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上念氏という人間は、己を支持している人間をNTと持ち上げ特別な人間とした上で自分はそれらの司令官という形を取っている様ですね。
支持者が逃げない様に持ち上げ良い気持ちにさせる。逆にいい気になり過ぎて変に自立して動かれると困る。だから立場をはっきりさせる為に上官気取り。そうして支持者の心を縛っている。しかし、所詮彼が何を言おうが彼の根底にあるものは自分の立場や利益を守りたいだけなのです。それは以下の問題を知れば理解出来ると思います。まともな人間ならば真理を追求する時、誹謗中傷がどれだけ害悪なのかを知っています。しかしながら、彼は違う様です。
以下、南出喜久治氏が書かれたものを私が以前御紹介させて頂いた、題名昨今インターネットにある真正護憲論に対する批判、誹謗中傷に対する反論!(壱〜終)に出て来る、”真正護憲論に対して彼が発信したツイッターの一部”の部分を御紹介致します。はっきり言って上念氏は気が狂っています。
「無効論とは、①一切の妥協を許さない教条主義」「護憲テロ」「結果よりも教義を重視するカルトもどき」「遠慮なく新無効論を邪教、変態護憲論として論撃できます」「新無効論の布教」「新無効論はカルト」「布教している」「新無効論が如何に間違った考えかを世の中に広めるために協力してくれる潜入スパイみたいなものですよ」「国粋主義者に偽装したコミンテルン工作員とやってることが変わらない」「教義を繰り返し布教しているだけです」「教祖」「むしろコミンテルン的だと思いますよ」「変態護憲論」「コミンテルンが国粋主義者に偽装して日米開戦を煽ったのと同じです」「教祖」「神学論争」「教義の繰り返しばかり」「ゴミからはゴミしか生まれない」「南出信者らは自覚ない」「南出信者は自分らが一番本能が劣化してる。」「カルト経典セット一式」「新無効論はどこをどう突いても矛盾だらけの欠陥品」「タダのバカ」「ブキミなカルト性を南出無効論信者」「中身も完全にカルト教団化してますよね。」「教祖の出してるマニュアル読みました」「南出経典」「教祖の趣味で過去の事例をつまみ食いした恣意的復古的なもの」「教祖自身も何だかよく分かっていない極めて曖昧なもの」「あれってどうも教団幹部らしいですよ。」「南出喜久治のインチキ現行憲法無効論」「カルトなんでこういったごく少数の狂信者だけで構成されている可能性もあります」「南出経典をコピペ」「理論はウソと矛盾だらけになります。」「新無効論者の異常性」「ひとつの考えに凝り固まった共産主義者のような新無効論者に、議論なんて無理なのかもしれません。」「要は、社会主義者と同じ」「革命勢力と同じです。」「教祖南出氏」「この教祖にしてこの信者あり。」「カルトの仲間にしか通用しない理論」「説明責任は布教したいカルト側にあるでしょ」「新無効論のような仲間内にしか通用しないカルト理論」「まさにカルトそのもの」「そうなんです。カルトってしつこいでしょ」「新無効論の危険性を勝手に世に広めてくれるんで助かります」「南出無効論者の異常性をトゥギャって晒してやってください。拡散協力します!」「新無効論者はトンデモない差別主義者だった。」「自滅の道をたどる新無効論」「変態復古主義とでも名付けましょうか?」
と言つた狂気に充ちた言葉が繰り返されたのである。一度の面識もない私に、ここまで憎悪を募らせる上念氏とは一体何者なのか。不思議でならない。
そして、この上念氏は、私だけでは飽き足らないのか、土屋氏に対しても罵倒してくる。これも具体的に一部を列挙してみると、
「6/13に都議会で土屋たかゆき議員が「新無効論」に基づいた質問をするそうです。土屋議員の名誉と政治生命を守るため、こういった質問は辞めるように呼びかけましょう。土屋たかゆき公式サイト→ http://ow.ly/bk32V 」「土屋議員の信念が捻じ曲げられる可能性を指摘してるんです。新無効論は大変危険です。」「真剣に土屋議員の将来を心配してます。騙されないでください。」「土屋さんはむしろ新無効論の被害者だと思いますよ。」
