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憲法
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第一条
大日本帝国は萬世一系の天皇之を統治す(大日本帝国は、万世一系の天皇によって統治される。)
謹んで思うには、神祖(神として祭られている先祖)が建国されて以来、時には盛衰が有りはしても、世の中に治乱が有りはしても、皇統一系の貴い位の盛んである事は、天地とともに有り終わりが無い。本条は憲法の最初に立国の大義を掲げて、我が日本帝国は一系の皇統とともに終始し、今も昔も永遠にあり、一があって二がなく常があって変がないことを示して、それによって君臣の関係を永遠に明らかにする。
統治は、大位(天皇の位)に就いて大権を統べ、国土と臣民を治めることである。古典には天祖の勅を挙げて、「瑞穂国(日本)は我が子孫が王となるべき地である。皇孫よ行って治めなさい」といわれた。
また、神祖を称えて祭り始御国天皇(はつくにしらすすめらみこと)といわれた。日本武尊の言葉に「私は纏向(まきむく)の日代宮(ひしろのみや)で大八島国(おおやしまのくに)を知ろしめす(治めておられる)大帯日子淤斯呂和気天皇(おおたらしひこおしろわけのすめらみこと)の御子」とある。文武天皇(もんむてんのう)即位の詔に「天皇の御子が次々に継いでこられた大八島国を治める順」といわれた。また、天下を調査し平穏にされ、公民に恵みを与え慰撫された代々の天皇は、皆、このことによって伝国の大訓とされ、その後の「御大八州天皇(おおやしましろしめすすめらみこと)」ということで、詔書の例式とされた。所謂「しらす」とは即ち統治の意味に他ならない。蓋し、歴代の天皇はその天職を重んじ、君主の徳は八州臣民を統治するためにあって、一人一家に享奉する私事では無いことを示された。これは、この憲法のよりどころであり、基礎とするところである。
倭が帝国の領域は、古に大八島というのは淡路島[即ち今の淡路]、秋津島[即ち本島]、伊予の二名島[即ち四国]、筑紫島[即ち九州]、壱岐島津島[津島、即ち対馬]、隠岐島佐渡島をいう事は、古典に記載されている。景行天皇が東の蝦夷を征伐し、西の熊襲を平定し国土が大いに定まった。推古天皇の時には百八十余の国造があり、延喜式に至り六十六国及び二島の区画を載せた。明治元年、陸奥出羽の二国を分けて七国にし、北海道に十一国を置く。ここにおいて全国合わせて八十四国とした。現在の国の境は、実に古の所謂大八島、延喜式の六十六国及び各島、並びに北海道沖縄諸島、及び小笠原諸島とする。蓋し、土地と人民とは国を成立させる根本であり、一定の国土は一定の我国を成り立たせ、そして、一定の憲章がその間で行われる事により、一国は一個人の如く、一国の国土は一個人の体躯の如くをもって統一完全な領域をなす。
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西村眞悟ホームページ・眞悟の時事通信
『主権回復を祝い、無効論定着す』(平成25年5月5日)より引用させて頂きました。 以下引用 ... 「(第一の視点) さて、憲法を考える場合、さらに広く、法を考える場合には、 「不文の法」と「成文の法」 が存在することをまず脳裏においておかねばならない。 前者(不文法)は、人の社会生活状況の変化に従って流動していて後者(成文法)の解釈に影響を与える。そして、前者と後者の文言が甚だしく乖離してくると、後者は捨てられる。つまり、死文化する。法として機能しなくなる。 例えば、奈良時代に、大宝律令、養老律令というのがあった。私は読んだこともない。 しかし、この律令の文言と社会生活実態が合わなくなったときに何が起こったか。「令外の官」が設けられた。これは、律令の外の官ということ、つまり武装組織、武士だ。 さらに時代が移り、社会生活実態と律令の文言が合わなくなると「関東御成敗式目」が武藏守北条泰時によってつくられる。この時泰時は次のような趣旨のことを言う。 「京都には、律令というのがあるらしいが、我々はそんなものは読んだこともないし全く知らない。 従って、こんなもので裁かれれば、山に入って猟師の仕掛けた獣穴(ししあな)に墜ちるようなものだ。よって、これからは今まで我々が従ってきた頼朝殿の裁定を基本にして生きてゆこう」 つまり、北条泰時は、支那の唐の制度を持ち込んだ律令(成文法)よりも、自分たちの生活実態すなわち歴史と伝統のなかからできあがっている先例、慣例、慣習(不文法)を法としたのだ。そして、この関東御成敗式目は、江戸が終わって明治になっても寺子屋で教えられ、庶民の規範、生きた法となった。 そこで、この大宝律令・養老律令と関東御成敗式目の関係を、現在の日本国憲法と社会生活実態の関係と対比して考えれば、例えば、自衛隊は「令外の官」として始まったと言える。 つまり、日本国憲法は当初から現実の社会生活実態(国際・国内情勢)と合わなくなっていて、まず「日本国憲法外の官」である自衛隊つまり軍隊を国民が認めたということである。 そして、現在は、いつの間にか、泰時が言う「そんなので律せられたら獣穴に墜ちるどころが日本民族が支那に呑み込まれてなくなるから、京都の馬鹿(社民・共産や左翼)はほっといて、我らは、我らの常識に従って生きていこう」という関東御成敗式目制定の時代をとっくに過ぎた段階にある。 では、この通りであるならば、 かつての大宝律令・養老律令がそうであったように、 日本国憲法もそうであろう。 つまり、死文化している。 即ち、我々日本国民、日本民族の、憲法は、 日本国憲法と題する文章のなかにあるのではなく、 我々の歴史と伝統と社会生活実態のなかにある。 (第二の視点) 次に、法一般ではなく、特に日本国憲法を考える場合、この一点を避けて通ることはできない。即ち、成立過程からして、 果たして「有効」なのか「無効」なのか。 これは、「無効」だ。 黒いカラスを白いという人や、東京大学の教授(宮沢義俊)のように、ないものをあるという人(彼は昭和二十年八月十五日にクーデターがあったと言っている)はほっておこう。 そもそも、 我が国に主権がないときに、我が国はどうして憲法を制定できるのか。 我が国に主権がないときに、占領軍兵士が憲法を書き、 我が国に主権がないときに、それを公布しそれを施行した。 これがどうして「有効」なのか。」 |
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物事を考える時に、良い事だけを考える馬鹿が何処にいますか。しかもこの96条改正はその悪い部分がとんでもなく悪い。それこそ下手をすれば実質其の時の与党、場合によっては総理が変わっただけで憲法がガラガラポンされる可能性だってあります。とんでもないことなのです。だからこそ世界を見渡しても大半の國では硬性憲法である分けです。そして、その変える者が左翼である場合それでも良いんですか?右翼さんよ。左翼が96条改正後にまず行うことは天皇条項削除です。実際に共産党関連の人間や他の左翼連中も言っております。
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