國體

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『見る』という言葉の信仰的意義
四宮さんの御話し

感覚器官の中でもっとも発達し精密で大事なのは視覚と言われる。人間は視覚を通して外界をとらえ、環境に適応する。視覚以外のことについても「見る」という言葉が使はれる。「味を見る」「触って見る」「匂いを嗅いで見る」「試して見る」という言葉を使う。

聴覚を表す言葉に視覚を表す言葉が使われる。たとへば「明るい声」「明るい音」「暗い響き」「黄色い声」である。このように、我々の感覚は常に視覚が優越している。それが言語表現にも及び、視覚の上に立った描写の言葉がよく用いられる。事物をありありと描き出すための手法として視覚の言葉が用いられる。
...
「見える」という言葉を使った歌が『萬葉集』には多い。『萬葉集』における「見る」とは単に視覚的な意味ではない。
柿本人麻呂に、
「天ざかる夷(ひな)の長道ゆ恋ひ来れば明石の門より大和島見ゆ
という歌がある。瀬戸内海を西の方から航行し明石海峡に来たら、故郷の山々が見えたという感激を詠んだ歌。これは単に「見えた」というだけでなく「故郷に近づいた」という感慨を歌った。

また、柿本人麻呂が、浪速の港から西の方に向かって航行していく時の歌に
「ともし火の明石大門(あかしおほと)に入らむ日や漕ぎ別れなむ家のあたり見ず」
というのがある。明石海峡を越えていくと自分の故郷である葛城山系が見えなくなるといふ歌である。

このように「見る」といふことが非常に大事に歌はれてゐる。
天智天皇が崩御された時に、倭媛大后は、
「天の原ふりさけ見れば大君の御命(みいのち)は長く天(あま)足らしたり」
「青旗の木幡の上を通ふとは目には見れどもただに逢はぬかも」
「人はよし思ひやむとも玉かづら影に見えつつ忘らえぬかも」
とお詠みになった。三首とも「見」という言葉が用いられている。

天皇が行い給う「国見」とは、単に景色を眺めるということではなく、国土と国民を祝福し、五穀の豊穣と自然の安穏そして民の幸福を祈られる祭祀である。「見る」という言葉にはきわめて信仰的な深い意味があるのである。
 
 
われわれの愛する國家とは
四宮さんの御話し

國家を否定し、國家を破壊する運動を展開してきたのが共産主義革命運動である。これは、マルクスの「我々が國家を持つのは資本主義においてのみである」「國家は少数者による多数者に對する支配と搾取の體制」「國家は人間疎外の装置」という思想による。これは國家というものを権力機構・支配統制組織としてのみとらえた考え方である。

しかし、共産主義國家こそ、多数者による少数者の搾取が行われ、人間疎外の装置として國民を圧迫し苦しめてきたことは、旧ソ連・共産支那・北朝鮮を見れば明らかである。 権力無き社會の實現を目指して戦った共産主義勢力は、その結果として強大にして残虐無比な権力國家を作りあげた。旧ソ連・共産支那・北朝鮮がそれである。
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また、共産主義社會の實現を目指し反國家闘争を繰り返してきた日本國内の共産主義勢力は、恐るべき闘争を繰り返し互いに殺し合っている。社民党や共産党を見て明らかな通り、國家否定を目的とする左翼革命勢力こそ、権力國家の建設を目指し、および外國の権力國家からの侵略に協力してきたのである。反國家・國家破壊の思想と行動は、人類に惨禍しかもたらさなかったと言っていい。

我々が限り無く愛する日本國とはいかなる國であるのだろうか。「國家」という言葉は漢語であるが、やまとことばには「國(クニ)」という言葉がある。この「國」という言葉は「懐かしい故郷」という意味で用いられる場合がある。「あなたクニはどこですか?」という時は、故郷という意味である。英語でいうとCounryである。ところが「クニに税金を取られる」という時のクニは、行政機構・権力組織のことである。英語でいうとStateである。

 「母國」とか「祖國」とかいう言葉で表現される一定の広がりを持った土地の上に自然に生まれた共同體が、我々の愛する國である。その基本は夫婦であり子であり孫である。すなわち「家」である。國と家は一體である。ゆえに「國家」という言葉が生まれたのではなかろうか。

