|
斯くの如く、街頭演説をした(西村眞悟)
西村眞悟近畿比例立候補者の御話し 昨日十一月二十三日、日本維新の会の街頭演説が堺市南区の泉ヶ丘駅前ロータリーで行われ、登壇の要請を受け街宣車の天井に乗って演説した。 ロータリーには五百名を超える人々が集まってくれており、上に登ると松井大阪府知事が演説をしていて、その横に新しく第十七選挙区の候補者となった堺市議の馬場君がいた。そして、橋下大阪市長が登ってきた。 松井知事の演説が終わり、私にマイクが回された。 さて私は、この寒さに向かう中で行われる選挙において、候補者はもちろん、全日本国民は、北朝鮮に拉致され長年にわたって抑留されている同胞(はらから)が、如何なる思いで寒さを迎えているか、常に意識していなければならないと思う。 そうでなければ、前の選挙のように、彼等拉致被害者と国民救出の国家的課題を忘れて、ただ自分らだけの安楽を訴える「生活第一」選挙に堕ちてしまい、結局、三年後には現在のように国家崩壊の危機に見舞われる。 否、これを繰り返せば、三年後には日本はなくなる。 私の演説の要旨、概要は、以下の通り。 十日前(十一月十三日)は、この泉ヶ丘駅前で、この西村眞悟は、「たちあがれ日本」の西村として朝立って皆さんに挨拶していた。六日前(十六日)の夕方は、「太陽の党」の西村として立っていた。
そして、これからは、この横にいる馬場君が立つ。 よろしく頼みます。 何故こうなるのか。それは、我々太陽の党と日本維新の会が合体したからだ。 何故合体したのか。それは、石原慎太郎代表が言う「大義」のためだ。 その「大義」とは、戦後体制から脱却して祖国の未来を拓くことだ。 皆さん、三年前、自民党ではダメだ、あの政治はこりごりだ、だから自民党を見限り民主党に「一度やらせてみよう」と政権を移したのだ。 そしてこの結果は、斯くも無惨に我々の前に在り、民主党政権の御陰で国が無茶苦茶になっている。 考えてみれば、自民も民主も、ともに戦後体制の中で育った表裏一体の政党で、これは、自民民主の総体としての「戦後体制」が、既に我が国を担えなくなっていることを、我々に示している。 その閉塞状況のなかで、大阪では、橋下知事の「大阪維新の会」が、自民党にはあきあきし民主党に絶望した「何とかしてくれ」という民意を吸収し、前にいる多くの維新の会の市会議員と府会議員を誕生させた。
これは、大阪において、自民でもない民主でもない、つまり戦後体制からの脱却の動きが起こったということだ。 従って、この大阪の動きを、力を合わせて国政に拡大するために、国政において真に戦後から脱却して祖国を再興させようとしていた我々と日本維新の会が合体した。 皆さん、我が国家の課題を具体的に感じて欲しい。
今季節は寒さに向かっている。北朝鮮は日本よりもっと寒い。この北朝鮮に、突然、拉致され家族と祖国から切断された拉致被害者が五百名近く抑留されている。 自民も民主も、北朝鮮が日本人を拉致していることを、知りながら見て見ぬふりをしてきた。日本政府が拉致被害者は十七名と言っているが、これは嘘だ。被害者は、五百名近くいる。 その拉致被害者にとって、寒くなり年末年始が迫ってくる今の季節が一番つらいのだ。 帰国できた拉致被害者五名の内の一人はこう言っている。「年末が迫ると、来年は日本が救いに来てくれるといつも念じていた。しかし、年が明けても救いはなかった。がっかりして、力が出ない。こういう年月が続いた。」 ナチスによって強制収容所に入れられたユダヤ人の死亡率は、十二月二十四日のクリスマスが終わると急上昇したと言われている。彼等は、今年のクリスマスこそ収容所から出て自由になれると念じながらクリスマスを迎えていた。しかし、その希望がかなえられないと判ったとき、気力を喪失し亡くなっていたのだ。 皆さん、今、極寒の北朝鮮で、拉致された日本人同胞は、このナチス収容所のユダヤ人達と同じ境遇におかれている。 十三歳で拉致された横田めぐみさんも、救出を待っている。 皆さん、この同胞、この自国民を救おうとしない国家に未来はないのです。 日本人拉致被害者救出、これこそ、現在日本の切実な国家的課題であるということを、どうか片時も忘れないでいてほしい。 平成九年、私は石原慎太郎さんと、尖閣視察の計画を練り、それを実行した。そして、国家は断固として領土を護らねばならないと国民に訴え続けてきた。
