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昨日は ニュースとして 小中学校の暴力増加について取り上げて 忙しすぎる今ののこどもたちの生活について触れましたが さて、では 暴力に走らないように 子どもの心を育てるにはどうするのがいいのでしょうか。 よく政治の舞台でも 「心の教育」 ということが言われていますが 私は大変疑問に思うのです 心 という捉えがたく 不確かで 自由に羽ばたいて あるいは 暴走してしまうものを 教室で 教師が 道徳の授業でどう教育する、というのでしょうか。 そんな簡単なものではないでしょう 知識としては 「こういう悪いことをしてはいけないらしい。 犯罪者となる」 と思っても それは心が育ったこととは全く違いますね。 じゃあ 悪いことをしてもばれなければいい、ということになりかねません。 結局 人は 自分で心から思わないと変わらない。 では、どうやったら心を動かせるのでしょうか 人に暴力を振るわない穏やかな心を保てるのでしょうか。 まず 考えられるのは 人への信頼感がないと 他人への思いやりは生まれない、ということ。 自分以外のものや世界への基本的信頼感は 幼い(生まれてすぐの)ころからの 親などからの愛情深い接し方。。からしか生まれないといわれています。 何度もこのブログでも出てくる 「自己肯定感」の基礎もそこから生まれます。 そして 思春期前期の (昨日の記事でも 6年生から跳ね上がりますね 犯罪数が) 自分探しの始まる不安定になりがちな時期に どれだけ 自分で自分自身を認められるか、がポイントでは。 穏やかで思いやりある心には やはり自己肯定感が必要なのではないか、と思います。 人からも自分でも 自分自身を認められることから そう、愛されそして自分自身を愛せることから 心は穏やかさを保てるのではないでしょうか。 そして、人は 自分を愛してくれる 自分が愛している (尊敬している)大切な人が言う言葉だからこそ そうかな、と耳を課が向けるのですね。 だから、逆の視点から見れば(これも繰り返し行っていることですが) 寂しさこそが人をゆがめる のです。 心かたくなに 暴力に走る子ども(そして大人も同じですね)は 心さびしいのです。 知識の押し付け 知識の結果としての点数や 進路先にばかり気持ちが行ってしまって 自分の不安定な心を見つめてもらえない寂しさが 子どもを暴力に駆り立てているように思えます (あるいは昨今の格差社会で 生きることに精いっぱいで 子どもどころではない家庭も増えているとも 報道されています) どうぞ、親としての言葉が 子どもの心に届く そういう関係を 作って 保ってあげてください。 |
はじめの一歩
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先日 耳順 という言葉について 論語の原典を紐解いて考えてみました 確かに聞くほうも 能力や人格的な成長がないときちんと聞けないものですが じゃあ 話すほうはどうだろうか、と考えてみました。 ・・以前も カウンセリングの講習で習った中からお伝えしたのですが ・・それを思い出しつつ もう一度 話しかた、伝え方について考えてまとめてみたいと思います。 相手に物を聞かせようとするとき つい 親子や親しい間柄だと 『聞きなさい!!』 と頭ごなしに命令しますがそれは得策ではありません。 それから 正しいことを伝えようと 何度も同じことを繰り返したり くどくなるのも 効果は乏しいです。 (話し手が ストレス発散できる という効果はあるかもしれませんけれどね) 相手はうんざりして 聞き流して 頭の中では別なことを考えていたりします。 話は 短くポイントを そして タイミングを図ってしましょう。 人は 自分が心から思わないと 結局は 納得しないし ましてや行動を改めたりもしないもの。 ようは どう納得にみちびけるか、ということなのですね。 頭から頭 心から心 というノウハウがあります 理屈を相手が言ったり求めている時は理屈で答える。 心を求めている時は心で。 つまり 相手が心を求めていると思ったら・・大変そうだったりつらそうだったら まず 理屈で説得するよりも 『そう、大変だったね』などと 相手を受け止めてねぎらうことです。 ・・・カウンセリングだと 受容 共感 ねぎらい といいます・・・ 相手の話を まずはこちらからよく聞いてあげること。。 すぐに 慰めや理屈を述べずに まずは そう、そうなの。。 と 言葉少なでいいから うなずいて みてあげること。 ・・言葉以前の 態度・・・温かなまなざしや笑顔 とても大事ですね。 相手が知識を求めていると思えば 知っている範囲の知識を伝えればOK ただし 見栄を張らないこと 知らないことについては 素直に謙虚に 「それは知らない」 というほうが 見栄を張っていい加減なことを言うよりよほど尊敬されますね。 ・・・親だって 先輩だって人間ですから知らないことはあって当然。 ・・・わからないなら一緒に調べればいいのです。調べ方を教えてあげることも 素敵な教育ですね。 もう一つ サンドイッチという方法論があります 一方的に欠点ばかり指摘されても 人は じゃあ頑張ろう、とは思えないのです。 ・・・まずは 頑張ったとこをほめ ・・・次に 改善してほしいところを的確に伝え ・・・最後に またほめたり励まして終わる。。 つまり 相手があまり喜ばない つらい話は 真ん中に挟むのですね。 相手に聞く準備ができていないと なかなか話しても心に届かず何の効果もないことが多いのですね。 でも・・ 親や身内 先輩として 相手が聞く準備ができていなくても言わざるを得ないこともあると思います そういうことは 偉そうにいわずに 命令したり 指図せず なるべく 一般論として ・・あなたよりちょっと長く生きてみてきたけれど・・あるいは私の体験だと ・・そういう場合は こうやったほうがたいてい上手くいっていたなあ。。 なんてつぶやくのがいいかも。。 人は 結局自分で選んだ道にしか進みたくないのです。 命令されたくはないのが人間です。 ・・そのときは言いなりになっても 後で必ずよりもどし、反発が起こるように思います。 情報を提示して アドバイスしてあげるのが いくつかの例を提示して 選ばせてあげるのが人生の先輩としての上手なやり方ではないでしょうか。 心が 開かれて 聞いてくれないと いくら高圧的に言っても効果はないのですね。 そのときあまり聞いていないようなら 無理せず 別な機会に伝えるというのも一つの方法ですね。 根っこに 相手への愛情があれば いつかきっと伝わることと思います。 そのときは 反発していても・・ いつの日か 思い出して考えてくれる、ということも。 ・・親の言葉となすびの花は千にひとつの無駄も無し・・なんて言葉を知るころにね。 人は さびしいことに弱い生き物です 寂しさは人をゆがめてしまいます。 相手の 心に寄り添おう 寂しさをやわらげてあげよう そういう心さえこちらにあれば 言いたいことはいつか伝わるのではないかしら。。と思います 思いつくままに 伝え方を書いてみました。 ・・書きながらあらためて 自分の家族とのやり取り、反省しちゃいました・・・ヾ(^-^)ゞ |
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昨日は講習会に行ってきたのですが そこでふと考えたのは。 人の話に耳を傾け 謙虚に素直に聞ける人はいくつになっても成長するだろうなあ。 1人で考え あるいは思い込みで 迷いつつ進むこともまた人生ではあるでしょうけれど あまり迷うと 目的地に着くまでに随分消耗しちゃうし 特に子育てでは あまりに親が 独りよがりの子育てだったり 迷ってばかりだと・・子どもがかわいそうだったりするなあ・・ということでした。 そういえば 論語で 人の話に素直に耳傾けるという 耳順ということばがあったけれど あれは 何歳ころの課題だっけ?? 早速検索してみました ありました。 志学・而立・不惑・知命・耳順 本文 子曰、 「吾十有五而志于学、 三十而立。 四十而不惑、 五十而知天命。 六十而耳順、 七十而従心所欲不踰矩。」
子曰はく、
「吾十有五にして学に志し、三十にして立つ。 四十にして惑はず、 五十にして天命を知る。 六十にして耳順ひ、 七十にして心の欲する所に従ひて矩を踰えず。」と。 参考文献:「論語」藤堂明保 学習研究社 日本語訳/通釈 先生はおっしゃった、 「私は十五歳で学問に志し、 三十歳で自立した。 四十歳で狭い枠にとらわれないようになり、 五十歳で天命を知った。 六十歳で人の言うことを逆らわないで聴けるようになり、 七十歳で心の欲するままに任せても限度を超えなくなった。」 解説 ★子曰、「吾十有五而志于学、三十而立。四十而不惑、五十而知天命。 しいはく、「われじふごにしてがくにこころざし、さんじふにしてたつ。 しじふにしてまどはず、ごじふにしててんめいをしる。 ★六十而耳順、七十而従心所欲不踰矩。」 ろくじふにしてみみしたがひ、しちじふにしてこころのほつするところにしたがひてわくをこえず。」 「惑」は"狭い枠にとらわれる"。 「順」は"逆らわないで適合する"。 「従」は"放任する"。 「踰」は"すぎる・こえる"。 「矩」は"枠"。 ☆こちらより うつさせていただきました。 うーん。なるほど 耳順は 意外と難しいらしく なんと60歳の課題でありました。 人の言うことを聞きなさい、と我が子によく言うものですが これはけっこう人として困難なことだった、と分かりますね。 ほかの課題も見てみましょう。。 15歳で学を志す。 高校に入るころ 学問に燃えるのですね。 そして三十にして立つ・・・そう、自立は30歳。。。遅いですね。 それまでの15年間はひたすら学究の道に進むのでしょうか。 