 國家を否定し、皇室を否定し、「國旗日の丸」や「國歌君が代」も認めず、愛國心を嫌う人々は、「國家」を権力機構としてのみとらえているのである。

 現實に我々が愛する國とはやはり「懐かしい故郷」としての國であり、権力機構としての國家ではない。税務署や警察署を懐かしく思い愛着を抱く人はそんなに多くはないだろう。ただ、そういう権力機構としての國家を排斥し否定することはできない。我々の生活にとって必要不可欠である。

 しかし、権力機構としての國家を否定することは或いは可能かもしれない。しかし、自分が今「父祖の國」「母國」と表現されるところの「共同生活を営む國」に生まれ育ち生きている事實は否定できない。

天皇中心の祭祀國家の理想に近づく努力をし続けることが、闘争戦争絶え間無き現實社會を改善する方途である。言い換えると、古代からの道義國家・人倫國家・祭祀國家としての日本への回帰こそが、對立闘争を繰り返す人間が、より平和により豊かにより自由により道義的に生きる共同體を建設する方途である。

 我々の愛する國家とは権力機構としての國家ではない。三島氏の言う「祭祀國家」である。否定しても否定し切れないところの「父祖の國」「母國」「共同體」である。祭祀とは、己を無にして神に全てを捧げる行事である。

日本民族は祭祀を行うことによって、神のみ心のままの清らかで明るい人倫生活を営んできたのである。天皇を祭祀主と仰ぎ、海という大自然をめぐらし、緑濃き山と清らかな河とを有する國、農耕を営み、優れた文化傳統を持つ國が「祖國日本」である。
 
 
 「人生意気に感じては 成否を誰かあげつらふ」
四宮さんの御話し
 
「言挙(ことあげ)せぬ国」という言葉があるように、日本にはあまりべらべら喋りまくって自己主張をすることを良しとしない考え方がある。「言挙げ」とは、「ことわり(理論・理屈)をあげつらう」という事であり、「言挙せぬ」とは「理屈」「論理」を弄んだり振り回したりしないということである。だから日本人は、理論体系を作り出すことはしなかった。日本伝統信仰においては、一神教そして仏教の一部のように、特定の教義を絶対のものとしてこれを信奉し、これに反するものを排撃するということをしない。

日本人は、人としての自然な情感・感性・驚きというものは大切にするが、そうしたものから遊離した超越的な『論理』『原理』と称するものを設定しない。なぜなら超越的な『論理』『原理』と称するものは、人が造ったものであり、嘘や独善と隣合わせであると直感するからである。
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土井晩翆氏作詩の『星落秋風五丈原』に「嗚呼鳳遂に衰へて/今に楚狂の歌もあれ/人生意気に感じては/成否を誰かあげつらふ」とあり、三上卓氏作詩の『昭和維新青年日本の歌』には「功名何ぞ夢の跡/消えざるものはただ誠/人生意気に感じては/成否を誰かあげつらふ」とあるように、日本人は物事を「あげつらふ」ことを嫌った。

「あげつらふ」とは、物事の善し悪しについて意見を言い合うことであり、欠点・短所などを殊更に言い立てることである。それは人生や宇宙そして自然そのものを歪曲する危険がある。論理とか教義(イデオロギー)というものは宇宙や人生や世界や歴史に対する一つの解釈であり絶対のものではないのである。

私もこうしていろいろ書いていますが悪い意味の「言挙げ」即ち「あげつらひ」になっているのではないかと反省しなれければなりません。
 
 
四宮さんの御話し
 
『萬葉集』の歌を讀むことによりを、今から二千年近く昔の日本人のまごころの表白に今日のわれわれが共感し感動することができる。とくに『萬葉集』は貴族や武士や僧侶の歌だけではなく、上御一人から一般庶民・遊女の歌まで収められてゐる。

『萬葉集』の相聞歌を讀めば古代日本人の戀心を知ることができ、防人の歌を讀めば戦争に赴く時の古代日本の若者たちの心を知ることができる。東歌を讀めば当時の東國庶民の天真の心を知ることができる。もちろん、天皇御製を拝承すれば、萬葉時代の天皇様の大御心を知ることができる。古代と現代の心の交通が和歌によって為される。このやうに和歌は、時間的に縦に貫く役割を果たす。時間を超越して神代と古代とを直結する文藝が和歌である。

