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戦前は沖縄にも鉄道が走っていました。鉄道といっても狭軌の軽便ですが 煙をはいて中部は那覇ー嘉手納方面、那覇-与那原、那覇-糸満(東風平経由)を 走っていたのです。 詳しい駅名を知らない方も多いと思うので お楽しみ下さい。 昭和10年の鉄道路線地図です
はじめまして、こんばんは。とても貴重なお話ありがとうございます。沖縄に鉄道が走っていたとは、驚きです。こういったお話は、とても大切な事だと思って拝見してます。これからも楽しみにしています、よろしくお願いします。
2008/11/12(水) 午後 8:28
モノレールが出来るまでの鉄道空白期間が長かったので知らない人が多いかもしれないと思ってアップしました。 戦後 鉄道はなかったですが最南端の国鉄駅は戦後も那覇港にありました。 鉄道貨物(チッキ)の窓口業務のためです。
2008/11/13(木) 午前 9:45 [ けい ]
この軽便鉄道の路線を見てわかるように、首里、那覇以外はすべて サトウキビの大産地です。終点の嘉手納の製糖工場に原料のサトウキビを運搬するのが敷設の主目的でした。 明治維新後、国民の食生活が変わり砂糖需要が急伸しました。 ところが我が国には甘味資源が乏しく、外国から輸入、銀の国外流出が問題でした。そこで当時唯一の亜熱帯である沖縄県に砂糖生産振興に力を入れました。その後、台湾が国土に加わるまで続きます。
2012/8/14(火) 午後 4:07 [ soug ]
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はじめまして、こんばんは。とても貴重なお話ありがとうございます。沖縄に鉄道が走っていたとは、驚きです。こういったお話は、とても大切な事だと思って拝見してます。これからも楽しみにしています、よろしくお願いします。
2008/11/12(水) 午後 8:28
モノレールが出来るまでの鉄道空白期間が長かったので知らない人が多いかもしれないと思ってアップしました。
戦後 鉄道はなかったですが最南端の国鉄駅は戦後も那覇港にありました。
鉄道貨物(チッキ)の窓口業務のためです。
2008/11/13(木) 午前 9:45 [ けい ]
この軽便鉄道の路線を見てわかるように、首里、那覇以外はすべて
サトウキビの大産地です。終点の嘉手納の製糖工場に原料のサトウキビを運搬するのが敷設の主目的でした。
明治維新後、国民の食生活が変わり砂糖需要が急伸しました。
ところが我が国には甘味資源が乏しく、外国から輸入、銀の国外流出が問題でした。そこで当時唯一の亜熱帯である沖縄県に砂糖生産振興に力を入れました。その後、台湾が国土に加わるまで続きます。
2012/8/14(火) 午後 4:07 [ soug ]