学問を究めさらに家庭を持つ能力も持てるのが30ということかしら。 子育ても気長に、と思わされますね。 40、不惑 よく言われる言葉ですが それまでは迷っていいのかも。。 50でやっと 天命を知る。 なるほど。。それまではまだ見つけられなくてもいいのですね。 そして60が耳順。 人の意見を すぐばかにして あげあしとったり批判したり・・ 若いころはそうやって 思考のトレーニングをして 反発することも成長のエネルギーなのかも。。 70の矩を踰えない人生。。こうなったらもう 言うことなし、でしょうが 難しそうですね。 さて、私はまだ 知天名の50にもなっていないから まだあれこれじたばたしてもいいのかな そして60には間がありますが ぼちぼち 耳順目指して もっともっと謙虚に人の話に耳傾ける そういう知恵を持とう と思ったことでした。 |
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昨日の朝日新聞朝刊の天声人語が素敵でしたので ご紹介します。 朝日新聞 天声人語 2008.10.19. 日米開戦時の大統領だったルーズベルトの妻エレノアは、 今も敬意を持って語られるファーストレディーだ。 その彼女が生前「好奇心を擁護する」と題する一文を書いていたと 先頃ニューズウィーク誌(日本版)で知った。 ▼こんな一説があるそうだ。 「母親が妖精に『わが子に最も役に立つものを授けて』と願うとしたら、 授けられるのは好奇心であるべきだと思う」。 天の贈り物を周囲がつぶしてはならない、というメッセージだろう。 ▼相通じる思いを、ノーベル化学賞を受ける下村脩(おさむ)さんが語っている。 「子どもたちにはどんどん興味をもったことをやらせてあげて。 やめさせたらだめです。」 大人の価値観の干渉を、クラゲの光を追い続けた学究は戒める。 ▼だが当節、好奇心は生息しづらくなっているようだ。 「本来はみんな持っている好奇心が選択式テストの受験体制ですさんでいる」と、 こちらはノーベル物理学賞の益川敏英さん。 「いまの親は教育熱心と言うより教育結果熱心」 の指摘はなかなか厳しい ▼子どもの周囲に、かつてなく「べし」と「べからず」があふれている。 少なからぬ人の、それが実感ではないだろうか。 たとえば、勝ち組目指してひた走る勉強は「べし」の象徴だろう。 そして、外で遊ぶ姿のあまりの少なさには「べからず」の極みを見る思いがする。 ▼一握りの天才のために教育があるわけではない。 とはいえ好奇心はあらゆる可能性の卵。 ふたつの言葉のはざまで窒息させてはもったいないと、わが平凡を棚に上げつつ、 受賞にわいた秋に思う。 いかがです? 好奇心 本来子どもがあふれるほどもっているもののはず。 輝きを失った目の子ども、 何がしたいかと聞かれれば 『たっぷり寝たい』と答える子どもの心からは 好奇心が大人によって奪われているように思い胸痛みます。 エレノアさんは 素敵な女性です。 ☆こちらに詳しく載っています http://ja.wikipedia.org/wiki/エレノア・ルーズベルト (画像もお借りしました) 彼女の 妖精を登場させた言い回しも チャーミングですね。納得、ですね。 このブログでも 好奇心が大事だといったことを書きましたが 何度も引用した例を再びご紹介しましょう。。 某T 大学の先生達は 地方の公立高校の生徒をぜひわが大学にと勧誘に必死です なぜかといえば 小3辺りから塾に通いづめの受験地獄で好奇心をすり減らしてくる 東京の進学校出身の生徒達は、意欲がなく 卒論や研究テーマすら決められない。。 使い物にならないからだというのです。 ・・もちろん 全ての進学一貫校が悪いわけではないでしょうけれど ・・そういう傾向が顕著なのでしょうね ノーベル賞受賞者お二人の言葉 大変深いですよね。 特に現役大学生を教えていらっしゃる益川先生の言葉。 『教育熱心というより 教育結果熱心』 つまり 親が点取り虫、ということでしょう。 テストの結果よりも 子どもが今何に瞳を輝かせているか そこに神経を使う 賢い 教育熱心な親が1人でも増えますように。。 仲間と工夫して遊ぶ場を、時間を確保してあげられる 真に賢い親が増えますように 知識は後でも詰め込めますが 幼いころの豊かな体験は けして後からは取り戻せないのですよ。 教育とは いい大学にはいることではなく、 一生を心豊かに過ごせる人間に育ててあげる知恵のこと、だと思うのです。 人的資源が唯一の資源と言ってもいい日本。 しつこくしつこく わたしが塾やお受験の弊害を繰り返し言っているのは それによって 将来の素敵な才能をすりつぶしている例をたくさん目の当たりにして あまりに情けなく思うから、です。日本の将来が本当に心配になっているから、なのです。。 どうぞ、キラキラした我が子の好奇心を大事にしてあげられる べし べからず と我が子を管理しすぎることのない 素敵な親でいてあげてくださいね。 |





