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「奄美って何にもないとこだから、同級生達は高校を卒業するとみーんな島を出て行くんだ」
温もりを失った空には星がもろく輝き、闇に覆われてしまった彼女の表情はまだ僕が見た事がないものだった。
「でも、私だけは奄美でも数少ない仕事に…しかも公務員って仕事に就けたんだ」
僕が昔に登るはずだった高い場所へ駆け登っていた彼女。そんな彼女に僕は何も返す言葉が無かった。
「でもそれも公務員をしている父親のお陰なんだ…」
その言葉の深さにドキッとし、再び彼女の方を見ると、そこには深く沈んだ表情があるのが闇の中読み取れた。
“僕の父親も公務員…同じだ…”
「毎日、毎晩、島の為に遅くまで働き、私…そんな父親には感謝していたんだ…でも、ある日感じたんだ…椅子取りゲームだって。私が一つしかない椅子に座ると、誰かが座れなくなってしまう…誰かが島を出て行かなければならない事に…そしてその椅子に座る人がすでに決められていた…って事に…」
沈んだ彼女の表情は何処までも深く沈んでいるのが分かった…。
「でもね…おとうさん捕まっちゃった…毎晩遅くまで働いた…なんて本当はいろんな人と会って…悪い事して…そして私は島を逃げて…」
今にも張り裂けそうな彼女の悲痛な声に僕は何も出来ずだだ、抱えた両膝に顔を深く埋めた。
「ねぇ…栗っこくん…なんて私って卑怯だよ…」
「みなみちゃん…僕も同じさ…」
両膝に埋めた顔を上げ、僕の言葉を出した…。
「僕の父親も同じような事しているよ…自分だけ生き残ろうと他の人を蹴落として…そんな父親から逃げようとしたけど…いまじゃ単なる負け犬だよ…」
「ねぇ、栗っこくん…喜多方の饅頭屋…栗っこくんの家に似ているの?」
「うん…」
いつの間にかその事を悟られ、彼女の方を見た。
「だって栗っこくん…始めて栗っこくんに会った時、奄美に居た頃の私に似ていて気になっていたんだ…」
僕は再び両膝に顔を深く埋めた。
“僕はバカな男だ…彼女が僕に興味あると心の奥底で思い込んでいたけど…それは僕の向こうに過去の彼女自身があったからじゃないか…”
「でも今は何となくだけど分かったんだ…この旅で…生きる為にしてしまった過ち…私や家族の為の道を踏み外してしまった…って事に…そしてゆっくりだけど父親を受け入れよう…何も無い奄美と生きよう…って」
“彼女が全てをさらけ出して僕にぶつけて来ているのに、なぜこんなに悲しい気持ちが込み上げてくるんだ…”
「ねぇ!栗っこくん…栗っくんはどうなの?」
そこからは聞き慣れた緩やかな口調が耳へ届き、ふと顔を上げるといつもの表情の彼女が居た。
“えっ!僕…”
一瞬、僕は喋るのを躊躇った。
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「おまたせー!洗濯が終わるまで二十分位かかるから、温泉に入る前にその辺を散歩しよう!」
「うん」
満面笑みの彼女にポンと肩を叩かれ、僕も満面の笑みへと変わりぴょんと立ち上がると、近くの商店でビールとつまみを購入し、通りの奥へと足を進めていった。
“何を迷っているんだ…僕はこれから開かれた階段を登っていかなくてはいけないんだ!”
