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史上最大の海戦といわれたレイテ沖海戦をめぐり、主力艦隊を率いながら謎のUターン
で勝機を逸したと批評された栗田健男中将の名誉回復を図ろうと、栗田氏が校長を務めた海軍兵学校最後の生徒だった戦史研究家、大岡次郎さん(80)が関係者の証言などをもとにした著書
「正説レイテ沖の栗田艦隊」(新風書房刊)が完成した。
大岡さんは「私がいなくなったら、真実が誰にも知られなくなってしまう。
戦争を知らない若い人たちにもぜひ読んでもらいたい」と話している。
(2010.3.31 産経新聞)
戦争を体験された元軍人の方々が少なくなり、真実を益々知る機会が減ってきました。
軍人というのは無口で決して弁解をしません。
それをいいことに反日日本人たちが、
「日本の侵略者義者たちがアジア・太平洋へと戦線を広げたため、平和と民主主義の正義の連合軍に懲罰されたのだ」という。
こういう歴史認識こそ肝心な視点がまったく抜けていて、日本国民を騙し続けてきたものです。
我々は真剣に大東亜戦争を知らなければいけないと思う。
それと同時に、国のために戦地で亡くなったまま、まだ祖国日本に戻っていない
ご遺骨が放置されているという現実も知らなければいけないと思います。
遺骨なんか関心がない? そんなこと言わないでほしい。
今生きている私たち多くの日本人の先祖たちは、まだ現地で埋もれたまま日本に帰っていないのです。
・・・・・・
以下、野口健さんのレイテ島による遺骨収集の記録を記しておきます。
大東亜戦争で激戦地となったレイテ島。
約8万人もの日本人将兵、軍属(民間人)が亡くなり、今もそのほとんどのご遺骨が収集されていない。
レイテ島の戦いとはどういうものだったのか・・・。
1941年12月、日本は開戦直後にアメリカの植民地だったフィリピンの島々を攻略した。
レイテ島に日本軍が入るのは1942年5月であった。
しかし次第に戦況が悪化して米軍が迫ってきていた。
フィリピンは日本本土への侵攻を防衛するために重要な場所であった。
1944年10月20日、レイテ沖に米軍艦船700隻が集結。
一斉の艦砲射撃が4時間にわたって行われた。そして米軍6万人の兵士が一斉上陸した。
その結果、米軍上陸直後の戦で日米両軍とレイテ島民の1万人以上の命が失われた。
通信手段が破壊され日本軍の惨状が本国に伝わる事はなかった。
この日から敗戦までレイテ島の戦いは続く事になる。
我々はご遺骨を前に戦後67年、誰に発見されることもなく残されていたのかと思うと
早く運び出したくなる思いに駆られた。
しかし政府の収集団でないと回収は出来ない。
命令で戦地に赴き、死ななければならないハードルがこれだけ低かったのに、
ご遺骨になって帰国するハードルがなぜこれほどまでに高いのだろうか。
そんな疑問とも怒りともいえる感情が湧いてきた。
洞窟を離れる際、ご遺骨に手を合わせ
「もう間もなく日本政府の収集団が来る。もう少しで日本に帰れます。もう少しの辛抱です」
と申し訳ない気持ちで一杯だった。
ジャングルの中は蒸し暑く、スコールにうたれ過酷な気象条件であった。
我々はたかだか数日間の滞在であったが、それでも疲労困憊であった。
日本兵達はこのジャングルの中、援軍が来る望みもなく、置き去りにされ、
一体何を感じ最期のその時を迎えたのだろうか。
山の稜線に上がってみると太平洋が見渡せた。あの海の向こうに祖国日本がある。
帰りたいという思いと同時に、絶望的な作戦を強いた国に対する怒りがなかっただろうか。
そもそも誤報から始まったレイテ島の戦い。
英霊の気持ちを察し、涙が流れた。
闇雲にジャングルを歩いてもご遺骨がそう簡単に見つかるわけではない。
戦争当時、日本軍と戦ったフィリピン兵士や村人などの証言を集めその現場を1つ1つ巡る。
この情報が途絶えるとご遺骨収集は極めて困難となる。
したがって我々が焦っているのは、あと5年も経てば当時を知る人々が確実に減っていく。
故に情報が集まりやすいこの5年間が勝負なのだ。
国のために命を落とした英霊たちを国は野ざらしにしている。
にも関わらず多くの日本人はご英霊の存在すら忘れている。
私たちが遺骨収集を行っているのは英霊やご遺族のためだけではない。
国のために命を賭けた人々に対して敬意を払わなければ、
これから一体誰が国のために命を賭けるのか。そんな国はいずれ滅びるだろうに。
実際にこのようなデーターがある。2000年の電通総研の調査によれば
「国のために命を賭けられますか」というアンケートに
日本人は15%、
ドイツ人は33%、
アメリカ人は63%、
ロシア人は63%、
韓国人は75%だ。
愛国心を強要するするつまりは毛頭ないけれど、祖国を愛せないのは悲しいことです。
我々はこれからの日本のためにも遺骨収集を続ける。