石原慎太郎さんは、今、日本維新の会の代表だ。 また私は、十年間、北朝鮮に拉致された日本人を救出する議員連盟の幹事長として、会長の平沼赳夫さんに仕えともに歩んできた。 平沼赳夫さんは、今、日本維新の会の国会議員団団長だ。 私は、領土と国民を救うという国家の切実な課題に、石原慎太郎代表、平沼赳夫団長らとともに取り組んできた。そして、これからも取り組んでいく。この取り組みが、国政の最大の動きとなるとき、我が国は閉塞状況から脱却できる。
戦後体制とは、この領土と国民を救うという課題に取り組めない体制なのだ。だから行き詰まった。 従って、皆さん、この我が国の未来を拓く、この大きな動きに参加しご支援をいただきたい。 |
選挙
[ リスト | 詳細 ]
|
2012年 大阪府衆院選立候補者・一覧
(まだ確定ではありませんので変更はあるかも知れません) ◎=真正護憲論者 ▽1区(5人)
大西 宏幸45 元大阪市議 自新 ◎
吉川 玲子50 党地区職員 共新
井上 英孝41 大阪市議 維新
熊田 篤嗣41 党総務会長 減前
中馬 弘毅76 元行革相 無元
▽2区(5人)
左藤 章61 学校法人理事 自元
萩原 仁45 元設計会社長 生前
山本 陽子58 元府議 共新
石井 竜馬43 大学院講師 み新
川条 志嘉42 企画会社経営 無元
西根 由佳(37歳)元薬剤師 維新
▽3区(3人)
柳本 卓治68 元拉致特委長 自前
佐藤 茂樹53 党府代表 公前
渡部 結31 党地区副委長 共新
▽4区(5人)
吉田 治50 元国交副大臣 民前
中山 泰秀42 元外務政務官 自元
清水 忠史44 元大阪市議 共新
村上 政俊29 元外務省職員 維新
井上 幸洋63 元電器会社員 社新
▽5区(3人)
稲見 哲男64 総務政務官 民前
国重 徹37 弁護士 公新
瀬戸 一正63 元大阪市議 共新
▽6区(3人)
村上 史好60 元文科委理事 生前
伊佐 進一37 元文科省職員 公新
北原 洋子54 党府委員 共新
▽7区(5人)
藤村 修63 官房長官 民前
渡嘉敷奈緒美50 薬剤師 自元
渡辺 義彦56 元安保委理事 生前
石川 多枝45 党地区副委長 共新
上西小百合29 会社員 維新
▽8区(4人)
松岡 広隆30 元拉致特理事 民前
大塚 高司48 元議員秘書 自元
五十川和洋53 元豊中市議 共新
木下 智彦43 会社員 維新
▽9区(4人)
大谷 信盛49 元環境政務官 民前
原田 憲治64 元府議 自元
末武 和美65 元府職員 共新
足立 康史47 元経産省職員 維新
▽10区(4人)
辻元 清美52 元首相補佐官 民前
大隈 和英43 医師 自新
浅沼 和仁51 党地区副委長 共新
松浪 健太41 元自民党衆員 維前
▽11区(4人)
平野 博文63 前文部科学相 民前
井脇ノブ子66 元財団役員 自元
三和 智之37 党地区副委長 共新
伊東 信久48 医師 維新
▽12区(3人)
樽床 伸二53 総務相 民前
北川 知克61 元環境政務官 自元
吉井 芳子50 党地区職員 共新
▽13区(3人)
樋口 俊一61 元消費特理事 民前
西野弘一(43歳)府議会議員 維新
寺山 初代57 市民団体役員 共新
▽14区(4人)
野沢 倫昭64 元八尾市議 共新
谷畑 孝65 元厚労副大臣 維前
長尾 敬49 元厚労委理事 無前 ◎?
