憲法

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昭和二十二年五月三日とは如何なる日か
西村眞悟衆議院議員の御話し

 四月二十九日の昭和天皇のお誕生日である昭和の日が過ぎると、五月三日がやってくる。
 この日は、私の実感通りの言葉を使うと、
...  実に、けったくそわるい日である。

 四月二十八日の「主権回復の日」を祝ったのであるから、
 はっきり言っておく。
 主権回復を祝うということは、
 即ち、主権を奪われた時に施行された「憲法」の無効を確認して廃棄することである。

 主権とは何か。
 それは、憲法制定権力である。
 従って、主権=憲法制定権力、が奪われた状態から回復したのちに始めて憲法を施行することができる。
 即ち、主権回復=憲法制定権力回復の前に施行された「日本国憲法」は憲法ではないのである。
 では、それは何か。
 その時の我が国に君臨していた最高権力者である連合国軍最高司令官の「日本占領統治基本法」である。

 さて、昭和二十年九月二日から、日本を軍事占領統治した連合国軍日本統治の基本方針は何か。
 それは、弱体化した日本をそのままにして、二度と再び連合国に脅威にならない国であり続けるように固定することだ。
 その為に、連合国は、日本の戦争指導者と部下の将兵を「戦犯」として大量に処刑し、日本弱体化を実現するために日本から軍隊と交戦権を奪う「占領統治基本法」を制定した。
 つまり、復讐として日本を弾劾する極東国際軍事裁判(以下、東京裁判という)を実施し、同時に、弱体化のための基本法である日本国憲法を制定した。
 従って、東京裁判と日本国憲法は、共に不可分で日本弱体化を実現するものである。

 そして、以上の事実を日本国民に知らせないために、連合国軍は、我が国に三十項目にわたる厳重な検閲を実施した。
 その検閲指針の冒頭の三つは、連合国軍の占領統治の意図を実に露骨に先行自白している。
検閲指針①連合国軍最高司令官司令部に対する批判
 同  ②東京裁判に対する批判
 同  ③連合国最高司令官司令部が日本国憲法を起草したことに対する批判
 
 この検閲指針で明らかなことは、連合国軍最高司令官は、日本国民に、
 ①自分たちの日本弱体化という占領統治の意図、
 ②東京裁判の裁判ではなく復讐という本質、
 ③日本国憲法を書いたのは日本人ではなく占領軍将校であるということ、
を知られないようにしていたことである。

 これら一連の占領統治の指揮を執ったのは、連合国軍最高司令官であったダグラス・マッカーサー(在任期間、昭和二十年九月二日〜昭和二十六年四月十一日)というアメリカ国籍の男である。
 
 そして、この男の隠された日本に対する復讐の意図は、彼が、東京裁判や日本国憲法に関して選んだ日付けに実によく顕れているので、これを次に紹介したい。
 マッカーサーとは、実に陰湿で執念深く、軍人の風上にも置けない卑怯なイヤな男である。

 マッカーサーは、大東亜戦争緒戦で日本軍に敗退し、六万七千の部下を見捨ててフィリピンのコレヒドール島から逃亡した。軍人として面目なしである。
 しかし、こういう弱く卑怯な者ほど執念深い。
 マッカーサーが日本統治で、まず始めたことは、自分をフィリピンのバターン半島コレヒドール島から追い出した日本軍の第十四軍司令官であった本間雅晴中将に対する復讐であった。
 本間雅晴中将は、死刑判決を受け、フィリピンで昭和二十一年四月三日午前0時五十三分に銃殺された。
 この四月三日午前0時五十三分は、四年前の昭和十七年に本間雅晴中将が第十四軍にバターン半島への総攻撃を下命した同じ日の同じ時間である。
 マッカーサーが、本間中将を山下奉文将軍のように絞首刑(フィリピンにおいて同年二月二十三日執行)にすることなく銃殺にしたのは、軍人の名誉を重んじたからではなく、午前0時五十三分ドンピシャリに本間中将を殺せるからだ。卑怯者ほど、こういうことをする。

