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やまと歌と愛國心
四宮さんの御話し
今日の混迷状況を打開し変革するためには、長い歴史を有する日本民族が育み継承してきた伝統精神への回帰とそれを基盤とした愛国心(日本民族としての帰属意識)の昂揚が必要である。 大化改新・明治維新・大東亜戦争を見ても明らかなように、日本における変革や国難の打開は、必ず愛国心・尊皇心の興起と一体であった。 ... そもそも愛国心・尊皇心は抽象的人工的な「理論」「理屈」ではなく、この日本に生を享け、日本に生きる者が抱く素直な感情であり自然な心である。さらに言えば日本人の「道」であり「まごころ」である。したがって愛国心・尊皇心は理論や教条によって表現されるよりも、和歌によってよく表白されてきた。現代に生きる我々は古人の歌によってその志・まごころ・道を学ぶべきである。日本人として自然な心で天皇を仰慕し、国を思い、国土を讃美する歌は萬葉時代から現代まで数限り無くある。 『萬葉集』において国家意識を明確に歌った歌としては次のような歌がある。 「いざ子どもはやく日本(やまと)へ大伴の御津(みつ)の濱松待ち戀ひぬらむ」 「さあ、人々よ。早く日本へ帰ろう。あの難波の大伴の郷の御津の濱松ではないが、残してきた家族が待ち焦がれているだろう」という意。山上憶良が遣唐使として唐にいた時、祖国を偲んで歌った歌。日本回帰の心が見事に美しく歌われている。憶良は唐との文化の対比において日本を自覚し祖国愛に目覚めたのである。 仁和三年(八八七)、宇多天皇が即位されると、天皇親政の復活と摂関藤原氏の抑制に力を尽くされると共に、遣唐使を廃止し、平安初期百年の間支那模倣の科挙の制度のための漢詩文全盛の陰になっていた伝統的な和歌を復興するなど、支那崇拝を排して国民的自覚を明確にし、国体意識興起の復古維新を断行された。そして、延喜五年(九0五)醍醐天皇の命により紀貫之などによって、日本の伝統美・風雅を見事に結晶させた『古今和歌集』が撰進された。 平安時代の人々の心の中核には天皇仰慕の心と神代への回帰の心とがあった。在原業平は 「大原や小塩の山も今日こそは神代のことも思ひいづらめ」 「ちはやぶる神代もきかず龍田川からくれなゐに水くくるとは」 と詠んでいる。 さらに国歌『君が代』の典拠である 「わが君は千代に八千代にさざれ石のいはほとなりて苔のむすまで」 も『古今和歌集』の「賀歌」である。 武士の勃興によって王朝文化が滅びゆかんとする乱世変革の時代に、後鳥羽上皇の命により元久二年(一二〇五)に撰進されたのが『新古今和歌集』である。 もろこしも天の下にぞありときく照る日の本を忘れざらなむ 成尋法師という人が延久四年(一〇七二)支那に渡った時に、その母が詠んだ歌。「唐土も同じ天の下にあると聞いています。天に照る日の本である日本を忘れないで下さい」という意。息子が仏道修行に行く支那も日の本の国たるわが天日の光が照らしているのだから、日本人としての誇りを忘れるなと呼びかけているのである。聖徳太子の御精神に相通ずる誇らかな愛国精神の歌である。 このようにわが国の愛国精神は、いかなる時代にあっても、脈々と和歌といふ文藝によって継承されて来たのである。 |
國體
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天皇の「國見」の意義
四宮さんの御話し
日本人は「見る」といふ言葉を大事にした。「見る」といふ視覚が、人間が外界や環境を捉へるのに最大の感覚なのである。見ることによって環境を正しく捉へ対応することが出来る。「存在」は本質的に「見る」ことを前提にする。見えないものは存在しない。霊魂や魂は見えないが、肉眼では見えないだけであって、霊眼では見えると信じられた。 「見る」といふ言葉と感覚がいかに重要に考へられているかは、「味を見る」「触って見る」「やって見る」「話して見る」「嗅いで見る」といふやうに視覚以外の感覚を表現する場合にも「見る」といふ言葉が使はれることによっても明らかである。 ... 従って、「見る」とは単に視覚の事だけではなく、対象物と一体になる、支配する、といふ意味も含まれる。上御一人の行はれる「國見」とはまさにそれである。 「國見」とは単に天皇が日本國の景色を眺められるといふのではなく、國土と一体となられ、國土を祝福し、そこに住む國民をの幸福を祈られる行事なのである。「國見」とはただ単に景色を眺めるのではなく、天皇が國を見渡して五穀の豊饒と民の幸福をお祈りし祝福する行事である。 「目は口ほどにものを言ひ」といふ言葉もあるごとく「見る」といふのは、対象物を認識する上で大切な行為である。天皇統治の事を「みそなはす」(「御覧になる」・「見る」の尊敬語)といふ。荒木博之氏は、「上代人にとって<見る>とは『対象物の神性に感応し、その対象物を飽かず見ることによって、その神性をその清浄さをおのれが本性にとりこむこと」(『日本人の心情論理』)と解した。