「土屋さんは完全に騙されてます。あなたに良心があるなら、土屋さんに真実を告げましょう。新無効論は終わっていると!」「土屋議員は100%騙されています。あなたのような軽率な人にね。本当にかわいそうだと思います。」「新無効論者に後押しされた(騙された)土屋議員」「騙されてしまった地方議員の皆さんはご愁傷様です。」「土屋さんは目覚めてほしいですが、自業自得の面もあるので仕方ないです。」
といふものである。私も土屋氏も上念氏とは一面識もない。土屋氏を無能呼ばはりするやうな常軌を逸した執拗な行為については土屋氏の意向もあつて然るべき措置を講じてゐるが、これに谷田川氏も連動してツイッターでこれに賛同する発言を繰り返したのである。 |
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次に成った神の名は、国之常立神(クニノトコタチノカミ)、
次に豊雲野神(トヨクモノノカミ)。
この二柱の神もまた、独り神で姿は見えません。
次に成った神の名は、宇比地邇神(ウヒジニノカミ)。次に、妹須比智邇神(スヒチニノカミ)。
次に、角杙神(ツノグイノカミ)。次に妹活杙神(イクグイノカミ)。
次に、意富斗能地神(オオトノジノカミ)。次に、妹大斗乃弁神(オオトノベノカミ)。
次に於母陀流神(オモダルノカミ)。次に、妹阿夜訶志古泥神(アヤカシコネノカミ)。
次に伊耶那岐神(イザナキノカミ)。次に、妹伊耶那美神(イザナミノカミ)。
以上の、国之常立神から伊耶那美神までの神々を総称して神世七代(カムヨナナヨ)といいます。
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天津神達は、伊耶那岐命と伊耶那美命に「この漂っている国土を有るべき姿に整え固めなさい。」と命じ、天の沼矛(アメノヌボコ)をお授けになりました。
そこで二神は天の浮橋の上にお立ちになって、その沼矛で国土を掻きまわし、
沼矛を引き上げると、沼矛の先から滴る潮(塩)が積もって島になりました。
これを淤能碁呂島(オノコロシマ)といいます。
伊耶那岐命・伊耶那美命が淤能碁呂島に降りてみると、その島には天の御柱と八尋殿(ヤヒロドノ)がありました。 イザナキ:「貴女の身体はどのようにできているのですか。」
イザナミ:「私の身体はほぼ整っているのですが、足りない所が一箇所だけあります。」
イザナキ:「私の身体は既に整っているのですが、それが高じて余った所が一箇所だけあります。
だから、私の身体の余った所で貴女の身体の足りない所を挿し塞いで国を生もうと思います。それでどうでしょう?」
イザナミ:「ええ,結構ですわ。」
イザナキ:「それならば、私と貴女でこの天の御柱のまわりをめぐって出会い、
寝所で交わりをしましょう。貴女は右からまわって下さい。
私は左からまわりましょう。」
そして、二神がその方法に同意して柱をめぐり出会った時に、まず伊耶那美命が声をかけました。
イザナミ:「まぁ、あなたはなんて素敵な方なの!」
イザナキ:「あぁ、きみはなんて素敵なひとなんだ!」
イザナキ:[……女性が先に言うのは良くなかったのでは?」
とは言うものの、二神はそのまま交わって子を生みましたが、生まれた子は水蛭子(ヒルコ)と淡島(アワシマ)でした。
二神は困ってしまって天津神に相談しますと、天津神は
「女性が先に言葉を言ったのがよくなかったのだ。もう一回やりなおしなさい。」と指示しました。
そこで、再び二神は天の御柱をめぐり出会いをやりなおし、今度は先に伊耶那岐命が声をかけたのです。
イザナキ:「あぁ、きみはなんて素敵なひとなんだ!」
イザナミ:「まぁ、あなたはなんて素敵な方なの!」
こう言い終わって交わると次々に子が生まれました。
淡道之穂之狭別島アワジノホノサワケノシマ(淡路島)、
次に 伊予之二名島イヨノフタナノシマ(四国)は身一つに4つの顔があり、それぞれ愛比売エヒメ(愛媛県)、飯依比古イイヨリヒコ(香川県)、大宜都比売オオゲツヒメ(徳島県)、建依別タケヨリワケ(高知県)といいます。
次に三つ子の隠伎之三子島オキノミツゴノシマ(隠岐島)(またの名を天之忍許呂別アメノオシコロワケ)といいます。
次に筑紫島ツクシノシマ(九州)も身一つに顔が4つあり、白日別シロヒワケ(福岡県)、豊日別トヨヒワケ(大分県)、建日向日豊久士比泥別タケヒムカヒトヨクジヒネワケ(長崎県・熊本県・佐賀県・宮崎県)、建日別タケヒワケ(熊本県・鹿児島県)といいます。