 白人のアジア支配のシンボルであったシンガポールを陥落させたマレーの虎といわれた山下奉文将軍と本間雅晴中将を処刑したマッカーサーは、同時に、東京裁判と日本国憲法作成を進行させる。
 彼が日本国憲法の起草を部下に命じたのは、昭和二十一年二月である。彼は、ケーディス以下十名足らずの青二才の若者に、二月中に起草せよと命じ、彼等は十日以内で「日本国憲法」を書いた。
 
 マッカーサーは、若き日に、父親に同行して日露戦争を観戦し、日本軍の強さに驚嘆するのであるが、その強さが、明治天皇への兵士の忠誠心から湧き上がっていることを知る。
 従って、マッカーサーは、日本弱体化の毒を盛り込んだ日本国憲法の公布日を、日本の強さの源泉であった大帝、明治天皇のお誕生日である明治節、即ち十一月三日にする。

 「戦犯」に対する東京裁判の方であるが、
 日本国民が敗戦後始めて迎えた昭和天皇のお誕生日である昭和二十一年四月二十九日に戦争指導者を起訴し、四日後の五月三日に審理を開始する。
 そして、この東京裁判審理開始一周年の翌年昭和二十二年五月三日に日本国憲法を施行し、東条英機以下「七戦犯」の処刑は、皇太子(今上陛下)のお誕生日である昭和二十三年十二月二十三日に執行する。

 以上のように、昭和二十一年四月三日の本間雅晴中将処刑から昭和二十三年十二月二十三日の七人処刑までの日付けを振り返っても、マッカーサーの性格と日本占領統治の隠された基本方針が影絵のように浮き上がってくるではないか。
 
 マッカーサーは、東京裁判を、昭和天皇のお誕生日に起訴して始め、今上陛下のお誕生日に処刑して終える。そして、日本国憲法を、明治天皇のお誕生日に公布し、東京裁判審理開始一周年の日に施行する。

 まことに、ここまで巧妙に隠微にやりやがったのか、と思はざるをえない。なるほどと、うなるほどだ。
 それにしても、こんなイヤな性格にならないでよかったと思う。

 再び言う。
 四月二十八日に、主権回復を祝ったのであるから、主権の奪われていたときに何があったのかを点検し、
奪われたものを今こそ取り戻さねば「祝い」にならないではないか
 奪われたもの、それは、
 靖国神社である。
 英霊の名誉である。
 軍隊である。
 そして、
 天皇と国体そして軍隊の保持と運用の原則である「天皇大権」を定める大日本帝国憲法である。
昭和51年に発行された難波江通泰氏の「天皇陛下にお仕へしたい ウエスト博士の思ひ出」
という著書があります。
この中でウエスト博士は、
「日本の繁栄はすばらしい。無限の可能性を持っている」
と言うと難波江氏は、
「あなたの考えでは、日本の繁栄の根本的な原因は何であるとお思いですか?」
「それは、日本に天皇陛下が居られるからです」
「・・・・・」
 
ウエスト博士は続けてこう言いました。
「私は日本人になりたい」
「どうしてですか?」
「それは天皇陛下が居られるからです。天皇陛下が居られる国だから、私は日本へ来たのです。
もし日本に天皇陛下が居られないならば、それはドイツやソ連やイギリスやメキシコやアメリカなど、
世界のすべての国と同じであって、そんな国ならどこへ行っても同じことです。
イギリスやオランダなどにも国王や女王が居られるけれども、
それらは日本の皇室や天皇陛下とは違う。天皇陛下が居られるのは日本だけだ。
絶海の孤島の漁師でもいい。山間僻地の貧しい百姓でもいい、
私は日本人になって天皇陛下にお仕えしたい」
・・・・。
 
 
ジョージ・ランボーン・ウエスト博士。
1929年、米国テキサス州サン・アントニオに生まれ、テキサス大学で法律と歴史を専攻して法学博士の学位を得、メールランド大学など数校で教授を歴任し、ダラス市で弁護士をしていました。
少年時代にラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の手紙を図書館で見てから日本に憧れ、
博士の夫人も日本人女性です。
 
ウエスト博士は昭和44年から日本マネージメント協会の顧問として来日してから、
たびたび日本で講演を行ってきました。
博士の講演は、日本が真珠湾攻撃を行ったのはアメリカが仕掛けた罠にはめられたと述べ、
東京裁判の不当性を衝き、米製憲法を強制したことを糾弾します。
この講演内容については昭和55年「憲法改悪の強要」(嵯峨野書院)を出版しました。
 
