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アジアのお坊さん 番外編
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三橋ヴィプラティッサ比丘日本語訳によるプッタタート師の「仏教人生読本」(Handbook for Mankind)第1章より抜粋。



煩悩を消滅させる方法に気づいたのが発端で、仏教は誕生したのだ。つまり、仏陀は苦しみを完全に克服する「すべ」を見出した。苦悩を取り除く実践的方法をも体現した。そして以降、苦悩を消滅させる宗教、即ち仏教、と呼ばれるようになった。

ほんとうの仏教実践は、心の浄化に始まり、身体と言語を通して行為の浄化へと続くのが基本である。そして順次、洞察と正しい見解へと進んでいく。

高度な知識を必要とする見方が「真理」としての仏教である。表皮の下に横たわる深く隠された、そして、普通の人には見えない「真理」として、それが見えるということは、あらゆる事物の「空性」を知ることだ。つまり、あらゆる事物が無常、皆苦、無我であること、さらには、苦悩の本質、苦悩の完全な消滅、苦悩の完全な消滅にいたる道を理性的に知ることである。
宗教としての仏教は、戒律、禅定、智慧を基とし、最終的には解脱という洞察力を発揮させる実践体系である。つまり、これが達成されたとき、人は苦悩から解放される、という体系である。これが宗教としての仏教なのだ。


アジアの房舎施

プラユキ・ナラテボー師の「苦しまなくて、いいんだよ」にも説かれている「無財の七施」は、大乗経典である雑宝蔵経に出て来るということで、日本のお坊さんの法話や仏教書にもよく登場するが、その内の「房舎施」即ち泊まる部屋や場所を提供する布施行について、少しく思うところを述べてみたい。

と言うのも、先日、「アジアの東司…お寺のトイレ」という記事を書かせて頂いた時にふと思ったのだが、お寺の境内には公衆トイレのあることが多い。私もよそのお寺でよくトイレを拝借する方だが、時にはお寺参りの方ではない営業中の運転手さんなどが、お手洗いを使用なさることもあるけれど、それはそれで、房舎施と同じく、寺からすれば大事な布施行であろうと思う。

私も托鉢行脚中のお手洗いの所在と言うのは大変大事な問題だった思い出があるし、お坊さんになる遥か昔、大人に連れられてトイレのない神社の村祭りの縁日に行き、年長の子供がトイレが我慢できなくなって、仕方なく引率の大人が近所の商店にお手洗いを貸してくれるよう頼んだが断られ、結果、その子供は、といった出来事も、これを書いていて思い出したものだ。

トイレのことはさて置き、一夜の宿を貸すことについて言えば、宿を旅人に貸さなかったことを死ぬまで後悔する小川未明の「二度と通らない旅人」のような童話もあれば、遊女であるところの江口の君に対して、宿を借りる貸さないについての和歌問答をする西行法師の挿話もあるが、昔の旅人は野宿するよりも、人の家や寺などで一夜の宿を借りる方が一般的であったればこそ、房舎施という項目が、「無財の七施」に含まれているのだろうと思う。

我々現代日本の僧侶が托鉢行脚する時は、却って環境も機材も昔より充実しているので、野宿もさほど過酷ではないのだから、古の高僧以上の山林頭陀修行を自分がしているなどとは、ゆめゆめ思わぬようにしたいものだ。弘法大師が宿を断られたので仕方なく橋の下で野宿したら、一夜が十夜にも思えるほど辛かったという伝説に基づく四国遍路道中の十夜ケ橋という旧跡もそうした事情を表しているだろうし、「入唐求法巡礼行記」を見ても、慈覚大師円仁は可能な限りはお寺か現地人の家に泊めてもらっている。

インドにはダラムシャラーという巡礼宿があること、それは日本の遍路宿や善根宿と軌を一にするものだということ、タイなどのテーラワーダ仏教圏のお寺では僧侶や在家信者を気軽に泊めてくれる習慣があることなどについては、「ホームページ アジアのお坊さん アジアの宿坊」などにも、詳しく書かせて頂いた。

近頃、よく活字などで目にする機会のある「無財の七施」の内、今では余り実感がないためか、さらっと説明されがちな「房舎施」ではあるが、きっと一夜の宿の布施というものは、修行者や旅人にとって、何より有り難いお布施だっただろうと、私は思う。


