歴史
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四宮さんの御話し
真正保守運動・愛国運動は、戦後一貫して共産支那批判を行って来た。そして共産支那や南北朝鮮に対する土下座外交・謝罪外交・弱腰外交を糾弾してきた。愛国運動・民族運動の訴へて来たことがいかに正しかったかが、証明された。
政府は、「毅然と対応していく」と言うが、わが國政府が行うべき「毅然とした対応」とは、直ちに尖閣諸島に陸海空の自衛隊基地を建設することにより、実効支配を確実なものにして日本領土であることを示すべきである。そして侵略者に対して決然とした対応を取ることである。李明博による「天皇陛下侮辱発言」に対する謝罪がないかぎり韓国との一切の交流を断絶すべきである。 我々が、「共産支那脅威論」を論じ、共産支那への経済協力を批判すると、親支那派の人々は、「日本が対中協力をすることにより、中国が発展して豊かになれば、民主化が促進され、中国の脅威などは無くなる」などと反論した。こうした論議が全く間違っていたことが、今日明白に証明された。 ... また、「日本は平和国家として出発したのだから、軍事力を強化してはならない。憲法違反の自衛隊は無くしてしまい、日米軍事同盟も破棄すべきだ。それが平和への道である」という論議がいかに間違っていたかも明らかになった。「間違っていた」どころではない。東アジアの平和と日本国の独立と安全を根底から脅かす論議である。 韓国や共産支那にするべきではない協力をすることは即ちわが国及びわが国民の安全を脅かすことなのである。軍事力を軽視することは、侵略者・無法国家を増長させるだけである。わが國は、自主防衛体制確立に努力すると共に、自主防衛体制が確立されるまでは、日米軍事同盟を堅持し強化する以外に、無法国家・侵略者から祖国を守る手立ては無い。 |
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明治天皇崩御から100年に当たります。明治神宮をはじめとし、 全国で明治天皇100年祭が行われます。 今日一日は、 明治天皇の御聖徳と、 その御世を偲ぶ一日にしたいと思います 明治神宮で「明治天皇百年祭」2012.7.30 11:53
http://sankei.jp.msn.com/images/news/120730/imp12073011540001-n1.jpg
明治天皇が崩御されて百年のきょう、明治神宮では明治天皇百年祭が行われた=30日午前、明治神宮(小野淳一撮影) 明治天皇が崩御してから100年の節目を迎えた30日、明治天皇を祭神とする明治神宮(東京都渋谷区)で、生涯をしのぶ「明治天皇百年祭」が開催され、神社関係者ら数百人が参列した。
午前9時から約1時間半にわたって行われた祭典式では祝詞の奏上に続き、生涯で約10万首といわれる明治天皇の御製(和歌)の中でも代表的なものとされる、「あさみどり澄みわたりたる大空の廣(ひろ)きをおのが心ともがな」に作曲・振り付けをし神職が舞う「明治神宮大和舞」が行われた。
明治神宮によると、大和舞は神宮で行われる祭典の中で、唯一神職自らが奉仕する舞という。続いて数百人の参列者が君が代を斉唱し、参列者の代表が玉ぐしを捧げて拝礼した。
一方、天皇、皇后両陛下と皇族方は同日、皇居・宮中三殿の「皇霊殿」で明治天皇百年式年祭の儀に臨まれた。儀式は非公開で行われ、宮内庁によると、天皇陛下は古式にのっとった束帯姿で、国民の幸せと国家の繁栄を祈る御告文(おつげぶみ)を読まれた。皇后さま、皇太子さまをはじめとする皇族方が続いて拝礼された。同様の行事は、明治天皇の伏見桃山陵(ふしみのももやまのみささぎ)(京都市伏見区)でも行われた。
両陛下と皇太子さまは百年祭に先立つ今月18日に明治神宮をご参拝。その後、皇族方も参拝や記念式典出席のために明治神宮を訪問されている。
明治神宮は「東京でも明治天皇をお祭りしたい」という国民の声が元となり、大正9年に創建された。百年祭に合わせ、明治神宮ではそのご生涯や業績を振り返る記念行事も実施した。 宮司は「楠木正成公」と「乃木希典公」を尊敬しています 乃木希典明治天皇に殉死した乃木夫婦は末代までの偉人である
http://www.sakanouenokumo.jp/nogi/images/nogi01.jpg
1849年(嘉永2年)11月11日、江戸の長府藩邸に生れる。
1865年(慶応元年)報国隊に参加し幕府軍と戦う。
69年(明治2年)伏見御親兵兵営に入営、翌年脱藩騒動鎮圧のため帰藩する。 西南の役で小倉歩兵第十四連隊長(心得)として、熊本鎮台への救援に急行中、植木付近での薩摩軍との遭遇戦で連隊旗(軍旗)を喪失する。
86年〜88年川上操六とともにドイツ留学、帰国後軍紀確立を主張する報告書を提出。
日清戦争では歩兵第1旅団長として第ニ軍(大山巌大将)麾下で出征。金州、旅順を攻略。さらに北上して蓋平、太平山、牛荘、田庄台に転戦。
96年に台湾総督に就任。日露戦争では留守近衛師団長から旅順攻略のために新設された第三軍司令官として参戦、激戦の末陥落させたが、二子をはじめ多くの戦死者をだす。敵将ステッセルとの水師営の会見は、日本武士道の精華として賞賛された。 奉天会戦では左翼からの包囲攻撃の主兵として力戦するも一歩及ばず、ロシア軍主力は鉄嶺方面に逃れた。
戦後は学習院院長として皇族の教育を担当する。
