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四宮さんの御話し
 
本来、日本国民は、事の結果に対して潔く責任を負い、恥を知る道義心を持っている。武士道精神がその典型だが、武士だけでなく、農民も、商人も高い道義心を持っていた。日本の文化は、「名と恥の文化」といわれる。日本人は本来、名誉を重んじ名がすたることをもっとも忌み嫌い、恥を知る民族である。

 わが国の武士道精神は、「忠」「孝」「義」「勇」「仁」「礼」「誠」「名誉」「克己」という徳目がその内容となっている。わが国国民の正邪・善悪の観念は、武士道精神に基づくといっても過言ではない。

武士道精神の核となるのは、「忠孝精神」「名誉の感覚」「廉恥心」(心が清らかで、恥を知る心)である。しかもそれは武士階級のみの道義精神ではない。日本人全体が持ってい...る心・持つべき心である。

「日本武士道精神・もののふの道」は、中世以降に禅宗や儒教に基づいて形成された精神では断じてない。日本武指導の発祥は神代である。長い日本の歴史の中で、須佐之男命・日本武尊という神話時代の英雄、万葉時代の防人たち、中古中世の鎮西八郎為朝、源義経、楠正成、さらに近世・幕末における赤穂四十七士、井伊直弼を撃った水戸脱藩浪士などの志士の行動、白虎隊士の自決、さらに大東亜戦争における特攻隊員を始めとした兵士たちの行為などは、「武士の鏡」「英雄」と讃えられた。

しかし、戦後日本は、そうした英雄の行為を「非合法」「反ヒューマニズム」として裁き日蔭に追いやった。「國のため敵を撃つ」「大君の御為に身命を捧げる」「仇なすものを討つ」などという精神は、「平和と民主主義」と絶対相容れない「行為」として、「日蔭」に追いやられ続けている。
 
ところが「武士道」を否定し、「生命の尊重」が最高の道徳とされ、「平和と民主主義」を謳歌している今日の日本において、戦前どころか有史以来見られなかった凶悪にして残虐なる犯罪、殺人事件が続発している。

戦後日本の国民は、古いものは全て悪いものだと考える軽薄な国民に成り果ててしまっている。親孝行も愛国心も義理も人情も全て、旧道徳・軍国主義・封建思想と片付けてしまった戦後教育が、今日の亡国的状況をもたらしたのである。つまり履き違えた「平和論」と誤った「人権思想」が横行しているところに今日の混迷の根本原因があるのである。

やはり我々は今日に於いて、日本の伝統的な「もののふの道・武士道精神」を甦らしめねばならないと痛感する。

日本神国思想について

 
日本神国思想について
四宮さんの御話し

日本が神国であるといふことが文献上最も早く記されているのは、『日本書紀』巻九「神功皇后の条」である。そこには、「吾聞く。東に神国有り。日本と謂ふ。亦聖王有り。天皇と謂ふ。必ず其の国の神兵也」と記されている。

次に鎌倉時代に現わされた『神道五部書(しんとうごうぶしょ)』(伊勢神道・度会神道の根本経典)一つである『倭姫命世記』(伊勢外宮の神官の渡会行忠(わたらいゆきただ)の撰。天地開闢から、皇大神宮の各地御還幸、雄略天皇の代の外宮鎮座に至る詳細を記す)に「吾聞く。大日本は神国なり。神明の加護に依りて、国家の安全を得る。」と書かれている。...
こうした神国思想は、その後、文永・弘安の元寇という一大国家危機によって全国民的に燃え盛った。

そして北畠親房公の『神皇正統記』に巻頭に「大日本(おほやまと)者(は)神国(かみのくに)也。天祖(あまつみおや)はじめて基(もとゐ)をひらき、日神(ひのかみ)ながく統(とう)を伝(つた)へ給ふ。我(わが)国のみ此事あり。異朝(いてう)には其たぐひなし。此故に神国(かみのくに)と云(い)ふ也。神代(かみよ)には豊葦原千五百秋瑞穂(とよあしはらのちいほのあきのみづほの)国と云(い)ふ。天地開闢(てんちかいびやく)の初(はじめ)より此名(な)あり。天祖(あまつみおや)国常立尊(くにのとこたちのみこと)、陽神陰神(をがみめがみ)にさづけ給し勅(みことのり)にきこえたり。」と記されている。

北畠親房は『古事記』及び『日本書紀』冒頭の天地生成の神話まで遡って日本国が神国であることを論じた。また、日本が神国であるということは、日本国は神が護り給う国であるという事だけではなく、天つ神の生みの御子・現御神であらせられる日本天皇が統治したもう国であるということを明確に記している。

日本国は国家的危機に陥った時に、「神国思想」が燃え上がり、危機を打開して来た。そして神国思想は長く日本の道統として今日に至るまで伝えられてきている。われわれ日本国民は今こそ、日本国は神聖なる国であり、天皇の統治される国であるということが明確に自覚しなければならない。

わが國の傳統的死生観

 
わが國の傳統的死生観
四宮さんの御話し
 
夏は慰霊の行事が多い。日本人にとって「死」とは虚無の世界への消滅ではない。生の世界と死の世界は絶対的に隔絶してゐない。人が死んでも、その魂をこの世に呼び戻すことができると信じてゐる
 
