭和二十二年、昭和天皇佐賀県行幸のおり)、
 行幸先の道で、ソビエトに日本共産化を洗脳され日本赤化の為に速く帰国させられたシベリア抑留者が「引き揚げ者」という標識を掲げて集まり天皇の戦争責任を問責しようと待ちかまえていた。
 昭和天皇は、その「引き揚げ者」の前で深々と頭を下げられ、次のように言われた。
「長い間遠い外国でいろいろ苦労して大変だっただろうと思うとき、私の胸が痛むだけではなく、このような戦争があったことに対して深く苦しみを共にするものであります。
 皆さんは外国において築きあげたものを全部失ってしまったことであるが、日本という國があるかぎり、再び戦争のない平和な國として新しい方向に進むことを希望しています。
 皆さんと共に、手を携えて新しい道を築きたいと思います」
 
 昭和天皇のこのお言葉に接し、引き揚げ者一団は泣いた。
 そして、その中の一人が、陛下に次のように言った。
「天皇陛下様、ありがとうございました・・・
 天皇陛下様も苦しんでいらっしゃることが今分かりました。
 今日からは決して世の中を呪いません。人を恨みません。
 天皇陛下様と一緒に私も頑張ります」(「天皇さまが泣いてござった」しらべ かんが著、教育社より)

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