「あれ!この看板の方に行ってみない?」
「ホタルの散歩道?この時期に?」
通りの片隅に見過ごしてしまいそうな小さな看板が立てられ、その看板に興味をかき立てられた彼女はすぐさまその示す方向へと足を進め、慌てて僕も後を付いていった。
旅館と旅館の狭間を縫っていき、道幅も狭く、街灯も無くその先に続くのは暗闇だけ。息を呑む二人、互いの緊張感が伝わる。
やがて長く急な坂道に差し掛かり、息を切らせ汗をにじませ坂を登り切ると、僕達は堤防を登っていたことに気付き。そこには水音が軽快に弾く音と、キラキラと水面が輝く渓流が横一面に広がり、対岸の空にはかすかな日の温もりが残る空と吾妻連峰の山塊のシルエットが浮かんでいた。
「わぁー、きれい!」
この雰囲気、この景色は初夏の頃には無数のホタルが飛び交う光景を僕達は容易に想像が出来るものだった。
「へぇー、だからホタルの散歩道なのか」
「うん、今度来る時はシーズンに来たいね!」
緊張感から解き放たれた二人は堤防に腰掛ると、ビールの栓を開けていた。
「奄美って…何も無いとこで…」
すると、いつもとは全く違う、どこか重く引きずる口調で喋り出す彼女に僕はハッとした。
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第十章 二人の夜
山形県小野川温泉
福島県と山形県の間に横たわる巨大な峠、大峠。その何処までも深い山塊の懐へ入り込んでいくTW200とセロー。深緑が続く道を駆け登っていった。
気が付けば、太陽の日差しは肩口の方向から差し込み、もう夕刻の時間になっているのを感じた。
眼の前には大きくうねるカーブの連続。
シフトダウンでカーブに突入すると、少し遅れ後方からもシフトダウンする音が響き。カーブを駆け抜け一気に加速すると、繰り返すかのように少し遅れ後方から元気に弾けるバイクの音が耳に届いた。
それはまるで路上で奏でる輪唱のように…。
“もうすぐだ…ここを越えると…”
峠のピーク付近に近づくとトンネルの連続が続き、その最も長いトンネルを抜けた。
そこから眼の前を塞いでいた巨大な山塊は消え、道の下りの勾配へとなっていた。一気に山の麓をめがけ駆けていった。
するとたちまちの間に山間に囲まれた小さな温泉街へ辿り着いた。
「今夜のキャンプ…この公園はどうかな?」
温泉街の入り口に整備された公園。そこに停められた二台のバイク。
彼女の表情を伺いながら、僕も一緒に公園を眺めていた。
「へぇー」
公園を見渡し終えると彼女の表情は瞬く間に輝いた。
「わぁー!ちっちゃい公園だけど立派な東屋があるし、芝生がきれい!それになんたってトイレが水洗だ〜!大感激だよ!!」
キラキラと輝く彼女の瞳に映っている小さな公園。
鮮やかな緑が広がる芝生と、その中央には東屋が建てられ。側では渓流が賑やかにせせらいでいた。
そんな彼女の表情を見ていると、表情を伺っていた僕の顔もニコッと輝いた。
「ここに決定!ありがとね!栗っこくん!!」
彼女の人差し指がビシッと公園を指すと、次の瞬間僕の両腕を掴み、キラキラとした眩しい笑顔で僕を見つめた。
そんな彼女の顔を何故か見れない…。
“顔から火が出そうだ…”
「さ〜あ!今夜の宿組み立てるよー!」
彼女の号令と共に早速キャンプの準備が始まった。
東屋を挟み、それぞれテントを組み立てる二人。
「みなみちゃーん、せっかくだから温泉にでも入らない?」
「栗っこくん…ひょっとしてここ混浴…?」
「大丈夫だよ、男女別々だから!」
「あー良かった、栗っこくんってスケベそうだったから」
いたずらに笑う彼女に僕は小声で囁いた。
「どーせ大した身体じゃないのに…」
「何か言いました!」
小声で囁いたはずが、彼女にしっかりと聞かれ、彼女の方を向き、すぐに謝った。
「ごめん!ごめんなさい!」
「うん、今回は初犯だし特別許してやるか!」
腕組みしながら、小さくなった僕を満足そうに、そしていたずらそうに見ている彼女。だけど、次の瞬間、僕達はなぜだかクスクスと笑い合っていた。
“なぜだろうか?こんなに心の底から自分自身を出せるのは?”
“キャンパーの雰囲気?…それとも彼女と一緒だから?”
“もしかして僕は彼女の事を…”
「ねえ、栗っこくん!コインランドリーってここにある?」
「たしか、共同浴場の側にあったなー」
「じゃあ、温泉に行くついでに洗濯だ〜!」
「うん!」
静かな温泉街の片隅で二つの声が弾んでいた。
早速、組み上がったばかりのテントの中で、それぞれ温泉に行く支度を始め、僕は素早く準備を終えてテントから出た。
締め切った彼女の小さなテントは微妙に揺れていた。
“みなみちゃんはまだか…”
微妙に揺れていたテントのファスナーが静かに降り…。
「これに着替えてもいいかな…」
少しだけ開いたファスナーからは、ジーンズの裾を大胆にカットしたホットパンツが出され。テントの隙間からは彼女の恥らう表情と、その先には彼女の細い首からしなやかに延びていく鎖骨が…。
その光景に僕の眼は釘打たれてしまった。
「そーかー、やっぱりダメかー」
僕は返す言葉を忘れてしまい、彼女は再びテントの中へと消えてしまった。
“その長い足が見たい!いや、じゃなくそのホットパンツ似合うよ!”