本来日本人は、「死ぬ」と言はず「身罷る」「逝く」「神去る」「隠れる」と言った。「葬る」ことを「はふる」といふ。「はふる」とは羽振るである。魂が空を羽ばたいて飛んでいくといふことである。羽振りが良いとは勢ひがあるといふ意である。
...
日本武尊は薨去された後、その御霊は白鳥となって故郷に向かって飛んで行かれた。古代において鳥は霊魂を運ぶものと信じられた。肉体を離脱する霊魂の自由性・不滅性の最も原初的な信仰である。そしてその鳥が純白なのは、清らかさを好む日本人の生活感覚から生まれたのであらう。
 
柳田國男氏は、「日本人の大多数が、もとは死後の世界を近く親しく、何か其の消息に通じているやうな気持を、抱いて居た…第一には死してもこの國の中に、霊は留まって遠くへは行かぬと思ったこと、第二には顕幽両界の交通が繁く、単に春秋の定期の祭りだけでなしに、何れか一方のみの志によって、招き招かるゝことがさまで困難でないやうに思って居たこと、第三には生人の今はのときの念願が、死後には必ず達成するものと思って居たことで、是によって子孫の為に色々の計画を立てたのみか、さらに三たび生まれ代って、同じ事業を続けられるものゝ如く、思ったものの多かったといふのは第四である。」(『先祖の話』)と論じてゐる。
 
日本人は、死後の世界は現世とさう隔たった世界ではない信じた。佛教特に浄土信仰が、十萬億土の彼方にある西方極楽浄土に往生すると説くのとは大分違ふと考へられる。
 
中村元氏は、「日本人は佛教の渡来する以前から現世中心的・楽天的であった。このような人生観がその後にも長く残っているために、現世を穢土・不浄と見なす思想、日本人のうちに十分に根をおろすことはできなかった」(『日本人の思惟方法』)と論じてゐる。
 
日本には死んだご先祖が草葉の蔭から子孫を守って下さるとか、あるいはその反対に怨みを持って死んだ人の霊が生きたゐる人のところに化けて出るといふ信仰がある。一方日本人は、死んだら西方十萬億土の彼方にある極楽に往生して佛様になると信じ、その佛様が草葉の蔭(この世のお墓の下といふこと)から子孫を守ってくれると信じた。まったく矛盾するやうな考へであるが、これは信仰だから、「合理主義」であれこれ論じても仕方のないことである。
 
ともかく、日本人にとって肉體の死は靈魂の滅亡ではないのである。これがわが國の傳統的死生観である。そして死者の靈を弔い鎮めることが現世に生きる人間のつとめである。敬神崇祖がわが國民道徳の基本である。祖靈を尊ぶことがわが國の道統である。
我が國は少なくとも基本としては道義國家として突き進んでいました。しかしながら大東亜戦争の後に戦後体制がGHQの手によって作られました。
 
 
我が國はそれまで以上に徹底して我が國固有のものが失われ、代わりにGHQの主導で埋め込まれたルソーの思想に則った我が國の憲法の基本原則及び条項を初めとする様々なものの影響で、我が國は道義國家から自由と権利崇拝の革命的極左國家に変容していってしまった感が少なからずあります。その変容後の我が國では、個人の自由や権利などを金科玉条の如く掲げ、だから自分らは何をしてもよいのだ。法律さえ守れば後は自由だ。と云った感覚を持つ人間が結構います。
 
そういった戦後の極左大國日本という状態をこれからも突き進んで行くとするならば我が國は如何なるのか。その良い例がニコニコ動画のコメントであります。実に幼稚で自分勝手、個人主義的でありそれこそ個人の自由と権利を掲げ謳歌しているではありませんか。何の道義道徳も無い地獄の様なコメント空間を。
 
現実の世界でも様々にねじ曲がった歪さを含んだ空間が展開されておりますが、個人情報を提示しなくても良いインターネット空間においては、現実以上に好き勝手な自由と権利が横行しています。
 
その様な空間を誰が望むのか。少なくとも日本人は望みません。
日本人であるならば、
 
憲法十七絛の一”和をなによりも大切なものとし、いさかいをおこさぬことを根本としなさい。人はグループをつくりたがり、悟りきった人格者は少ない。それだから、君主や父親のいうことにしたがわなかったり、近隣の人たちともうまくいかない。しかし上の者も下の者も協調・親睦の気持ちをもって論議するなら、おのずからものごとの道理にかない、どんなことも成就するものだ”
 
これを持って意思疎通を図っていきたいものです。

旧約聖書・コーラン

四宮さんの御話し
最近、旧約聖書・コーランを読みました。「旧約聖書」の物語がこれほど面白いとは思いませんでした。しかし、言うまでもありませんが、コーランも聖書も日本神話の物語と比較すると相当に戦闘的であり、神の怒りとか復讐とかが凄まじく描かれております。また、砂漠地帯に生まれた神話ですから、やはり乾いております。心休まるみすみずしさは不足しています。

しかし一神教が、欧米・中東そしてアジア、つまり殆ど全世界に広まり、多くの人々が信仰しているという事実はすごいものです。日本伝統信仰は、世界宗教になり得るか否かというのは難しい問題であります。日本神話はやはり山紫水明麗しく四季の変化が規則正しい日本という素晴らしい国で生まれたものであります。厳しい自然環境に生きる人々には融合しないのかとも思います。

しかし、闘争戦争を絶え間なく繰り返している一神教の世界に対して、自然と祖靈を神と拝ろがむ神道の精神がその闘争性を和らげる原理となり得るという希望を抱いております。回教徒やユダヤ教徒が伊勢の神宮に来て大感激したという話を何回も聞いたことがあります。
ただし、今日の日本の荒廃した状況を見ると、まずもって日本人自身が、日本傳統信仰に回帰しなければなりません。

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