昔の写真と資料

セピア色に退色した昔の写真で見た光景

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[ ゆうこ ]

2015/5/15(金) 午前 5:15

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ブログクルーズ中です♪
私のブログジャンルとは違うけど、楽しめました♪
やっぱりヤフーブログはステキなブログが多い!
私のブログの「ここはイイね!」とか「これはダメ!」とか聞かせて下さい♪

[ bsndhrw ]

2012/8/16(木) 午後 5:55

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ご指導有難うございます。
目次と奥付けをアップしておきました。
この本は韓国の釜山市民図書館(草邑洞)古文書室所蔵です。

伊波普猷

沖縄

[ soug ]

2012/8/14(火) 午後 4:19

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伊波普猷は沖縄学の父。
金城紀光は医師のちに那覇市長、衆議院議員。
照屋宏は製糖技師から那覇市長に

三人の共通は懸立一中の同級生でストライキ事件の首謀者
のちに伊波と金城は東京帝大、照屋は京都帝大に進んだ。
この三人がそろった写真は歴史的に非常に貴重です。

[ soug ]

2012/8/14(火) 午後 4:07

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この軽便鉄道の路線を見てわかるように、首里、那覇以外はすべて
サトウキビの大産地です。終点の嘉手納の製糖工場に原料のサトウキビを運搬するのが敷設の主目的でした。
明治維新後、国民の食生活が変わり砂糖需要が急伸しました。
ところが我が国には甘味資源が乏しく、外国から輸入、銀の国外流出が問題でした。そこで当時唯一の亜熱帯である沖縄県に砂糖生産振興に力を入れました。その後、台湾が国土に加わるまで続きます。

[ soug ]

2012/8/14(火) 午後 3:52

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ここは明治政府がサトウキビの実験農場および工場として
設置し、のちに民間に払い下げられました。

[ soug ]

2012/8/14(火) 午後 3:50

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嘉手納にあった分みつ糖工場です。
日本の甘味資源の確保のために国策で建てられた工場です。
現在の嘉手納基地はこの会社のプランテーション(小作地)だった
ところです。ここに原料のサトウキビを運搬するため軽便鉄道が
敷設されました。

[ soug ]

2012/8/14(火) 午後 3:45

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パナマ帽の製造が沖縄に流行ったのは、
クバ(棕櫚)の葉がふんだんにあったためですが、
昭和に入ると不足し、紙で作っていたようです。
戦後も昭和30年代までは零細な工場が各地にありました。
沖縄民謡の帽子クマーは有名です。クマー=組む人=編手

[ soug ]

2012/8/14(火) 午後 3:37

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奈良県生まれの平尾氏一族が代表的寄留商人でしょうね。
戦後もバス会社や銀行の設立などにかかわり、
御子孫も那覇に在住されています。

[ soug ]

2012/8/14(火) 午後 3:32

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琴宮城でなく𤘩宮城(ぐしみやぎ)
又又のしたに牛の字です

[ soug ]

2012/8/14(火) 午後 3:13

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そこは戦後、しばらく軍用地でしたが、やがて開放され、清松先生の好意で病院ならということでアドベンチストメディカルセンターに
なりました。その後、外資系ホテルリージェント→全日空ホテルを経て、現在のナハテラスホテルになっています。

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