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尊皇と自己犠牲の精神を
四宮氏の御話し
日本各地の多くの銅像が建てられているが、上野の西郷像ほど庶民大衆に親しまれ愛されている銅像はない。それは西郷隆盛先生が地位と権力に恋々とせず、また、日本のために身を捧げた方であるからだ。
大久保・岩倉の謀略と戦った時も、明治天皇の御信任を得て筆頭参議・陸軍大将として軍権と政権を掌握していた西郷さんが、この二人を殺すか逮捕するかすることもできた。しかし西郷さんは敢えてそれを行わず、さっさと下野して鹿児島に帰ってしまった。また、戊辰戦争の際も、幕府側に対して寛大な処置をとった。そういうところが民衆に愛された理由である。 日本人に尊敬されている歴史上の人物は、楠正成・吉田松陰そして西郷隆盛である。この御三方は、日本人の理想の人物であるが、共に敗者である。また尊皇精神と自己犠牲の精神が共通している。楠公は湊川で討ち死にし、松陰先生は伝馬町の牢獄で打ち首となり、西郷先生は城山で割腹して果てられた。しかし、今日、この御三方は、多くの国民から圧倒的に尊敬されている。 ... それに比較して勝者であったはずの足利尊氏・井伊直弼・川路利良・大久保利通を尊敬する人はごく一部である。 『敗者の側に正義がある』という言葉は真実である。日本も大東亜戦争の敗者であるが、いつの日か必ず、正義の戦いを行ったということが世界的に評価される日が来るであろう。また、そういう日が来るために我々は戦わねばならない。今こそ、西郷南洲精神を恢弘していかねばならない。 |
國體
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そこで、ハヤスサノヲ命が、アマテラス大神に言うには、「私の心が清らかだったので、私の生んだ子は媛御子でした。これによっていえば当然私の勝ちです」と言い、勝った勢いのままアマテラス大神の耕す田の畔を壊し、その溝を埋め、また、新穀を召し上がる御殿に屎を撒き散らした。
このようなことをしてもアマテラス大神がとがめずに言うには、「屎のようなものは酒に酔って吐き散らしのでしょう。また、田の畔を壊し溝を埋めたのは土地をもったいないと思ってそうしたのでしょう」と、良いように言い直したものの、なおその乱暴な仕業は止みません。
アマテラス大神が神聖な機織場で神様の衣を織らしていた時、その機屋の屋根に穴を開け、天の斑馬(あめのふちむま)の皮を逆さに剥ぎ取って落とし入れたので、天の機織女(あめのはたおりめ)が見て驚き、梭(ひ)で陰部を刺して死んでしまいました。
それでアマテラス大神もこれを恐れ、天の石屋戸を開けて中に隠れてしまいました。
そのため、高天原はまっ暗くなり葦原中国もこことごとく闇くなりました。
こうして永久に闇が続いていったのです。そして、様々な神の声が夏の蝿のように充満し、あらゆる禍いがすべて起こりました。
このようになったので、八百万の神が天の安河の川原に集まり、タカミムスヒ神の子の思金(オモヒカネ)の神に考えさせて、まず常世の長鳴鳥を集めて鳴かせました。
次に天の安河の川上にある天の堅い岩を取って来、天の金山の鉄を採り、鍛冶師の天津麻羅(アマツマラ)を探し、伊斯許理度売(イシコリドメ)命に命じて鏡を作らせて、王の祖(タマノオヤ)命に命じて八尺の勾玉の五百箇の御統の珠を作らせ、天の児屋(アメノコヤネ)命と布刀玉(フトダマ)命を呼んで、天の香山の雄鹿の肩の骨を抜き取り、天の香山の波々迦(ははか)の木を取って骨を焼いて占いをさせました。
天の香山のよく繁っている賢木(さかき)を根ごと掘り起こして、上の枝に八尺の勾玉の五百箇のみすまるの珠を取り付け、中の枝に八咫鏡(やたのかがみ)を取りかけ、下の枝に白和幣(しらにきて)・青和幣(あをにきて)を垂れかけ、この種々の品は、フトダマ命が太御幣(ふとみてぐら)として奉げ持ち、アマノコヤネ命が神聖な祝詞を唱えて、天の手力男(アメノタヂカラヲ)神が脇に隠れて立ち、天の宇受売(アメノウズメ)命が天の香山の天の日影を襷(たすき)にかけ、真拆の蔓をカツラにして、天の香山の笹の葉を束ねて手に持ち、アマテラス大神がお隠れになった天の石屋戸にの前に桶を伏せて踏み鳴らし、神憑りをして、胸乳をさらけ出し、裳の紐を陰部までおし下げたので、タカアマノハラが鳴り響き、八百万の神が一斉に笑ったのです。