出そうとした言葉が空回りになってしまった…。
後悔先に立たず…。
「じやーん!どう?見てみて!」
次の瞬間、満面笑みの彼女と肩口から袖を取り去ったGジャンに、膝から裾を切り取ったジャージ姿に着替えてテントから現れた。
「どーって言われても…ヘン!」
「失礼なー!これでも気合入れたのに!」
僕は下を向き素知らぬ振りをし、彼女の頬はたちどころに膨れていた。
でも、初めて見る彼女の姿は妙に似合っていた。
共同浴場とコインランドリーに向かう歩く二人。
もう太陽は山の向こうに隠れ、西の空は真っ赤に色づいていた。
山間の小さな温泉街は湯煙に包まれ、わずか数百メートルの通りに密集して並んだ旅館や土産物屋の窓明かりが燦々と輝き、日の落ちた通りに彩を放ち、そこを旅館の浴衣をまとった人達がちらほらとまばらに歩き、どこか長閑な光景が展開し、僕達はその光景の中をゆっくりと歩いていた。
その二人が歩く足元の側溝からは、硫黄に香りがする蒸気がふわり舞い上がり、それが彼女の膝小僧にじゃれてゆき、視線を少し上げると、柔らかい動きで前後する、健康的に焼けた細くきゃしゃな腕が、誘惑するかの様に直ぐ側に迫っていて、僕の視線が奪われてしまった。
「栗っこくん!どうかした?」
「えっ!あっ…いや、みなみちゃんの腕…綺麗に焼けているなーって」
動揺している僕に、彼女は全然気付かず…。
「あっ!これかー、私ってもともと肌の色が黒いんだ。ほら、ここもこんなに!」
何の躊躇も無くジャージの裾をまくり上げると、そこからは彼女の小麦色の太腿があらわになった。
「ねっ!」
「う…うん…」
眼のやり場に困りながらも、視線はそこへ行ってしまう…。
ゆっくり呼吸をしながら高鳴る気持ちを抑えながら歩いた。
やがて、旅館と旅館との狭い空間に押し込んだコインランドリーに到着した。
コインランドリーの中へと入って行く彼女、僕はコインランドリーの入り口の前にちょこんと座り、空を見上げていた。
“栗っこくん、頭で考えるより、その身体で体験した方がよく分かるぞー!明日になったらその答えの見えるさ!”
“身近な現実…あの心地良いキャンパー達の作り出す雰囲気…”
まだかすかに蒼さが残る空に、星が一つ輝いていた。
“明日になったら僕は…全て分かるのだろうか?”
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第八章 突き抜ける青空
さっきまで賑やかだったキャンプ場には二人だけ…なぜかそっと互いを見合っていた。
「そう言えばマイクさん。身体で体験とか明日になったら分かるとか言っていたね」
「うん…今朝マイクさん聞こうとした事なんだ…」
僕は昨夜の熊さんの身近にある現実の事…マイクさんが明日になったら分かると言われた事…そして今朝マイクさんに話した事を彼女に打ち明けた。
「うん〜、その現実か〜!言葉では上手く言えないけど、私なんとなく分かるな〜」
「なーんか、みなみちゃんまで知っていて言えないなんてずるいな〜」
「えへっ!」
どこまでも清々しい笑顔を見せる彼女に、僕の心に溜まっていたモノが一瞬で飛ばされていた。
「大丈夫だよ!きっとその答えも分かるよ。だって栗っこくんにこんなにいい相棒が居るじゃない!」
そう言いながら彼女の細い指はTWのタンクを優しく撫でていった。
「いい相棒?でもTWは格好悪いし遅いよ…」
そんな僕を諭すかのように彼女は優しく微笑んだ。
「でもね、このTWくんは人類史上初めてバイクで北極点に到達した偉大なバイクだよ!」
「えっ!そーなの!」
驚く僕に彼女の笑顔はニコッと輝いた。
「このTWくんの太いタイヤだったら、スピードは全然駄目かも知れないけれど、泥地だって砂地だってどんな所にも行けるから、他の人よりもたくさんいろいろ見られるよ!それに遅いからの普通なら見逃してしまうものも見れるよ…」
「それって褒めているんだか…けなしているんだか」