1912年9月13日明治天皇の大喪の日、妻静子とともに殉死。 乃木希典・静子夫妻殉死明治天皇100年 「強い時代」から学びたい2012.7.30 03:13
今日30日は明治天皇が崩御されてちょうど100年にあたる。当然のことながら「明治」という時代が終わってからも100年となる。明治天皇の業績とともに、明治時代の意味についても考える機会としたい。
明治天皇の即位は、慶応3(1867)年だった。その年に「王政復古の大号令」が出されている。つまり天皇は、維新に始まった明治の国造りの歴史そのものを生きられたといっていい。
その国造りの理念は一貫して、当時の欧米列強の植民地主義に屈せず、独立を守る強い国とすることであった。そのために「富国強兵」策をとり、「教育勅語」などによって国民に挙国一致や愛国心を求めたのである。
これが実を結んだのが、明治37(1904)年に始まった日露戦争の勝利だった。
満州(現中国東北部)に軍を居座らせ、隣の朝鮮半島をもうかがおうとするロシアに対し、危機感を募らせた日本は、これに強く異議を申し立てた。ロシアがこれに応じないため、ついに開戦に踏み切り、苦しい戦いを経て勝利に結びつけた。
英国と同盟を結び、米国に講和の仲介を依頼した外交的な成果でもあった。だが何よりも、不退転の決意で戦いに臨んだ政府や軍、それに国民の団結心によるところが大きかったのである。 その「明治」が終わって100年後の今、日本が置かれている状況はあまり変わらない。ロシアの代わりに中国が東シナ海や南シナ海に覇権を伸ばそうとし、沖縄の尖閣諸島近辺の領海をしばしば侵している。ロシアも先の大戦末期、違法に奪った北方領土を返す意思をまったく見せていない。 これに対する日本政府の対応はもどかしく見える。野田佳彦首相は領土・領海で外国による不法行為があった場合、自衛隊も活用する考えを示した。
だがその一方で、東京都による尖閣購入を批判した丹羽宇一郎駐中国大使の更迭もせずにいる。
中国やロシアに対しては、憲法改正で軍を持つことを明確にし、日米同盟関係をさらに深化させて抑止力を強めることも必要だ。
だが最も肝心なのは、政治家も一般国民も、「自らの国は自らが守るのだ」という強い決意を持つことだ。「強い明治」の歴史からそのことを学ぶべきである。
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先人に「上から目線」の愚
適菜収氏の御話し
賢者の言葉を紹介した本が売れている。ゲーテやニーチェ、カフカといった先人の言葉をコンパクトにまとめたものが多い。こうした中、巷(ちまた)でよく聞かれるのが、「ゲーテは今から200年も前の人なのにこんなにすごいことを言っていたのか。驚きました」「ゲーテの言葉は今の世の中でも十分に通用しますね」といった類いの反応だ。「どれほど上から目線なのか」と逆に驚いてしまう。たかだか200年後に生まれたというだけで、一段上の立場から「昔の人なのにすごい」とゲーテを褒めるわけだ。これは近代−進歩史観に完全に毒された考え方である。すなわち、時間の経過とともに人間精神が進化するという妄想だ。
彼らに悪気がないことはわかる。ただ感じたことを口にしただけだ。だからこそ深刻なのだ。捻(ね)じ曲がったイデオロギーが体のレベルで染み付いてしまっている。たしかにこの200年で科学技術は進化し、生活は豊かになった。当時、電話は存在しなかったが、今では誰もが携帯電話を使いこなしている。しかし、ほとんどの現代人はケータイの構造を理解していない。与えられたものを便利だから使っているだけであり、200年前どころか原始人となにも変わりはない。むしろ、石器を手作りしていた原始人のほうが、世界を深く認識していた可能性がある。現代人が先人より優れている証拠はどこにもない。一方、劣化を示す兆候は枚挙にいとまがない。その原因は《未来信仰》にある。
かつては「昔の人だからすごい」という感覚はあっても「昔の人なのにすごい」という感覚はなかった。偉大な過去に驚異を感じ、畏敬の念を抱き、古典の模倣を繰り返すことにより文明は維持されてきたからだ。過去は単純に美化されたのではなく、常に現在との緊張関係において捉えられていた。
知の巨人ゲーテ(1749〜1832年)は、「過去からわれわれに伝えられているものを絶えず顧みることによって初めて、芸術と学問は促進され得る」と言う。たとえば、15世紀のイタリア・ルネサンスは、古代ギリシャ・古代ローマの《再生》による人間の復興を目指す運動だった。同時にそれは、進歩史観の起源にあたるキリスト教的歴史観に対する芸術の反逆でもあった。ところが近代において進歩史観が勝利を占め、過去は《冷徹な歴史法則》なるものにより都合よく整理されてしまった。歴史は学問の対象に、古典は教養の枠に閉じ込められた。大衆社会において、ついに歴史は趣味になる。現代人の趣味に合わないものは「昔の人の価値観だから」と否定されるようになった。大衆は自分たちが文化の最前線にいると思い込むようになり、古典的な規範を認めず、視線を未来にだけ向けるようになった。過去に対する思い上がり、現在が過去より優れているという根拠のない確信…。畏れ敬う感覚が社会から失われたのである。
「3千年の歴史から学ぶことを知らないものは闇の中にいよ」とゲーテは叱った。現在、自我が肥大した幼児のような大人が、闇の世界で万能感に浸るようになっている。革命、維新などという近代的虚言を弄んでいる連中は、歴史と一緒に大きく歪(ゆが)んだ頭のネジを巻きなおしたほうがいい。 |