そこでアマテラス大神は不思議に思い、天の石屋戸を細めに開けて内から言うには、
「私が隠れているので高天原は自然と暗く、また葦原中国も全て闇であると思うのに、どうしてアメノウズメが舞い遊び、八百万の神が皆笑っているのかしら?」とおっしゃいました。
そこでアメノウズメが言うには、「あなた様にも勝って貴い神がいらっしゃるので、喜び笑って踊っています」と答えた。
そう答える間に、アメノコヤネ命とフトダマ命がその鏡を差し出し、アマテラス大神に見せる時、アマテラス大神はいよいよ不思議に思い、少し戸からでかかっているところを、隠れていたタヂカラヲ神が大神の手を取って外へ引きずり出しました。
すぐにフトダマ命が、注連縄(しめなわ)を大神の後ろに引き渡して、
「これより内側に入ることは出来ません」と申し上げたのです。
こうして、アマテラス大神が出てくると、高天原も葦原中国も自然と照って明るくなりました。
そこで八百万の神は共に相談し、スサノヲ命に罪を償わせるためにたくさんの品物を科し、また髭と手足の爪とを切ってタカマノハラから追放しました。
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そこでハヤスサノヲ命が言うには、「ならばアマテラス大御神に申し上げてから黄泉の国に参ろう」と言って天に上ろうとする時、山や川がことごとく動き、国土が全て震動しました。
そこで、アマテラス大神がこれを聞いて驚いて言うには、
「私の弟が上って来るのは、きっと善良な心からでは無いでしょう。私の国を奪おうとしているのかもしれない」と言い、髪を解いてみづらに束ね、左右のみづらにもかづらにも、左右の手にも、それぞれ八尺の勾玉(やさかのまがたま)の五百箇の御統の珠(イホツノミスマルノタマ)を巻きつけ、背には千本の矢の入った靫(ゆき)を背負い、脇腹には五百本の矢の入った靫を着け、また肘(ひじ)には勇ましい高鞆(たかとも)を取り着け、弓の腹を振り立てて、力強く大庭を踏み、淡雪のように土を蹴散らかして、勢い良く叫びの声をあげて待ち「なぜ上って来たのか」と尋ねました。
そこでハヤスサノヲ命が答えて言うには、
「私に邪心はありません。ただ父イザナギ大御神が私が泣き喚く理由を問われたので、私は亡き母の国に行きたいと思って泣いている、と申し上げましたところ、父大御神は、それではこの国に住んではならないと言って私を追放なさったのです。だからその国に向かう事情を申し上げようと思って参りました。謀反の心はありません」と言いました。
そこでアマテラス大神が言うには、「ならばお前の心が正しいことはどうすればわかるのか?」と問いかけました。
これにハヤスサノヲ命が答えて「それぞれ誓(うけひ)をして子を生みましょう」と言った。
さて、そこで、二神は天の安河を挟んで、誓約をする時に、アマテラス大神がまず、タケハヤスサノヲ命の佩いている十拳剣(とつかのつるぎ)を譲り受け、三段に打ち折り、玉の緒を揺り鳴らしながら天の真名井(まない)の水で振りすすいで、噛みに噛んで砕き吹き出した息の霧から生まれた神の名は、多紀理媛(タキリビメ)の命、またの名は奥津島比売(オキツシマヒメ)命です。
次に市寸島比売(イチキシマヒメ)命、またの名は狭衣媛(サヨリビメ)命。
次に多岐都比売(タキツヒメ)命の三柱です。
次にハヤスサノヲ命が、アマテラス大神の左のみづらに巻いている八尺の勾玉の五百箇の御統の珠を譲り受け、玉の緒を揺り鳴らしながら天の真名井の水で振りすすいで、噛みに噛んで砕き吹き出した息の霧から生まれた神の名は、正勝吾勝勝速日天の忍耳(マサカツアカツカチハヤヒアメノオシホミミ)命である。
また、右のみづらに巻いている玉を譲り受けて、噛みに噛んで砕き、吹き出した息の霧から生まれた神の名は、天の菩卑(アメノホヒ)の命である。
また、かづらに巻いている玉を譲り受け、噛みに噛んで砕き、吹き出した息の霧から生まれた神の名は、天津日子根(アマツヒコネ)命である。
また、左手に巻いている玉を譲り受け、噛みに噛んで砕き、吹き出した息の霧から生まれた神の名は、活津日子根(イクツヒコネ)命である。
また、右手に巻いている玉を譲り受け、噛みに噛んで砕き、吹き出した息の霧から生まれた神の名は、熊野久須比(クマノクスビ)命である。合わせて五柱の男神が現れました。
そこでアマテラス大神が、ハヤスサノヲ命に言うには、「この後で生まれた五柱の男の子は、私の身に付けていた珠から生まれたので私の子です。先に生まれた三柱の媛御子は、お前の物から生まれたので、やはりお前の子です」と言いました。