ウエスト博士が昭和57年に来日した時、元国会議員の会合で講演し、
このようにお話ししました。
「日本に何回来ても憲法改正の声が起こっており、その運動も続けられている。
少しは改正されたのかと思って今度の来日でも聞いてみたが、全然改められていない。
日本人は基本の魂を取り戻さなければならない。
・・・・。
私はかねてから一度やりたいと思っていた夢を、ここでかなえさせて貰いたい」
博士はこのように前置きして、自ら音頭をとって、
「天皇陛下万歳」を三唱しました。
並みいる日本の元国会議員たちは度肝を抜かれましたが、
こぞって呼応したといいます。
 
平成63月、ウエスト博士は千代子夫人と来日しました。
東京に着くと、明治神宮、昭和天皇武蔵野陵、東郷神社、乃木神社に参拝しました。
同年626日には靖国神社に参拝しました。
その日、ウエスト博士が靖国神社の遊就館で講演会を行う日でした。
講演会の事前の有志との打ち合わせで、博士はこう聞いてきました。
「今上天皇は靖国神社に参拝されたことがあるか?」
これはこの時丁度、両陛下は訪米中で、
アーリントン墓地とハワイのパンチボール(国立太平洋記念墓地)に参拝しておられたからです。
 
続けて博士はこのように言いました。
「靖国神社に参拝されずに、アメリカのアーリントン墓地に参られるとは、何事であるか」
この場にいた通訳の足羽雄郎氏は
「日本は天皇の専制国家ではない。君民共治の国だから、首相が参拝して、
国民すべてがそれを望むような雰囲気が作られないと参拝はされないのだ」と言おうとしたら、
傍にいた名越二荒之助氏がこう言いました。
「アメリカが訳のわからない憲法を押し付けたからだ」
すると博士は
「あれは憲法の名に値しない。いやしくも日本人が憲法というなら、
聖徳太子の十七条の憲法と明治天皇の帝国憲法しかないはずだ。
現在の日本国憲法はマッカーサーの押し付けたアメリカ製だから、
日本人は英語でコンスティテューションと呼ぶべきだ」
 
名越氏は
「日本では昭和天皇も今上天皇もアーリントン墓地に参拝して花輪を捧げておられる。
今度クリントン大統領が来日したら靖国神社に参拝するよう厳しく言いつけてもらいたい」
「それは駄目だ。クリントンはベトナム戦争の時、徴兵を忌避した反戦主義者だ。
そんな男が参拝したら英霊の冒瀆になる」
これを聞いた足羽氏は
「日本の政治家の中には、靖国神社には気の毒な戦争犠牲者が祀られている。
私はその人たちを慰霊するために参拝する、と公言する人がある。
こんな心根で参ったのでは英霊の冒瀆になるのではないか」
こう思ったという。
 
その後、遊就館での博士の講演会の締めくくりはこうでありました。
「アメリカの占領政策でジョン・デューイの教育哲学が日本に持ち込まれたことが教育の荒廃をもたらした。個性尊重と称して子供を甘やかし、学校も親も道徳教育への自信を喪失した。
それは日米ともに同じである。
教育再建のためにはアメリカは開拓者精神に帰り、
日本は教育勅語を復活させねばならない。日本人は喪った魂を取り戻すべきである。
そのために陛下の万歳を三唱をしよう」
ウエスト博士は頬を紅潮させながら音頭をとったそうです。
 
ウエスト博士のように日本を知る方がいることを我々は決して忘れずに、
日本人として日本の国柄を大切にしたいものです。
 
 
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転載元転載元: さくらの花びらの「日本人よ、誇りを持とう」

吉之輔さんの御話し

吉之輔さんの御話し
 
原発反対の人たちが、あれだけデモや集会をしても、一向に廃止できないでしょ。
TPPもあれだけ批判しまくって大騒ぎをしても、結局のとこ参加でしょ。
不景気な経済も、円を刷ればいいのに・・・それをあえてしないでしょ。
領土問題だって明らかに我が国の領土であっても不法占拠されたままで進展しないでしょ。
拉致問題もマスコミを通じて大々的に報道しまくったけど、いつのまにかフェイドアウトでしょ。
いじめ(教育問題)も不幸な事件が起こるたびにコメンテーターを引き合いにして議論だけはするけど解決しないうちに芸能ネタでうやむやでしょ。志ある人たちが一生懸命になって何とかしようと頑張ってるんですが・・・
 
これね、これらの諸問題が出てくるたびに我々が振り回されているに過ぎない、ということに気づきましょうょ。
 
 
じゃあなぜ解決できないの?ニッポンは国民主権や民主主義のはずなのに我々の意見が通じないのはなぜ?
 