雑誌willで憲法破棄と言ってはいた様ですが…真意は如何なのでしょうか。 ▽15区(4人)
竹本 直一71 元財務副大臣 自前
大谷 啓41 元科技特理事 生前
為 仁史63 党地区委員 共新
浦野 靖人39 府議 維新
▽16区(3人)
森山 浩行41 元府議 民前
北側 一雄59 元国土交通相 公元
岡井 勤61 元堺市議 共新
▽17区(5人)
辻 恵64 元法務委理事 民前
岡下 信子73 元内閣政務官 自元
吉岡 孝嘉54 党地区准委員 共新
馬場 伸幸47 堺市議 維新
▽18区(3人)
矢野 忠重62 党地区役員 共新
遠藤 敬44 財団法人役員 維新
中川 治61 元厚労委理事 無前
▽19区(4人)
長安 豊44 国交副大臣 民前
谷川 とむ36 元議員秘書 自新
田上聡太郎34 党地区委員 共新
丸山 穂高28 元経産省職員 維新
【比例代表近畿ブロック】(定数29) ▽民 主(1人)
浜本 宏60 元テロ特理事 前
▽生 活(1人)
熊谷 貞俊67 元法務委理事 前
▽公 明(4人)
竹内 譲54 党京都府代表 前
浮島 智子49 元参院議員 新
浜村 進37 元総研職員 新
樋口 尚也41 元建設会社員 新
▽共 産(2人)
宮本 岳志52 党中央委員 前
堀内 照文40 党准中央委員 新
▽社 民(1人)
服部 良一62 元労組委員長 前
▽幸 福(1人)
立木 秀学41 党首 新
▽維 新(1人)
西村 真悟64歳 元衆議院議員 前 ◎
|
|
斯くの如く、総選挙に臨む(西村眞悟)
日本維新の会、近畿比例区から出馬 西村眞悟元衆議院議員の御話し 諸兄姉、 十一月十六日の本時事通信で書かせていただいた私の所信を、具体的に如何にして実現するのか、もっと具体的には、如何にして衆議院総選挙に臨むのか、このことに関して以下述べさせていただきたい。 三年半前の総選挙で、自民党から民主党に政権を交代させた国民は、民主党政権の政権能力無き惨憺たる状況と、我が国を襲う厳しい内外の状況の中で、無惨に国益が毀損されている事態を唖然として見続けた。 ここで明らかになったことは、政権を自民に戻しても、もとの黙阿弥、崩壊する民主を政権から追放しなければ日本は滅びる、つまり、戦後体制の中で育った自民党も民主党も、もはや我が国を取り巻く状況に対処できないという完璧な閉塞状況という「時代の回答」である。 この事態を前提にして、祖国の将来を思う日本国民に、「なんとかしてくれ」というこの閉塞状況からの脱却の願いが渦巻いている。
即ち、今、我が国の誇りある存続の為、つまり国家のサバイバルの為!に必要なことは、戦後体制の自民でもなく民主でもない政治勢力の結集、即ち、政治に於ける「戦後からの脱却」である。 そして、このことを実現してゆくことが、石原慎太郎さんが言っている「大同小異」の「大同」なのだ。 従って、十一月十三日に石原慎太郎、平沼赳夫共同代表の「太陽の党」が結成される前より、断続的に、「日本維新の会」との合同協議が行われ、私は、この「大同」は、石原慎太郎氏と同様、幕末に於ける薩長連合と同じ「時代の要請」であると考えていた。 ご承知のように、維新の会は、大阪を中心にして、民主党に絶望し自民党にも戻らない大量の漂流する票を吸収してきたからである。つまり、維新の会に集まる票は、この閉塞状況からの脱却を希求する「なんとかしてくれ」という国民の大きな願いを顕しているのだ。 それ故私は、十一月十一日の日曜日に、読売テレビ「たかじんのそこまで言って委員会」に出演したが(収録十一月二日)、「たちあがれ日本」(当時)と「日本維新の会」との合流問題が成るか成らないか司会から尋ねられて、 「成るでしょう、緊急手術に際して医者が考慮するのは何ですか、血液型が合うかどうかだけでしょう、成ります」 と答えた。 まことに、我が国は、緊急手術が必要なほどの内外の国難に迫られており、「血液型」つまりお国のために何とかしなければならないという「祖国への愛」があれば力を合わせねばならない秋(とき)なのだ。 そこで十六日に前の時事通信を書き込み、午後、堺市の泉ヶ丘駅の街頭で、急遽印刷した石原、平沼、西村の三人の写真を掲載して私の所信を書いたA4版のビラを仲間と配ったところ、駅前を通る人々は一時間で用意したビラ千枚を全て受け取り、次々と「がんばりや」と声をかけてくれたのである。