この論を引用して大原康男氏は「<見る>は…単に空間とかかわる視覚に尽きるものではなく、そこには鎮魂儀礼の要素が含まれている…」と論じてゐる。(『現御神考試論』) 天皇が神聖なる天香具山に登られて「國見」をされることは、天皇が行はれる國土讃嘆の農耕儀礼・祭祀である。新しい年の始まりを知らせる「春のことぶれ」(春が来たことを広く知らせること)・天地一新の行事である。 祭祀主であり現御神である天皇が「國見」をされ祝福されることによって、國魂・國土が新たなる靈力を発揮し吹き返し新生する。國土が國が始まった時の若々しい命の姿に復元し新生し豊かな稔が約束されるのである。天皇が「國見」をされることによって國土の新生と五穀豊饒が實現する。 つまり、「國見」は大嘗祭と同一の意義があり、天の神の地上における御代理即ち現御神(あきつみかみ)たる天皇が、國土に稲穂を豊かに實らせるといふ天の神から命じられた最大の御使命を實現するといふ天皇の統治にとって重大意味を持つ祭祀なのである。 |
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明治天皇は、同じ年、『歌』と題されて、
四宮さんの御話し 「まごころをうたひあげたる言の葉はひとたびきけばわすれざりけり」 と詠ませられてゐる。 ... また、明治三十七年には、『歌』と題されて、 「世の中のことあるときはみな人もまことの歌をよみいでにけり」 「天地をうごかすばかり言の葉のまことの道をきはめてしがな」 と詠ませられてゐる。 これらの御製は、やまと歌の本質について歌はれてゐる。和歌は決して遊びごとでもないし単なる美辞麗句を連ねたものでもない。まさに「まごころをうたひあげたる言の葉」なのであり、「世の中のことあるときによみいでる」ものなのであり「天地をうごかす」力を持つものである。神代の昔に発生し日本の道統を継承する最高の文藝が和歌である。 『古今和歌集・仮名序』(紀貫之)に「力も入れずして天地(あめつち)を動かし、目に見えぬ鬼神(おにがみ)をもあはれと思はせ、男女(をとこをんな)の中をも和(やは)らげ、猛(たけ)き武士(もののふ)の心をも慰むるは歌なり。」(力を入れないで天地を動かし、目に見えない鬼神をも感動させ、男女の間をも和ませ、猛々しい武士の心をも慰めるのが歌である)とある。 歌の語源は「訴へる」である。物事に感動して何事かを訴へた声調・調べ(音律の調子を合わせ整へること)のある言葉を歌といふ。そして、五七五七七といふ一定の形式と調べが自然に生まれた。 日本國民の心・思想・精神は、和歌によって表白せられ傳承されて来た。幕末維新期の志士の歌などを見てもそれは明白である。 わが國は元寇・明治維新・大東亜戦争など國家的危機の時に尊皇愛國の精神が燃え上がった。そしてやまと歌が勃興した。それが『萬葉集』であり、幕末維新の志士の歌であり、大東亜戦争で散華した英靈たちの歌である。 |
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四宮さんの御話し
何故、天皇は神聖なる御存在であらせらるのか
何故、天皇は神聖なる御存在であらせられるのか、それは天皇が、天照大神の地上に於ける御代理であらせられるという「神話の精神」によるのである。また、何故天皇が日本國の統治者であらせられるのか、それは天皇が、天照大神より日本國を統治せよと御命令を受けておられるという「神話の精神」によるのである。それ以外に理由はないのである。このことをまず以て確認しなければならない。古代から今日に至るまで様々な時代の変遷があったが、このことは決して変わることはないのである。 したがって『現行占領憲法』第一章の「天皇の地位は日本國民の総意に基づく」という条項は天皇の御本質を正しく表現していない。 ... 「神話の精神」と言うと非科學的だとか歴史的事実ではないと主張してこれを否定する人がいる。しかし、神話は荒唐無稽な伝承ではない。「神話」において語られているのは、一切のものごとの生成の根源であり古代人の英知の結晶であり、神話的真実なのである。「神話」には日本民族の中核的思想精神・根本的性格(國家観・人間観・宇宙観・神観・道義観・生活観など)が語られているのである。それは、天地自然・生きとし生けるもの一切の中に、神の命を見るという信仰精神である。 そうした「日本神話の精神」は、は西洋科学技術文明及び排他独善の一神教を淵源とする闘争的な西洋政治思想の行きづまりが原因となった全世界的危機を打開する力を持っている。 しかも日本民族の「神話の精神」はただ単に『古事記』『日本書紀』といった文献だけでなく、「天皇の祭祀」という「生きた行事」によって今日まで継承され語られているのである。「神話」には時間を超えた永遠の価値がある。日本民族の伝統的思想精神の結晶である「神話」への回帰こそが、現代の混迷を打開する方途である。 |