※例えば天台宗一隅を照らす運動のホームページに奉仕の精神を表す教えとして無財の七施が紹介されていますが、その中の房舎施の説明は
自分の家を提供する
四国にはお遍路さんをもてなす「お接待」(おせったい)という習慣が残っています。人を家に泊めてあげたり、休息の場を提供することは様々な面で大変なことですが、普段から来客に対してあたたかくおもてなしをしましょう。平素から喜んでお迎えできるように家の整理整頓や掃除も心がけたいものです。また、軒下など風雨をしのぐ所を与えることや、雨の時に相手に傘を差し掛ける思いやりの行為も房舎施の一つといえるでしょう。」
となっています。


ツチノコあれこれ

2019年5月18日付の朝日新聞にツチノコの特集記事があって、何故だろうと思ったら、ツチノコの町おこしで有名な岐阜県の東白川村で恒例のツチノコイベントがゴールデンウイークに行われた直後の記事だと分かった。

たまたま少し前に岐阜県出身の若い男性からこの村の話を聞いたところだったので興味深く思ったのだが、さて、「ぼくらの昭和オカルト大百科」(初見健一著・大空ポケット文庫・2012年発行)にはツチノコの項があり、よく引用される「和漢三才図絵」や「沙石集」のことも書いてある。

また、上の新聞記事にもある、1970年代のツチノコブームのきっかけとなった田辺聖子の「すべってころんで」(1972年)や矢口高雄の漫画「幻の怪蛇バチヘビ」(1973年)のことも出ているのだが、朝日新聞と「昭和オカルト」のどちらにも、小峰元「ピタゴラス豆畑に死す」のことが出ていない。

「ピタゴラス」は小峰が乱歩賞を受賞した「アルキメデスは手を汚さない」の次に著した小説で、ツチノコに咬まれたかのような死体が出て来るミステリ作品なのだが、今思えば1974年に発表されたこの作品は、前年と前々年に発表された田辺や矢口の作品によるツチノコブームを受けて構想されたのかも知れない。

ツチノコやその別名であるノヅチといった言葉の出て来る日本の古典としてよく挙げられる「和漢三才図絵」の他に、小峰の小説には「新撰字鏡」「康頼本草」「紀伊国続風土記」といった資料も紹介されているので、なかなかに詳しく楽しむことが出来る。

明治以降の民俗学関係の書物では、柳田国男の「妖怪談義」の巻末の「妖怪名彙」にヨコヅチヘビ、ツトヘビ、ツトッコとして見えているのがそれかと思われるが、残念ながら柳田の他の著作にツチノコのことがどの程度出ているのかを確認する時間が今回はなかった。

ちなみに「ツチノコの民俗学 妖怪から未確認動物へ」(伊藤龍平著・2008年刊)という研究書もあるのだが、未見。どちらも後日に調べたい。「古生物学者、妖怪を掘る」(荻野 慎諧著・2018年刊)という本は、妖怪の正体を古生物学的に推理する面白い本なのだが、ここにはツチノコが出て来ない。

南方熊楠の「十二支考」の「蛇に関する民族と伝説」中には「異様なる蛇ども」としてノヅチのことが述べられている。さすがは博覧強記の熊楠だけに、日本の古典として「嶺南雑記」その他、上に挙げた本に出て来ないような資料も挙げている他、西遊記を始め、洋の東西を問わぬ海外の資料にも詳しく触れ、またツチノコによく似た実在の動物を何種類も紹介している。

先の「ぼくらの昭和オカルト大百科」には、ツチノコの正体だと考えられる生物の一例としてインドネシア産のオオアオジタトカゲが挙げられているので、インターネットなどで是非、その画像を確認して頂きたいと思うのだけれど、それはさて置き、ツチノコについて生物学や神話伝説などを含む人類学民俗学などの両方から多角的に研究されたい方にとって、やはり南方熊楠の「十二支考」は必須の文献だと私は思う。


「猿之助、比叡山に千日回峰行者を訪ねる」(春秋社)を遅ればせながら読ませて頂いた。光永圓道大阿闍梨の前著「千日回峰行を生きる」(春秋社)は2015年4月に出版されてすぐに読んだのに、2016年1月に出た「猿之助…」になかなか手が出なかったのは、タイトルも装丁も今一つな上に、市川猿之助師が該博な宗教の知識を基に鋭く圓道大阿闍梨に切り込む、とされている冒頭のくだりが、的外れかつ目新しくもない見解を、得々と斬新そうに述べておられているために、読むのが苦痛になりそうだったからだ。