堺の人々の激励に励まされ身が熱くなり嬉しかった。総選挙への確かな手応えをいただいのだ。 そして翌日十七日を迎えた。
この日、石原慎太郎代表が、大阪に来て「日本維新の会」の橋下徹代表らと合同に関して協議をする日だった。 夕刻、両者の合同が決まり、党名は「日本維新の会」で代表に石原慎太郎氏が就任すると報道された。 これで良いんだと思った。 すると、外が暗くなってからの報道で、さっそく「日本維新の会」の候補者名簿が発表されたという。 あとでテレビの映像で分かったが、大阪の我々「太陽の党」の側は、協議は「ボス交渉」の場だとして両代表同士の話し合いを外で見守っていてそこにいなかったのだが、「日本維新の会」の側は党大会のように党員や所属地方議員が集合していた。 そして、この「集会の場」に石原慎太郎代表が導かれて姿を現し公認候補が発表された。 翌十八日の朝、新聞には「日本維新の会」の候補者として私が立候補するつもりで活動を続けていた大阪十七区に私の名は無かった。愕然とした。 以上が、十七日と十八日のことである。 つまり、新しい事態に移行するに当たり、食い違いがあったということだ。 以下、それ以降の推移を述べる。 これは、つまり、「腹を決める問題」だから簡潔簡明だ。 二十日に上京して、まず平沼赳夫「日本維新の会」国会議員団団長と会い、後に石原慎太郎代表と会った。
この二人の新しい立場で明らかなように、二人は数十年の盟友でこの度の総選挙後の国政にはこの二人が主導して臨む。 私は、平成八年から石原さんと尖閣視察を話し合って計画を練り翌年五月、石原さんとともに尖閣に行った。 私は、平成十四年から長年北朝鮮に拉致された国民を救出する為の拉致議連の幹事長として拉致議連の会長である平沼さんに仕え、深く尊敬している。 そして、大義は、幕末の薩長連合に相当する 「戦後体制からの脱却」 その平沼赳夫先生は、自分も我慢した、頼む耐えてくれ、と言われた。 よって、腹を決めた。我を捨てる。 大義の前で旧勢力を利する内紛をしない。 即ち、選挙区で闘わず、総選挙への対処は石原、平沼両先輩に委ねる。 私は、この二人の先輩とともに、戦後体制(敗戦国体制)からの脱却に邁進する。 このようにして、この度の総選挙において、私は選挙区で闘わず、比例区にて立候補することが決まったのだ。 ご理解をいただきたい。 この日、上京する新幹線車中でふと開いた西郷南洲手抄言志録には、次の句があった(「西郷南洲遺訓」はいつも鞄に入れて持っている)。 「およそ事をなすには、すべからく天につかうるの心あるを要すべし。人に示すの念あるを要せず」 諸兄姉、
以上が、十六日の時事通信から二十一日までのことです。 この間、時に私のなかに甦った二つの言葉を次に記しておきたい。 誇りある祖国日本の再興の為、 戦後体制(敗戦国体制)からの脱却の為、 ともに歩んで行きましょう。祖国を信じて。 「人生とは、我々が稽古する時間もなしに役割を演じなければならなぬ劇である」 チェンバレン
「置かれた場所で、咲きなさい」 渡辺和子 この言葉の原詩は、 Bloom Where God Has Planted You.(神が植えたところで咲きなさい) |
|
ドクター中松氏、都知事選立候補!!
実は真正護憲論者のドクター中松氏です。 何とか都知事になって頂きたいですね。 |