理由...は簡単、解決できない仕組みが成されているからですよ。私たちが憲法だと思い込んでいるニッポンコッケンポーという足かせを外さないと、あらゆる事が我が国の国益に反する方向に導かれてしまいます。一度読んでみたらいいと思います。読まないにしても、そもそも戦勝国が占領統治しやすくするための能書き文ですから、我が国にとって美味しい事が書いてあるわけがありませんよね。
 
つまりは、元を断てば、すべてうまくいくってわけよ。ニッポンコッケンポーの無効を確認して、大日本帝国憲法を改正して、元の立ち位置に戻ってから進み直せば、自ずと見えてくる。だから、それぞれの主張をされている人たちと手を組んで
大日本帝国憲法復元改正をしたほうが一気に解決すると思いますが、いかがでしょうか?
 
我々国民ひとりひとりが「大日本帝国憲法復元改正!」と訴えれば、政治家もなびくよ。当選したいから。
安倍を初めとした戰後体制保守派による國家破壊の最終段階
 
それが96条改正です。3分の2を2分の1に変えれば、しかもこの小選挙区制の現在の我が國で変えてしまえば、それこそ簡単に多数を占めそして改正を行える分けです。
 
普通に頭が働いている人間が考えれば普通にとんでもない事と分かるはずですが、それを行おうとしている者達が安倍を初めとする戰後体制を保守する保守派議員及びそれにまとわりついて地位、名誉、金、等をせしめ様としている屑学者、評論家、所謂政治でビジネスをしている屑共です。そういった人間からすればそもそも憲法が改正しやすくなればなる程、改正利権を得やすく金儲けがしやすくなります。
 
保守派や安倍を支持してきた人間の多くは民主党をとんでもないと思っているのではありませんか。確かにその通りです。しかしながら、その民主党の様な政党が又現れ議員数の2分の1を掌握すれば、今度は彼等が勝手に憲法を変えられるのですよ。それで良いのですか?まともな人間であれば安倍に賛同など絶対に出来ません。はっきり言って狂っている。
 
ならば如何すれば良いのか。だからこそ私も何度も書いている様に、そもそも日本國憲法は憲法としては無効なのだからとっとと無効宣言を行えば良いのです。そうすれば我が國が真正伝統國家としての正統性も合法性も守れる道筋が生まれまともな日本人からすれば万々歳なのです。しかしながら、それを頑なに行おうとしない戰後保守派は一体何なのか。
 
彼らははっきり言って唯の戰後体制利権集団であり國賊でしかありません。
 
 

芦部信喜について、

芦部信喜について、
byウィキ

芦部は、戦前通説的見解とされた師である宮沢の学説を承継した上で、アメリカ合衆国の憲法学説・判例を他に先駆けて導入し、戦後の憲法学会における議論をリードし、その発展に寄与した。

芦部は、まず、憲法が歴史の所産であるとした上で、市民革命を経て発展してきた近代憲法は、何より「自由の基礎法」である点に特質があり、「個人の尊重原理」とそれに基づく体系を根本規範とする価値秩序であるとする。かかる立場からは、憲法は、国法秩序において最も強い形式的効力を有する「最高法規」でもあり、国家権力を制限する「制限規範」でもあることになるが、近代憲法を支えた古典的な立憲主義の思想は、現代においては、社会国家・福祉国家の思想と両立し、民主主義とも密接に結合するなど変容しているとする。その上で、日本国憲法の制定の過程には、歴史上様々政治的な要因が働いていることは否定できないが、結局のところ、国民自ら憲法制定権力を発動させて制定したものであるとみるほかないとして宮沢の八月革命説を支持し、その結果、上掲の特質を全て備えた日本国憲法が制定されたとみる。

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