今回、ご夫婦での参加となった間島ご夫妻。
奥様のお父様がレイテ島で戦死され、ご遺骨は不明のままだという。
もしかしたら今回発見されたご遺骨の中にお父さんがいらっしゃるのかもしれないと一縷の望みを託し
「一度、お父さんに会いにレイテに来たかったんですよ。 お父さん!」と涙を流されていた。
60年の歳月が経ち、娘さんがお迎えにレイテ島にやってきたのだ。
お父様は娘さんと一緒に祖国日本に帰れることを望んでいると思う。
それが一番喜ばれるに違いない。
レイテ島に住まいを構え遺骨を捜し続けている青木和子さん(82歳)の言葉を紹介したい。
「私の兄は21歳の時にレイテで戦死しました。何一つ、還ってこなかったんですよ。
私はこの30年間ずっとレイテで兄を、日本兵のご遺骨を探し続けています。
遺族にとっては指一本でも見つけ日本に返したいんです。それが遺族の気持ちです。
それなのに国はなにもしてくれない。
国のために死んだのに、そんな国ってありますか」
確かにフィリピンでの遺骨調査活動はリスクが付きまとう。
時に崖を登り、洞窟にもぐる。
マラリアやコブラの生息地であり、治安も決してよくない。
しかし、私たちには続けなければならないわけがある。
「知る」ということは「背負う」ことである。
初めて洞窟で無数のご遺骨と対面した時のこと。
帰り際、ふと振り返ったその時
「俺達はここで60年間待ち続けている。それなのにお前達はもう帰ってしまうのか」
と英霊たちの声が聞こえてきた。
ご遺骨はなにも語らない。
ならば我々が代わって声をあげるしかない。
レイテ島には未だ約8万体ものご遺骨が残されたままである。
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我々の出来る先人への感謝の証でしょうか
遺骨を祖国へ・・・
傑作☆
2010/4/1(木) 午後 8:31
その通りです。日本には自虐する変態や売国奴は不要です。また自国を衰退させる原因となるバカも不用品扱いで良いと思います。
2010/4/1(木) 午後 8:37
感謝致します。
2010/4/1(木) 午後 8:42
転載頂き感謝いたします。
☆
2010/4/1(木) 午後 9:00
いえいえ、人として当然です。
2010/4/1(木) 午後 9:20
さくらの花びら様ですね。
勿論傑作○です。
当家は日本海軍の職業軍人の家系であり祖父は海軍少将として戦死しています。
厚労省は予算を増やし、ダイビングスポットにされている海底のご遺骨も収集すべきです。
2010/4/2(金) 午後 3:49
近野殿、ヴァカ妻訓では輪廻転生しても思い付かないかと。ましてや指南されても発言すら出来ないかと。
理由ですか? 答えは:人間の姿をした鳥の手下!:だからです。
そう、ヴァカ鳩という名称の腑抜け鳥!
2010/4/2(金) 午後 11:04
沖縄でも まだまだ、ご遺体が発掘されますね。最近は 区画整理、新規工事などよる大規模な公共事業での発見です。歴史的激戦地の消失もまた、歴史の1Pの記載のみになりました
2010/4/3(土) 午前 0:50
また伺います。
2010/4/3(土) 午後 2:25
沖縄戦は民間人をも巻き込む悲惨な戦場でした。しかも情報も正確な伝達が出来ず無い無い尽くし状態。
どんな事が有ったのか?正直言って想像し切れません。しかし確かなのは様々な思いを残して死んだ者が居て遺骨が帰るべき所に帰っていない事です。
2010/4/3(土) 午後 10:42
そうですね^^
また伺います。
2010/4/4(日) 午後 3:32
長い間・・言葉がでませんでした。
涙・・涙で拝見させていただきました。
早く日本に戻られますように・・・祈っています。ポチ〜★
2010/4/4(日) 午後 11:32
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-160176-storytopic-1.html
【西原】遺骨収集ボランティア団体「ガマフヤー」の高江洲善清さんが31日までに、西原町幸地で新たに旧日本軍の陣地壕を発見し、入り口付近から遺骨と「大村」の印鑑などの遺品が見つかった。沖縄戦当時、西原村(当時)などに展開した部隊の生存者から高江洲さんが譲り受けた名簿と平和の礎で確認したところ、遺骨と遺品は北海道後志支庁出身の大村一男さんとみられる。
印鑑は水晶製で途中で折れているが、印影は現在でも使える状態。ケースに納められていた。裁縫箱、せっけん箱なども見つかった。
2010/4/5(月) 午前 0:51
こんばんは
愛國心は郷土愛 家族愛へとつながると思います
戦後教育の成果?が今出てますね・・)
国の為に死ねない
誰かの役に立ち 知人 家族の為には死ねないとはーー)
傑作○
2011/10/24(月) 午後 10:32