さて、その先に生まれた神のタキリビメ命は、胸形(むなかた)の奥つ宮に坐します。
次にイチキシマヒメ命は、胸形の中つ宮に坐します。
次にタキツヒメ命は、胸形の辺(へ)つ宮に坐します。
この三柱の神は、宗像君等が大切に信仰している神です。
そして、後で生まれた五柱の子の中で、アメノホヒノ命の子の建比良鳥(タケヒラトリ)命、これは出雲国造、无耶志(むざし)国造、上菟上(かみつうなかみ)国造、下菟上国造、伊自牟(いじむ)国造、津島県直(つしまのあがたのあたえ)、遠江(ととうみ)国造等の祖神。
次にアマツヒコネ命は、凡川内(おおしこうち)国造、額田部湯坐(ぬかたべのゆえ)連、木国造、倭田中直、山代国造、馬来田(うまくた)国造、道尻岐閇(みちのしりきへ)国造、周芳(すは)国造、倭淹知(あむち)造、高市県主、蒲生稲寸(がもうのいなき)、三枝部(さきくさべ)造等の祖神です。 |
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イザナギの命は黄泉の国からお帰りになって、
「私はずいぶん醜く穢れた国に行ってきたのだ。早く身体のケガレを清めなければ」とおしゃって、筑紫日向の橘の小門(オド)の阿波岐原にお着きになると、身につけているものを次々と脱ぎました。
投げ捨てた杖から生まれた神の名は、衝立船戸神(ツキタツフナトノカミ)
投げ捨てた帯から生まれた神の名は、道之長乳歯神(ミチノナガシハノカミ)
投げ捨てた袋から生まれた神の名は、時量師神(トキハカラシノカミ)
投げ捨てた衣から生まれた神の名は、和豆良比能宇斯能神(ワズライノウシノカミ)
投げ捨てた褌から生まれた神の名は、道俣神(チマタノカミ)
投げ捨てた冠から生まれた神の名は、飽咋之宇斯能神(アキグイノウシノカミ)
投げ捨てた左手の手纏から生まれた神の名は、奥疎神(オキザカルノカミ)
奥津那芸佐毘古神(オキツナギサビコノカミ)
奥津甲斐弁羅神(オキツカイベラノカミ)
投げ捨てた右手の手纏から生まれた神の名は、辺疎神(ヘザカルノカミ)
辺津那芸佐毘古神(ヘツナギサビコノカミ)
辺津甲斐弁羅神(ヘツカイベラノカミ)
この12神はお体に付けていたものを投げ捨てられて現れた神です。 そこで「上流は流れが激しいし、下流は流れが弱い」と真ん中の瀬に下りて水中で身をすすいだ時に生まれた神の名は、八十禍津日神(ヤソマガツヒノカミ)と大禍津日神(オオマガツヒノカミ)とでした。
この二神は黄泉の国においでになったときの穢れによって現れた神です。
次にその禍を直そうとして生まれた神の名は、
神直毘神(カムナオビノカミ)と大直毘神(オオナオビノカミ)と伊豆能売(イズノメ)です。
次に水底で身をすすいだ時に生まれた神の名は、
底津綿津見神(ソコツワタツミノカミ)と底箇之男命(ソコツツノオノミコト)
水中で身をすすいだ時に生まれた神の名は、
中津綿津見神(ナカツワタツミノカミ)と中箇之男命(ナカツツノオノミコト)
水面で身をすすいだ時に生まれた神の名は、
上津綿津見神(ウエツワタツミノカミ)と上箇之男命(ウエツツノオノミコト)
この三綿津見神は安曇氏の祖先神です。よって、安曇の連たちは、その綿津実見神の子宇津志日金拆(ウツシヒカガナサク)の命の子孫です。
また底箇之男命・中箇之男命・上箇之男命の三神は住吉神社の神様です。 そして左目を洗った時に現れた神の名は、天照大御神(アマテラスオオミカミ)
右目を洗った時に生まれた神の名は、月読命(ツクヨミノミコト)
鼻を洗った時に生まれた神の名は、建速須佐之男命(タケハヤスサノオノミコト)でした。
以上十神は身体を洗ったので現れた神々です。 イザナギの命は大変喜んで、「私は沢山の神を生んだが、一番最後に貴い三柱の御子を得た」と言い、首にかけていたの首飾りの玉の緒(御倉板挙之神)をゆらゆらと揺るがして天照大御神に下賜し、「天照大御神よ、あなたは高天原を治めなさい。」といいました。
次に月読命に「あなたは夜之食国を治めなさい。」といい、建速須佐之男命には、「あなたは海原を治めなさい。」といいました。
そうしてそれぞれ委任された言葉に従って治めていた中で、タケハヤスサノヲ命だけは命じられた国を治めず、長い顎鬚が胸元に届くようになるまでの間、泣き喚いておりました。