最後の一言でいたずらな笑顔を見せた彼女に、僕はふてくされるふりをした。
でも次の瞬間僕達は大笑いしていた。
遅くて格好の悪いTW200は僕にとって誇れるものではなかった。
でもあの時…初めてこいつと会った時は違っていた…。
それは東京での挑戦に挫折して帰ってきた時だった。
自分の両親が居る実家には帰る事は出来ず、実家から離れた街でアパートを借りて生活を始めた。
しかし、交通の便が不自由な地方の街の生活ではどうしても自動車が必要になり、手持ちの金をかき集め、友人の家を訪れた。
田園風景の中、大きな農家が数軒集まった小さな集落。
友人宅前に来た途端、その長閑だった風景との違いに足が止まってしまった。
農作業する納屋や庭先に至るまで無造作に置きざらしにされたバイクや自動車達。
「おー来たか〜!こっちに来いよ〜」
その奥から友人は呼び、雑然に置かれたバイクや自動車の間を身をよじりながらすり抜け、友人の元へと向かった。
「解体屋始めたの?」
「フフフ…違うよ、趣味だよ」
“趣味でこんなに…”
転がる自動車やバイクのボディには艶がなく、サビまでも浮かんでいた。
だが、手を掛けたらまだまだ走れそうなものばかりだった。
「フフフ!お前自動車探しているのだろ、こっちだよ」
「お、おう…」
地面に散らばったネジが歩く度にギュッ、ギュッと地面にめり込む感触がする。
心地悪い感触…。
でも必死で友人の後を追った。
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やがて納屋の奥へと入ると友人はある一角で止まった。
「ちょっと見てくれよ!フフフ!」
そこに置かれていたのはかなりいじられた一台のバイクだった。
それは、エンジンの裏側からボルトに至るまで磨きこまれ、乗られた形跡など全くなかった。
「フフフ!すげーだろー!エンジンから足回りに至るまでぜーんぶ手が入っているんだぞ〜、この一台を仕上げるのにすんげーバイク集めたぞー!!」
「回りに転がっているバイク…この一台の為に?」
「フフフ!そうだよ、このZちゃんの為さ〜!フフフ!」
一台のバイクに喜びを抑えきれない友人。
でも周囲に転がるバイクが自分に似ているようで、僕は素直に笑う事は出来なかった。
「おー!すっかり忘れていたよ!フフフ!自動車探しているのだったよね」
そう言うと友人は更に納屋の奥へと入り、突然足が止まるとポンと自動車の屋根を叩いた。
「フフフ!どうだ?型は古いけど、まだまだ走るぞ〜」
「うん…そうだなー」
その車を一回り覗き込んだ。
「ふーん、CDやエアコンも付いている…装備だって悪くないな」
その自動車を購入しようとした時だった。側に転がり埃まみれのバイクに目が止まった。
「これ動く?」
あーこれ?この太いタイヤZちゃん使えるかと思ったけど、全然役に立たなかった奴だ〜」
そう言うと友人は、横たわって宙に浮いた後輪を蹴ると、太いタイヤはカラカラ音を立て回っていった。
「走るのじゃないかな〜?」
「うん、じゃあこれにする」
「こんなのでいいのか〜?」
友人は目を丸くし、僕は転がっているバイクにニコッと微笑んでいた。
これが僕とTW200との初めての出会いだった。
あの時…TWと出会った時、こんな駄目になった僕をどこかへ連れて行ってくれそうで…そうTWが言っていたようで…。
振り返ると、そこにあの時のTWがいた。
“さあ何処へ行く?”
僕を待ちわびるTW200。キックを踏み降ろすとTWは元気に目覚めた。
心臓の鼓動のように一回一回刻む排気音。それはとても心地良く、僕の心を落ち着かせていた。
“いよいよ発進だ!”
ギアを入れ、後方へ視線を送ると、彼女からは親指をぎゅっと立てた右手がスーッと突き出され、それを合図に僕と彼女との旅が始まった。
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