次に伊岐島イキノシマ(壱岐島)を生み、またの名を天比登都柱アマヒトツハシラといいます。
次に津島ツシマ(対馬)、またの名を天之狭手依比売アメノサデヨリヒメ。
次に佐渡島サドノシマ(佐渡島)
次に大倭豊秋津島オオヤマトトヨアキヅシマ(本州)、またの名を天御虚空豊秋津根別アメノミソラトヨアキヅネワケといいます。
この八つの島がまず生まれたので、大八島国(オオヤシマノクニ)といいます。
それから御帰りになった時に、
吉備児島キビノコシマ(岡山県児島半島)=建日方別タケヒカタワケ、
次に小豆島アズキシマ(香川県小豆島)=大野手比売オオノテヒメ
次に大島オオシマ(山口県屋代島?)=大多麻流別オオタマルワケ
次に女島オミナシマ(大分県国東半島沖の姫島)=天一根アマヒトツネ
次に知訶島チカノシマ(長崎県五島列島)=天之忍男アメノオシオ
次に両児島フタゴノシマ(五島列島南の男島・女島?)=天両屋アメノフタヤ
吉備児島から両児島まで合わせて六島です。
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フランクフルト学派は西欧マルクス主義、知識人向けのマルクス主義といわれ、1923年ドイツのフランクフルト大学内に設立された「社会研究所」が起点となっています。初代所長はマルクス主義者のカール・グリュンベルクで、彼の死によって1930年にホルクハイマーが所長として指導的な立場につきます。
フランクフルト学派はロシア革命後にヨーロッパ革命が敗北していき、プロレタリアートが革命の主体となっていない現実をみて、古いマルクス・レーニン主義は自覚しないままに権力奪取に成功してしまった。革命意識に鋭く目覚めた一団の「前衛」たちが文化破壊の状況のロシアを突破して革命に成功した。人間を疎外している文化を破壊しなければ共産主義に到達できない。革命の主導者は阻害された労働者ではなく、知識人でなければならない。批判理論を駆使し、諸学問を学際的に統合し、資本主義社会の構造を批判の対象として構造化できるのは知識人だと考えるようになりました。(ルカーチの理論)
フランクフルト学派はあらゆる徳目や「価値」は批判されるべきとしています。
キリスト教(日本で言えば神道)
教会
家族制度
父権
権威
性的節度
伝統
国家
愛国心
尊敬心
心
このフランクフルト学派は戦後、GHQによって日本を席巻します。近年公開された米国の史料でCIAの前身であるOSSはフランクフルト学派の巣窟であったことがわかっています。占領政策はコミンテルンの要領とは異なっており、ルカーチの理論に基づいています。OSSの史料にはマルキストの日本人学者やアジア専門家が多く名を連ねています。この人たちもGHQの占領政策にかかわり、公職追放によって空席となった大学や教育機関、研究機関、行政に潜入していきました。
一ツ橋大学名誉教授だった都留重人氏は有名でしょう。彼は共産主義者ハーバート・ノーマンの同志です。憲法作成に関わっています。東大法学部憲法学者の宮沢俊義氏もフランクフルト学派でその教えは弟子に受け継がれているでしょう。民法学者の我妻栄氏もそうです。
「ジェンダー・フリー」「ゆとり教育」は文部省に潜入したフランクフルト学派のエリート官僚の賜物です。男女共同参画社会なんていうのも出来ましたね。男らしさ女らしさを全否定したわけです。日教組の変態教育も「古い性道徳からの脱却」というフランクフルト学派の影響を強く受けています。「憲法愛国主義」というのを聞いたことがあるでしょうか。国家観がなく憲法を最上に頂くものです。フランクフルト学派第二世代、ハーバマスによるものです。これに侵されている人の特徴は「強制」という言葉に反応することです。国歌斉唱時の起立も自由意志と叫びます。これはハーバマスのコミュニケーション論的理性という「強制なき合意」「支配なき融和」がもとになっていると思います。
フランクフルト学派は日本を破壊し、革命を導くというテロ的思想であり、これが日本の中枢に入り込み、教育やメディアを支配しています。このイデオロギーの洗礼をまともに浴びたのが団塊の世代です。日本は今、非常に危険な状態にあると思います。
参考文献
「続・日本人が知ってはならない歴史」若狭和朋著