ところがこの度、思うところあって、やっとこさ、この本を手に取って見たら、やはり冒頭付近は予想通りであったものの、読み進むにつれ、圓道阿闍梨の正直で自分を偽らないいつものあの調子が、猿之助師の切り口とやらを、すとんすとんとかわしていくのが面白く、圓道師自身は多分いつも通りの対応をされているだけなのに、そのお考えと姿勢がくっきりと浮かび上がって来る構図が、とても興味深かった。

圓道師の説くお寺の日常の法儀や勤行を含めた修行についてのあれこれは、末端ながら同じ宗派の修行をさせて頂いた者としては甚だ有益で、「お経を読むのは背中で法を説くこと」「天台宗の木魚は曲打ちでなく雨垂れ打ち」「線香をまっすぐ立てることから、障子の開け閉めに至るまでが大事」「行も法務もペース配分が大事」といった何気ない事柄が、師の回峰行および満行後の現在の裏打ちになっていることが、よく理解できて本当に面白かった。

祈ることしかできないと言うが、その祈りに力はあるのかと切り込まれた阿闍梨さんが、何かの足しにはなっている、いずれは届くと答える辺り、スタスタ坊主の私などが甚だ僭越ながら、光永圓道大阿闍梨は数々おられる歴代の回峰行者の中でも稀有なお人柄だと繰り返し書かせて頂いている理由が、正にそこにある。

イメージ 1
2017年11月29日、光永圓道大阿闍梨が無動寺明王堂輪番を成満される前日に無動寺でご挨拶させて頂き、その後、お参りした横川での写真です。
「猿之助、比叡山に千日回峰行者を訪ねる」の装丁が今一つなので、こちらの写真にさせて頂きました。


お坊さんの人柄

明日6月4日は「己を忘れて他を利するは慈悲の極みなり」というお言葉を遺された伝教大師最澄が亡くなられた山家会の日なのだが、さて、日頃、直接間接に何かとご教示頂いている「タイ佛教修学記」の管理人I氏が先日、「私が「おだやかなこころ」を大切にしている理由」というタイトルのブログ記事を書いておられたので、以下、抜粋させて頂くことにする。

「私は、常に心穏やかでありたいと思っている。」
なぜなら、私は、まずは穏やかになることが瞑想の第一歩であると思うからである。」
瞑想と日常生活とは、一体のもの、あるいは両輪でなければならないと思う。」
私は、還俗後、日本での生活の中で「瞑想」と「それ以外の生活の場」との“差”に悩んできた。」
在家者として一般社会のなかで生活をしていくとなるとどうだろうか。」
「それぞれの生活の中で、それぞれの仕事の中で、瞑想を実践していかなければならない。」
「あれほど懸命に瞑想実践へ時間を費やし、取り組んできたのにも関わらず、いとも簡単に、すぐ元の状態へと戻ってしまうのだから、虚しいとしか言いようがない。」
私の生活の中において難しいことは削って、削って、削った結果、「いかに穏やかな心を保つのか」というところに辿り着いた。」

お坊さんにとっても、一般の方にとっても、結局人間にとって最も大事なことは「人柄」だと考えている私には、正に我が意を得たりで同感だ。

私もI氏と同じくタイでテーラワーダ仏教の比丘として修行後に、完全な在家ではないとは言え、日本のお坊さんの生活に戻ったものだから、I氏と同じ思いを持っていたので、その結果、出家在家に関わらず、日常生活における「慈悲」を根本とすべきだという考えに辿り着いたことも甚だ頷ける点であるのだが、ところで僭越ながら、私は以前、このブログにこんなことを書かせて頂いている。

「よく思うことなのだが、たとえお坊さんが皆、同じ理念に基づいて修行し、我を捨て、慈悲を心がけ、温厚な人柄を目指していたとしても、本来、持っていたその人の個性は、その修行の進み具合や、修行後の人格に、個人差を与えるのではなかろうか?
阿羅漢となり、悟りを開いたとされるブッダの直弟子たちですら、仏典によれば様々な個性を持っていたようだから、まして現代のお坊さんたちならば、まじめで温厚だった方はそのような、豪快で明るいタイプの方はそのような、それぞれ、お坊さんになるのは当然のことだろう。
ただし、どんな性格だから修行に適しているということは、決して言えなくて、修行の完成は、性格や環境だけでなく、その他のいろんな条件の集積によって決定すると思う。」

様々な理由から、私は伝教大師は生まれつき優しくて温厚なお人柄であったろうと想像するのだが、だがしかし、我々は生まれついての性格に関わらず、また出家か在家かにも関わらず、瞑想によって、慈悲深く穏やかになるべく修行せねばならないと思う次第だ。








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