その泣く様子は、青山が枯山になるまで泣き枯らし、海や河がその泣く勢いで涸れてしまうほどでした。
そのため、乱暴な神の声が夏の蝿のように充満し、あらゆる禍いがことごとく起こりました。
そこでイザナギの命がタケハヤスサノヲの命に言うには、
「どうしてお前は命ぜられた国を治めずに泣き喚いているのか?」と尋ねました。
カケハヤスサノヲ命は「私は亡き母のいる根の堅州国(ねのかたすくに)に参りたいと思って、泣いているのです」と申し上げたのです。
そこでイザナキの命は大変怒り、「ならばお前はこの国に住んではならない」と言って、追い払ってしまいました。
このイザナギ命は、淡海(あふみ)の多賀の社にお鎮まりです。
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イザナギの命は亡くなってしまったイザナミの命に会いたいと思い、あとを追って黄泉国(よみのくに)を訪れました。
そこで女神が御殿の閉じた戸から出て迎えた時、イザナキ命が語って言うには、
「愛する我が妻よ、私とあなたとで作った国は、まだ作り終えていませんよ。だから還ってらっしゃい」と言ったのです。
しかしそこでイザナミ命が答えて言うには、
「残念なことです。もっと早く来てくださっていれば・・・。私はすでに黄泉の国の食べ物を食べてしまいました。でも、あなたがわざわざおいで下さったのだから、なんとかして還ろうと思いますので黄泉の神と相談してみましょう。その間は私の姿を見ないでくださいね」と言いました。 そう言って御殿の中に戻って行きましたが、なかなか出てきません。
イザナギの命は大変待ち遠しく待ちきれなくなってしまったので、左のみづらに刺してある清らかな櫛の太い歯を一本折り取り、それに一つ火を灯して入って見てみると、愛しい妻には蛆がたかって「ころろ」と鳴り、頭には大雷が居り、胸には火雷が居り、腹には黒雷が居り、陰部には析雷が居り、左手には若雷が居り、右手には土雷が居り、左足には鳴雷が居り、右足には伏雷が居り、合わせて八種の雷神が成り出でていたのです。 そこでイザナキ命がこれを見て畏れて逃げ帰ろうとすると、イザナミ命が、「よくも私に恥をかかせたな!」と言うと、すぐに黄泉の国の魔女である黄泉津醜女(よもつしこめ)を遣わして追いかけさせました。
そこでイザナキ命は、髪に付けていた黒いかづらの輪を取って投げ捨てると、そこから山葡萄の実が生りました。これを追手が拾って食べている間に、逃げ延びました。
しかし、また追いかけてきたので、今度は右のみづらに刺してある清らかな櫛の歯を折り取って投げ捨てると、そこから筍(たけのこ)が生えました。これを追手が抜いて食べている間に、逃げ延びた。
そして次には、女神の体中に生じていた八種の雷神に千五百の黄泉の軍勢が追いかけてきた。そこで身につけていた十拳剣(とつかのつるぎ)を抜いて、後手に振り払いながら逃げました。
なお追いかけてきて、黄泉比良坂(よもつひらさか)の坂の下にやってきた時、その坂の下に生っていた桃の実を三つ取って投げつけると、追手はことごとく逃げ帰ったのです。
そこでイザナキ命が、その桃の実に言うには、
「お前が私を助けたように、葦原中国(あしはらなかつくに)の人々が苦しい目に会って悩んでいる時に助けなさい」と言い、名を与えて、意富加牟豆実(オホカムヅミ)の命と名付けました。
最後にその妹のイザナミ命自らが追いかけてきたので大きな千引の石(ちびきのいわ)をその黄泉比良坂に塞ぎおました。そしてその石を挟んで二神が向き合って立ち、離別の時、イザナミ命が言うには、
「愛しい私の夫がそのようなことをするのならば、あなたの国の人々を、一日に千人絞め殺しましょう」と言いました。
そこでイザナキ命が言うには、「愛しい私の妻がそのようなことをするのならば、私は一日に千五百の産屋を建ててみせるぞ」とおっしゃいました。
このようなわけで、一日に必ず千人が死に、一日に必ず千五百人が生まれるのです。 こういしてイザナミ命を名付けて、黄泉津(ヨモツ)大神と言います。
また言うには、男神に追いついたことから、道敷(チシキ)大神と名付けたと言う。
その黄泉の坂を塞いでいる大岩を、道反(チガヘシ)の大神と名付け、また、その入口を塞いでいる黄泉戸(ヨミド)の大神とも言います。そして、そのいわゆる黄泉比良坂は、今の出雲国の伊賦夜坂(いふやさか)です。
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