「日本人としてこれだけは知っておきたいこと」中西輝政著
ワック出版「歴史通」WiLL10月号別冊
『野坂参三共産政権の誕生』田中英道
PHP「現代思想入門」仲正昌樹 清家竜介 藤本一勇 毛利嘉孝 北田暁大
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フランクフルト学派の思想の中に「憲法愛国主義」というのがあります。これは憲法に同意した自由で平等な法共同体のメンバーとして、それを愛し積極的に義務を果たしていくことを言います。この思想は伝統的なナショナル・アイデンティティーを排し、市民社会の理念である憲法を遵守する限り多様な文化的アイデンティティを受け入れるというものです。早い話、国家や民族の枠組みを否定する地球市民的発想です。だからフランクフルト学派の九条カルトには国家観がなく、国家、共同体に対して極めて無責任なわけです。
九条カルトを「お花畑」と単純に片付けることなかれ。「お花畑」は洗脳された末端の信者です。このカルトの本質には日本を破壊し、共産革命を起こすという目的が隠されていたことを知っておきましょう。現代で共産革命などありえないでしょうが、地球市民的思想をベースに日本を日本でなくして解体しようとする動きがあるのは注意する必要があります。 |
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わが國の傳統的死生観
四宮さんの御話し 夏は慰霊の行事が多い。日本人にとって「死」とは虚無の世界への消滅ではない。生の世界と死の世界は絶対的に隔絶してゐない。人が死んでも、その魂をこの世に呼び戻すことができると信じてゐる。 本来日本人は、「死ぬ」と言はず「身罷る」「逝く」「神去る」「隠れる」と言った。「葬る」ことを「はふる」といふ。「はふる」とは羽振るである。魂が空を羽ばたいて飛んでいくといふことである。羽振りが良いとは勢ひがあるといふ意である。 ... 日本武尊は薨去された後、その御霊は白鳥となって故郷に向かって飛んで行かれた。古代において鳥は霊魂を運ぶものと信じられた。肉体を離脱する霊魂の自由性・不滅性の最も原初的な信仰である。そしてその鳥が純白なのは、清らかさを好む日本人の生活感覚から生まれたのであらう。 柳田國男氏は、「日本人の大多数が、もとは死後の世界を近く親しく、何か其の消息に通じているやうな気持を、抱いて居た…第一には死してもこの國の中に、霊は留まって遠くへは行かぬと思ったこと、第二には顕幽両界の交通が繁く、単に春秋の定期の祭りだけでなしに、何れか一方のみの志によって、招き招かるゝことがさまで困難でないやうに思って居たこと、第三には生人の今はのときの念願が、死後には必ず達成するものと思って居たことで、是によって子孫の為に色々の計画を立てたのみか、さらに三たび生まれ代って、同じ事業を続けられるものゝ如く、思ったものの多かったといふのは第四である。」(『先祖の話』)と論じてゐる。 日本人は、死後の世界は現世とさう隔たった世界ではない信じた。佛教特に浄土信仰が、十萬億土の彼方にある西方極楽浄土に往生すると説くのとは大分違ふと考へられる。 中村元氏は、「日本人は佛教の渡来する以前から現世中心的・楽天的であった。このような人生観がその後にも長く残っているために、現世を穢土・不浄と見なす思想、日本人のうちに十分に根をおろすことはできなかった」(『日本人の思惟方法』)と論じてゐる。 日本には死んだご先祖が草葉の蔭から子孫を守って下さるとか、あるいはその反対に怨みを持って死んだ人の霊が生きたゐる人のところに化けて出るといふ信仰がある。一方日本人は、死んだら西方十萬億土の彼方にある極楽に往生して佛様になると信じ、その佛様が草葉の蔭(この世のお墓の下といふこと)から子孫を守ってくれると信じた。まったく矛盾するやうな考へであるが、これは信仰だから、「合理主義」であれこれ論じても仕方のないことである。 ともかく、日本人にとって肉體の死は靈魂の滅亡ではないのである。これがわが國の傳統的死生観である。そして死者の靈を弔い鎮めることが現世に生きる人間のつとめである。敬神崇祖がわが國民道徳の基本である。祖靈を尊ぶことがわが國の道統である。 |