一方、地位や貧富の差・老若男女の違ひ・地域や身分を超えた人と人との心の交通が和歌によって為される。和歌は、空間的に横に貫く役割を果たす。和歌は、地位や身分の上下や違ひも超越して日本人を結んでしまふのである。上御一人から下萬民を直結するものである。
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つまり、時間と空間の中心点に和歌といふものが立ってゐるのである。時空を超越して、今と神代と直結する文藝、そして身分や貧富の差を超越して日本人を結びつける文藝、それが和歌である。永遠の時間と無限の空間を充たす文藝が和歌である。言ひ換へると日本民族を時間といふ縦軸と空間といふ横軸で一つに結び付ける文藝が和歌である。

上天皇から下民衆に至るまで創作し、神代より現代に至るまで創作し続けられてきた文藝が和歌である。すなはちわが日本の時間と空間を無限に充たす文藝である。

〈クール・ジャパン〉日本の「食」を世界無形文化遺産に

産経新聞 1月2日(水)10時34分配信
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うまみを中心に構成した日本料理。ヘルシーさだけでなく見た目の美しさも魅力だ=京都市東山区(写真:産経新聞)
 「クール・ジャパン」(かっこいい日本)と呼ばれ、世界で注目される日本文化。漫画やアニメなどのポップ・カルチャーが人気だが、急速に評価を高めているのが「食」だ。ヘルシー志向という世界の食のトレンドに合致、世界的な日本食ブームが起きている。政府も日本の「食文化」を国連教育科学文化機関(ユネスコ)に世界無形文化遺産として登録申請した。日本独自の文化がまた世界に刺激を与えようとしている。(油原聡子)

〔フォト〕世界一の料理はWASHOKU! 料亭「菊乃井」が英に出店

 「日本料理は世界の食のトレンドになっていく」

 飲食店ガイド「ミシュラン」の三つ星認定を受けた京都の老舗料亭「菊乃井」の3代目主人、村田吉弘さん(61)は断言する。油脂を使わず、うまみを中心に構成している料理は世界でも日本だけだ。

 村田さんは「懐石料理は一食あたりの食品数が65品目で約1千キロカロリーだが、フレンチなら23品目で2500キロカロリーになる。日本料理は低カロリーでヘルシー。世界中のシェフから注目されている」と話す。

 村田さんは昨年9月、英国・ロンドンの金融街に、本格的な和食専門店「クリサン」をオープンした。菊乃井から料理人を派遣しているが、使うのは地元の素材。「洋皿に盛っても、日本の食材を使わなくても、うまみを中心に構成すれば日本料理だ」との信念を持つ村田さんは、日本料理が世界へ広がるにはその土地の食材を利用することが不可欠と考えている。

 一方、本場・欧州からも高い評価を得ているのが、日本オリジナルのブドウ「甲州」から造った白ワインだ。和食をはじめ、魚介類や野菜など素材を生かした料理との相性が良いのが特徴で、世界のワインジャーナリストから「つつましく、非常にクリーンなスタイルで緻密かつ細やか」との高い評価を得ている。

 甲州の世界市場での認知度を高めようと、2009年、産地の山梨県のワイン生産者らが「KOSHU OF JAPAN」を結成。10年から行ってきた世界のワイン情報発信地・ロンドンでプロモーション活動の結果が実りつつある。

 中央葡萄酒(山梨県甲州市)の三沢茂計社長(64)は「世界のワインのトレンドが、甲州の特徴である繊細さやヘルシーさに変わってきた。世界の日本食ブームに加え、海外の料理も日本食の影響を受けつつあり、大きなチャンスだ」と話す。実際、甲州ワインの輸出本数も徐々に増加。欧州での高評価を受け、シンガポールやオーストラリアでも甲州ワインの注目は高まっている。

 日本食だけでなく、他国料理との相性の良さが認識されつつある日本酒だ。日本酒や焼酎の輸出促進のための政府のプロジェクトも始まっている。

 世界規模の人口増加や、途上国の経済成長など食市場のチャンスは大きい。政府は昨春、ユネスコに「和食 日本人の伝統的な食文化」を世界無形文化遺産に登録申請した。農林水産省の担当者は「日本食は日本の食品産業のショールームだ」と期待を込めている。

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